転生モブ令嬢は、学園乙女ゲームに参加したくない・3
元々チェルシーの実家フォジョン子爵家は、辺境伯たるフォジェール家の怒りに触れて、その取引から締め出されている。それまで関わっていた商会からも契約を解除されて一頃は使用人も雇えなくなるほど困窮していた。
が、いつの頃からか、人を雇い直し、妻子のために散財するようになった。どうも後ろ暗い界隈との付き合いがあるらしいと囁かれている。まともな収入源がないのに、辻褄の合わない浪費をしているので傍から見ればわかりやすい。詳しい内情を知らない相手にはまだ辺境伯領との取引があるように吹聴していたが、それはきっちり否定している。
ただどうしても噂に疎い家や情報の更新が遅い場合はあるので、フォジョン子爵はその辺に付け込んで更に小金を稼いでいるようなのだ。具体的には、実体の無い投資を持ちかけて金を出させ、また別の人を紹介させると幾らか返戻金を渡す、という手口のようだ。
辺境伯家では無関係を公言しているが、それを認識していない程度の家からは今もたまに問い合わせや苦情が来る。自分たちの情報収集が覚束ないのをこちらのせいにされては堪らないし、大概の大家には話を通してあるので、引っかかるのはよほど疎いか派閥の中でも爪弾きにされているような家がほとんどだ。要は引っかかる方にも問題がある。
そして実は現在の王都騎士団長の奥方まで、フォジョン子爵家に引っかかったというので一時噂になった。元々の付き合いがあったともいうが、それならば前妻(マリエルの生母)がなくなった時点で状況を認識していたはずなので。その後になって末息子と、後妻の娘との婚約を結んだなど、何か弱みでも握られたのではないかといわれたほどだ。
実際のところは、実家のもめごとがフォジョン子爵家のトラブルと時期がかぶってその辺りの情報を得られず、そしてそのことに気付かないままで歳月が経過した。学園入学直前に話が持ち込まれた時には、そこがすっぽ抜けたまま話を受けて当主たる夫に持ち込み、夫の伯爵兼騎士団長も多忙のあまり『おまえ(妻)の選んだ相手なら良かろう』と許可を出した、ということらしい。
迂闊だったとしか言いようがないし、何度も白紙撤回を申し入れているがフォジョン子爵家側に拒絶されている。
そんな状態だからチェルシーも、この婚約がなくなったらまず次はない。元々そういう立ち位置のフォジョン子爵家なのだから、彼女も相当に「浮いた」存在だった。
見た目だけなら、チェルシーもリラと同程度には可愛らしい容姿をしている。だがどちらにしてもあまり貴族に求められる類の美貌ではなく、平民だったら可愛いね、とちやほやされるレベルだ。
そのことを理解していたのかどうか、チェルシーは学園入学後は婚約者にべったり付きまとっていたという。
婚約者は騎士団長の子息とはいえ三男で、継ぐべき爵位もない。貴族の家のつながりとしては、あまり旨味のある相手ではなかった。
だが本人は真面目でなかなか腕もたち、同い年の第三王子とも親しくしていて将来性もある。『家』の部分を脇においても騎士として自分で身を立てられるなら十分、と考える者もそれなりに多い。容姿も年頃の女子たちがきゃあきゃあいう程度には整っていた。
その辺りがチェルシーには自慢でもあったらしいのだが、それでいて彼を踏み台にさらに高位の令息たちとお近づきになろう、という気持ちを隠しもしなかった。
簡単に説明するなら、今のリラと同じような振る舞いをしていたのだ。当然友人はいないしそうやって付きまとっていた令息の婚約者たちにも嫌われている。令息たちにも正直敬遠されていて、付き合いがあるのはまともな人間ではなかった。
「こういう言い方が適切かはわかりませんが、彼女も相当に浮いていたので」
淡々と述べるのは、マリエルたちより一つ上の学年に属する子爵令嬢クレアだ。つまりチェルシーたちと同じ学年で、その状況も知っている。というより、辺境伯の派閥でマリエルの入学までに送り込まれた人員の一人だ。
