――第13話 救われた人――
悠斗と結乃、そして祈は、本殿の裏手にある公民館を訪れていた。
悠斗が「挨拶に行きたい」と言い出したからだ。
ここまで来ると人通りは一気に少なくなっていた。
関係者たちはすでにそれぞれ集まって、ささやかな宴会を始めている様子だった。
悠斗は迷いのない足取りで、公民館に入り<控室>と手書きされたプレートのかかった扉の前で立ち止まる。
そして、こんこんこん、と軽くノックした。
「はいはーい」
若い女性のハキハキした声がした。
がちゃりと鍵を開ける音が響き、扉が開いた。
姿を現した女性を見て、結乃はすぐに気づいた。
――さっき、舞を踊っていた巫女だ。
すでに巫女装束は脱いでるようだ。
タートルネックのセーターにジーンズという私服姿。
それでも、どこか舞台の余韻を残している。
見た目はまだ幼さが残り、年齢だけなら結乃たちとそう変わらないようにも見える。
けれど、腰近くまで伸びた赤茶色の髪。
その佇まいから漂う雰囲気は、完全に大人の女性だった。
「あれー? どなた?」
毛糸の帽子にマスク姿。
目は赤く、どう見ても不審者にしか見えない悠斗。
その姿を、女性はまったく気にした様子もなく、あっけらかんと言った。
「お久しぶりです。
水野 洋子先生」
そう言って、悠斗はマスクと帽子を外す。
「んんー?」
水野と呼ばれた女性は、怪訝そうに首をかしげた。
「こんなに面白い外見をした知り合い、
私にいたかなー?」
はて、と人差し指を立て、真剣な顔で考え込む。
「僕です。真神悠斗です。
覚えておいでですか? もう4年になりますか。
相変わらず、お元気そうですね」
悠斗がそう言うと、水野は一瞬きょとんとした顔をした。
次の瞬間――
「あーーっ!」
と声を上げ、指を突き出した。
「悠斗くんじゃん!
えー! 久しぶりじゃーん!
なにその顔と髪と目、ロックだねー。流行り?」
そう言って、楽しそうに目を細める。
「い、いえ……そういうわけではありませんが。
いろいろ、ありまして……」
「そっかそっか」
深くは突っ込まず、軽く受け流す。
「とにかく、入りなよ。
そこのお嬢さんは彼女?二人とも?」
そう言いながら、入った入った、と気軽に手招きする。
「では、失礼いたします」
悠斗が先に中へ入る。
結乃は、水野と呼ばれた人物をじっと見つめたまま、少し遅れて、おずおずと足を踏み入れた。
祈は軽くぺこりと会釈をし、音も立てずに、すっと室内へ滑り込む。
※※※※※
無機質なパイプ椅子に腰を下ろし、水野はストーブの前で温かいお茶をすすっていた。
その向かいで、悠斗が口を開く。
「この子たちは、彼女ではありません」
先回りするように、きっぱりと言う。
「洋子先生のご推薦で、以前、聖嶺高校で講義をさせていただいたでしょう。
そのあとも、何度か講義をするご縁をいただきまして……
去年の講義のときに、興味を持ってくれた生徒です。
こちらが久我結乃。
もう一人が久我家の使用人の朽木祈さんです。」
そう言って、結乃達に軽く視線を向ける。
「それで、洋子先生に以前、助言していただいた通り、
今は後見業務や財産管理の仕事をメインにやっています。
現在は――」
一瞬、言葉を探すように間を置いてから、
「この子の後見人を務めているところです。
まあ、今は少し休業中ですが」
「そうか、そうか。
あの時から、もう4年になるのか」
水野はそう言って、天井を見上げた。
しばらくして、そのまま視線だけを横に流し、悠斗のほうを見る。
「あれから……大丈夫なのかい?」
「ええ。訴訟はやっていませんから、問題ありません。
それも、洋子先生の助けと助言のおかげです」
一拍、間を置いてから、悠斗は静かに続けた。
「洋子先生がいなかったら、
僕は生きていませんから」
――生きていなかった。
その言葉に、結乃は思わず目を見開く。
(……何があったの?
先生の身に……)
けれど、その問いを口に出すより先に、悠斗が話題を切り替えた。
「それより洋子先生。
どうして、巫女を?」
水野へ向けて、真っすぐに問いかける。
「ん? 言ってなかったっけ?」
水野はきょとんとした顔で首をかしげた。
「私、昔ここで巫女をやってたからさ。
もう何年前からになるんだろうね。
毎年ってわけじゃないけど、
こうしてたまに巫女の手伝いに帰ってきてるのさ」
(し、知らなかった……)
悠斗は内心で驚く。
そういえば、洋子先生は聖嶺高校の出身だと言っていたはずだ。
「まあ最近はさ、県外とか、
海外から見に来る人まで増えちゃって。
だから、そろそろ控えようかなって思ってるんだ」
そう言って、水野は軽く肩をすくめる。
「巫女をやるって歳でもないしね」
最後に、冗談めかしてウインクをひとつ。
(……同い年くらいに見えるけど。
いくつなんだろう)
結乃は年齢のことは、なぜか怖くて聞けなかった。
しかし――
「……」
気づくと、祈が険しい表情で水野を見据えていた。
さっきまでの柔らかな雰囲気とは違う、
はっきりとした警戒の色。
(結乃様)
悠斗と水野が話に花を咲かせている。
その合間に、祈が小さく声を落とした。
(ええ……おそらく、術理士でしょう。
向こうも、こちらに気づいているわね)
(では――)
(いいえ)
結乃は、すぐに制した。
(敵意は感じないし、それに……
先生の恩人、なのでしょう?
今は、様子を見ましょう)
(……よろしいのですか?)
