モブ令嬢は乙女ゲームに参加しないが、ヒロインのルートにも関知しない
『ゲーム』のメイン攻略対象を「第三王子リチャード」として修正しています。修正漏れあったらごめんなさい。
一部「第二王子」「ランスロット」となってたので統一して直しました。
実家の辺境伯家が、どういう抗議をしたのかはマリエルも知らない。彼女に知らされたのは、レイノルドとチェルシーの婚約が破棄されたこと、度重なる不品行で彼女が学園を除籍になったこと、だ。
退学より除籍の方が処分としては重い。学園に一度は在籍した、その記録ごと抹消される。それはすなわち、この国では貴族子女として不適格とされたのと同等だ。
結局のところ、貴族子女全員が通う建前になっている学園をまともに卒業できないような人間は、貴族社会に相応しくないとして排除される。
平民の特待生の場合は、王宮やそれに準ずる官公庁に就職する場合が多い。それでも、学園卒業資格を得ていれば待遇はぐっと良くなる。
除籍になったチェルシーは、当然学園寮からも退去させられてその際散々に暴れていった。控えていた警備が、小隊掛かりで拘束して荷物ごと追い出すという、前代未聞の騒動である。
そもそも除籍自体滅多にある話でもない。それ故余計に面白おかしく噂された、ことも間違いではないだろう。
「本当に驚きましたわ」
「まあ、あの方ですから……」
久しぶりにフォスティーヌからお茶会に呼ばれたので、マリエルも友人たちと招待に応じた。
タウンハウスのサロンは、落ち着きと豪華さを兼ね備えた、さすが上流と思わせるもの。
タウンハウスは、侯爵家とは言えそこまで大きなものではない。サロンも、広さはほどほどといったところ。だがインテリアは品が良く上質な、見る目を持つ者が揃えたとわかるような品ばかりで、しかも全体の均衡がとれている。居心地の良さと高級感を巧みに演出する、それもまた貴族としての才の現れだ。
フォスティーヌの家であるエディション侯爵家は、侯爵家としてはほぼ中堅という辺りか。特に権力が大きいとも言えないが、困窮しているわけでもない。領地を滞りなく治め、寄子の下位貴族をまとめてそれなりの権力と財力、発言力を有している。後継者が別にいるので、フォスティーヌが王子と結婚すれば、公爵位を与えられて領地もそれなりのものを与えられることになるだろう。
しかし。
「今日は皆さんに、ご報告したいことがあってお呼び立てしましたの」
珍しく、悪戯っぽい微笑みを浮かべるフォスティーヌはずいぶんと朗らかな表情だった。
元々彼女は、貴族令嬢らしい令嬢だ。つまり滅多なことでは表情を動かさない、アルカイックスマイルを張り付けて優雅に振る舞う淑女、といったところ。
しかし今日は、招待客を招き入れたところから既に、抑えきれないような笑みがこぼれていて。普段の取り澄ました笑みとは明らかに異なっていた。
「……何か、いいことがございましたの?」
しかもどうやら同じ派閥の令嬢も、話は聞いていないらしい。恐る恐るのように問いかけているのは、いつも側に控えている伯爵令嬢だ。フォスティーヌの腹心、といってもいい彼女が何も聞いていない様子を見るに、極秘事項だったことは想像に難くない。
しかし極秘事項にしては、フォスティーヌは非常ににこやかで上機嫌。悲壮感もなくむしろ重荷から解放された、という様子だ。
「そうですわね、いいことですわ。とても、『いいこと』」
優雅な仕草でティーカップを傾ける。その仕草も洗練された上品さだ。
「あまり、もったいぶっても仕方がありませんわね。……殿下との婚約が、解消になりましたの」
「……えっ」
