転生令嬢は、ドアマットになりたくない
マリエルは7歳の時、今の屋敷にやってきた。実母が亡くなり、父が再婚したため母の実家であるこの家に引き取られたのだ。
普通は再婚しても、前妻の子どもを実家が引き取ったりはしないが。その辺りややこしい事情がある。
まず一つ目の理由は、母の実家だ。今マリエルが暮らしているこの屋敷、かなり立派な建物である。かつて両親と暮らしていた屋敷も貴族の邸宅としては十分なものだったが、こちらはさらに格上だ。母の実家は、辺境伯として国防の一角を担っている。そして現辺境伯である祖父は、愛娘の母を可愛がっていた。そのため、マリエルを引き取ることはむしろ祖父母も積極的だった。
もう一つは、母の死因およびその後の状況である。母は急に倒れて寝付いたと思ったら、ほんの二三日でそのまま亡くなってしまった。マリエルはただ茫然としているしかなかったのだが、悲しみを実感する前に父が後添えと称する女性とその娘を屋敷に連れ帰ってきた。葬儀の翌日、という迅速さである。しかも葬儀の時点で、辺境からの祖父たちも間に合わなかったのだ。
そして、最後の大きな理由が。マリエルには、この世界ではない人生の記憶がある。いわゆる転生者だった。しかも、その記憶の中でこの世界を『知って』いる。
前世の記憶の中で、『この世界』はゲームとして描写されていた。よくあるタイプの、貴族の学園にそれまで庶民として育ってきた女の子が放り込まれ、それぞれに魅力的なイケメンと交流し恋をするという、似たようなゲームが大量に作られ消費された中の一つだ。
ゲームの中にマリエルは出てこない。正確に言えば存在には言及されるが、画像もセリフもないその他大勢だ。ただし彼女の義姉、父が後添えとして連れてきた女性の連れ子が、攻略対象の一人と婚約して彼のルートの悪役令嬢になる。最終的には家ごとお取り潰し、という末路を辿ることになるのだ。
マリエルが前世の記憶を思い出したのは、母の葬儀の前日だ。父と家令が、葬儀に祖父母を呼ぶ呼ばないで言い争っていた時。
大好きな母が急にいなくなった悲しみと驚愕に、混乱している娘の前で父親は大声をあげる。
「今から呼んだって間に合うまいが!」
「かと言って、お伝えせぬ訳にはいきませんでしょう。お返事が来るまで、弔いはお待ちくださいませ」
しきりに葬儀を早く済ませようと主張する父親に、家令は困惑の色が濃い。しばらく言い争っていたが、とうとう父親は家令にマリエルの世話を押し付けて出て行ってしまった。
「何と、無茶な……」
「ジェームズ、私は大丈夫よ。……エリザと、お母様の侍女のルーシーかミランダをつけてもらえるかしら」
深々溜息を吐く家令に、マリエルは声をかけた。
「……お嬢様……?」
戸惑う彼に小さく頷く。
「お父様のお話を聞いていて思ったのだけれど。……お母様は昨日亡くなったばかりなのに、どうしてもう葬儀ができるのかしら。何か届けとか出さないと、お弔いもできないのでは?」
さすがにこの世界の冠婚葬祭だのそのために必要な儀礼だのは、マリエルも知らない。ただ仮初めにも貴族階級にある成人が亡くなった際、何の公への届けもなく葬儀はありえないのではないか、と疑問だった。
母の死は悲しいが、己の身を守るためにも。母方の祖父母が来るまで、葬儀を済ませずにおきたい。それには、この家令に動いてもらうしかないのだ。自分の侍女と、母の侍女だった二人を名指せば家令も何かしら思うところがあったのだろう。頷いて手配してくれた。
「お嬢様……おいたわしい……」
目頭を押さえているエリザはまだ若い。マリエルの侍女としてついたばかりの、まだ10代半ば。マリエルが乳母から離れて子守がついた、その子守だった。マリエルの母にも可愛がられて姉妹のように育ってきた。当然のことながら、母の訃報も一緒になって悲しんでくれた。
今も真っ赤な目で半べそをかいている。
「ありがとう、エリザ。……あのね、ルーシー、ミランダ。あなたたちには、お母様のお話をしてほしいの」
