――第14話 翡翠送りと、鐘の音――
ぱちぱちと薪が燃える音が、静かな夜気に響いている。
公民館を後にした3人。
水送りの儀のため、灰を受け取るべく境内の中央へと向かった。
焚火の周囲にはすでに多くの人が集まっており、誘導員が順番に参拝者へ和紙に包んだ灰を手渡している。
水野を含め、5人ほどの誘導員が配置され、受け取った者から順に川へ案内していく仕組みだ。
境内を出てすぐ、道をぐるりと裏手へ回ると、森に囲まれた先に新川が姿を現す。
河川敷のうち、立ち入りが許されている区域は安全上限られており、それ以外の場所には柵が設けられていた。
立ち入り禁止区域の前には数人の警備員が立ち、静かに人の流れを見守っている。
夜の川は黒く、その流れだけが、かすかな音を立てていた。
「悠斗くーん! 結乃ちゃーん! 祈ちゃーん!
こっちこっち!」
灰を受け取ったあと、元気よく手を振る水野のほうへ三人は向かった。
「悠斗くんたち、やり方は大丈夫?
道もちゃんと覚えてる?」
「ええ、大丈夫です」
悠斗が答える。
「結乃は初めてですけど、
僕と祈さんは来たことがあるので」
「ほー、そうかそうか」
水野は満足そうにうなずいた。
「もし、やり方忘れちゃったら、
いつでもお姉さんに言ってね」
そう言うと、水野はそのまま別の参拝者のもとへ向かった。
そして、変わらぬ調子で案内を続け始めた。
「……こんな深夜で、あのテンションか」
少し呆れたように、悠斗が呟く。
「正直、尊敬するよ」
「え、ええ……確かに」
結乃も苦笑しながら、小さくうなずいた。
※※※※※
一度境内を出て、神社をぐるりと一周するように裏手へ回る。
通行路にはランプが等間隔に設置されており、足元が暗くなることはない。
だが、今日は森の中には雪が積もっていて、月明かりを受けて白く静かに輝いていた。
(ランプがなくても、十分歩けそうだな)
悠斗はそんなことを思う。
やがて森を抜けると、視界が一気に開けた。
雪景色の中に広がる川は、まるで湖のように穏やかで、静かに光を湛えている。
「わあ……」
結乃が、思わず声を漏らした。
「これは……とても、きれいです」
祈も結乃に続き、しばらく言葉を失ったまま、その景色に見入っていた。
「ああ……」
悠斗は小さく息を吐き、湖のような川へと歩みを進めながら言う。
「久しぶりに来たけど、
こんなにきれいだったなんてね。
歳を取ると、感性も変わるものだ」
雪と水と月明かり。
そのすべてが溶け合うような夜だった。
※
「これを流せばいいんですか?」
結乃が、和紙の包みを手にしたまま聞いてくる。
「うん」
悠斗はうなずきながら、実際に手を動かして見せた。
「こうやってね、頭の前で和紙の包みを持って、
円を描くように3回まわすんだ。
それから、雪をこう……船みたいな形にして、
その上に包みを載せて流す。それだけだよ」
「へえ……」
結乃は感心したように、その様子をじっと見ている。
「雪を船にするんですね。
でも、雪がないときはどうするんですか?」
「上賀市で、この時期に雪が積もらなかったことってあったっけ?」
そう言われて、結乃ははっとして口元を押さえた。
「……そうでしたね。
言われてみれば、そうでした」
「まあ、何度か積もらなかった年もあったみたいだけどね。
そのときは、ここで人工の雪を配ってたらしい」
「あー……」
結乃は納得したようにうなずく。
「和紙をそのまま流しちゃうと、
すぐに溶けて消えちゃうでしょ」
悠斗は川面に目を向けながら続けた。
「そうすると、悪いものの浄化が追いつかない。
だから、雪に乗せて、ゆっくり流して――
“ゆっくり清めてください”って意味らしいよ」
結乃は、手の中の和紙を見つめ、小さく息を吐いた。
「おもしろいですね」
結乃の率直な感想に、悠斗は少し意外そうな顔をしてから言った。
「本当にそう思ってる?
