転生モブ令嬢は、乙女ゲームの舞台を去る
結局マリエルの婚約者は、学園卒業までに決まらなかったが当人はあまり気にしなかった。下手な相手に絡まれるくらいなら、辺境に戻ってから探した方が確実だ。その辺りは養父母も納得してくれた。特に従姉は大いに同意して、良さそうなのを辺境で見繕っておくと張り切っていたが、そこまでやられると却ってマリエルの方が退いてしまう。
「何か希望はあるかしら?」
一番上の従姉、ロバートの長姉であるライラは所謂姉御肌というやつだろうか。気風が良くて朗らかだが、嘗めた真似は許さない。義侠心があり面倒見がいい。既に結婚してこどももいるが、従姉弟や弟たちも彼女にとっては被保護者だ。もちろんマリエルもそれに含まれている。
「希望、と言いましても……とりあえずしばらくは、自分の生活を確立させるのが先かなと思ってますわ」
にこやかな彼女にマリエルも真面目に返せば、にやっと笑われた。
「それはそうよね。お祖父様の別邸に住むの?どれ?」
彼女たちの祖父でマリエルには義父にもなる辺境伯は、その領都に幾つかの屋敷を所有している。辺境伯領はなかなか広く、領都も栄えており、その中心に置かれた領主邸だけでは行き届かないことも多い。
「えーと、中央区の2階建てです。あそこが一番手頃なので」
「そうね、大きさはあれくらいがいいでしょう」
辺境伯の持ち物としては、かなり小ぶりだが。マリエルとその使用人が暮らすだけなら十分だ。最初は本邸に暮らすという話も出たが、マリエルは養女で実際は嫁に行った娘のこども、辺境伯の直系とは言いにくい。そう主張することもできなくはないが、こじれるのは必須。ならばそのうち家を出る存在にしておいた方が面倒は少ない、というのが祖父や叔父たちの意見だ。
マリエル自身そちらが妥当だと思うし、必要なら辺境伯家で確保している従属爵位くらい回す、と言われている。
爵位はともかく、生活の保証も永続的なものではない。長くて祖父母が存命の間までだろう。その間に自身で身を立てるか、それなりの相手と結婚するか、しかない。今のマリエルには前者の方が望ましいが、保護者達の協力を得やすいのは後者だ。本人はどちらに転んでも良いよう、準備はしておくつもりだが。
「で、マリエルは落ち着いたら私の手伝いに入ってくれるということだったけれど」
「ええ、慣れるまではご迷惑をおかけすると思いますが。私にできることがあれば、やらせていただけませんか」
ライラは、伯父の補佐として領地の文官をまとめている。どの程度の権限なのかまだマリエルもよくわかっていないが、彼女の元で様子見という話になってはいた。
マリエルの方も、文官としての勉強はしてきた。王宮の文官試験は受けなかったが、そこそこの成績をとれた自信はある。
余談だが、スレイ・ケインズは王宮の文官試験に合格しなかったらしい。卒業後風の噂でそう聞いて意外の念が拭えなかった。何でも当人は、『精神的衝撃を受けた』とマリエルの名を出したらしいが、父親の宰相に叱責を受けたそうだ。
さして付き合いもない派閥違いの家の娘に婚約を申し込み、断られたのが衝撃だったからといって相手のせいにするなど言語道断、という訳だ。そういう噂が表に出ている時点で彼の先行きは暗い。状況の読めなさを露呈したようなものだ。到底貴族社会の政治には向かない。
もっともその辺はマリエルには関係ない話だと思う。スレイ・ケインズとの接点自体ほとんどなかったし、こちらから彼に声をかけたわけでもない。巻き込まれたようなもの、としか言えなかった。
攻略対象としての彼は、『腹黒眼鏡』というフレーズに違わぬキャラクターで、一部に熱狂的な人気を博していた。ただマリエルの好みとは言い難い。ぶっちゃけリアルに同じ空間にいたら、単にめんどくさい相手だ。
「それとライラ従姉様。魔法使いのご用命はありまして?」
小首を傾げて尋ねると、従姉は面白そうに笑った。
「そうね、マリエルはそちらもあったわね。お願いすることも出てくると思うわ、また別途声をかけることになるでしょう」
「『誰』の指示なら動いていいか、聞いておいて良いかしら」
真顔で念を押す彼女にライラは微笑み返す。
「辺境伯か次期辺境伯か、ね。その二人以外の指示は受けなくていいわ」
マリエルが有するのは土魔法で、辺境には多く出やすい、ありふれたものだ。しかし幼い頃、異世界転生に張りきった彼女は鍛錬に励み、ここ最近の辺境でも破格の魔力量に達してしまっている。そのことは辺境伯の関係者にのみ共有されている、機密事項だ。内密に試した限りでは、ちょっとした灌漑工事くらい単独で可能なレベルになっている。
魔獣退治などの荒事には向かないと言われる土魔法だが、これだけの魔力量があれば攻撃力も高くなる。マリエル自身に実戦経験はないが、経験豊富な祖父や伯父たちに言わせると中級レベルの魔獣討伐なら許可できるという。
さすがにいきなりそういう危険性の高い仕事をさせられつことはないだろうが、寝かせておくだけなのも惜しい魔力量なのだ。指示があれば振るうのもやぶさかではない。
「推測だけど、マリエルの場合は防壁の強化とか畑の富養化とかをお願いすることになるかしら」
