転生モブ令嬢は、学園乙女ゲームに参加したくない・5
辺境伯領は王都からの距離こそあるが、隣国との交易路を有して栄えている。一部、国内情勢を知らないような者は田舎と馬鹿にしたりするがまともな知識と認識があれば到底そんなことは言えない。
他にも他国との貿易中継点となる領地はあるのだが、辺境伯領が最も規模が大きくかつ安定している。当然、縁をつなぎたい者も多いのだ。
マリエルの記憶にあるゲームでは、あまり政治的情勢が描写されることはなかった。まあ『平凡な私に王子様が』という世界には、その辺りの背後情報は相応しくない。
とはいえ。現実にこの世界を生きている以上、その社会情勢も無視はできない。まだ学生であっても、貴族子女なら最低限の教育は受けているのが普通だ。
そういう意味でリラはあまり普通とは言い難い。親のサンダンス男爵もどういう人物なのかと、それぞれが調査しているようだった。
「サンダンス男爵は、基本社交には興味のない方だそうです」
素早く情報をまとめてきたスザンナは言う。
「あら、そうなの?領地はどちらの辺り?」
「ごく小さな村をお持ちなだけなのですって。……元々他国との交易で財を成し爵位を得た方だとか」
「まあ。それにしては聞かないおうちね?」
「海路で交易なさっているそうなのです」
なるほど、それならば陸路の交易が盛んな辺境領とは付き合いがなくとも不思議ではない。と言っても、規模が大きい家ならば名を聞いたことくらいあるので、その意味ではそれほど『強い』家ではないのだろう。
「それで国外においでなので連絡がつかない、と。ご当主以外にもいらっしゃるでしょうに」
「ご子息が二人いらっしゃって、お一方が連絡を受けておられるそうです」
「ご令嬢の、お兄様ね。ご夫人はどうなのかしら、リラ嬢のご母堂」
「こちらは、貴族の方ではなくて。商家から嫁がれたそうです」
「あら、まあ」
それならリラがまともな貴族令嬢としての教育を受けていないのもわからないでもない。しかし貴族の夫人ともなれば、お茶会なり何なりで他の貴族と交流もありそうなものだが。どうやらそちらも疎かにしているらしい、というのがスザンナの得てきた情報だ。
「商人、であればなおのことお付き合いは大事にしそうなものですけれど」
「奥方も、ご主人と一緒に取引先を回ってらっしゃるそうなのです」
「……ではご実家にいらっしゃるのは、ご子息だけと」
サンダンス家は、交易に力を入れており、その分社交は手を抜いているそうだ。
令息もかつては学園に通っていたが、特に目立つこともなかったという。庶子のリラは兄たちとかなり年が離れている。本人が言うには、兄たちにはとても可愛がられたらしい。その分、令嬢としての教育はおざなりになっていたのではないか、と周囲は見ている。
「商家に嫁ぐならともかく、貴族家には嫁げそうもないですね」
珍しくフローラが辛辣なことを言うのに、マリエルもスザンナも全く同意だ。
「家によってはそういう育て方もありだろうとは思いますわ。ただご自身がそれに納得しているようには思えませんわね」
相変わらずふわふわした調子であちこちの男性に声をかけているリラだが、相手はそれなりの高位貴族ばかり。商会の子息などには目もくれない。
どう考えても高位貴族の所謂玉の輿狙いだ。しかしそのための資質がないので、まず正妻は無理。そしておそらく、リラ自身そのことをわかっていない。
「あの方の場合、自身の望みをかなえるにはもっと学ぶべきことが多くあるでしょうに」
「『それ』がわからないからこそ、あんなちぐはぐな行いになっているのでしょうね」
チェルシー同様、結局教育の不足がリラにも悪影響を及ぼしているように思う。しかしチェルシーと違って悪意がない分見ている方は憐れみを覚える。
