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第6回 低IQエリートの弊害

 低IQエリートとはいえ、勉強して高い学歴を手に入れて出世してきたのだ。そのどこが悪いのだろうか。

 それを語る前に、次の問題を解いてもらいたい。


【問題】

 アミラーゼという(こう)()は、グルコースがつながってできたデンプンを分解(ぶんかい)する。だが、同じグルコースからできていても、形の違うセルロースは分解できない。

 設問 セルロースは何と形が違うか。次の選択(せんたく)()から(えら)べ。

    ①デンプン ②アミラーゼ ③グルコース ④酵素


 さて、無事に読めただろうか。すぐに正解が見えないように、解答は少し先まで待ってもらおう。

 実はこの文章は2千ゼロ年代に(おこな)われた読解力調査で、15歳以上の3分の1もの人たちが読み間違えた問題だ。高偏差値の進学校に(かよ)う生徒でも、正解率は8割に(とど)かなかった文章である。しかも理系コースへ進んだ人たちはほぼ全員が正しく読めているので、間違えたのは文系コースへ進んだ人たちばかりというところが問題だ。

 (ことわ)っておくが、これは実際に教科書に()っていた文章からの出題である。よく受験問題で使われるような、わざわざ不完全な文章を使って悪文化したものではない。それゆえに科学知識のない小学生でも、それなりの正解率を出している。このことから、この文章を読み間違えるのは(じゅん)(すい)読解(どっかい)(りょく)の問題で、語彙(ごい)力の影響はないと考えられる。

 この問題が(しょう)撃的(げきてき)だったのは、世間的には社会エリートとされる(かすみ)()(せき)にいる高級(かん)(りょう)や新聞社の論説(ろんせつ)(いん)を含めた人たちの6割が読み間違えたという事実だ。このニュースが流れた時、現役で活躍(かつやく)している作家の中にも読み間違えた人が何人も出てきた。それほどの大事件だった。

 教科書に載るような文章が正しく読めないということは、その人の本来の読解力では独学は不可能ということだ。それと同時に、その人の本当の読解力は日本人の下から3分の1ということになる。知能指数と読解力の間に強い相関関係があるとしたら、読み間違えた人たちは日本人の中央値よりIQで6以上低いということになる。それなのに社会的に高い地位に()けるほどの学力を得たということは、それなりの塾や予備校に通って良い講師に教わってきたことを物語っている。

 ちなみに読み間違えた人の多くは③のグルコースと答えていたそうだ。問題文のような短い文章でも読解できず、文中にあるセルロースの直前に出てきたグルコースを拾って答えとしたのだろうか。

 ここまで解答を引っ張ったが、正解は①のデンプンである。この文章を読まれた方は、正しく答えられただろうか。



 世の中に読解力のないエリートが増えたとなると、当然ながら問題が大きくなる。

 戦後の日本では技術的なイノベーションは起きていても、それで世の中を変えるようなビジネスモデルとしてのイノベーションが起こらない理由だ。これは前例のないアイデアが出てきてもエリートたちが理解できず、難癖(なんくせ)をつけて(つぶ)してくるためだろう。

 日本では1980年代には自動運転の実用化が始まっていた。高速道路の中央車線を使って、自動運転する車両を走らせる計画もあった。ところが警察庁は、右側は追い越し車線で、自動運転で走る遅いトラックが走行するところじゃないと反対した。運輸省に至っては、そもそも人が運転しない車というものを否定してきた。これは鉄道でも同じだ。踏切での安全を理由に今も反対してるため、一部の新交通システムを除くと、今も自動運転は実用化されてない。踏切がないはずの新幹線ですら、何かと理由をつけられていまだ自動運転が認められていない。

 とはいえ著者(ちょしゃ)の経験からではあるが、よく言われる「前例がないから採用できない」「内容を理解できない」というイメージは、おそらくは違うのかもしれない。


 その典型的な事件は、ある出版社からシリーズ展開できる小説を依頼された時に始まった。

 初めての顔合わせの時、編集長から東大文Ⅲを出た優秀な編集者を担当に付けると紹介された。その彼からファンタジー世界の学園で起こる物語でダブルヒロインという、かなり具体的な舞台設定まで指定した上での依頼となった。しかも物語をあらすじではなく、当時始まったばかりのプロットという形式のフォーマットを指定され、それで四〜五枚の企画書として提出するように求められた。

 これはチャンスと、さっそく構想してたアイデアの中から、依頼に沿()った魔法学園のコメディをプロットにして提出した。ところが最初のプロットに関する返事は、内容が何一つかすりもしない()(てき)と修正要求だった。この時は編集者は何人もの作家を担当してるため、他の人のプロットと混同したのだろうと思った。

 これでは企画書を直しようがないので、返事を待つ間に(ふく)らんだアイデアを加えて再提出する。ところがまたしても内容がかすりもしない指摘と修正要求が出てきた。この時は「(よう)()(どう)()になってる」と言われて、どこをどう読めばそんな意見が出てくるのかと思い、自分の文章表現力を(うたが)ったほどだ。

