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弁護士は、現代社会に生きる、辛い過去を持つ魔女達を自己犠牲も問わず救いたい。  作者: れさ
第4章 旅先で待つもの

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――第17話 希望と絶望――

 祈の視界が、ゆっくりと色を取り戻していく。

 白く滲んでいた世界に輪郭が戻り、揺れる光の向こうに、人影が浮かび上がった。

 焦点が合った瞬間、そこに立っていたのは悠斗だった。


 その顔は、ひどく歪んでいた。

 安堵と喜びが入り混じり、必死に笑おうとしているのに、今にも泣き出しそうで、まるでどちらが救われた側なのかわからない表情だった。


「祈……!」


 声が震える。


「よかった……本当に……助かって……」


 言葉の端が途切れ、悠斗の目に溜まった涙が、今にもこぼれ落ちそうになる。

 その必死な姿を見た瞬間、祈の胸の奥がぎゅっと締めつけられた。


 生きている。

 その事実が、こんなにも重く、あたたかい。


 視界が再び滲む。

 悠斗の涙につられるように、祈の目にも熱いものが込み上げてきた。

 声を出せば、きっと崩れてしまう。


 だから祈は、ただ小さく息を吸い、

 震える唇で悠斗の姿を見つめ続けていた。


「真神様……私は、生きているのでしょうか……」


 掠れた声だった。

 喉の使い方を忘れてしまったかのように、祈の言葉は途切れ途切れにこぼれ落ちる。その問いに、悠斗は一瞬だけ目を伏せ、それから穏やかに微笑んだ。


「ああ、もちろんだよ。祈は生きている。今も、これからもね」


 断言するような声音だった。その言葉を聞いた途端、祈の胸の奥に溜まっていた緊張が、ふっと緩む。


「……そう、ですか……」


 安心したのか、力が抜けたように小さく息を吐いた直後、祈は無意識に身を起こそうとして、思わず声を漏らした。


「うっ……」


 身体が言うことをきかない。重く、鈍く、自分のものではないようだった。

 その瞬間、背中と肩に、そっと手が添えられる。


「まだ無茶はだめだ」


 悠斗は祈を抱き起こすように支え、体重を預けさせる。その腕は思ったよりもあたたかく、確かだった。


「外傷は……たぶんない。でも、相当なエネルギーを使ったはずだ。今は休もう」


 胸に伝わる悠斗の呼吸を感じながら、祈はゆっくりと瞬きをする。

 生きている。その言葉の意味を、ようやく身体が理解し始めていた。


 祈は、そっと自分の背中に意識を向けた。

 恐る恐る身体をひねり、手を伸ばして確かめる。

 ――痛みは、ない。

 裂けるような感覚も、焼けつくような残滓も残っていなかった。


 だが、背中の服は完全に消し飛んでいた。

 布の感触はどこにもなく、素肌が冷たい空気にさらされている。その有り様が、先ほどまでの戦いの激しさを雄弁に物語っていた。

 わずかな恥じらいが胸をかすめる。けれど、そんな感情に構っている余裕はなかった。


 頭の奥に、白い世界が蘇る。

 音も、温度も、境界すら存在しない空間。

 夢だったのか、それとも――。


「……真神様」


 祈は視線を上げ、縋るように悠斗を見た。


「結乃様が……心配なのです。結乃様が……」


 言葉の先が、喉で詰まる。

 泣き出す寸前の顔で、祈は必死に感情を抑えていた。


 悠斗はすぐに異変を察し、表情を引き締める。


「結乃が、どうかしたのか?」


 祈は答える代わりに、ふるふると小さく首を振った。身体ごと震えている。


「……わかりません。ですが……」


 声が、わずかに掠れる。


「とても、いやな予感がするのです。胸の奥が、ざわついて……。すぐに行かないと……」


 その不安は、理屈ではなかった。

 けれど祈は知っている。

 この感覚は、決して外れることがないということを。


「……そうか。わかった。すぐに向かおう」


 悠斗は迷いなく言い、祈の様子を確かめるように視線を落とす。


「立てるかい?」


「……はい。なんとか、行けそうです」


 祈は短く答え、ゆっくりと足に力を込めた。膝がわずかに震えるが、立ち上がることはできる。

 その瞬間、悠斗が肩を差し出す。


「無理はするな」


 祈は小さく頷き、その肩に体重を預けた。

 一歩、また一歩。

 息を整えながら、二人は階段へと向かう。


 エレベーターは使えない。

 だからこそ、選択肢はひとつだった。


 互いに支え合いながら、

 二人は結乃のもとを目指し、