「……サンダンス男爵令嬢は、要経過観察、というところでしょうか。あまり、無鉄砲なことをしなければ良いのですが」
呟くマリエルに、スザンナとフローラも神妙な面持ちだ。リラは可愛らしいが、その分危なっかしくて見ている方が不安になってしまう。
「ですが、我々の言葉を聞く耳もないようですし……」
「そうなんですよね、全然話を聞かなくて」
「或いは、聞いても理解できない」
何というか思い込みが強くて視野が狭い。学生とはいえ、このままでは何かトラブルを起こしそうだ。
「念のため、監視は続けておいて。こちらに関わりそうもないことでも、抑えておきましょう」
「はい、わかりました」
「それと……フォジョン子爵令嬢も、監視は外さないようにしてね。あの手の人間は、逆恨みしたときに意外な行動力がありそうだし」
「ああ、ありそうですね」
「はい、抑えておきます」
問題児たちはともかく、マリエル自身も自分の身の振り方はある程度考える必要がある。といっても学生の彼女には、保護者である祖父母や伯父たちから持ち込まれる話が主になるが。
「まあ、あまり深く考えなくていいから、ちょっと会ってやってほしくてな」
豪快に笑うのは、マリエルには従兄にあたる男性だ。辺境の男らしく大柄で声もデカい。脳筋と言われても否定できないが、従兄のきょうだいたちはいずれもなかなか癖がある。
一番上が娘で、彼女は既に領地の関係者と婚姻を結び領軍の家族会をまとめている。長子で弟たちも頭が上がらない。その下の三人全員が男のせいもある。
長男は真面目でそれなりに優秀、将来の辺境伯はまず間違いない。こちらもすでに婚姻しているが、子どもはまだだ。
末息子は兄たちよりは頭脳派だが、まあ比較の問題でしかない。
そしてこの次男も考えるより体を動かしている方が向いてはいるが、それだけではいけないという教育も受けている。マリエルへの紹介も、その一環なのだろう。
「俺の学園時代の同期なんだが、それなりに使える男でな」
「では結構年上の方ですのね」
次男のロナルドはマリエルより5歳年上で、その同期ならば年齢も大体同じだろう。既に学園を卒業して数年経っていることになる。その段階で婚約者もいない、という時点で何らかの問題のある可能性が高い。
ちなみにロナルドには婚約者がいて、彼女もその同期とは面識があり今回の話も積極的に推奨しているらしい。
とはいえ、現時点では見合い以前の顔見せ程度で、特にマリエルに何か強要されるものではない。顔を合わせてみて印象が良ければ、その先へ進む可能性が出るという程度だ。相手も、会ってみてやはりちょっと、ということもあるだろう。そういう設定なので、大袈裟にはしない。
辺境伯の町屋敷にロバートの友人が訪ねてきて、そこへマリエルも挨拶に顔を出す、という形だ。
そのためマリエルには侍女もついているし、屋敷の使用人たちも立ち会う。その意味では安全、といえる。
約束の日に訪れたのは、ロバートより一回り小さい男性だった。ただし比較対象が悪く、通常よりは大柄な方だ。
「やぁ、ロバート!久しぶりだな!」
声はしかし彼と同じくらいデカい。が、何となく無理やり大声をあげているような感じがした。
「久しぶり、か?まあ元気そうで良かった」
傍から見ていると、友人というには微妙な距離があるようにも思う。ロバートの方も何となくとまどっているような、うっすら困惑の気配がある。
外見は悪くない。美男子、ではないが不細工でもない、ごく普通だ。しかしかなり派手な衣装で、それが浮いている。少なくとも昼間友人宅を訪問する場合には、格式が高すぎる礼服だ。しかも装飾も多くて凝った仕立てのせいか、逆に正式な夜会などには着られなさそうな。はっきり言えば、演劇の舞台衣装のようだ。
「フレッド、おまえなんだ、その格好……?」
ロバートもその姿は想定外だったらしい。挨拶を交わしてから不思議そうに首を捻る。
