第7回 低IQエリートの弊害2
前回予告した通り、低IQエリートの弊害に関しての実例を並べる。
低IQエリートには考える力がない。その反動なのか、目先の損得には異様なほど執着するところがある。それでいながら先を考える知能がないため、信用を軽く見るところもある。
これから挙げる実例の多くは、ほとんどがその結果として起こされたことだ。
まずは現在進行系でやらかしているセブン・イレブンだ。
創業者の鈴木敏文は前身のイトーヨーカ堂時代に、いかに客に喜ばれるかを考えて経営することを学んだ。大型スーパーの経営戦略は、品ぞろえの多さと安さで客を満足させることだ。だが、鈴木氏は高度経済成長後の日本で客が満足するのは安さではないと見抜き、周囲の反対を押し切ってコンビニ──セブン・イレブンを立ち上げた。
コンビニは大型スーパーとは違う便利さを追求し、営業時間の長さと、すぐ近くにあるという経営戦略を取った。商品を定価のまま販売して値引きしない戦略には反対も多かったが、蓋を開けると客は家の近くにあってどんな時間に行っても買い物ができるという利便性に満足したため、定価販売でも何も問題はなかった。
何よりもコンビニ成功の一因は、本家アメリカのセブン・イレブンにはなかった軽食やお弁当類に力を入れたことだ。これを目当てに多くの人が利用するようになった。近所にコンビニがあるため、家に冷蔵庫を置かないという生活スタイルまで出てきた。地域内にある店舗を増やして、食品加工工場と商品の配送業務を効率化させたことで日用品は高くても、お弁当類は安くてボリュームがあって客を満足させるという体制を作り上げた。
その成功を見て多くの同業他社が乱立したほどだ。その功績から鈴木氏は「小売りの神様」と呼ばれるほどのカリスマ経営者となり、国からいくつもの褒章を賜るという栄誉に浴している。
だが、その鈴木会長を2016年に追い出したあとの今のセブン・イレブンはどうだろうか。経営陣の姿勢が「いかに客を満足させるか」から、「客や店員からどうやって金をむしり取るか」に変わってしまった。最初は売れ残りをバイト店員に買わせる違法な爆弾営業だ。それが明るみになって社会問題化すると、2020年頃からは「底上げ弁当」「ハリボテサンドイッチ」「空洞おにぎり」「印刷いちごミルク」など、今現在もネットで騒がれている詐欺商品が棚に溢れ返るようになった。
その結果、鈴木氏の積み上げた信用を目先の損得しか理解できない低IQエリートが壊して、売り上げが一気に半分近くになったという典型的なやらかし事例である。
大手企業東芝の経営陣も、別の形でやらかしている。
東芝は伝説のからくり師──からくり儀右衛門こと田中久重が立ち上げた芝浦製作所が始まりだ。その後、会社はどんどん合併して大きな総合電機メーカーとなるが、代々経営陣には恵まれない体質に悩まされていたようだ。
1965年に土光敏夫を社長に迎えて経営を立て直したかに見えたが、1986年にその土光氏が亡くなるとまた経営陣が迷走を始めた。そんな時に起きたのが、有名なフラッシュメモリーの売却事件だ。
情報機器にとってフラッシュメモリーにはどれほどの価値があるか、今の時代の人ならば誰でもわかるだろう。ところが当時の東芝経営陣はその価値がわからず、発明を買いたいという韓国企業のサムスンに二束三文でやってしまった。東芝にとって金の卵を生む大発明を、目先のはした金に目がくらんで売ったのだから馬鹿な話だ。しかもフラッシュメモリーの開発に成功した研究者を目障りだと左遷して退職へと追い込んでいるのだから話にならない。
この東芝経営陣のやったことは現在、アメリカ・シリコンバレーにある博物館で愚かな教訓として展示されてるという。それほどの無能ぶりを歴史に刻んだわけだ。
その東芝は今、乗っ取り防止対策という理由はつけているが、上場廃止という不名誉なことになっている。
経営陣が発明品の価値がわからなかった例には、カシオ計算機の失敗もある。
研究者が開発に成功したのは太陽電池だ。これも今の時代の人なら、どれほどの価値を持つかわかるだろう。
ところが経営陣は昼間しか使えない電池に意味がないと開発を打ち切り、研究者は予算を奪われて論文すら書くのが認められなかったそうだ。当然、特許を抑えるなんて夢のまた夢だ。
あとになって太陽電池の価値に気づいた経営陣が開発した研究者に「なぜ言わなかった?」と文句を言ったそうだが、言ったのに聞く耳を持たなかったのが当の本人たちだ。