「そうですね、その辺りが妥当かと。私からも辺境伯様にお話しておきますので、伯父上にもお伝えいただいて良いでしょうか」
「もちろんよ。よろしくお願いするわ」
学園では魔法は本当に基本的な技術しか学ばない。専攻科に入れば別だが、それ以外の学生は詳しく学ぶ機会がないのだ。魔法専攻の学生はほとんどが『たまたま魔力高く生まれついた平民』で、その生まれ持った能力を生かすために学ぶ。基本的な魔力の扱い方を抑えれば、あとは実用性が高いと言われる攻撃魔法を学ぶ者が多い。
『実用性が高いと言われる』が、派手で人目を引くのでそう言われているだけで、各領地では必ずしも攻撃魔法が望まれているわけでもないのだが。ただ、王都では確かにその人目を惹く魔法は人気が高い。王宮魔法使いとして雇われる者も、そちらの手腕は確かだ。ただしそれだけでは、足りないのだが。
翻って地方の領地で必要な魔法は例えばマリエルのような土魔法は土木工事に有用だ。更に多い水魔法なら治水やその他。そしてどちらも農耕にはさらに有用で、使い道は多い。魔力がわずかでできることが少なくても、人力のみでやるよりはずっとできることが多い。
王都でも、そうしたインフラは行われているが、その用途の魔法道具が発達しているため、魔力を注入する以外魔法使いの仕事はない。魔法道具は希少で高価であり、地方には行き届かないのだ。
逆に言えば、それぞれの領地でどのような魔法をどう使うか、というのは領地ごとにかなり方法が固まっている。もっともマリエルの場合、学園入学前に魔力の高まりに浮かれたのと前世記憶とではっちゃけたら、意外と上手くハマり、彼女のやり方はある程度自由が許されているのだが。
石灰や瀝青は無くとも、似たようなものを水路や道路の舗装に使用したり、ため池を作って渇水に備えたり、やれることは幾らでもある。試した事例が割と上手くいったおかげで、実験めいた真似もできるのはありがたかった。
そうして、マリエルは文官として仕事を始めながら、領内の治水や土木工事にも駆り出されるようになる。肉体労働はないしそんなにがっつり仕事を詰め込まれるわけでもないが、慣れるまではいろいろ苦労も多い。
「でもマリエルが動いてくれるのは本当に助かるよ」
領内の魔法使いをまとめているのも従兄でエリックという。ライラとも従姉にあたるが、やはり彼女の方が立場が強いらしい。
仕事はそれほど難しくはないが、領内のあちこちに移動が多い。領主の一族なので護衛やその他使用人もつけてくれるが、それもなかなか大変だ。
「で、この街道をね。もうちょっと広げられないかな、と」
「うーん。土台を補強しないと危ないですよね、この辺りだと……」
人がすれ違える程度の道だが、一応集落をつなぐ大事な街道なのだという。切り立った山裾に辛うじて通されているので、幅を広げるのは難しい。が、土魔法を駆使すればある程度の無理は利く。
「下から支えてー、しっかり固めてから広げたら……うーん、このくらい、ならいけるかな」
道があるよりずっと下の方から、土砂を集めて盛り上げる。傾斜の上の方からも、危なっかしい場所から土砂を移動させて下支えにする。
マリエルの前世でも土木工事の知識はない。その辺りはこの世界で見て覚えたことが多い。どの程度物理法則に則っているのかは知らないが、経験則はある。
回りの協力を得ながら、最終的には荷馬車が余裕を持って通れるくらいの道幅まで拡張できた。
「さすがだー、マリエル!」
「こいつは大したもんですね」
「皆様の補助あっての成功ですよ」
土台はマリエルなりにしっかりさせたつもりだが、耐久性は確認しながらになる。最低でも1年は、気候の移り変わりや状況を良く見ながら運用することになった。
一方で文官業も。
「領地もかなり栄えてきてはいるんだけど、下支えが足りなくてね」
「ああ……ありますわね」
辺境領は国外からの街道もあり、新しい風も入ってくる、そのため産業もかなり盛んだ。人口も僅かではあるが、増えている。ただ農地は適した土地が少なく、食糧は他の領地からの輸入に頼らざるを得ない。
「土地自体はあるのですから……農地に変換できるか、調べてみましょうか」
「!それは助かるわ、やってみて」
「ええ。ただライラ姉様、変換できたとしても、最初から作物を育てられる土壌にはならないと思います」
「そうなの?ああ、でもそうね……農地にならない土地は、それなりの理由で使えないものね」
「ええ、ただ雑草でも生やせるようになれば、畜産ができるかもしれないです。山羊とかその辺りのものから」
「そうね。……あまり牧畜はやってなかったのよ、辺境だと魔獣が出るから。でも最近は、魔獣狩りも進んできて、めったに人里には出なくなってきたのよ。良い機会かもしれないわ」
「なるほど」
辺境にとっては魔獣も資源だ。狩りは専門職でないと難しいが、肉も皮も有用で高値がつく。爪や牙、或いは内臓まで、装備や魔法薬の材料としても人気なのだ。世界的にも品薄で、特定の種の血液や毒腺などは希少価値も高い。
「腕の立つ傭兵団がきてくれてね、魔獣狩りに熱心なの。辺境伯家で雇いたいと申し入れて、折衝中なのよ」
ライラはライラで、有用な人材の獲得に動いているということだろう。




