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第8回 低IQエリートの弊害3

 もう一つ、低IQエリートがもっともらしく語ってる間違いについても語ろう。

 人によっては「何を馬鹿言ってる。そんなの常識だろ」と反論したいものがあるかもしれない。



『会社は営業が(かせ)いで他部署を(やしな)ってる?』

 リーマン・ショックの起きた2008年を中心とする前後5年ほどの間、日本中でこんな(くる)った物の考え方が席巻(せっけん)してたことを覚えてる人は、どのくらいいるだろうか。

 バブル景気が終わって不景気が長引くと、物を作っても売れない時代が始まった。中でも(せつ)備機器(びきき)や大物家電などの(たい)久消(きゅうしょう)()(ざい)優先的(ゆうせんてき)に買い(びか)えられるため、それらを(あつか)う企業では不良在庫が大きな経営問題となった。

 本来ならば、それらを作っている()(じゅつ)(しゃ)(しょく)(にん)たちだが、物が売れなくなったために仕事が少なくなった。そこで、そういう人たちを営業に回して少しでも在庫を減らそうとする企業が、バブル景気が終わった数年後──1993年頃からパラパラと出てきていたようだ。

 最初こそ経営の苦しくなった企業にとっての()(にく)(さく)だったが、いざやり始めてみると技術者出身の営業が大当たりになった話があちこちから聞こえてきた。とにかく客受けの良い人が多く、売り上げを伸ばすケースが多く聞かれるようになった。

 営業というと自社製品を売り込むために、客をグイグイと()(あつ)してしまう人が多い。ところが元技術者や職人の多くは口数の少ない人たちだ。営業になっても、そこが変わらない人が多いために、そこに好感が持たれたのだろう。それに元技術者だから商品知識は豊かだ。客の質問にはほぼ確実に答えられる。中には自社製品の長所と短所をきちんと伝え、客の求める商品として相応(ふさわ)しくないと気づけば、他社製品の方を(すす)める人も出てきた。これは営業としては間違ってるかもしれないが、客からの信頼を得て次の販売につなげる意味では大きな成功だ。

 こういう成功例が出てくると、単純に「技術者を営業に回せば売れる」と(うわ)()だけを真似(まね)る企業が出てくる。それを助長させるように1990年代の(なか)ばから、NHKと日経グループが「モノ作りの時代は終わった。これからの日本は営業が稼ぐ時代だ」と報じ始めた。


 NHKと日経グループが成功例として取り上げたのは、神奈川某市にあった(丶丶丶)家具工場だ。家具も不況で売れなくなったものの一つである。

 その工場では家具職人に営業を任せたところ、売り上げが急速に回復していった。1人の職人が歩合給込みで月給100万円を超える働きを見せたため、他の職人たちも「俺も、俺も」と営業に回ったという話だ。会社にとっても、不況で昇給の止まった家具職人にとっても、収入を増やす道を示したという話だった。

 だが、それが成り立つのは在庫が十分にある間だけだ。順調に売りさばけたら、いつか在庫は尽きてしまう。その時に会社は以前の状態に戻れるだろうか。

 まず会社は元の営業社員に仕事を任せられるだろうか。元技術者による営業という成功例を知ってしまったのだから、受け入れるのは難しいだろう。

 営業に回った家具職人たちも、モノ作りの現場に戻れるだろうか。汚れながら根気よくコツコツと働くのではなく、営業という成功すれば一攫(いっかく)千金(せんきん)が入る働き方を覚えてしまったら、素直に月給が半分以下になる職場に戻れるとは思えない。たとえ本人は良くても、営業に成功した人ほど家族が許さないだろう。

 結果、在庫をさばき終えた家具工場では自社製品を売るのではなく、他社から仕入れて商売を続ける形になった。自社で作る家具と他社から仕入れる家具では、原価が2〜3倍も変わってくる。自社製品を(あつか)う企業が強いのは、そこから得る利益が大きいからだ。だが、それがなくなった家具工場はそのまま経営が傾き、2000年を過ぎたあたりで倒産したそうだ。

 NHKと日経グループは持ち上げる時はさんざん(あお)っておきながら、その末路にはだんまりを決め込んでいる。


 その事件から少し遅れた2003年あたりから、世の中に営業を持ち上げる(ふう)(ちょう)が広がり始めた。

 ここでいう営業は、マーケティングの構想(こうそう)から企画してビジネスにしていく商社などの営業ではない。本業が他にある会社で、自社商品を売り込んで回るだけの営業のことだ。世の中には自社製品を売り込むことに生きがいを感じる人もいるが、世間的には他の職場でうまく才覚を発揮できない人たちが最後に流れ着く、社内ヒエラルキーの最底辺としての営業である。