ちなみに後日、開発中止でホコリを被っていた太陽電池が本当に電気を生むのかを確かめたところ、間違いなく電気を起こしていたという。そして、そのカシオ計算機が太陽電池付きの電卓で一時期業界をリードするようになるのは、なかなか皮肉の利いた話である。
経営陣のやらかしとは違うが、今は無き三洋電機の最期も壮絶だ。
三洋電機は一時期は売り上げで日本トップに輝いたこともある総合家電メーカーである。ところが会社のブランド力が弱く、世間の評価がいつまでも二流メーカーという問題に悩んでいた。
そこで会社のブランド力を上げるために、アメリカのビジネススクールなどでMBAを取った人たちを大勢雇い入れた。彼らが専門的に学んだ経営コンサルタント知識を活かして、企業イメージを高めてもらおうとしたわけだ。
ところが結果は逆になってしまった。彼らはあっという間に何兆円という金を溶かして、会社の経営を傾かせたのだ。そのため破綻寸前まで追い込まれた三洋電機は、パナソニック(旧松下電器)に買われて今は子会社として再建を目指している。
ところで原因を作った経営コンサルタントたちは、今は何をしてるのだろうか。そのあたりの話は聞かない。
ただ日本では近年、国内では違法なマルチ商法を勧める経営コンサルタントがいるとか、スピリチュアル詐欺が増えた裏に経営コンサルタントがいるとかいう話を聞くので、まさかとは思うが……。
現在進行系で国土交通省もやらかしている。
自動車業界では量産に必要な型式認証で、不正認証が相次いで発覚している。だが、中身を見れば不正ではなく意地を張った国交省のイジメだ。
この型式認証は1950年代に作られ、その後、環境問題や安全性の強化など、次々と検査項目や方法が加えられていってメーカー側どころか役所にも全項目を把握してる人がいないと言うほど複雑多岐にわたっている。まともに全項目を検査していたら一年以上かかってしまう。
それに加えて国外メーカーと安全性能や燃費性能などで激しく国際競争してるメーカーにとって、国交省の指定する検査方法は時代遅れすぎた。実際には指定された方法よりはるかに厳しい条件で性能試験を行っているのだ。
だが、国交省の言い分によると、指定通りの条件でやらなかったのを『不正』、試験の二度手間を嫌って指定した条件での数値に換算し直したことを『虚偽記載』としている。これはもう言いがかりだ。
国交省は国内メーカーにはそういう厳しい性能試験を課しておきながら、輸入車に対しては1車種5千台以内なら簡素な書類審査だけで販売を認めている。はたして輸入車はどれも安全なのだろうか。衝突したら3秒で燃え上がって、リチウムイオン電池の特性から6時間以上火が消えない電気自動車など、とても安全とは思えない。まして電気自動車は世界各地で起きている大雨で水没被害を受け、浸水や洪水から数日後に電気系統がショートして自然発火してる。それでも国内メーカーよりも安全だから書類審査だけ良いと思ってるのだろうか。そんな輸入車でも5千台を超える前にマイナーチェンジしたことにして書類を出せば、いくらでも輸入できてしまうのが実情だ。
あまりの理不尽ぶりにトヨタ会長の豊田章男氏が「これでは日本で作ってられない」とぼやいたそうだが、それに対して「イヤなら出ていけ」という声が出てるのが腐っている。すぐには出ていけないとわかっていて、高をくくってるのだ。
そのトヨタ一社の生み出す経済力は、トヨタ関連企業が稼ぐ売り上げだけではない。従業員が買い物をする街の経済にも、従業員の子供たちが通う学校も、間接的に経済が回ってきて潤しているのだ。その経済圏は2千万人規模にもなってるという試算がある。いわば日本のGDPの6分の1が、トヨタの存在によって回っていることになる。もしもトヨタが本当に日本から出ていってしまったら、その2千万人の経済圏が丸ごと消えるとは言わないが、大本を断たれた経済圏は最低でも3分の1は縮小されるだろう。つまり日本から最低でもGDPの6〜7%の経済力が失われることになる。意地を張ってる国交省の木っ端役人は、こういう事実に気がついてるのだろうか。そして一緒になってトヨタ叩きを楽しんでるメディア関係者も、これで二度とトヨタがスポンサーになってくれなくなったことを理解してるのだろうか。
さて、いろいろと低IQ化したエリートたちのやらかしを語ってきたが、最後に日本で一番のガン細胞と化している、旧大蔵省時代から続く財務省のやらかしについても語ろう。