それに対して母の侍女だったミランダとルーシーは、母より幾らか年若く。そして前世の記憶を思い出したマリエルの語彙で言えば、どちらもタイプは若干違うものの所謂『お色気系』美女だった。そして二人とも父が雇った人間で、母は彼女らのことを詳しくは知らないと言っていた。必要なことはしてくれる、とは言っていたものの、他のもっと付き合いの長い侍女よりは距離があったのは間違いない。
「……えぇと……あの、家令のジェームズさんはどちらに?」
可憐、といった風情のルーシーが困ったように問う。
「たぶん、お父様とお打ち合わせではないかしら。……あのね、ルーシーもミランダも、私と話したことなかったでしょう。……お母様のこと、教えてほしくて」
じっ、と潤んだ眼で見つめれば二人も些か戸惑う様子ではあったが。一つ溜息を吐いたミランダが口火を切った。
「お母様の何がお聞きになりたいんですか」
ミランダは肉感的な美女だ。豊かな赤毛をまとめているが、地味な侍女服の胸元がむっちり張っておりそのスタイルを伺わせる。
だが案外面倒見は良いそうで、エリザも彼女は嫌っていない。元は、どこかの商家の出だという。
それに対してルーシーは確か男爵家の娘だ。淡い金髪の可憐な容姿は、風にも耐えぬか弱げな女性に見える。
だが彼女たちのどちらかは、父の愛人で。母の目を盗んで交情を重ね、子どもをもうけているらしい。これは前世の記憶ではなく、この屋敷の使用人たちが囁いていた噂だ。
本来この家の後継者は母の方だ。辺境伯としての爵位は領地の伯父が継ぐことになっているが、王宮との連絡を兼ねて置く爵位がこのマリエルの生家・フォジョン子爵家である。
そのような事情で、使用人は殆ど父より母の味方だ。そもそも大体が辺境伯家から派遣されている。しかしこの二人は、父が雇った人間でそれ故当初から噂は囁かれていたのだ。ただし母はそれについては触れたことはなかったと思う。思うところはあったのかもしれないが、少なくとも子どもの前でそれを見せることはしない人だった。
「お母様の、お好きだったお花は何かしら。お好きなドレスは?」
母は穏やかで優しい人ではあったが、貴族子女としての教育はちゃんと与えられた。基本的な読み書き計算、おおまかな国内の地理、立ち居振る舞い、そう言った諸々を母自身だけでなく家庭教師もつけて学ばされた。母は、マリエルがこの家を継いでいくことを望んでいたのだろうし、そのための教育を施した。
そのことには感謝しているが、母子の情緒的な触れ合いは少なかったように思う。母の好きな花や好きな色さえ思いつかないくらいに。
「せめてお母様の、お好きなもので送ってさしあげたいと思うの」
目を潤ませて訴える子どもに、さすがにそこまで非情にはなり切れないらしいミランダが困ったような溜息を吐く。
「花、は知りませんけど。お色は淡いブルーがお好きでしたよね」
「淡いブルー、だと……奥様、勿忘草はお好きだったのでは」
その言葉にエリザが頷く。
「そうね、勿忘草はお庭にもあるし……お母様、勿忘草色のドレスもお持ちだったわね」
淡い青はマリエルの眼の色でもある。父とも同じ色なので、その辺りは微妙なところもあるが。
そうしてエリザとミランダがマリエルを気づかいながら会話している間、ルーシーはほとんど口を開かなかった。座ったまま無言でそっぽを向いている。
それに気づいていてマリエルは何も言わなかった。ミランダも気がついてはいるのだろうが、触れるつもりはなさそうで無視している。が、エリザは若い分抑えが効かず正義感も強かった。
「ところでそこのあなた。お嬢様に、何かお話することはないの?」
きりっと厳しい顔つきで、ルーシーを睨みつける。思わずそちらを見たマリエルの視界の隅で、ミランダが顔を顰めるのが見えた。
「……えー、私ですかぁ」
瞬きしたルーシーは、ふっ、と鼻から息を漏らした。ますます顔つきを強張らせるエリザに、殊更にこやかに笑いかける。
