転生モブ令嬢は、学園乙女ゲームに参加したくない・1
マリエルもそろそろ15歳。貴族子女として、学園に通う義務が発生する年齢だ。
この国の貴族の義務は幾つかあるが、15歳から通常3年間は王都の学園に通うこともその一つだ。
「……困ったなあ……」
辺境伯の養女になったマリエルは、用意された学園の制服を眺めて溜息を吐いた。
学園では他の貴族子女と交流を深め人脈を形成するのも大事だが、王国側も有能な人材を精査し取り込むのも珍しくない。そういうために学園が用意されている。
貴族は血統に基づく魔力を有する場合が多く、あまり大きな魔力を持つ者はいないが血統に紐づいた特有の魔法や稀に特別変異的な魔法の発動を見ることがある。それらは概ね十代後半に発動するため、その管理や能力の制御方法を学園で学ばせるという意味もあるのだ。
マリエルにも土魔法と呼ばれる能力がある。辺境の血筋に出やすい、ありふれた魔法だ。
だがファンタジー世界への転生で舞い上がったマリエルはばんばん魔法を試しまくって、年齢の割に相当習熟している。同じ年頃の子どもの中では群を抜いていた。この状態で学園に入学したら悪目立ちするのではないだろうか。
目的が目的なので、魔力のある貴族子女は例外なく学園に通う必要がある。マリエルのように領地が遠い者のために寮が設けられているくらいだ。
平民でも魔力の発動が見られれば入学資格が与えられる。というか、強制的に学園に放り込まれるのが実情。何しろ魔法の強力さはもちろんその魔力や習熟の度合いにもよるが、戦術兵器並みになってもおかしくない。歴史上では、どこぞの砦を吹っ飛ばした幼児がいたと伝えられている。
そしてマリエルの前世の記憶によれば、ゲームヒロインもその口だ。正確には父親が男爵で使用人に手を付けて生まれた子どもだが、魔力量が桁外れに大きかった。そのため学園に入学させられ、様々な貴公子と縁をつなぐ、というのが大まかなストーリーである。
異母姉が一つ上の学年だったことから推測すれば、ヒロインはマリエルとたぶん同じ学年だ。
ある意味問題はその、異母姉かもしれない。
マリエルの父親フォジョン子爵は辺境伯の監視対象になっており、その動向はマリエルにも知らされている。
彼はルーシーと再婚したが、実家からも縁を切られた。挙式も披露宴もまともに催せず、結婚後もまともな社交ができていなかったので詳しい情報もなかったが。ここ2・3年は持ち直してきたが、その資金源が不明で怪しまれている。社交に疎い地方貴族に投資を持ちかけては紹介料などの金銭を得ているという。子爵だけでなくルーシーもなかなか活躍しているそうだ。
投資の実態も確認されていないが、被害の規模もはっきりしない。子爵家は分不相応な贅沢をしているというが、それも伝聞でしかない。
そしてその子爵家には娘が一人いて、マリエルとは異母姉妹にあたる。これがゲームだと悪役令嬢になるのだが、何故か現時点でもその攻略対象と婚約を結んでいるらしい。
相手は意外なことにそれなりの伯爵家令息だ。さすがに嫡男ではなく三男だが、既に騎士としての能力は認められつつあるという。
彼は実はマリエルの記憶にある『攻略対象』の一人だ。立ち位置は『騎士』、真面目で腕も立つが些か頭が堅く要領が悪い。女性にもあまり慣れておらず所謂『硬派』と見られている。
ゲームでは、ひたすら愚直に主人公を愛し、彼女を守るために悪役令嬢と真っ向から対峙するようなキャラだった。策を弄することをしない真っ直ぐな気性は、貴族社会では生きにくかろうが、わかりやすい魅力がある。ぶっちゃけマリエルも最推しではなくとも嫌いなキャラでもなかった。そういう、推しではなくても嫌われにくいタイプ。
