転生モブ令嬢は、学園乙女ゲームに参加したくない・2
他の高位貴族令嬢とも顔合わせはした。
一応マリエルも辺境伯家の令嬢で、在籍している学生の中では上位に位置している。そうなれば挨拶を受けるのもするのもそれなりに数が多く大変だ。その辺りのフォローのためにスザンナやフローラがついてくれている。
もう一人の『悪役令嬢』、エディション侯爵令嬢フォスティーヌとも挨拶を交わした。豪奢な金髪縦ロールの、如何にも高貴なご令嬢といった見た目ではあるものの、気性ははっきりして陰湿さを感じさせない美少女だった。第三王子との婚約も、己の義務として弁えている様子。
「お話できてよかったですね、マリエル様」
「ええ、フォスティーヌ様とはできればうまく付き合っていきたいわ」
親しくしたいわけではないが、敵対せずにやっていければ十分だ。少なくとも現時点では、互いに折り合いをつけていけそうだと思う。
今の学園では公爵家の学生がいないので、同期で入学する第三王子の次にフォスティーヌとマリエルが高位になる。男子学生のトップは言うまでもなく第三王子、女子のトップにどちらが立つかという話もあったがマリエルは慎んで譲らせていただいた。
他の攻略対象関係者も在籍していることは確認済。後は事態がどう動くか、注視していこうと思っていたのだ。
だがまあ、事態が想定を越えていくというのも、なくはない話で。
入学式、という儀式は世界を違えても偉い人たちが御高説を垂れるのは変わらないようだ。長々続く冗長な『お話』に中には舟を漕ぎ始める学生も出始める。そうでない者も死んだ目でひたすら時間が過ぎるのを待っていた、そんなタイミングに。
「すみませーん、遅れちゃいましたー!!」
バターン、と無作法を通り越して物騒でさえある大きな音を立てて講堂の扉が開かれる。同時に張り上げられた底抜けに明るい声は、寝ぼけていた学生さえ飛び上がるほどだ。
思わず振り返れば正面扉を開け放って立っているのは、制服の少女だった。逆光にこぼれた髪がピンクゴールドの光を振りまいている。
(……オープニング……!?)
マリエルの薄れかけた記憶にある、前世のゲームで。その始まりの場面はまさに、『入学式に遅刻しそうになった主人公が、式場の講堂に駆け込む』ところから始まっていた。
しかし入学式は始まって既に半ば過ぎ、遅刻しそう、というより明らかに遅刻だし、当然講堂の扉も鎖されていたはずで。施錠はされていなかったとしても、無遠慮に開け放つものではないだろう。
咄嗟にマリエルが思ったのは、「これは関わったらヤバいタイプの主人公!」ということだ。
自分のように前世の記憶がある可能性もあるが。単純にこの世界の常識を知らないだけだとしても、関わり合いになりたくない。神経がまともじゃない、ヤバい人間にしか思えない。
それは周囲の学生も皆同様に感じたのだろう、明らかに空気が凍った。登壇していた一際話の長い理事も絶句して棒立ちになる。
凍りついた静寂の時間を動かしたのは、慌てて彼女に近づいた学園の職員だった。抑えた声ではあったが、『あなた、こちらへ!』と叱責を含んだ声音は全員に聞こえる。
本来ゲームのオープニングは、まだ席に着いたばかりだった攻略対象の視線を集め、誰か一人が声をかけるというものだった。攻略開始前なので、ここは完全無作為になる。この場面は絵面の良さもあって攻略サイトに良く使われていた。
だが、現実では職員に片隅に引っ張って行かれている状況で、当の本人はきょとんと辺りを見回している。抵抗する訳ではないが、何で引っ張られてるんだろう、という様子。
「……何なのでしょう……」
「見覚えない方ね、どこのお家のご令嬢かしら……」
「今年は、平民の奨学生は男子だったはずだが」
その辺りになってようやく学生たちの間でこそこそと囁きが交わされる。あまりに異質で浮いている彼女に周囲の注目が集まっているが、本人は明るい笑顔を浮かべたままだ。叱責されている意味も分かっているのかいないのか、その笑顔で小首を傾げている。
容姿は貴族令嬢たちの中でも目立つ美少女だ。それも、貴族令嬢にありがちな人形のような造形美、ではない、自然な可愛らしさだ。だが貴族的な美貌とは違いすぎ、貴族社会で美人と言い切るには難がある。
そのうち、学生たちの囁きに彼女の素性に関する情報が紛れ込んできた。
曰く、某男爵家の庶子で最近引き取られたばかりらしい、とか。そのため淑女教育もされていないのでは、とか。普通入学前には寄り親の高位貴族に挨拶に行くものだが、それさえ親だけで挨拶に来たそうだ、とか。既に王都の社交界で何かやらかしたらしい。
ゲームの中では入学式から始まるので、それ以前の出来事はわからない。ゲームが進行するにつれて、かつての出来事が語られたり「君はあの時の!」とかあったりするのだが、詳細は不明だ。
現時点では好感度が低い、というより不審人物として注意対象になっている。
「マリエル様、どう思われます?」
「……正直なところ、関わることの利はないですよね……お声掛けするつもりはありませんわ」
フローラの問いに言い切ると、彼女もスザンナも頷いた。彼女たちの目から見ても、主人公は近づきたくない存在らしい。
ゲームの中なら、明朗快活で身分を気にせず誰とも打ち解けるヒロインは、学園の人気者として描かれていたのだが。この調子では遠巻きにされてしまいそうだ。実際、ゲーム内の行動を現世の現実に当てはめて考えると、ちょっとお近づきにはなりたくない人物になる。