「奥様がお亡くなりになったのは、悲しいことですよぉ。……でもねえ、人間なんていつかは死ぬんですから。悲しんだって、仕方なくないですぅ?」
あからさまに嘲る口調で言われて、エリザが顔を真っ赤にする。さすがにミランダが何か言おうとしかけるが、それより先にマリエルが声をかけた。
「ルーシーは、じゃあ何故死なないの?」
「……は?」
「あなたが自分で今言ったのじゃない。『人間はいつか死ぬから仕方ない』って。じゃあ何で生きてるの?」
純粋な疑問、という調子で投げられた言葉に今度はルーシーの顔が紅潮した。
「……わた、私には娘がいますから。……あの子を遺して死ぬ訳にはいきませんわ!」
「じゃあ何故、私を遺して亡くなったお母様を悼む気持ちもないの?同じ立場なのではなくて?」
畳み掛ければ、ますます顔を真っ赤にし口をぱくぱくさせるだけで反論も思いつかないらしい。
「……あなたって……人を思いやる心というものがないのね……しかもそれを隠す程度の知恵もない」
しみじみ言うマリエルの言葉に、エリザとミランダがしきりと頷いている。
ついでに幼い子どもにあっさり論破され、真っ赤な顔で喚きだす堪え性の無さだ。
「なんてかわいげのない!!死んだ女そっくり!」
「……お母様に似てるのなら嬉しいわ。……あなた、自分の娘にもそんな風に怒鳴るのかしら」
「お嬢様、もう構ってはいけませんよ。ミランダさん、グレースさんを呼んできてもらえますか」
慌ててマリエルを庇いながらエリザはミランダに声をかけた。小走りに部屋を出ていく彼女に対し、エリザ自身はマリエルを守るように抱きしめる。
それから、侍女頭のグレース(ジェームズの妻)が駆け込んできてミランダと二人がかりで引きずり出されるまで、ルーシーはずっと喚き立てていた。引っ張り出されてからも大声をあげていたので、屋敷中に彼女が父の愛人でしかも娘も父の子だというのが知れ渡ったことだろう。何しろ当人が甲高い声で屋敷中に響き渡れと言わんばかりに主張していたので。
当然ながら大騒ぎになり、ルーシーは父のところへ逃げ込んでひとしきり騒いだらしいが、却って事態を悪化させただけだった。
「むしろ知らん顔で後妻に入られたら、余計大変だったと思うの」
「全くでございます」
マリエルの言葉にジェームズは深々と頷く。
彼は彼で、父が金を渡してすぐ葬儀を行えるよう手配させていた人間を特定してその上層部に訴えていた。こちらもなかなか大変だっただろうが、それを愚痴るような人間ではない。
もちろん母の葬儀は延期され、祖父母が怒鳴り込む勢いでやってきた。父とルーシー、その娘も彼らの管理下で詰められているらしい。
ただし彼らが母を害したような具体的な証拠は見つかっていない。ただひたすら心証が悪いだけだが、罪に問える段階ではなかった。
しかし婚姻関係にあるうちから別の女を囲い、子どもまでもうけていたことで、かなり悪質とみなされた。
そのため、マリエルは祖父母に引き取られることが決まっている。この家、フォジョン子爵家は辺境伯と絶縁され今後一切の関わりはない、と周知された。父の実家も泡を食って問い合わせてきたそうだが、詳細はマリエルも知らない。
辺境伯家との関係を絶たれれば、領地もない子爵家など次代へつなげるかどうかも怪しい。父が際立って有能ならともかく、家政も社交も母に任せきりだった男に何が出来るやら。
子爵家でお抱えの商会も、実質辺境伯領地からの品を商っていたので、こちらも手を引くことになっている。もっとも当の父本人は、自分の才覚でいくらでも巻き返せると豪語していたそうだ。子爵家でさえ母に全部任せきりで遊びまわっていたくせに何ができるかと、祖父母も使用人たちも否定的だ。
使用人も、ルーシー以外は全員がマリエルと共に辺境伯の領地へ移動することになった。元々辺境伯領からきている者がほとんどだったし、子爵家に先がないのも目に見えている。
ともかく、マリエルとしては生家で蔑ろにされる運命から逃れただけで儲けものだろう。