転生モブ令嬢は、学園乙女ゲームに参加したくない・6
フレッド本人の弁明によれば、辺境伯の「娘」の婿になることで将来は安泰だと考えたと。なぜそんなことを思い込んだのかはわからない。ロバートが「まだ全然そこまで話がいってなかっただろう!?」といってもそんなはずはないと主張していたが。
「驚かせてすまなかった、マリエル」
深々と頭を下げるロバートにマリエルは苦笑する。
驚いたがすぐ周囲が対処してくれたので、実害はなかった。
詳しくフレッドの状況を調べなおしたところ、学園卒業後に就職した騎士団でそこそこ真面目に一・二年は働いていた。貴族とはいっても子爵家の三男、まともな後ろ盾もなくほとんど平民と変わらない。
しかし仕事に慣れてきた辺りで、やらかした。商売女に入れあげて騎士団の情報を漏らしたことがバレて首になった。
もちろん蓄財もなく、親にも援助を頼めず、慌てて次の就職口を探したフレッドが思い出したのは同期のロバートだった。
ロバートは辺境伯の孫で、次期伯爵の息子である。嫡男ではないが辺境伯領では将来的にそれなりの地位を与えられる、と目されている。またフレッドは彼の婚約者とも親交はあり、そちらから伝手を辿ってロバートとの約束を取り付けた。その時点でフレッド自身としては一仕事済ませた気になっていた。
実際にマリエルに会って関係を築く、という経緯については全く考えが及んでいなかった。
念のため追記するが、学生時代から今現在に至るまで、フレッドが女性にもてていたことはほぼない。職に就いてから花街の女性にちょっとお愛想を言われていた程度だ。
だがどうもそれを真に受けて『自分は社会に出ている大人の女性にはモテる、学生はこどもだから魅力がわからない』と思い込んでいたらしい。そしてマリエルが戸籍上はロバートの叔母であることは認識していたので、『社会に出ている大人の女性』だからイケる、と。
かなり残念な思考と言わざるを得ないし、その認識ではこれからも、或いは表沙汰になっていないだけでこれまでも何かやらかしていた可能性は少なくない。
「うちからも実家に苦情を入れといたが……祖父様や祖母様から俺にもお叱りがあってな」
ロバートはしょげているが、これはまあ自業自得だ。相手をきちんと調べもしないで引き合わせた、というので祖父母だけでなく両親や姉にもかなりどやされたそうだ。
この姉がなかなか女傑で、マリエルも可愛がってもらっている。従姉弟の中では最年長ということもあってか、嫁いでからも皆の「姉」であって面倒見がいい。今は辺境領にいるが、タウンハウスの使用人から情報を得て弟に手紙で雷を落としたらしい。
もっともマリエルも、あまりロバートが持ってくる話を信用したわけではなかった。好意で紹介してくれたのだろうが、若く経験の浅い彼ではあまりまだ人脈もないし、今回のように人を見る目もあるとは言い難い。本人は真面目で快活だが、人の裏を読む目はない、のが正直なところだ。
「ロバート従兄様、気にしないでくださいな。……今後あのようなお話は、伯父様たちに許可をいただいてからにしていただければ」
結局は気が急いたフレッドの先走り、ということで彼にせっつかれたロバートもろくに領地の親兄妹の許可もとらないで行動してしまったのが原因でもある。さすがに他の者たちが精査していれば、ここまでのことにはならなかったはずだ。今回は、片付いてからいったいどういう人間なのか、とかつて所属していた騎士団にまで辺境伯家から問い合わせしたという。その辺は前もって聞いておくべきだった。そしてその気の利かなさが、この従兄らしくはある。
「その、済まない」
唐突な謝罪にマリエルは目を瞬いた。
謝罪してきた相手は知っている。学園の放課後に声をかけてきたのは、騎士団長の三男で、剣の腕は兄たちより上と言われるレイノルド・シモンズ。
学園の女生徒にも人気だが、本人は真面目で律儀、声をかけられることがあっても儀礼以上の対応はしないと聞いている。
あと、彼の婚約者が問題児のチェルシー・フォジョンであることも大きい。自分は機会さえあれば高位貴族の令息にしつこいほどつきまとうくせに、他の令嬢が自分の婚約者に声をかけでもしたら目を吊り上げヒステリックに喚き散らす。それで大概の令嬢も彼とは距離を置いているのだが、今回全く空気の読めないリラは彼にも接触していた。
マリエルとの件から復学したばかりのチェルシーの醜態は、直接その場にいなかったマリエルも聞き及んでいる。リラを捕まえて怒鳴り、罵り、暴力を揮おうとして周囲に取り押さえられたという。
それで今度こそ退学になるのでは、と噂されているが、マリエルには興味がない。チェルシーが本当に退学になれば、貴族社会から締め出されるのと同義なので、もう顔を見なくて済むし絡まれることもなくなる、というだけだ。
だが今も、チェルシーはマリエルには近づいてはいけないことになっているし、あれ以来さすがに当人も寄ってこなくなっていた。
「……シモンズ伯爵令息に、詫びていただく覚えもないのですが?」
彼は長身で、一つ年下のマリエルからだと頭一つ分以上背が高い。癖のある金褐色の髪はさっぱりと短く、ビリジアングリーンの瞳は切れ長で涼しげ、きりっと精悍な顔立ちと細身ながら鍛えられた体格で、まあ確かにモテるだろうな、と客観的に思う容姿だ。