明治政府にはいろいろと問題はあったが、富国強兵のためにしっかりと計画を立てて必要なところへ予算を回していた。最初は全国に鉄道を張り巡らせるために国家予算の半分以上を注ぎ込んだ。交通インフラが整ってなければ、人や物資を日本の隅々まで動かせない。人や物資がなくては産業を強くするためのインフラ整備もできないからだ。それがある程度形になると、産業の育成にかかった。教育や軍備にも力を注いだ。そうやって国造りに励んだため、日本は日露戦争で大国ロシアに勝った。その結果、日本は名実ともに世界主要7か国のメンバーとして一目置かれる存在となり、第一次世界大戦後に発足した国際連盟では最初の常任理事国となった4か国の1つとして選ばれた。
その日本がおかしくなり始めたのは、大蔵省がいきなり緊縮財政を始めたところからだ。第一次世界大戦の特需景気が終わると、当たり前だが世の中は一気に不景気になる。そこで経済を下支えするために財政出動が必要なのだが、大蔵官僚たちは逆に予算を絞って不景気に追い打ちをかけてしまった。おかげで不況が一気にデフレ経済を招く恐慌になった。
日本の強国化を考えていた政府の重鎮たちは、財政出動を出す機会に日本中に敷かれた鉄道のレール幅を、狭い1067mmのレール幅から世界標準の1435mm幅に変えようと考えた。日本の狭いレール幅では、当時すでに輸送力の限界を迎えていたからだ。それに先立って鉄道省でも、現在の横浜線を使って入念な実験や試験を行い、輸送力の増強には十分な手応えを得ていた。そこで関西地区から主要幹線の改軌工事に着手しようとした矢先、大蔵省が原内閣に働きかけて中止へと追い込んでしまった。その反動が大正10年(1921年)年に東京駅で起きた原敬首相の暗殺事件だ。
この事件を調べていく中で、大蔵官僚たちの知能劣化が隠せなくなった。彼らは学力こそ高いが、予算がどのように世の中を動かしているのかまで知恵が回らなくなっていたのだ。だから目先の損得で、自分たちの理解できない事柄にお金は出させないという姿勢で権力を振るい始めた。そもそも財政出動は経済を回すためのものだから口実なんて何でも良いのに、そこをまったく理解できてなかったわけだ。
財政出動のできなくなった日本政府は、政治の力で借金の割り引きや支払い猶予をするように働きかけて恐慌を一時的にだが止めた。そこを襲ってきたのが1923年の関東大震災だ。これで世の中にある借金の多くが震災手形という不良債権になり、日本の経済状況は再び恐慌へと突入した。そんな中の1927年3月、片岡大蔵大臣が何も問題がないはずの東京渡辺銀行を「破綻した」と失言したことがきっかけで、日本は昭和金融恐慌に突入してしまう。この失言原稿を書いたのも大蔵官僚だ。やらかしが続いている。
それを隠したかったのか知らないが、著者が学んだ中学と高校の日本史教科書には、昭和恐慌について何も書かれてなかったと記憶している。そこを泣きっ面に蜂で襲ってきたのが1929年の世界恐慌だ。教科書では「日本は翌年には世界恐慌前の経済力を取り戻し、主要国よりも早く経済を立て直した」と教わったが……。大人になってからの学び直しでは、たしかに1年で世界恐慌前の経済力は取り戻しているが、日本は長期不況で景気を回復させられないまま太平洋戦争へ突入していったのが真実のようである。
さて長々と語ってきたが、ここまでの大蔵省のやらかしはまだ序の口だ。致命的なやらかしは1932年に起きた第一次上海事変の時だ。日本にとっては日露戦争以来の大規模な軍事衝突だ。戦闘は日本側の優勢で進んでいたのだが、そこで大蔵省がいきなり軍事予算を削ってきた。そのせいで日本は物資不足から国民党軍を殲滅する機会を奪われてしまう。だが、それだけでは済まない。物資不足から戦闘がズルズルと長引いたため、その間にアメリカとソ連が国際世論を動かすためのプロパガンダ戦を仕掛けてきた。時代はまだ白人至上主義が強い時代。非白人国の日本が中国を侵略して、植民地にしようとしているという言いがかりだ。それが言いがかりだとわかっていても、白人社会にはこの主張は利いてしまった。特にヨーロッパの小国には「白人の俺たちが植民地を持ってないのに、有色人種が植民地を持つなどけしからん」という妬みを買った。これが翌年の国連総会において、常任理事国であった日本が脱退する結果を招いた。
また戦闘がズルズルと長引いた結果、日本は中国との泥沼の15年戦争に引きずり込まれた。背後にアメリカとソ連の暗躍があったとはいえ、大蔵省が目先の財政支出を嫌った結果、1回で済んだかもしれない軍事衝突が15年近く戦う消耗戦を招いてしまったのだ。これはもう愚かとしか言いようがない。