 ところが社内における営業の地位が、1999年に始まった()(けん)労働(ろうどう)の自由化によって変わり始めた。この頃から正社員を管理部門と営業部門のみとして、肝心(かんじん)の本業を外注や派遣社員、フリーランスに任せる企業が増え始めた。建設業やIT産業でよく見られる業態だ。そのため本業の現場よりも正社員で固めた営業の立場の方が強くなり、やがて「会社は営業だけが(かせ)いで、他部署の社員を(やしな)っている」と言い出す経営者まで現れるようになる。そして、リーマン・ショックが起きると「やはり会社経営を立て直すのは営業だ」とばかりに社内ヒエラルキーのトップとして君臨(くんりん)するようになった。

 そうなるとワガママが出てきて、製造現場に対して「こういう商品(もの)(あつか)いたくない(売りたくない)」「売りやすい商品(もの)だけを作れ」「客へのアピールが面倒くさい商品(もの)は作るな」と言い出す人たちも出てきた。「ブームは自分たちがいくらでも作れる」と(ごう)()しておきながら、「売り方のわからん商品(もの)(ブームを仕掛けづらい企画(もの))は作るな」と言う営業も出てきた。それがまかり通ってしまうほど営業が社内ヒエラルキーのトップに立った会社もあったわけだ。

 とはいえ、さすがに世の中は、それで商売が成り立つほど甘くない。そのためか、2010年代の(なか)ばには営業を持ち上げる声が小さくなって、今ではまったく聞かれなくなったように感じるのだが……。



『日本は中小企業が多すぎる?』

 これは大きければ何でもいいという風潮だろうか、最近の主流メディアはやたらと「日本は中小企業が多すぎる」ようなことを言ってる。この論拠となっているのが、国内にある企業に()める大企業の割合だ。OECDの平均は0.8%あるのに、日本は0.3%しかないのが問題と言いたいらしい。

 ところが日本では統計によって、国内にある企業の数が400万社あると言ったり、200万社もないと言ったりと幅が大きい。大企業が0.3%というのは、総務省が集計した360万社が元になっている。しかし、日本で法人(ほうじん)登録(とうろく)されてる企業は190万社ほど。その中には登録しただけで活動してないペーパーカンパニーも多い。その一方で農家や個人商店、フリーランス、クリエーター、アーティストなどの個人事業者を企業として数えてるため、かなりの数が水増しされているのだろう。もしかしたら確定申告したアルバイターまで個人事業主としてカウントして、それも企業数に加えてるのかもしれない。

 今の日本で働く個人事業主は約200万人。とすると活動してないペーパーカンパニーは30万社あると見積もれそうなので、日本の本当の大企業の割り合いは0.7%あたりだろう。とすると、それほど中小企業が多すぎるとは思えない。


 ちなみに経済の流れは、体の中を(めぐ)る血の流れで(たと)えられることが多い。企業は日本という体の隅々(すみずみ)にまで経済という血を運ぶ血管というわけだ。

 この(たと)えにおいて中小企業にあたる毛細血管(もうさいけっかん)は、()しくも血管全体の長さの99%以上を()めている点で近い割り合いとなっている。今の日本は毛細血管に血が回らない血行不良であり、大企業が増やし続ける(ない)()(りゅう)()(どう)(みゃく)(こう)()を起こす血栓(けっせん)のようなものだろうか。

 とすると主流メディアの言う「日本は中小企業が多すぎる」は、今の日本は本体を生きながらえさせるために末端(まったん)壊死(えし)させないといけないほどの命の危機がある状態とでも言いたいのだろうか。

 その一方で、日銀と財務省の持つ総資産は消費税を8%に上げる前はGDPの3割ほどだったのに、10年と()たないうちにGDP相当分を積み増すほど(ふく)れ上がっている。日本以外の国では中央銀行には通貨発行権があるので、資産を持つ必要はないという考えだった。だが、リーマン・ショックで何かあった時にすぐに動かせる資金ぐらいは持っていた方が良いということで、日本以外のOECD主要国の中央銀行では、自国のGDP比で2〜3割ほどの資産を持つようになった。その中で日本の中央銀行──日本銀行と財務省だけが、GDPの137%という異常な量の資産を(たくわ)え込んでいる。これは経済を血の(めぐ)りで(たと)えるなら、一方的に栄養(えいよう)を吸い取るだけの悪性(あくせい)腫瘍(しゅよう)──ガン細胞だ。しかもそのガン細胞は、一部の不正会計をしてる天下(あまくだ)り先の外郭(がいかく)団体(だんたい)や民間企業、NPO、NGOなどに(てん)()している。

 こういう(おろ)かな国家運営が起きているのは、エリートの低IQ化が影響してるのだろうか。それとも自分のことしか考えない人間のクズばかりがエリートになる世の中になってるのだろうか。