ただそれはあくまでゲームの話。実際のこの世界で、彼がどんな人間かは現状のマリエルには知る由もない。
「お嬢様、支度はいかがですか?」
記憶を取り戻した当初に残しておいたメモを読み返していると、エリザがやってきた。
「支度、といってもあなたたちに任せきりだけど」
「我々で準備できるものはいたしましたよ。でもお嬢様がご自身でなさるご準備もありますでしょう」
エリザはマリエル付きとして一緒に辺境伯家にきた。今回王都の学園入学にも同行し、タウンハウスで彼女の補佐に当たる予定だ。
もっともマリエルは学園の寮に入るので、タウンハウスは休みの時しか戻らないが。
言うまでもなく、子どもの頃暮らしていた家とは別のところだ。今のマリエルは実際は祖父母である辺境伯夫妻の養子になっている。伯父が爵位を継いだ後で、寄り子の令息やつながりある商家に嫁いでもいい、と言われているが確定した婚約相手はまだいない。
祖母からは、学園で良い相手が見つけられればそれでもいいと言われた。祖父もそれには同意している。他の令嬢令息も、学園で婚約者を探すことが多い。
ゲームの中で攻略対象のうち婚約者がいるのは、義姉の婚約者と王子の二人だけだ。他の攻略対象でもヒロインと恋のライバルを演じるキャラはいるが、正式に婚約してはいない。婚約破棄とかそこまでいかない恋のさや当てとか、いろいろなパターンが用意されているタイプのゲームだった。
一番王道は第三王子のルートで、婚約者の令嬢が悪役になる。いかにもありがちな、それだけで先が読めるが逆に言えば安心して進められる『お馴染みの』展開。
義姉が悪役令嬢になるルートも、わかりやすいものだ。政略で結ばれた婚約だが、義姉(確か名前はチェルシー)はその婚約者に固執し、彼と親しくなったヒロインをひどくいじめて挙句に糾弾される。最終的に婚約を破棄され、実家も不正が明るみに出て取り潰される。その際、マリエルは『チェルシーには異母姉妹がいたが、彼女のことも使用人扱いしてつらく当たっていた』とさらっと流される程度だ。
現実にはマリエルは辺境伯の養女として、その令嬢という立場で学園に入学することになっている。なので、そのルートではゲームと前提が大幅に違っているのだが、他のルートの場合はどうなのかまではわからない。
「……できる限りの準備はしていくけど、実際その場になってみないとわからないわよね」
「それはそうですよ。だからこそやれる準備はしておきませんと」
独り言てばエリザが訳知り顔で頷いてよこす。それがなんだかおかしくてマリエルは笑ってしまった。
「ふふ、そうね。……お祖母様や伯母さまもいろいろ教えてくださるし気にかけていただける。もちろんエリザも、他の皆も。私も頑張るわね」
「はい」
そうして入寮してみれば、学園の風景はゲームの背景そのままだったので、ちょっと内心で盛り上がってしまった。
広い学園の中を、辺境伯に所縁のある家の令嬢たちに案内してもらう。
幸いなことに、辺境伯は領地こそ王都から遠く離れているが隣国との交易の要でもある。辺境領と縁をつないでおきたい貴族は多いし、そこから信頼できる相手を選ぶことも可能だ。
祖父母の籍に入ってからのマリエルは、そうした家の子女と親交を持ってきた。将来的には貴族籍を抜ける可能性もあるが、その場合でも本人もしくは結婚相手が辺境伯家に関わる職に就く公算が大きい。
「なんだかわくわくしますわね」
「『わくわく』、ですか?」
「新しいことがこれから始まるのか、と思うと気持ちが高ぶりますわ」
朗らかに笑っているのは、伯爵令嬢のフローラだ。艷やかな黒髪をきりっと結い上げた、涼しげな美少女である。
「フローラ様はお強いのですね。……私は少し不安ですわ」
