転生モブ令嬢は、学園乙女ゲームに参加したくない・4
それはマリエルが辺境伯に引き取られた時の取り決めだ。フォジョン子爵家の人間、要は実父や後妻のルーシーがマリエル及びその周囲に接触することを禁ずる旨の契約が結ばれている。範囲がそれなりに広く、フォジョン子爵家は家族だけでなく出入りの商人も対象になっていた。また辺境伯側も出入りの商会や隊商、護衛まで含むので、それがフォジョン子爵家を衰退させた原因でもある。接触した場合、違約金を払う必要があるのだ。
ただし辺境伯側から子爵家に接触する場合はこの限りではない。ということで、初期のうちにかなりフォジョン家に関わる商会など切り崩して取り込み済なのだ。
しかし今更になって、娘がその契約を破るとは思わなかった。教育がきちんとされていないのかもしれないが、その責任はフォジョン家にある。
「あなたがおっしゃることは、全く根拠がありません。妄言をまき散らすのも大概になさって」
マリエルが殊更に素っ気なく言い放てば、チェルシーは顔を紅潮させた。
「っ、ふざけんじゃないわよ!私を馬鹿にしてんの!?」
「馬鹿にするも何も、あなたの言葉には何の意味も無いのですもの」
本当にどんな教育をしているのか、疑問でしかない。
喚いている内容もだが、そもそも学園の廊下、つまり人目のある場所で騒ぎ立てること自体、貴族子女としてはありえない無作法だ。
マリエルもフォジョン子爵家を出てから聞いた話だが、そもそも彼女の実父とその愛人だったルーシーはこの学園に通う頃からの仲だったという。しかし父は幼いうちから辺境伯の娘であるマリエルの母と婚約を結んでいた。つまり下世話な言い方をすれば二股をかけていたわけである。それも、学生の頃は隠れて付き合っていてフォジョン家として婚姻を結んでからルーシーを囲っていたそうだ。庶子のチェルシーが嫡子のマリエルより先に生まれているのだから、推して知るべしということだ。
そういう次第なので、ルーシーはそもそも同年代でも貴族の知己がほぼおらず、学生時代もマナーがなっていないと有名だったらしい。本人がまともな教育など望めるはずもなかった。
そして今のフォジョン家は、やはりまともな貴族家としての付き合いはない。全く親交がないわけではないが、ほとんどは怪しい投機や胡散臭い商人を呼んでの交流会程度で、この国ではそれを社交とは呼ばない。
まともな教育を受けられなかったチェルシーは気の毒ではあるが、学園ではマナーの授業もあるし希望する生徒には補講も用意されている。チェルシー個人に対し、必要な作法を受けるよう指導されてもいたが当人が拒絶したという。
そこまで頑なだと、学園側も指導できかねているらしい。それに彼女の将来はフォジョン家の後継者とは言え、貴族籍を維持できるかも怪しい。嫌なら無理に教育を受けなくても、という空気があるのも確かだ。後は単純に教師陣もチェルシーに関わりたがらない。教師視点で見ると、かかわりたくないタイプの筆頭といえる。
「……お父様に言いつけてやるんだから!!」
終いにはそう怒鳴って駆け去ってしまったチェルシーに、マリエルは大きく溜息を吐いた。
フォジョン子爵に言いつけられたところで、マリエルには痛くも痒くもない。というか、この状況を「言いつけ」れば違約金の支払いが発生することには子爵も気が付くはずだ。もちろんマリエルの方も、不問にしてやる義理はない。こんな衆人環視でやらかしてくれたおかげで、いくらでも証人はいる。遠慮なく、申し立てさせてもらおう。
フォジェール辺境伯からの厳重な抗議とそれに関する証言もあり、チェルシー・フォジョン子爵令嬢はしばらく謹慎処分となった。だいぶ荒れていたらしいが、マリエルの感知するところではない。
「マリエル様も大変でしたわね」
「お気遣いありがとうございます、フォスティーヌ様」
侯爵令嬢フォスティーヌに誘われたお茶会には、彼女の派閥の令嬢たちが参加しているのは当たり前だが。更に加えて、特につながりのない令嬢も幾らか席についていた。
「でも正直なところ、我々も助かりましたのよ」
そのうちの一人がため息交じりに言う。
要はチェルシー、学園内でいろいろやらかしてあちこちで恨みを買っている。特に他人の婚約者や、そこまでではないが双方好意を向けている男女のその男性に対しすり寄るとか、しょっちゅうやっていたそうだ。
文句を言うほどではなくても女性側は気分が悪いし、そちらに関心が向いたと思えば高価な買い物をねだられたり、それに応じれば更にわがままを言われたり。断れば今度は自分が被害者のように声を上げて騒ぐ、という始末だ。
辺境伯家との関わりは公に否定されていたものの、チェルシーは思わせぶりにその辺りを匂わすので、周囲も対応に迷っていた。そこへ、当の辺境伯当主に引き取られたマリエルががっつり釘を刺したので、迷惑を被っていた周囲が感謝しているということらしい。
「なんと言いますか……ずいぶんと傍迷惑な方ですわね」
「今年はしかも単独でもないのだから」
ぼそり、とフォスティーヌの隣の席の令嬢が呟く。
周囲にああー、と納得の空気が満ちる。
もう一人、今年は『大物』が加わった。
リラ・サンダンス男爵令嬢は、朗らかで明るく可愛らしい。ただし裏を返せば、マナーが身についておらず危なっかしい。
チェルシーと違って攻撃的ではないが、他の令嬢や教師が指導しても全く行動が変わらない。
「まあ……フォジョン子爵令嬢は、わかってやってらっしゃる節がおありでしたけど」