「正直言ってしまえば、『自業自得』ではないかと思います」
ものすごく身もふたもない言い方ではあるが、理屈は通っているし、そしておそらく彼女と同学年の学生たちなら概ね同意するに違いないという。
「そんなにひどかったの?」
「えぇ……あの、リラさんでしたか。彼女は一応これまで平民だった、と聞いていますが。子爵令嬢のはずのチェルシーさんも、負けず劣らずでしたので」
要は常識しらずの無作法ぶりで、婚約者に付きまとってはその友人にまで媚びまくってかなり顰蹙を買っていた。
「……その、婚約者のご令息はどう思われているのでしょう」
そういえばその当人、マリエルの前世の記憶で言うところの『攻略対象』は、あまり話題にならない。美少女に媚びられて脂下がっているわけでもないようで、何というか女性たちに対して影が薄い。
マリエルも遠目に見かけたことはある。騎士らしく長身でしっかりした体格と、秀麗な容貌の青年だ。
「レイノルド様ですね……うーん」
騎士団長シモンズ伯爵の三男で、剣の腕なら兄たちをも凌駕すると言われている。そのくせ学園の成績も悪くない。容姿も良い。のだが。
「何と言うのでしょうか……真面目な方なのですが。その、真面目過ぎて融通が効かないようですわね」
クレアの説明で浮かび上がるのは、文武両道・容姿端麗ながら、真面目過ぎて頭が堅い、貴族としてやっていくのは難しそうな人物だ。
「騎士として生きるには良いのかもしれませんが。あまり政治的な振る舞いは得意ではないのでしょう」
「それはある意味で致命的ね」
クレアが言うように『騎士として』生きるならいいが、貴族として生きていくのに政治的手腕がなくてはやっていけない。もちろん人を雇ったりはできるが、貴族同士の社交がまともにできないようでは搾取の対象にされてしまう。爵位持ちの貴族としては失格だ。それもあって彼は騎士として身を立てるつもりなのかもしれないが。
「ただ、フォジョン子爵令嬢はそれを認識してらっしゃらないのではないかと。……あまり、物事を深く考えることが苦手な方なので」
「……あぁ……」
マリエルの異母姉は、どうも残念な令嬢であるらしい。
婚約者のレイノルドは学園の成績は良いし剣の腕もたって同じ学年の第三王子の護衛も兼任している。少なくとも学園内では魅力的に見えるのは否定しないが、その先が全く見えていないのだ。
婚約者であるなら、学園卒業後は婚姻して共にフォジョン子爵家を運営していかねばならないが。レイノルドにその能力がなければ、彼女自身が負うことになる、その事実も把握していない。
彼女の両親の現フォジョン子爵夫妻も、その辺りをどう考えているかは危うい。マリエルには実父だが、母の死去に絡む騒動を鑑みるに将来をちゃんと考えている人間なら、あんな短絡的な振る舞いはしないと思うのだ。またチェルシーの母であるルーシーも、貴族令嬢だったとはいえ場当たり的できちんとした『貴族の考え』が身についていたとは思えない。
あの親に育てられたチェルシーがまともな令嬢に育ったらそれは奇跡だろう。そして奇跡は滅多に起きないからこそ奇跡であって、残念な親に育てられたチェルシーは残念な令嬢でしかなかった。
「こちらとは絶縁済ですもの、関わり合いにならないようにしましょう」
「その方が良いでしょうね」
「……フォジェール辺境伯家として、絶縁済なのですよね?」
溜息を吐くマリエルにスザンナは頷き、クレアは真面目な顔で念を押す。
「ええ、そうよ。……辺境伯家と付き合いがあるような物言いは止めるよう、公式に申し入れしているわ」
交流のある他家にはその旨きちんと伝えている、のだが。一部では未だに両家のつながりが囁かれていて、特に辺境伯の関係者に手を焼かせている。
それが、クレアやスザンナによればフォジョン子爵家の方がそんな風に噂を流しているというのだ。