『市場アンケート絶対主義』

 長引く不況の中で、日本では利用者からのアンケートで経営方針を決める会社の話が増えてきた。

 たとえば出版社だとしたら読者アンケートを重視して、多くの人が求めるコンテンツを増やして、そこから大きくハズレたコンテンツは容赦(ようしゃ)なく排除(はいじょ)していくようなやり方だ。

 だが、それはとんでもない大間違いだ。

 それを物語る悪い例が、創業直後のフォード自動車が、どのような自動車を量産化すれば良いかを考える際に、市民にアンケートを取った時の話だ。それによると、当時はまだ自動車が知られてなかったために、市民の求めるものは馬車ばかりで参考にならなかったそうだ。

 同じことを携帯(けいたい)音楽としてiPodを市場に送り出したスティーブ・ジョブスも、

「消費者は自分の欲しい物がわかってない」

 という言葉で語っている。世の中には知らない商品を欲しがる消費者はいない。未知の商品に手を触れて、使ってみて、初めて本当に自分の欲しかった物を知るというわけだ。恋愛(れんあい)話で使われる「好きになった人が好み」みたいなものだろう。

 仮に多くの消費者から市場には無い物の要望が出てきたとしたら、それは無い物ねだりや高望みだろう。市場に無いのは、その時の技術では開発のできない代物(しろもの)。高くて手に入らないのは、それだけ()(ちょう)だったり、製品化するまで手間がかかったりするからだ。もしアンケートで求められてすぐに作れたとしたら、それは業界の怠慢(たいまん)である。公正な市場競争が(おこな)われていたのなら、(かなら)ずどこかの企業が我先(われさき)にと出しているはずだ。それが出てないとしたら談合(だんごう)して競争が起きてないか、法律や規制、()(しゅく)などで経済活動を(しば)っている不健全な状態を物語っていることになる。

 そういう単純な理屈もわからず、消費者からの求めに(こた)えるばかりでは、世の中は()製品(せいひん)の縮小再生産しかできなくなってしまう。



『コスパ』『タイパ』

 最近は多くのものにコスパ(コストパフォーマンス)やタイパ(タイムパフォーマンス)という、安さや手軽さが求められる時代である。それに加えてリスクや少額でも余計な()(よう)()(たん)をイヤがる身勝手な人の増えた時代でもある。

 もちろん多くの人が得意なことを持ち寄って、より早く、安く、高度なものを仕上げることには意味がある。だけど、昨今(さっこん)のコスパ、タイパの言葉の裏には自分では何一つ努力せず、手軽に結果だけを求めるフリーライダー的な(ふう)(ちょう)があるようで気になっている。

 必要だからこそ立場の強い者が高い要求を(ゆず)らないまま、安く買い(たた)くという悪い商業(しょうぎょう)(しゅう)(かん)の常習化も起きている。これではその分野では利益が見込めないので、努力をしようとする人が減っていく(あく)(じゅん)(かん)(まね)いてしまう。しかも世の中に失敗をイヤがる身勝手な人も増えたとなると、ますます目先の大きな利益のない分野で努力する人は減っていくだろう。

 たとえば「医療費は安い方が有り難い」「気楽に受けられる方が良い」は利用者にとってはその通りだが、医者にとっては冗談ではない。それが行き過ぎたイタリアでは医師たちが不眠不休で働いてるのに、受け取る(ほう)(しゅう)がついに国の定めた最低賃金を割り込んだ。その直後、医師たちがいっせいに国外へ逃げ出すという事件が起きた。医療にコスパ、タイパを求めすぎた結果がコレだ。

 これも世の中を動かすエリートたちのIQが落ちたために、目先の利益ばかりを求めた結果、世の中を(れっ)()させた現象の一つだろうか。



『知らない話が出てくるとムカつく』

 昔から自分の無知や不勉強を(たな)に上げて、知らない話や違う話が出てくると「知ったかぶりだ」「ウソを言ってる」と難癖(なんくせ)をつけてくる人はいた。それは自分の学力にプライドを持ってる人が、勝手に自分と同格か、自分よりも(おと)ってると思っていた相手から高い教養のある言葉が出てきた時に、何か負けたような気がして不機(ふき)(げん)になるという話だった。

 それが近年、学生や生徒に対して(おこな)った各種のアンケートから「(大学や高校の)先生から知らない話を聞かされるとムカつく」という回答が目立って増えてきているそうだ。

 かつてはエリートぶったプライドの高い人に見られた現象が、今では多くの若者にも広がっているだろうか。

 それとも、エリートぶった人の知的レベルが落ちたから、そういう声が多く出るようになったのだろうか。

 とはいえ学校は知らないことを学んで知識を深める場所だ。生活指導や勉強の指南のために、授業で教えることとはまた違う話をすることもあるだろう。それなのに「先生から知らない話を聞かされてムカつく」などと言う人たちは、いったい何のために学校へ(かよ)っているのだろうか。

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