(TIMMA所属の術理士ではないみたい。
でも、それ自体は珍しいことじゃないわ)
一拍、間を置いてから、結乃は続ける。
(ただし――
不穏な動きを見せたら、容赦はしない)
祈はその言葉を受けて、静かに視線を鋭くした。
※※※※※
こんこん、とドアがノックされる。
「洋子ちゃーん」
ドアの向こうから、年配の男性の声が響いた。
「はーい、なにー?」
水野は席に座ったまま、大きな声で返事をする。
「火ぃ、やっとるからさ。
水送りの案内、お願いできるかねー」
「わかったー。今行くわー」
少しけだるそうに、同じく大声で答える水野。
それから立ち上がり、こちらを振り返った。
「ってわけだから、行くね。
悠斗くん、久しぶりに会えてうれしかったよ」
軽く手を振りながら続ける。
「水送り、していくんでしょ?
しっかり温まってから、あとで来なよ」
「はい」
そう答えると、水野はにこっと笑う。
そして、早足で部屋を出ていった。
たたたた、と軽い足音が遠ざかり、
やがてそれも聞こえなくなる。
――その途端、
控室には、すっと静寂が戻ってきた。
※※※※※
「先生」
結乃が、声を落として呼びかけた。
「今の方とは、どのようなご関係なんですか?」
責めるというより、逃がさない、という問い方だった。
「うーん……そうだね」
悠斗は、少しだけ視線を伏せる。
言葉を選ぶのが難しい、そんな沈黙。
「僕にはね――
謝っても、謝っても、
許してもらえないことをした過去があるんだ」
ゆっくりと、噛みしめるように続ける。
「ある意味、殺されても仕方がない。
そんな時期が、確かにあった」
その言葉を、結乃は遮らなかった。
初めて聞く、悠斗の過去。
ただ静かに。
一言も挟まず、耳を傾けていた。
「完全に冤罪の事件を吹っかけられたことがあってね」
悠斗は、淡々と続けた。
「自殺した人の現場に、偶然居合わせたんだ。
カフェで、たまたま隣に座っていた人が……
たまたま僕の家にあった包丁を使って、
自分の腹を刺して、横隔膜を切り裂いた」
「…!」
その言葉に、結乃は息を詰める。
あまりにも突然で、あまりにも重い話だった。
それなのに、悠斗はまるで昔話でもするかのような口調で続ける。
「なぜか僕は、現行犯として逮捕された。
それだけでもありえないのに、
なぜかすぐに刑事裁判まで進んだ」
「……ありえないことばかりだよ」
少しだけ自嘲するように笑ってから、悠斗は視線を落とした。
「そして、当事者尋問のときだ。
僕自身に、不思議なことが起きた」
結乃も、祈も、言葉を挟まない。
「口を開くたびに、
『僕が犯人です』
その言葉以外が、出てこなくなったんだ」
その瞬間、祈がわずかに眉をひそめた。
――今の話に、ただの不運では済まされない“何か”を感じ取ったかのように。
「それで、自白が成立したとして有罪判決。
しかも、死刑判決だ。重すぎて、さすがに驚いたよ。はは」
笑ってはいる。
けれど、その目はまったく笑っていなかった。
「誰も、弁護してくれなかった。
誰も、面会にも来なかった。
親も、友達も……誰一人」
少し間を置いて、続ける。
「そんなときに、先生が現れた。
『弁護してやる』ってね」
「当時の見た目も、今とまったく同じだったよ。
正直、なんだこのガキは、って思った」
肩をすくめる。
「でも、もうどうでもよくてさ。
そのまま、訴訟代理人を依頼した」
「そしたら、控訴審で逆転。
無罪放免だ」
まるで他人事のように、淡々と告げる。
「その後は、いろいろ働き口を紹介してもらって、
今に至るってわけ」
そして、軽く言い切った。
「……それだけだよ」
そう言って、悠斗は結乃のほうを見た。
結乃は、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「……年末に、つまらない話をしちゃったね」
悠斗がそう言うと、結乃はぶんぶんと首を横に振る。
「違います」
少し震える声で、けれどはっきりと言う。
「先生の過去を少し知れて……うれしいです。
とても、とても……悲しい事件ですけど」
一度、言葉を切ってから、続けた。
「なのに……先生は、また今、
つらい目にあってしまった」
それでも、と結乃は顔を上げる。
「先生は、人を助けてくれました」
「……ん?」
助けた?
誰を?
そう問いかけるような顔をして、結乃を見つめる。
その目をまっすぐに、結乃は見つめ返す。
「その人を助けて、
泥の中から、救い上げてくださった先生には……」
言葉を選ぶように、息を吸い、
「それに見合う幸福が、なきゃいけないんです」
しかし、その後の言葉が、結乃の喉で詰まった。
「……ありがとう、結乃」
そう言って、悠斗は静かに立ち上がる。
「先生?」
見上げる結乃に、穏やかな声で続けた。
「さあ、水流しに行こう。
もうすぐ新年だし、ちょうど灰も配り始めている頃だ」
そう言って、悠斗は手を差し出す。
「はい。行きましょう。
私、初めてなので……作法が分かりません」
結乃はその手を右手で取り、
左の腕で、こぼれそうになる涙をそっと拭った。
「簡単だよ。
僕のやり方を、そのまま真似すればいい」
それから祈に視線を向ける。
「祈さんは、分かる?」
「はい。私は問題ありません。
結乃様のサポートに専念してください」
「分かった。じゃあ、行こうか」
そう言って扉を開ける。
温かい室内に、外の冷たい夜気が一気に流れ込んできた。
年の境目を告げるような、その空気。
三人は自然と背筋を伸ばす。
――火水の儀式が、待っている。




