――第5話 激闘の末に――
「エウラちゃん……なにがおかしいんですか?」
祈は声を潜めて問いかける。
その最中も、視線は決して悠斗から外さない。
四つの術式陣を同時展開している悠斗。
いつ術理を発動してもおかしくない。次の瞬間には、発動と同時に体を貫かれる可能性すらある。
祈は重心を低く落とし、即座に回避できる姿勢を崩さない。
だが――
エウラは悠斗を見ていなかった。
完全に、自身が展開したドーム結界へ意識を向けている。
祈も改めて視線を空へ向ける。
そこには無数の術式陣が幾重にも重なり合い、完璧な密度で配置されている。
異常など――見当たらない。
しかし、エウラの表情は明らかに変わっていた。
「……術式陣の“数”が足りないわ」
低く、確信を含んだ声だった。
祈の背筋が凍る。
「これは……まさか……悠斗が?」
エウラはゆっくりと視線を戻す。
その先には――悠斗。
四つの術式陣が静かに回転し、今にも解き放たれそうな圧を放っている。
まるで、獲物を定めた砲口のようだった。
エウラは目を細める。
「……ずいぶんと手癖が悪くなったのね、悠斗」
皮肉めいた声音が、夜気に溶ける。
「それが……あなたの能力かしら」
悠斗は静かに二人を見据え、語りかけるように口を開いた。
「そうだよ、エウラ。これは君の術式陣の制御を奪った結果だ」
淡々とした声音だった。
「奪える対象には制限があってね。正直、使い勝手は良くないんだけど……相手が今、“奪われたくないもの”からランダムに奪う能力なんだ」
わずかに肩をすくめる。
「この状況なら、僕の戦況を有利にするものを奪えると思ってさ。術式陣まで奪えるとは……予想外だったけどね」
その表情は、穏やかだった。
いつもの、柔らかい悠斗に見える。
だが――その瞳には、決して優しさは宿っていなかった。
「降参する?」
静かに問いかける。
祈の胸が強く締め付けられる。
ここで降参すれば――悠斗の自滅を見過ごし続けることになる。精神は摩耗し、あの穏やかな笑顔を、もう二度と見ることができなくなるかもしれない。
それだけは、許せなかった。
祈はまっすぐ悠斗を見据える。
「……断ります。悠斗さん」
声は震えていない。
「何があっても……あなたのやり方を認めることはできません」
悠斗は、わずかに目を伏せる。
「……そうか」
そして、小さく呟いた。
「じゃあ……ちょっと危ないけど」
次の瞬間――
術式陣が回転を始める。
きいいいいん――
甲高い共鳴音が林に響く。
悠斗の右肩にある術理核が、淡い光を帯びる。
その光は、静かに――しかし確実に、殲滅の意思を宿した破壊の輝きへと変わっていった。
「――“カルテット”・ブレイク・ボルティクス」
次の瞬間――
バリバリバリッ!
空気そのものが裂けるような轟音が林を震わせた。
悠斗は右腕をゆっくりと持ち上げる。
その掌の上に、巨大な雷の球体が形成されていた。
紫電と黄金の閃光が絡み合い、渦を巻いている。
内部には、今にも爆ぜそうなエネルギーが圧縮されていた。
触れれば――消滅する。
そう直感させるほど、異質な密度だった。
(……直撃したら……)
祈の背筋に冷たいものが走る。
悠斗は――本当に、自分たちを殺すつもりなのか。
「……っ、これは……!」
思わず声が漏れる。
エウラの補助があっても、今の祈には対抗手段がない。防御術理も間に合わない。逃げる猶予もない。
一瞬だけ、思考が別の選択肢を弾き出す。
――間合いを詰める。
――心臓を一突きにする。
それが唯一の勝機。
だが、その結末は分かっている。
悠斗には、致命の結果を“未来”へ流す力がある。届かない。
「……デプロイ」
氷のように冷たい詠唱が落ちる。
悠斗は右腕を振り下ろした。
雷球が解き放たれる。
空間を削り取るような速度で、祈たちへと襲いかかる。
次の瞬間――
祈の視界は、紫と黄金の閃光に塗り潰された。
「――カルテット・シールド・リフレクト・シェル!」
祈の前へ、エウラが飛び出す。
小柄な体を大きく踏み込み、両腕を突き出す。
同時に四つの術式陣が展開され、空間が歪む。
次の瞬間――半透明の巨大な盾が形成された。
鏡のように滑らかな表面を持つ防御壁。
万物を反射する、絶対防御の術理。
通常の術理士を相手にするなら、明らかに過剰すぎる防御だった。
その領域へ到達できる使い手は――もはやエウラ以外に存在しない。
その盾へ、悠斗の雷術理が激突する。
――がぁああああん!
林全体を揺らす衝撃音が轟く。
盾が大きく歪み、光の波紋が広がる。
エウラの体が――わずかに半歩下がる。
「……っ!」
押されている。
小さな背中が、明らかに圧力へ耐えているのが分かる。
盾越しに雷が荒れ狂い、光が暴風のように吹き荒れる。
「うぅ……悠斗のくせに……生意気にぃ……!」
歯を食いしばりながら、エウラが呻く。
その声音に、余裕は微塵もなかった。
その姿を見て――祈の胸が強く締め付けられる。
(……私に……何ができる……?)