フォスティーヌの婚約者といえば第三王子リチャードである。傍から見ている限りでは、普通の婚約者同士だったと思う。とりわけ仲が良いわけでも悪いわけでもなく、社交で必要な時には寄り添い、学園でも友好的に会話を交わしていた。ただそこに情熱や恋愛要素はなく、あくまで必要な付き合い、といった様子ではあり。政略結婚のための婚約、というのがぴったりだったのは間違いない。
チェルシーは彼にも声をかけていたが笑顔で躱されていたし、他の令嬢も二人があまり仲が良くないことに目をつけて割り込もうとしていた者もいたが、その辺りあっさりスルーされていた。爽やかで気さくな王子様は、実は案外ガードもしっかりしており隙がなかった。
その彼が、フォスティーヌと同じくらい、或いはそれ以上に親しく言葉を交わしていたのが、リラ・サンダンスだった。
男爵令嬢かつ庶子の生まれで、教育も半端ながら天真爛漫・明朗快活という、貴族令嬢らしからぬ少女は。学園でもあくまでのびのびと、感情豊かに振る舞っていた。一部の令息はその貴族令嬢らしく無さを好み、かなりちやほやしていたが。
第三王子はそれとは少し違う。彼およびその側近である令息たちはまるで小動物を愛玩するようにリラを可愛がっていた。性的な意味合いは感じ取れず、ただ小さな子どもを微笑ましく見守るような、そういう雰囲気で。だからこそ、婚約者のフォスティーヌも特に目くじら立てることもなく、おっとり見守っていた、と思っていたのだが。
「……フォスティーヌ様。……あの、念のために伺いますが……差し障りあるようでしたら、お答えいただかなくても構いませんのですけれど。……解消の理由は伺っても?」
かなり持って回った聞き方をするマリエルに、フォスティーヌは相変わらず朗らかに笑う。入学してからの付き合いとはいえ、ここまでにこやかで上機嫌な彼女を見るのは初めてだ。
「お気になさらないで。むしろ私もそれを説明しておきたくて、ご招待させていただきましたのよ」
そして彼女が語るところによれば、解消の申し出は王子の方から。曰く、『あまり力を持ちすぎるのは良くないと考えた』からだという。
正直なところ、嘘くさいというか甘ったれているというか、上っ面の言い訳と思ったマリエルに対しあくまでフォスティーヌは楽しそうだ。
「何と言いますか、甘えたことをおっしゃる、と思ったら私も付き合いきれないとも思いましたのよ」
実のところ、フォスティーヌもマリエルと同じように思ったのだろう。何しろ二人は紛れもなく政略結婚、お互いの家に利がある故に結ばれた婚約だ。政治的派閥や経済的業務提携を鑑みて締結されたものだったはずなので。それを個人の思い込みで覆す彼と距離を置けるなら願ってもない、といったところか。
確かに第三王子は優秀だ。頭もいいし腕も立つ。
だが王太子の長兄や、それを支える次兄を超える、或いは比肩するかと言えば、頷く者はほぼないだろう。あくまで『そこそこ使える』レベルであって、侯爵令嬢と婚姻するからこそある程度の権威も要るだろうと爵位や領地が与えられることになっていた。その婚約を解消するのならば、与えられる爵位や領地も格が下がるのは間違いない。当人それをわかっているなら良いのだが。
「……何と言いますか……フォスティーヌ様、お疲れ様でした」
相手の都合に振り回された彼女に対し、マリエルが言えるのはそれくらいの労いでしかない。だがその上機嫌ぶりだと、フォスティーヌの方も利があることなのだろう。
「まあ、これで私も。本当に望ましい相手との婚約を望むことが叶いますので」
ほほほ、と上品だが珍しく声をあげて笑う様子を見ればその利は明らかだ。政略の上か彼女の気持ちの上かはともかく、他に望ましい相手がいるのなら。
そう言えばこの世代では、婚約を結んでいる人間が意外に少ない。このフォスティーヌと第三王子・リチャードの婚約が解消され、先立ってレイノルドとチェルシーのそれも破棄されたことでめぼしい関係は無くなったのではないか。言葉は悪いが、ある意味『選び放題』である。
