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第9回 民主主義は確実に間違う

『高学歴社会は確実に間違う』

 世の中には高学歴社会になるほど間違った常識を生み出す、不思議(ふしぎ)厄介(やっかい)な現象が存在する。

 まず学校では効率的(こうりつてき)に教えるために、(たい)(しょう)となる学年などのレベルに合わせて内容をかなり単純化、パターン化、一般化している。しかも教科書に()るまで時間がかかることもあり、どうしても時代遅れの情報を教えられる。また時代ごとの()政者(せいしゃ)や学界の(けん)()にとっての思想的なプロパガンダも入り込みやすい欠点もある。

 ところが多くの人たちには「学校で教わることは正しい」という思い込みがある。それに加えて人間は(たい)()な生き物である。周りに最新情報が流れていても、必要性や強い関心がなければ自分から取りに行くことは少ない。耳に入ってきても自分の持つ知識と大きく()い違ってる話だと、勝手に間違った情報と判断して聞き流すこともある。

 人には最初に触れた知識を真実と思い込む刷り込み(インプリント)という現象もある。そのためか学生時代に(いっ)(しょう)懸命(けんめい)に勉強した人たちほど努力を無駄(むだ)にしたくないのか、それとも単なるプライドか、若い頃に教科書で学んだままのイメージを正しいと思い込んで死ぬまで変えようとしない傾向も見られる。

 そのために多くの人は日常的に()れることのない知識──自分とは関係の薄い情報は、学校で学んだ時のイメージで固定されたまま世の中を見続けることになる。当然、学校の卒業からの時間が()つほど知識は古くなっていく。これが上位の学校を出た人ほど、歳を取ると『頭の固いお年寄り』になってしまう理由だ。

 もちろん自分とは関係のない情報であっても、一部は新しい情報に上書きされる。ただし情報を上書きするのは、テレビや新聞、ウワサなどの形で入ってくるニュースやウワサ話という形だ。それらは事件、事故、滅多(めった)にないできごとという、センセーショナルなものが中心となる。当たり前の話だが、話題性のないものはニュースにも番組にもならない。メディアがいっさいの偏向(へんこう)報道(ほうどう)をしてなくても、為政者によるプロパガンダが入らなくても、センセーショナルな情報──極端な話に引きずられて、不正確な知識で上書きされていく。

 そして繰り返すが、人は学力とプライドの高い人ほど自分の知識が正しいと思い込む傾向が強い。気づかないうちに自分の知識が間違ったものにすり替わっていても、それが正しいと思い込みやすい。そこへ正しい情報が入ってきても、それが自分の知識や常識に反するものであった場合、確認するよりも理屈を付けて見下すことも出てくる。それが時代遅れの偏見(へんけん)を生み出して(ひと)り歩きし、世の中を正しく見られなくするという困った振る舞いになる。

 その中でもネガティブな問題に関する情報となると、実態とイメージの(かい)()深刻(しんこく)だ。それがどのくらい間違ってるかというと、三択問題にして解答を求めると、今の日本の(たい)(しゅう)の正解率は平均で7%ちょっとしかないと言われている。三択問題ならデタラメにしか答えられないチンパンジーや無学な人でも、3分の1は正解するはずだ。ところが高学歴社会になるほど正解率が落ちていき、日本よりも大学進学率の高い国の中には5%を切っているところもある。



『直接民主主義は確実に間違う』

 民主主義では多数決を基本原則としている。だが、ネガティブな問題に関しては前項で触れたように、高学歴社会になるほど確実に事実を間違ったイメージで(とら)える現象を(まね)いている。

 それに加えて(たい)(しゅう)は世の中をニュースやウワサになるセンセーショナルな情報だけで見ている問題がある。

 たとえば(きょう)(あく)事件だ。昔はあまりにも数が多かったので、よほど被害者が多いとか、手口が残忍(ざんにん)でないとニュースとして取り上げられなかった。ところが凶悪事件の減った今では、以前は取り上げられなかった事件でもニュースとして流れやすくなっている。そのせいで昔よりも凶悪事件に触れる機会が増えたため、多くなったと勘違いしてる人も多い。

 また自分の知らない世界の話題も間違ったイメージを持ちやすい。なぜならテレビや新聞に取り上げられるのは、それぞれの道のトップ中のトップや歴史的なできごと、ないし最高記録だけである。要するに平均からかなり離れたチャンピオンデータだ。そのためその世界を知らない人は、テレビや新聞で流れたチャンピオンデータを基準にその世界を見てしまう厄介(やっかい)な思い込みの心理が働く。

 作家あるあるで言えば、「作家は1冊書けば100万部以上売れてる」と決めつける人たちだ。そこから勝手に印税収入を逆算してお金持ち扱いしてたかってくる親戚(しんせき)や知人には、多くの現役作家たちが辟易(へきえき)させられている。

 今の時代なら有名YouTuberの1億再生という話題に引っ張られて、「この動画、まだ1万回も再生されてない」があるだろう。ジャンルにもよるが、YouTubeのレコメンドに出てくる動画の再生数を見ると数十万再生が当たり前なので、それが余計に思い込みを強めているのかもしれない。


 にもかかわらず近年の政治はそういう大衆に対して、(あん)()迎合(げいごう)する傾向を強めている。大衆は前提(ぜんてい)となるイメージを間違えているのに、それに迎合する政策(せいさく)をやったら、問題をこじらせるのは火を見るよりも明らかだろう。

 先に民主主義を始めた欧米(おうべい)では、この問題に早くから気づいていたのだろう。そこで少数意見の尊重という二つめの原則を持ち出して、問題を正しく見ることのできる専門家に対応を任せることを理想としている。現実を知らずにイメージだけで語る門外漢(もんがいかん)に任せたら、どれほど間違った政策を始めるかわからないからだ。


 ところで対応を任せられる専門家とは、どのような人たちだろうか。多くの人のイメージする専門家は(つね)に最先端の現場にいて、(なま)(じょう)(ほう)に触れている人たちだ。そういう人たちならば物事をよく知っているので、正しく判断できるだろうと期待する気持ちもわかる。ところが世の中には学界の権威でも(ぞう)()(とう)(こも)って、まったく現場を知らない人が(めずら)しくない。そういう人たちは新しい事実や自分たちの間違いを認めない傾向にあり、若い学者たちからは早く引退を求められる老害ともなっている。

 そういう学界の権威によって古いイメージが定説のように語られ続けるため、世の中に流れる知識は最先端の現実よりも30年から50年ほど遅れる場合も出てくる。世界情勢を考えてみるといい。発展途上国の生活ぶりを、いったいいつ頃のイメージで見てるだろうか。

 民主主義では誰を専門家として任せるかが、これほど大きな問題なのだ。

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