「あちらの方はねぇ……もう、そういう存在?としか言いようがございませんわ」
悪意のない天然、というやつだが問題は彼女、全く進歩がないのだ。マナーについて指摘されても学業においても、誰に注意されても「すみませーん」と可愛く笑うが、同じことを何度でも繰り返す。さすがに授業についてはお目こぼしがもらえるはずもなく、放課後に補習が組まれている。だがそれもけろりと忘れて遊び歩いている始末だ。
どうもどこか「足りない」のではないか、とまで囁かれている。
学園側が苦肉の策で見た目の良い男性教師を補習の担当にあてがったら、真面目に出席してまともな成績をとれるようになってきたそうだ。
正直なところ、マリエルとしてはゲームの強制力を疑っている。あくまで天真爛漫かつ明朗闊達、というのがゲームの主人公だった。その設定に沿った行動しかできないのではないか、と。
もっとも同じ学び舎でたまに見かける程度では、リラはいつもとても楽しそうだ。つやつやなびくピンクの髪、光にあふれた瞳、輝く笑顔もやはり主人公と納得させるような魅力にあふれていた。
とても可愛い、のは確かだ。ただ本当に、言っては何だが可愛いだけ。いわゆる「平凡な私に王子様が!?」という系統のゲームだったので、主人公にはわかりやすい特殊能力や加護とかはなかったのだ。健気な愛らしさだけがリラの武器である。
ゲームが進んで攻略対象の好感度が上がると、いろいろできることも行ける場所も増えるのだが、それらも攻略対象のおかげであって主人公自身の力ではない。
ちょっとその辺、好みの分かれる部分だと思う。前世のマリエルもあんまり使えなさすぎるヒロインは好みではなかった。
例えばちょっとした謎解きパートに、リラのセリフがヒントになったりはするが。その程度にしか役に立たないし、どちらかといえば触ってはいけないものを触って落としたり、足を踏み入れてはいけない場所へうっかり迷い込んだりと要らんドジっ子特性が目についた。
その辺がマナーのすっぽ抜ける現状とかぶって、どうにも印象が悪い。ディスプレイの中なら多少のドジでも可愛いが、現実世界で見ると辟易する。
ちなみに、この学園にも退学という処分はある。今まで実際に処分されたことは聞いたことがないが、代わりに成績不振すぎる学生が親元へ呼び戻されたきり戻らず休学したとかいう話はまれにある。退学という恥をさらす前に、親兄弟が領地へ引っ込める形で回避させているのだ。もちろん、退学でなくともちゃんと学園を卒業できなかった子女の未来はほぼ閉ざされるのだが。
チェルシーはまず学園卒業までに子爵家が持ち堪えるものか怪しいが、リラは今のところ男爵家には問題はない。ただ成績は似たりよったり、先行きが危ぶまれるのは変わらない。
「ご実家はなんとおっしゃっているのでしょうね」
「聞いた話ですけれど。……ご当主が交易などで不在が多く、家のことは他の方がなさっておられるそうですわ」
「まあ……」
チェルシーくらい悪質であれば、対処の方法は確定している。実家に注意を促し、それでも改善されなければ実家ごと処分だ。教育不行き届き、というのはそれくらいの罪にはなる。特に爵位がある貴族家にとって、まともな教育をされていない者は不要である。それは教育できない保護者の側も同じだ。
ただリラの場合はそこまで悪質ではない。単純に、本人の能力不足ならばある程度は学園も面倒を見てくれる。しかし当人のやる気のなさそうなこの様子では、遠からず見捨てられる可能性もあるが。
ゲームなら、彼女の可憐さに惹かれた攻略対象が、誰かしら側についていた。何もわからない『主人公』に学園内のあれこれを教えてくれるサポートキャラもいた、はずなのだが。
実はサポートキャラは、今の学園にはいない。マリエルがうっすらした記憶で同級生を調査した際、幾人かちょい役のキャラが変わっていた。中でも主人公のサポートキャラだった令嬢は、実家がフォジョン子爵家との付き合いで没落しており、入学の権利を失った。他にも、爵位が変わっていたり一部学生は学業に対する熱心さが増したりと、良くも悪くも小さな変化が随所にあった。
特に『真面目に学業なりなんなり身につけておかないと、先行きがヤバいかも』という危機感は皆それなりに抱いているようだ。周りを見ていろいろ問題があること、その環境が学生の子どもたちに与える影響は必ずしも悪いものではない。
「そういえば、マリエル様はご婚約はどうなさいますの?」
フォスティーヌの『友人』で確か伯爵家の令嬢が、可愛らしく小首を傾げて尋ねてくる。フォスティーヌは微かに眉をひくつかせたが、他の令嬢は好奇心を隠しもせずマリエルの様子を伺っていた。
「そうですねえ……私、辺境伯の家に籍はありますが、政略としての婚姻でしたら領地の人間で良いのでは、と言われていますの」
辺境伯の直系なら、マリエルにとっては伯父がいる。その子どもである従兄弟たちも、概ね既婚者で、マリエルが敢えて政略結婚をする必要はない。よって、在学中に良い相手がいれば話を持っていくし、特にめぼしい相手が見つからなければ辺境伯の配下で適切な相手を紹介することもできる、と言われている。
マリエル個人としても異論はない。恋愛結婚に夢を見るには、父母の結婚生活の末路がひどかった。政略でも恋愛でも、相手に対する敬意や良識がなければろくな結婚生活にならない、というのが彼女の学んだことだ。その辺は祖父母や伯父たちも理解してくれている。従兄弟たちはたまにちょこちょこと紹介を送ってくるが、そこまで本気ではなさそうだ。