「あのぅ……新しい婚約者は、もうお決まりになっていますの?」
恐る恐る尋ねてくる伯爵令嬢は、フォスティーヌの相手とかぶりたくないのだろう。学園の卒業は来年だが、それまでには目星をつけておきたいはずだ。最初から除外できる相手は除外しておくのが賢いやり方になる。
「あぁ、それは……まだ、公表はできないの。もう少し待ってもらえるかしら。……そうね、相手は侯爵家の次男、とだけ」
そう言われれば、概ね相手の見当はつく。同じ世代で『侯爵家の次男』となれば限られるし、その中でフォスティーヌが好意を抱く相手、と絞り込んでいけば思い浮かぶのは一人しかいないだろう。
「では、まあ……良かったとお祝い申し上げてよろしいですの?」
「フォスティーヌ様のお気持ちが一番ですわね」
微笑みを交わし合う、この茶会に参加している令嬢は殆どが婚約者はいない。フォスティーヌが相手を決めて、初めて自分たち(の家)も動ける。
だからある意味ほっと安堵してはいただろう。
「ではあの、殿下はどなたかと婚約されますの?」
だから若干油断した、という訳でもないが。
どこの派閥でも、些か持て余されているが追い出すほどでもない、というタイプはいる。フォスティーヌの派閥でも、この子爵令嬢はそのタイプだ。始末が悪いのは、当人その自覚がなく、自分は友人から愛され可愛がられているので、多少失礼なことを言っても許される、と思い込んでいるところだ。内輪以外では大人しいのが救いかもしれない。
今も、皆薄々思っていたことをわざわざ口にしてつっこんでくる。
「……具体的なお話を伺った訳ではないのよ。ただ殿下ご自身は、お相手を決めていらっしゃるようでしたわね」
おっとり笑みを浮かべたままのフォスティーヌだが、実のところ皆彼の希望は見当がついている。
フォスティーヌより低い、旨味のない家柄でかつ彼女と同じくらい側にいたのはリラ・サンダンスしか思いつかない。
第三王子リチャードは、一見人当たりは良いが意外に警戒心は強く、ある程度身元がしっかりしている人間しか相手にしなかった。学園に入学している者はその『ある程度身元がしっかりしている』に該当するため、分け隔てなく言葉を交わしているように見えてはいた。
その中でもあまり身分が低い者とは積極的な付き合いはしなかったが、その例外がリラだった。
男爵家のしかも庶子ということで教育も不行き届きな、庶民的な娘。貴族令嬢としては落第だろうが、裏表なく朗らかな彼女に、権謀術数に塗れた世界で生きてきた王子は惹かれていた。
リラだって実のところ、「いい結婚相手を見つける」という打算はあったのだが、あまりに幼稚でそれ故に毒気がなかった。チェルシーという悪い見本があったせいもあり、良く見えていたことも否定できない。癒しや平穏を感じられる貴重な存在だった。
ただ実家は何の力も無く、本人も高位貴族としての能力には欠ける。政治的野心があれば選ばなかったはずの相手でもあり。その意味でフォスティーヌ、及び彼女の家が属する派閥はリチャードに失望したのだろう。
「殿下のお心を、下の者が推察するなど、不敬なことよ。増して婚約を解消した以上、私とも関わりは無くなったのですから」
淡々とアルカイックスマイルで宣うフォスティーヌは、おそらくその殿下の振る舞いに失望して。縁を切ることになったのだろう。もちろん彼女の家、エディション侯爵家の総意として。
これまでリチャードが周囲に傅かれ目線一つでお膳立てされていたのは、婚約を結んでいたエディション侯爵家故、は全てで無くともかなり比重の高い事実だ。それを失った彼が何をどう思いどう振る舞うかは、まだわからない。