対照的にこぼすのはスザンナ、こちらは子爵令嬢だがそこそこ裕福な商会を保持する家の娘で、辺境伯領との付き合いも深い。栗色の巻き毛が可愛らしい、小柄な美少女だ。
マリエルからすれば、この二人の美少女の陰で自分は目立たずに済む。例えるなら百合や薔薇の咲き誇る庭園の片隅に、雑草が紛れていても気にするのは庭師くらいだろう。
家の関係で付き合い始めた友人たちだが、気持ちのいい少女たちで気も合う。
マリエルとて、貴族令嬢として決して不美人ではない、と思う。エリザはじめ侍女が手入れしてくれている艷やかな胡桃色の髪に勿忘草色の瞳、派手な美貌ではなくとも整った容姿だ。ただこれといった特徴は特にない。要は地味だ。
そのこと自体は別にいい。もしこの世界が記憶にあるゲームの舞台に近似しているのなら、巻き込まれたくない、のが本音だ。
幸いマリエルはその設定から既に脱しており、巻き込まれる可能性も低いだろうとは思うのだが。義姉以外の『悪役令嬢』たちを案じる気持ちもある。
「とりあえず、現状の認識合わせをいたしましょうか」
3人が腰を据えたのは、庭園の一画にある四阿の一つだった。談話室の個室などもあるが、数がないのでこちらを使うことにした。同じように他の四阿にも、ぽつりぽつりと人影がある。
同じように、情報のすり合わせをしている者たちがいるのだろう。その辺りはお互いにわかっていて織り込み済み、かつ互いに触れないのが礼儀でもある。
それぞれが座ったのを確認すると、スザンナが小さなメモ用紙を渡してきた。びっちり、細かい文字が記されている。
「現状についてどこまでご存じか図りかねましたので、とりあえずこちらで分かっている限りのことをまとめさせていただきました」
彼女の家は情報に強い。それもあって辺境伯の祖父がマリエルの側にスザンナを置いた。大人たちの思惑もあって今この学園でも政局争いに近いものが起きている。
特に、彼女たちの同級生として第三王子が入学予定なのだが、彼の婚約者である侯爵令嬢も同じ学年なのだ。王太子はほぼ兄の第一王子に内定しているが、この第三王子もそれなりに能力は高いという。王妃の実家である公爵家も権勢があり、彼の婚約も十分魅力的とみられていた。
「第三王子のリチャード殿下は、エディション侯爵令嬢と婚約を結んでおられますが。あまり親密とは言い難い様子です」
そして言うまでもないが、この王子もマリエルの前世記憶であるゲーム世界の『攻略対象』だ。しかもメインを張っていた。
「困ったものね。……あまり、状況を変えたくはないの」
辺境伯としては中央政治の政争に首を突っ込むつもりはない。やりたければやればいいが、こちらに火の粉を飛ばしてくれるな、というのが本音だ。
その意向はマリエル自身のものとも一致する。主人公が本当に存在するかもまだわからないのだが、出来ればいざこざを起こさず過ごしたい。
前世の記憶によると、ゲームの舞台は学園入学してからの2年間。一つ上の学年に在籍する義姉チェルシーが、卒業式で同学年の婚約者に婚約破棄を宣言される。それに他の攻略対象も便乗するので、それなりに重要な役回りだ。
ただしマリエルから義姉のチェルシーに接触するつもりはない。そんな義理はないし、向こうからの接触も禁じられている。にもかかわらず辺境領との交易があるように見せかけて融資を募ったりしているので、辺境伯家では証拠抑えに動いている。
実はチェルシーの婚約も、その辺り都合のいいようにごまかして結んだものらしい。婚約者の実家では何とか白紙撤回したいという噂も流れている。どうやら今のフォジョン子爵家、そうしたことばかり上達しているようだ。
マリエルの実の父も、意外に有能だったのかもしれない。しかし犯罪的な方面にばかり有能では堪ったものではないのだが。