「もちろん、証拠が残るようなことはしていないようですが。内密に付き合いがあるように匂わせたりしているようなのです」
「はっきり言いきらない辺りが、小賢しいと言いますか」
それも二人のいうように、曖昧な物言いで相手の判断に委ねている、ように見せかけて明らかに誘導しているらしい。簡単に言ってしまえば詐欺の手法だ。
ただでさえ評判の悪いフォジョン子爵家だから、その言葉を信用する者も限られている。だがしかし、それを逆手にとって『大きな声では言えないのだが』とか『あなたを信用して打ち明けるのだが』と言われると本気にしてしまう相手が一定数いるのだという。もちろんその辺りの情報に疎い家が殆どではあるが。
「困ったものね」
領地の祖父や伯父たちに連絡しておいて、マリエルは溜息を吐く。
クレアから頼まれて、彼女の同級生と話すことも増えた。チェルシー経由でフォジョン子爵に騙されそうな相手が殆どで、マリエルの説明で納得してくれる人はいいが、中には「あなたはまだご存知ないだろうが、大人の世界にはいろいろあるのだよ」などと宣って最初から話を聞く気もない人間もいる。
そこまではマリエルも責任は持てないし、クレアも諦めているが、後味が悪い。
そしてそうした詐欺被害者予備軍についても祖父たちに共有している。明らかに自分たちに非があっても、それを認めそうにない彼らもまた、要注意人物だ。
それでもマリエルが直接噂を否定することで、よほど思い込みに凝り固まった者以外はフォジョン子爵家やチェルシーと距離を取りはじめた。それだけでも、まだ良かったと思う。
ただしその動きを望ましく思う者ばかりではなくて。
「ちょっとあんた!」
学園の廊下で、貴族子女にあるまじき大声を上げたのはチェルシー・フォジョン子爵令嬢だった。可愛らしい顔立ちを歪め、仁王立ちになってマリエルを睨みつけている。大声だけでなくその姿勢もちょっと令嬢にはありえない。
ゲーム世界だからか、学園の女子制服はこの世界では例外的にスカート丈が短い。といっても膝下20㎝ほど、しかも靴下も規定があるので素肌は見えないが。
その格好で大股に足を開いて立ち、相手に指を突き付ける、というのは貴族令嬢として以前に女性としてどうなのかと思うし、周囲も呆れと侮蔑の冷ややかな視線を向けている。
もっとも当の本人は大声を上げるくらいに昂っているのか、その周囲の視線には気づく様子もないが。
「……何か?」
小首を傾げるマリエルの傍らにそっとフローラが寄り添い、反対側のスザンナはいつでも人を呼べるよう周囲に視線を向ける。
もちろんこの場にいるのは彼女たちだけではなくて、教室前の廊下には他の学生たちも大勢いる。大概は何が始まったのかと好奇心で様子を見守っているが、目端の利く何人かは教師を呼びに動いていた。
「あんたが余計な嘘をばらまいてるんでしょ!ちゃんと聞いたんだからね!」
その辺の状況にも気づかずぎゃんぎゃん喚くチェルシーは、ぱっと見が小柄で可愛らしいだけに却って醜悪に見えてしまう。ただでさえ印象が悪いのに、わざわざ自分とは違う学年の教室にまで押しかけて騒ぎ立てるその振る舞いは見苦しいの一言に尽きる。
支離滅裂で感情的な彼女の言い分によれば、フォジョン子爵家は有力な家と内密に契約を結んでいて特別な権利を持っている。それをマリエルに噓を吐かれて迷惑だし不快なので賠償金を払え、ということらしい。
「馬鹿馬鹿しい」
マリエルとしてそれしかいうべき言葉はない。
「そこの方……お名前も伺っておりませんので、お呼びしませんが。フォジョン子爵家のご令嬢なのかしら」
「そうよ!」
貴族というのは、格式を重んじる。面倒くさいことも多いが、その方が正当性を主張しやすいのだ。
なので、相手の名前は知っていたが敢えて尋ね返せば、間髪入れず肯定してきた。これにはさすがに呆れ返る。
「嫌だわ、ご両親から教えていただいてないの?フォジョン子爵家の係累が、我がフォジェール辺境伯爵家の人間に声をかけることは禁じられているのに」