 十五階への階段を上り始めた。



※※※※※



 ――十五階に、足を踏み入れた瞬間。

 二人は、言葉を失った。


 そこにあるはずの光景が、なかった。

 いや、正確には――ほとんど何も残っていなかった。


 フロアの半分以上が、まるごと消失している。

 壁も、天井も、床すらも途中で断ち切られ、建物の内部が無惨に抉り取られていた。鉄骨がむき出しになり、無数の断面が黒く焦げ、ねじ曲がったまま空中に突き出している。


 そして、何より異様だったのは――屋根が、ないことだった。


 本来なら、その上にはさらに十五層もの階層が積み重なっているはずだった。

 TIMMA本部ビルは、確かに三十階建てだった。

 それなのに。


 十五階より上が、まるごと消し飛んでいる。

 破壊された、という表現では足りない。

 “存在していた痕跡ごと、削り取られた”――そう言うほうが近かった。


 視線を上げると、そこには夜空が広がっていた。

 雲ひとつない、澄み切った星空。

 無数の星々が規則正しく配置され、まるで精巧に作られたプラネタリウムのように、静かにきらめいている。


 あまりにも、きれいだった。


 だからこそ、その光景は残酷だった。

 本来なら天井に遮られているはずの夜空が、ビルの内部にそのまま流れ込んでいる。

 瓦礫と断面の向こうで、星々は何事もなかったかのように瞬いていた。


 この場所で、どれほどの力が振るわれたのか。

 どれほどの理が、ねじ曲げられたのか。


 祈は、思わず息を詰める。

 美しいはずの星空が、今はただ不気味で、冷たく感じられた。


 まるで――

 この惨状を、上から静かに見下ろしているかのように。


 悠斗もまた、無言のまま立ち尽くしていた。

 崩壊したフロアと、開け放たれた夜空。その対比が、現実感を容赦なく削ぎ落としていく。


 ここで、何かが起きた。

 取り返しのつかない、何かが。


 その確信だけが、重く胸に沈んでいた。


 エウラと結乃の姿は、どこにもなかった。

 悠斗は視線を巡らせ、崩れた床の端から端までを確認する。瓦礫の影、折れ曲がった鉄骨の向こう、吹きさらしの空間――しかし、二人の気配は見当たらない。


「……いない」


 胸の奥に、嫌な空白が広がる。


「真神様……これは、いったい……」


 祈の声は、震えを隠しきれていなかった。

 悠斗は視線を戻さぬまま、小さく首を振る。


「わからない……。ここで、なにがあったんだろう」


 ビルを半分、まるごと消し飛ばすような出来事。

 常識では考えられない。いや、術理を知っている悠斗でさえ、これは想定の外だった。これほど広範囲を、しかも一瞬で消し去る力。


 脳裏に、最後に見た男の姿が浮かぶ。

 大鎌を携えた、あの異様な存在。

 だが、あの男に――ここまでのことができるとは思えなかった。


 では、他に何がある。

 何が、この場所を、ここまで壊したというのか。


 思考が渦を巻いた、そのとき。


 ――がらっ。


 背後で、鈍い音が響いた。

 崩れた瓦礫が、さらに崩れ落ちる音。空気が震え、微かな粉塵が舞い上がる。


 ――敵か。

 悠斗は即座に振り返り、祈を庇うように一歩前に出た。


 そこには、エウラがいた。

 そして、その傍らに横たえられた結乃の姿がある。


「……結乃」


 胸の奥が、ふっと緩む。

 よかった。ここにいる。生きている。

 そう思い、安堵しかけた、その瞬間だった。


 エウラの表情を見て、悠斗は眉を顰める。

 喜びも、安堵もない。ただ、沈んだ静けさだけがあった。


「エウラ……?」


 呼びかけに気づき、エウラはゆっくりと顔を上げる。


「悠斗……祈……無事だったのね……よかったわ」


 その声は優しい。だが、どこか覚悟を含んでいた。

 悠斗の視線は、再び結乃へ向かう。


「……エウラ。結乃は……寝ているのか……?」


 恐る恐る絞り出した言葉だった。

 聞きたくない。

 聞いてしまえば、すべてが変わってしまう。

 それでも、聞かなければならない。


 エウラは一度、深く息を吸う。


「悠斗……それと、祈……」


 祈の肩が、わずかに震える。


「落ち着いて、聞いてね……」


 短い沈黙。


「結乃は……」


 言葉が、胸を締めつける。


「……目を、覚まさないわ」


 世界が、音を失った。


「アーサーに……持っていかれたのよ」


 その一言が、ゆっくりと、逃げ場なく突き刺さった。


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