「それは、その……あの、あなたのご母堂のことだ。……うちの母から、きちんと詫びを入れるようにと」
「ああ……いえ、今更ですので。それにご子息に謝罪をいただくことではないかと」
彼の母親は、マリエルの実母と学生時代から仲が好かった。しかしマリエルの母が病魔に倒れた頃、そちらの実家でももめごとがあってかかりきりになっており、異変に気付かなかったのだ、という。
しかしいずれにせよ相当に昔の話。今マリエル自身が口にしたように『今更』でしかない。
もちろんマリエルも、彼と一対一で会うような真似はしない。いつもの友人たちフローラとスザンナ、そしてフローラの婚約者でレイノルドの友人である騎士志望の学生も同席していた。というか、彼がレイノルドに頼み込まれてフローラ経由でマリエルに会談を要請した形だ。
レイノルドは、騎士志望の学生の中ではそれなりに人望がある。親の地位を嵩に着ない、真面目な努力家だからというが。裏を返せば、親の地位を嵩に着て不真面目な者がどれだけいるか、という話でもある。
今現在在学している学生の中で名前が知られている華やかな存在は、マリエルの前世記憶にあるゲームキャラクターが多い。レイノルドもそうだが、フォスティーヌやその婚約者である第三王子と、その側近たちだ。
第三王子リチャードは、兄たちと比べれば才覚があるとは言い難い。だが学業成績は優秀だし剣術もそこそこ使える。婚約者のフォスティーヌの家は国内でも名家であり、臣籍に下りた後は公爵家を興すことがほぼ約束されている。
彼の側近の中でも、学生の身ながら既に宰相補佐官の職に就いている者や数少ない魔法が使える特殊な家系の令息、そして交易を得意とする侯爵家の令息など。揃いも揃って華やかな容姿と有力な(実家の)地位を持つ人気の貴公子たちであり、所謂『攻略対象』。
マリエルの記憶もすでにかなり遠いものではあるが、幼いあの日に記憶をかき集めて記録を残しておいたのは我ながらよくやったと思う。
メイン攻略対象は『第三王子』リチャード、メインだけあって王道の王子様キャラだ。煌びやかな容姿、さわやかな気品ある振る舞い、わかりやすく些か戯画的でさえある。
宰相補佐官は所謂インテリ眼鏡キャラ、細い銀縁メガネの理知的な青年で細身。知識は広く、ちょっとばかり毒舌でもある。が、親しくなれば勉強を教えてくれたり何かと気遣いを見せる。
魔術師の少年はショタっ子。年齢は同じでも、大きい魔力ゆえに外見年齢は幼く見え、振る舞いもそれに見合ったものだ。
後は交易に強い侯爵家の令息がチャラ男というか、色恋沙汰に事欠かない遊び人で、世故に強く流行に敏い情報通。彼はマリエルも面識があるが、年齢の割に有能でもある。
そしてこのレイノルドは、言わば『真面目騎士』。従兄たちとは違う意味での脳筋、規律に重きを置き逸脱を好まず、決まりごとを黙々とこなす。王子の護衛も兼ねているが、学園内では学年が違うこともあって、他の令息とは少し距離を置いているように思う。
むしろ、今回のように騎士を志す騎士課の学生との付き合いの方が多いらしい。
「レイノルド先輩、ちゃんと説明した方がいいですよー」
フローラの婚約者、騎士課の同期ハロルドが困ったようにいう。普段学園ではこの調子で気安く接しているらしい。
「あ、ああ……その、……」
励まされても、まだ踏ん切りがついていないのか、レイノルドの言葉は今ひとつはっきりしない。が、マリエルもそこはさすがに余計なことを言わず続きを待った。
「……私の、婚約者のことだが」
しばらく逡巡していた風の彼がようやく口火を切ったのは、カフェの給仕がテーブルのお茶を新しく注いだタイミングだった。
「はい、存じ上げております。チェルシー・フォジョン子爵令嬢ですわね」
改めて言うまでもない、学園内では知らぬ者もない危険人物となっている彼女だ。
今年になってリラがきたのもあって、『元祖ヤバい女』の筆頭となりつつある。いつまで学園にいられるか、賭の対象にしている向きもあるそうだ。
「そ、それはちが……!いや、違わない、のだが……」
苦悶の表情を浮かべるレイノルドは、整った顔立ちもあって舞台俳優顔負けだ。正直、顔だけなら眼福と観賞できる。
ただ正直なところ、マリエルとしてはあまり心を動かされなかった。見た目がいいのは認めるが、そのことにあまり重きを置かない、というか。そもそも何が言いたくて面会を申し込んできたのかさえ、曖昧だ。
決して頭の悪い人間ではないと思う。だが何というか、いうべき言葉を見失っているような印象だ。元々腕は立つが自己主張の強い人間ではない。護衛の騎士としては称賛される資質ではある。
ただ、こうして彼個人の立ち位置では些か問題になった。何を主張したいのか全く伝わってこないし、本人も言葉を絞り出せず苦悶している始末だ。
実家では母親には溺愛されているのだという。ひょっとしたらそのせいで、自分の意思を言葉にせずとも良いように処理させて特に訴える必要もなかったのかもしれない。
「……シモンズ伯爵令息」
溜息交じりにマリエルが声をかければ、レイノルドはむしろほっとしたような顔を見せた。
「なんだろうか、フォジェール伯爵令嬢」
「私、チェルシー・フォジョン子爵令嬢と何かのお話をする気はございませんのよ」
「……それは、承知している」