日本は大東亜戦争の戦後総括をしなかったため、この問題は反省も何もないまま現在まで続いている。
とはいえ戦後は一時的に大蔵省の力を抑えて、反緊縮政治が行われた時代があった。池田勇人と、彼に賛同する政治家たちが力を持っていた時代だ。
池田勇人は元大蔵官僚であったため、先輩たちからガチガチの財政緊縮論を叩き込まれていた。戦後、GHQに呼ばれて国家財政の立て直しのために増税や戦後補償の打ち切り、財産税という名の国民からの財産没収事業に取り組むことになる。まさに今の財務省がやりたがってることだ。そんな中、多くの政治家が公職追放されたため、池田は政治家として引っ張り出されることになった。
官僚ではなく政治家の立場で国家財政を見始めると、すぐに池田は緊縮財政がどれほどの大間違いだったかに気づいた。そんな時にGHQが金融政策顧問として送り込んできたのがジョセフ・ドッジだ。高卒でメッセンジャー・ボーイとして銀行に雇われたのだが、頭取に可愛がられて、そのまま連邦準備銀行の一つの頭取にまで上り詰めたというラッキーボーイである。しかし、所詮は経済のイロハも学んでない高卒止まり。「お金は使わなければ貯まる」というデタラメな家計簿経済でしか考えられない緊縮至上主義者だった。当然、緊縮の間違いに気づいた池田はドッジと激しく言い争うことになった。だが、相手はバックにGHQがいるため勝てるわけもなく、必死に政策の抜け道を探して、専売公社、住宅金融公庫、財政投融資などを発足させた。専売公社は公務員の解雇を強要するドッジに対する人員の受け皿でもあった。
そして1952年に日本が主権を回復すると、池田はドッジに強要されていた緊縮財政を一気に破棄。これが戦後の高度経済成長へとつながったわけだ。そして日本は名実ともに先進国へと返り咲くのだが……。
1980年代になると「公務員を減らせ」というアメリカからの圧力もあって、公営企業が次々と民営化する動きが始まった。日本の公務員数は戦後長らく、ほぼ400万人で推移していた。「アメリカの公務員は労働者の7%なのに、日本は15%もいる」が、公務員減らしの定番フレーズになった。だが、これは大ウソだった。日本の15%は地方公務員を含めたすべての公務員数。アメリカの公務員比率は連邦職員のみの数だ。本当のアメリカの公務員は労働者の18%を超え、先進国の中ではもっとも公務員の多いグループである。
だが、これによって旧大蔵省の緊縮派が再び力を付けてきた。「公営事業は非効率的」「赤字垂れ流し」という論調から、次々と民営化されていく動きが始まった。最初に民営化されたのは3公社と呼ばれた国鉄、電電公社、専売公社──のちのJRグループ、NTTグループ、JTだ。
1990年になると公営の福祉施設や保育施設まで不採算部門であるという理由で、民営化する動きが始まってしまった。
だが、本来は重要なインフラや公共サービスでありながら、民間では採算が取れないものを国や地方が担うのが公共事業だ。それが不採算で効率が悪いから民営化するという発想は、そもそも本末転倒な考えである。ところが問題の始まった1990年はバブル景気の最中、「日本は裕福になったのだから、もう民営化しても大丈夫」という理屈で押し切られてしまった。
その理屈はすぐバブル景気の崩壊で破綻するのだが、そんな状況下でも日本の行政は一度決めてしまうと間違いがあっても止まらない悪習がある。都市部では公営の福祉施設や保育施設はほとんど廃止され、1994〜5年頃には介護施設の入居待ちや保育園・幼稚園への待機児童問題が始まった。この顚末については、多くの人が今も思うところはあるだろう。
また、その頃から簿記のルールに従って政府関連のお金の動きを貸借対照表で書き表すことが始まった。財政管理には有力なツールだったが、簿記を理解できない人には、とんでもない誤解を生んだ。
日本政府の借金──債務額がハッキリしたのだが、帳簿の上では郵便局の貯蓄残高は国にとっては借方として記載される。要するに、これも政府の借金の扱いとなった。そのため郵政民営化によって、国の債務残高から100兆円ある貯蓄残高が消えてゼロになるはずだったのだが……。結論を言うと政府負債額は変わってない。その後も増え続け、2024年には1500兆円を超えたことになっている。その中身が本当に正しければ……だが……。
とにかく旧大蔵省から財務省のデタラメな財政運用によって、日本は30年以上にわたって不況から抜け出せない異常事態になった。
この評価は近い将来、ハッキリ出されることになるだろうと思う。