ゲーム中盤になると、攻略が進んだ相手と学内で行動するようになる。そこまでのルートにもよるが、生徒会に入って規律を改革したり文化祭的行事に新しい出し物をしたりと、いろいろ行動できるのだが。この世界に生まれ育ったマリエル視点だと、あまりに危うい行いだ。
単なる男爵令嬢が、規律の改革やら新しい出し物など本来できるはずがない。能力があっても、それを許されるほどの立場ではない。それを、王子が後付けで許可して認めさせていた。
この時点で、爵位が権力構造と結びついている封建制のこの国ではありえないことだ。王族の後ろだてがあったとしても、寄り親への根回しや関係各所との連絡相談を蔑ろにすることは許されない。
「ああ、でも……あの様子では、何か突拍子もないことをされかねないですね。念のため監視はできるかしら」
「大丈夫ですわ、『目』を付けておきます」
マリエルの懸念にあっさりスザンナが頷く。
しかしあの様子では、フォスティーヌ他の高位貴族の家々もそれぞれ監視をつけることが予測される。だからと言って辺境伯家がつけなくて良い訳ではない、その辺は情報戦になる。他家が持っている情報を持たない、それだけで侮られかねないのだ。
今年の新入生に、変わった令嬢がいるという話はあっという間に広まった。庶子を引き取った男爵がどのような教育をしたのかと、寄り親の伯爵家から叱責されたらしい。
その男爵家自体はさして財力も権力もない、領地も小さく特色がない。庶子の娘は、昔仕えていた使用人に手を出して生まれた子どもだったそうで。さぞその母も美しかったのだろう、こちらもなかなかの美少女ではある。ピンクゴールドの豊かな髪につぶらなオレンジピンクの瞳、ふっくらした薔薇色の頬とちょっと上向きの小ぶりな鼻、可憐で愛らしい少女の名をリラという。
リラ・サンダンス男爵令嬢は可愛らしいが、周囲からは明らかに浮いていた。入学式の振る舞いしかり、「貴族子女」としての学びが何も足りていない。しかも最大の問題は、彼女自身それが悪いことだとも考えていないことだ。
彼女にとって学園とは、同じ年頃の異性と出会って交流を深める場、として認識しているらしい。やたらと男子学生に声をかけ、腕に触れ、二人きりの時間をとろうとする。
それはまだ入学したばかりの令息たちにとってもちょっと微妙な振る舞いで。本人が全く近づこうとしない同性はもちろん、異性も彼女を遠巻きにしている。
傍からマリエルが見ている限り、リラは別に前世の記憶持ちではなさそうだ。ひたすら単純に、自分の嫁ぎ先を見つけなければ、と躍起になっている。男爵家に届いているはずの苦情がどうなっているのかはわからない。
マリエル視線からだと、前世の記憶があってゲーム通りに進めているというより、庶民の思考が強くてお金持ちのいいところの結婚相手を探さなきゃ、と思い込んでいる感じだ。
前向きで朗らかで、そういう意味では気持ちのいい娘ではあるのだが、色恋沙汰に必死過ぎて怖い。そのせいかどうか、成績もかなり悪いらしく入学したばかりなのに補習の常連らしい。これまで庶民として生きてきた少女が、貴族の学校に入ったらそれはそうなるだろう。基礎学力が違いすぎる。しかし当人勉強に全く興味がないらしくて、学園側にも評判が悪い。
学園には平民で入った特待生もいるのだが(ちなみに同期の特待生は攻略対象)、彼らには一顧だにせず高位貴族の令息にばかり声をかけている。
同級生は距離を置いているが、上級生の中には反応する者も僅かにいた。
その中にマリエルの義姉の婚約者、騎士団長の三男も含まれていた。とはいっても彼の場合、女性に脂下がっているというより声をかけられたら無下にできない生真面目さのようで。他の男性がリラ相手にだらしなく笑み崩れているのに比べれば、そこまで見苦しくはない。
見苦しかったのは、義姉のチェルシーだった。
「そこの泥棒猫!」
甲高い怒鳴り声に、居合わせた学生たちが目を向ける。
ふんわりしたストロベリーブロンドを二つ結いにした女生徒が、ピンクゴールドの髪を下ろした同性を睨みつけている。一応は可愛らしい顔立ちなのだが、目を吊り上げて喚いているのでは台無しだ。
「人の婚約者にベタベタしないでよ!!」
「えー、ベタベタなんかしてないもんー」
しかし言われた方も頬を膨らませ唇を尖らせており、見た目は似たりよったり。どちらも、あまりに子どもじみて冷ややかな嗤いを誘っているが、当人たちはそれでも真面目なつもりらしい。
「じゃあその手は何よ!」
チェルシーがリラの、男子学生にしがみついたままの手を指し示す。それはまさに『しがみつく』としか言いようがないくらい、がっちり相手の腕に絡んでいて、貴族社会ではまず見ない光景だ。
婚約者同士のエスコートでももうちょっと上品だし、そうでもない関係の男女が示す振る舞いではなかった。
「……リラ嬢。手を離していただけないか」
そこでようやく男の方が口を開く。
新入生のリラより一つ年上に過ぎないはずだが、上背があって鍛えているのでもっと年嵩に見える。口数が少なく婚約者のチェルシーにもまといつくリラにも苦言を呈するでもない、良く言えば寡黙、悪く言えば取るべき対応を取らない無責任とも言われている。
伯爵である騎士団長の三男で、チェルシーとの婚約も子爵家がほぼ詐欺めいた手段で取り付けた、と噂されていた。