その様子から見るに、普段はこのような格好ではないのだろう。確かに普段からこの出で立ちだと、噂にのぼってもおかしくない。屋敷の使用人たちも、とまどうようにロバートと彼の客を見比べている。
ちなみに場所はまだ玄関ロビーで、応接室にさえ辿り着いていない。さすがに玄関の扉は閉めてあるので、外から見える訳でもないが。
「ねえ、どう思う?……私、まだ行かなくていいかしら」
二階からその様子を伺っていたマリエルは、こそこそ侍女のエリザに囁く。
「もう少々お待ちになっては。ロバート様も、どのようなお話をなさったのやら……」
例えば既にある程度付き合いがあって、婚約を申し入れる、という場合なら着飾っていてもそこまでおかしくない。それにしても些か趣味の悪い感は拭えないが。
しかしその趣味の悪さは大幅なマイナスポイント。そして今日の顔合わせの状況を理解していない着飾り方も、いい印象を与えない。
見ていると、それでもロバートはフレッドを応接室に招き入れた。メイドたちが用意してあった茶菓を運び込む。
ロバートは地声が大きく、またよく通る。応接室の中からでも廊下に聞こえてくるほどだ。
「いきなり連絡をよこすから何かと思ったぞ。騎士団に入団したのだったか?」
「まあ、あそこではやりたいこともできないからな!」
対してフレッドの方は、精一杯声を張り上げている感が強い。自分を鼓舞しているのか、虚勢を張っているのか。
そんな調子なので、二人の会話は丸聞こえだ。勝手に聞いているのも気はひけるが、どうも雲行きが怪しいこともあって、状況を把握しておきたい。
その辺り使用人たちも同様なのだろう、特に咎め立てせずむしろ一緒になって耳を澄ませている。
ロバートはともかく、フレッドの方はどうもはっきりしない。訪ねる理由も何やらごにょごにょ言って声の大きさの割に滑舌が悪い。
「もういいわ、行きましょう」
このまま漏れ聞こえる程度の話を聞いていても埒があかない。さっさと挨拶だけ済ませて最低限の礼儀を果たそうと、マリエルはエリザを連れて応接室に向かった。
「ロバートお従兄様、お客様だそうですけれど。ご挨拶させていただいてよろしくて?」
「あ、あぁ」
声をかければ許可は出してくれたので、遠慮なく入室する。ソファに座っている客に向け、軽く会釈した。
「あー……こいつは、学園時代の同期でな」
ロバートの紹介はそこまでしか聞けなかった。客が、いきなり立ち上がって距離を詰めてきたのだ。
「やあ、これは美しいお嬢さんだ!」
勢いに任せて手を取ろうとしたが、エリザが素早く割って入って空振りに終わる。
言うまでもないが、紹介される前に女性に声をかけあまつさえ触れようとする、など言語道断の不躾な振る舞いだ。貴族子弟として教育を受けた者がすることではありえない。
マリエルもエリザと一緒に一二歩後ずさって警戒するが、空振りに一瞬きょとんとしていたフレッドはすぐまたわざと臭いくらい明るい笑顔を浮かべる。
「やあ、恥ずかしがり屋さんなんだね。そういうところも可愛いよ」
百歩譲って、恋愛関係にある相手から言われた言葉ならまた違っていたかもしれない。しかし初対面、なおかつそういうセリフが似合いもしない容姿と気合がから回った衣装で言われては、無遠慮な距離の詰め方もあっていっそ恐怖だ。
「おいフレッド!」
警戒して固まっているマリエルとエリザを庇うように、ロバートが割って入る。そのまま、うまい具合に互いの位置を入れ替えて彼を入口の方へ押しやった。合わせてエリザはマリエルを庇いながら距離を開けさせ、室内にいた他の護衛も遅ればせながらそれを補助してフレッドを囲む。
「そういう真似をするために招いたんじゃない。頭を冷やせ」
きっぱり言い切ってロバート自らフレッドを屋敷から追い出した。