思考が巡る。
ネザーヴェイルの構成員相手にすら苦戦した。
大天使との戦いでは、死にかけた。
そのたびに――悠斗に救われてきた。
そして今も。
エウラに守られ、ただ立ち尽くしているだけだ。
(……このままじゃ……)
拳を握る。
(何か……なにか……!)
祈は必死に思考を巡らせる。
そこで――違和感に気づいた。
なぜ悠斗は、この威力の術理を平然と放てるのか。
「殺すつもりはない」と言いながら、この出力ではエウラですら防ぎ切れる保証はない。悠斗がその危険性を理解していないはずがない。
それに――
(まさか……)
祈の思考が止まる。
悠斗は、すでに自分たちへ“リネア”をかけているのではないか。
相手に生じる結果を、自分が引き受ける。
その上で、結果を未来へ先送りする。
悠斗なら、やりかねない。
だが――もし、相手の結果を肩代わりしているのだとしたら。
その瞬間だけは、“未来へ送る”ことができないはず。
祈の思考が加速する。
仮説が形になりきらない。それでも――確信だけが胸に生まれる。
悠斗の性格なら。
必ず、結果を自分で引き受ける。
ならば――
祈は、ひとつの可能性へ辿り着いた。
(今……この瞬間なら……)
悠斗の意識はエウラの防御術理へ集中している。
そして、結果を肩代わりしている状態であれば――祈の存在は、完全に視界から外れているはずだった。
祈は静かに覚悟を決める。
スティレットを握り直す。
だが、その刃は――悠斗へ向けられてはいなかった。
ゆっくりと、自分の腹部へ向ける。
まるで、古い武士が切腹を選ぶかのように。
迷いはない。
祈は深く息を吸い込み――
自らの横腹へ、スティレットを突き立てた。
――がすっ。
鈍く、嫌な音が響く。
刃が自分の腹を貫く感触。
焼けるような激痛が、祈の全身を突き抜けた。
息が詰まる。視界が揺れる。
だが――その痛みは、次の瞬間、嘘のように引いていく。
代わりに祈の胸へ込み上げてきたのは、まったく別の感情だった。
(……この人は……)
悠斗は、この極限状態でなお、祈とエウラへリネアを施していた。自分たちに降りかかる結果を――自分一人で引き受けるために。
その事実が、胸を締め付ける。
「……ぐ……ん?」
必死に盾を支えていたエウラが、異変に気づく。
術理の圧力が――明らかに弱まっている。
二人を押し潰そうとしていた雷球は勢いを失い、音を立てながら徐々に収縮していく。
「……あら?」
拍子抜けしたような表情で、エウラはその光景を見つめた。
「これは……いったい?」
やがて雷は完全に霧散する。
エウラがゆっくり視線を上げると――そこには、地面へ倒れ伏した悠斗の姿があった。
腹部が赤く染まり、血が地面へ広がっている。
「え……?」
エウラは目を見開く。
「ど、どういうこと?」
祈は静かに一歩前へ出る。
「……悠斗さんのリネアを、逆手に取りました」
そう告げると、祈は悠斗の傍へ膝をつく。
ゆっくりと体を仰向けにし、自分の膝の上へ頭を乗せる。
そして、腹部へ掌をかざす。
淡い光が広がり、治癒術理が静かに発動する。
「……悠斗さんが、本当に私たちを殺すつもりだったら……勝てませんでしたね。バカな人」
祈は、痛みに耐えている悠斗を見下ろしながら、静かに言った。
悠斗は額に汗を滲ませ、苦笑を浮かべる。
「君は……無茶をするね。僕が君にリネアをかけていなかったら……どうするつもりだったんだ」
「その時は――」
祈は迷わず答える。
「きっと悠斗さんは、戦闘中なのも忘れて、私を助けてくれたはずです」
悠斗は目を細める。
「……君は、したたかになったというか……強くなったというか。こんな無茶は、もうしないでくれ」
「それを悠斗さんが言います?」
祈はわずかに眉を上げる。
「それ、私のセリフなんですけど」
「はは……そうかもね」
悠斗は小さく笑い、祈の顔を見上げる。
ちょうどその時、雲に隠れていた月が顔を出す。
淡い光が、祈の表情を照らし出した。
泣きはらした跡が残っている。
笑っているのに――その瞳は、どこか悲しげだった。
その表情を見て、悠斗の胸に鈍い痛みが走る。
(……僕は……)
「僕は……焦りすぎていたんだろうか」
祈は治癒の手を止め、そっと悠斗の頬に触れる。
「そうですね」
優しく、しかしはっきりと告げる。
「結乃様を助ける方法は、みんなで考えています。悠斗さんは……おひとりではないんですよ?」
「……そうか」
悠斗は小さく息を吐く。
「……てか祈? 治癒、続けてくれないの?」
祈はにこりと笑った。
「これ以上はしません。しばらく安静にする必要がありますね」
その笑顔は可憐だった。
だが――瞳は、まったく笑っていなかった。
(……これは、困ったな……)
悠斗は、心の底から後悔していた。