セミナーのときもそうだけど、結乃は……
普通の女子だったら、たぶんつまらないって思うことを、
面白がるよね。変わってる」
そう言って、ふっと笑う。
「先生のお話だからですよ」
結乃は迷いなく答えた。
「先生の言葉には、力があります。
たぶん……先生が思っているよりも、ずっと」
一拍置いて、静かに続ける。
「それは、人を不幸にも、幸せにもできる力だと思います」
川面に映る月明かりが、わずかに揺れた。
「私にも……そんな力があればいいのに」
結乃はそう呟き、和紙の包みを、ぎゅっと握りしめた。
悠斗は、静かに口を開いた。
「結乃」
名前を呼ばれて、結乃は顔を上げる。
「君は……誰を幸せにしたい?」
思いがけない問いに、結乃の肩がわずかに揺れた。
「え……?」
悠斗は、間を置かずに続ける。
「誰かを幸せにするということは、
その裏で、別の誰かを不幸にしていることもある」
「人は、“誰かを救おう”なんてしちゃいけないんだ。
逆も同じさ。
それに、幸せになろう、なろうと必死に努力して、
それでも最後は不幸で終わる人がいる」
川の流れを見つめたまま、悠斗は言った。
「でもそれでいい、と僕は思っている」
「自分の幸せすら掴めないまま、
あがいて、もがいているのに、
それでも人の幸せに関わろうとする……
それは、してはいけないことだ」
言葉が、冷たい夜気に溶けていく。
結乃は何も言えず、ただ、そっと視線を落とした。
和紙の包みを持つ指先が、かすかに震えていた。
「それは、違いますよ。真神様」
今まで、結乃と悠斗のやり取りを黙って見守っていた祈が、はじめて口を開いた。
「人を“幸せにしよう”と努力して、
結果として幸せにできなかったとしても――
私は、その姿勢のほうが素敵だと思います」
悠斗は、ゆっくりと視線を祈に向ける。
「その人に、そんな力がなかったとしても?
自分のことすら、満足にできないのに?
それで誰かを幸せにしようなんて……
それは、傲慢じゃないかな」
祈は一瞬も視線を逸らさなかった。
「私は、100人の人を幸せにしたいとは思いません」
静かな声で、しかしはっきりと言う。
「名前も知らない、隣にいるだけの人を
幸せにしたいとも思えません」
そして、少しだけ息を整えて続けた。
「ただ、私が愛したいと思った人。
すでに、愛していると自覚している人を、
幸せにしたい――それだけです」
「それは願いです。
傲慢ではありません」
ふむ、と悠斗は小さく息を漏らした。
祈がここまで真正面から反論してくるのは、珍しい。
だが、そのことが、なぜか素直にうれしかった。
「……祈はさ」
ふと気になって、悠斗は聞いた。
「愛している人、愛したいと思っている人はいるの?」
「真神様です」
即答だった。
「ん゛な゛っ」
結乃の喉から、とても高校生のものとは思えない野太い声が漏れた。
「……そうなの?」
悠斗は意外なほど冷静に聞き返す。
「うれしいなあ。
じゃあ、結乃のことも愛してやってほしい」
「もちろんです」
祈はにこりと笑った。
「結乃様のことは、世界で一番愛しております」
……。
結乃は何も言わず、
明らかに納得がいっていない顔で二人を見つめていた。
そのあと、
三人は、自然と笑い合っていた。
悠斗は声を出して笑い、
祈も、両手を口元で交差させながら、くすくすと肩を揺らしている。
結乃は、まだ少し怒っているようにも見えたが、
それでも笑っていた。
悠斗が笑っているのを見て、
ようやく安心したように。
――あの事件以来、
こんなふうに笑ったのは、久しぶりかもしれない。
いろいろなことがあった。
それでも、結乃と祈に出会えたことを、
心からよかったと思った。
ズキン、と。
心の奥で、何かが小さくひっかかる感覚がある。
それでも今は、
それを忘れて、この時間を大切にしよう。
この子たちの笑顔を、守ってやりたい。
未来を、開いてやりたい。
――そう、悠斗が決意を新たにした、
その瞬間だった。
ゴォォ――ン……
ゴォォ――ン……
ゴォォ――ン……
空気を押し潰すような、低く、長く尾を引く音。
※※※※※
――2026年1月1日 0:00
ゴォォ――ン……
ゴォォ――ン……
ゴォォ――ン……
間隔は正確すぎるほど正確で、人の手で撞いている感じがしない。
※※※※※
――2026年1月1日 0:01
ゴォォ――ン……
最後の余韻が消えきる前に、次の音が重なる。
胸の奥が、じん、と痺れる。
耳ではなく、骨に直接響いてくるような音だった。
……静かだ。
人のざわめきも
川のせせらぎも
いつの間にか、遠のいている。
ゴォォ――ン……
※※※※※
大高野神社に、除夜の鐘は”ない”。
年の境目を告げる音だけが、正しく、厳かに、鳴り続けている。
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