 そこでアイデアはそのままで、すべての文章を頭から丁寧(ていねい)に書き直した。この企画書は「某有名アニメの丸パクリ」と言われてしまった。ファンタジー世界で学園が舞台である以外は、ジャンルのまったく違う作品だ。どうすれば丸パクリに見えるのか。それ以前に内容はまったく変えてないのに、彼の読み取ったジャンルが童話からファンタジーのラブコメハーレムものに変わっている。

 その次に提出した時には、彼はシリアスな戦記物と読み取っていた。それと学園という舞台がマッチしないと指摘して、リテイクを求めてきた。

 その次もシリアスな戦記物と読み取ってくれた。だが、戦闘があまりにも小規模なので、もっと迫力のあるものにしろと提案された。だが私の書いた企画書は最初に書いた通り、魔法学園のコメディだ。どこにも戦闘の場面など出てこない。トラブルのドタバタはあるが、それを戦闘と読み取ったのだろうか。あまりにも不可思議な現象だ。

 こんな状態が何か月も続いた頃、問題の編集者から「アイデアの参考にしたアニメかマンガを教えてくれ」という要求が来た。「そんなものはない」と答えると、かなり困ったという感じの反応が返ってきた。

 この反応に、この時はファンタジー世界では舞台設定などの情報量が多すぎるため、脳内のキャパオーバーで理解できなかったのだろうと思った。そこで情報量を落とすために舞台をファンタジー世界から近未来の日本へ、魔法を超能力と超科学に置き換えて企画書を作り直してみた。すると(あん)(じょう)、この内容は正確に理解してくれていた。

 もっとも、この出版社との関係はこの直後「我々が求めてるのはファンタジーだ」という理由で依頼をキャンセルされ、ついでに口汚く(ののし)られるオマケまでいただいた。

 この反応は、自分がまったく読解できてなかったことに気づかされて、逆ギレしたのだろうと思っている。

 でも、どうして彼は読解できなかったのだろうか。

 著者はこの事件が起きた当時、よくある速読術の失敗だと思っていた。速読術は文章をちゃんと読まず、単語やフレーズを拾い読みして脳内でつなぎ合わせて内容を想像するという読み方だ。日本語の場合は1分間に600文字以上読んでる人は、無意識のうちにこの速読術をやっているそうだ。

 とはいえ、この速読術には大きな問題がある。一つはキーとなる単語やフレーズを拾い漏らした場合。もう一つは知識にないことが書かれてる場合だ。当たり前だが、どちらも内容を正しく読み取ることができない。こういう失敗は、誰にも一度や二度は思い当たる経験があるだろう。

 読めない理由が速読だったら、その時は読む速度を落としてじっくりと読めば内容をそれなりに読み取れるはずである。

 ところが彼はそれでも内容を読み取れなかったのだろう。だから読み取るために参考文献を求めて、勉強しようと思ったのかもしれない。

 だが、この仮説が事実だとしたら大変な問題だ。勉強できるのは前例があって、なおかつ世間の評価が出ているものに限られる。それでは新しいアイデアや未知のものは、自分の頭で理解できないことになる。そういう人が高学歴であるために出世して、重要な決定を下す立場に()かれるのは、組織にとって非常にマイナスだ。それが政治家や官僚だったら、世の中にとって存在自体が害悪である。

 実際、問題の彼はやはり学歴からか、出世して今では某大手出版社の文芸部門の編集部長だったか副編集部長だったかの地位に就いている。


 先にも書いたが、今、世の中を動かしている文系エリートの6割が、実は学力こそ高いが読解力では日本人の下3分の1レベルという問題が起きている。いわゆる『ド文系』問題だ。

 それに加えてエリートの低知能化現象は他の国でも起きているが、日本社会の厄介(やっかい)なところは明治政府の始めた「技術者を(ちょう)(よう)するべからず」という()(ぶん)(りつ)を、今も()(しょう)(だい)()に守っているところが多い問題である。いわゆる理系へ進んだ人がぶつかるガラスの天井問題だ。それを都市伝説だと否定する人は多いが、それならばどうして日本のトップエリートは圧倒的(あっとうてき)なまでの文系社会なのだろうか。これを子供の頃から見てきて痛感(つうかん)してる人も多いだろう。なぜなら学校で子供たちを教える教職者の世界では、今でも理系で採用(さいよう)された教師の出世は教頭止まりのところが多い。そういう自治体では校長も教育委員会も、すべて文系出身者が独占している。

 では、日本以外の国ではどうだろうか。当たり前だが、他の国には理系だからといって天井がない。かつては(じゅ)(きょう)思想で技術者を(いや)しい存在としていた中国でも、今は共産党幹部に大勢の理系出身者がいる。むしろ理系の方が多いぐらいだ。もちろんエリートの低知能化問題は資本主義社会で顕著(けんちょ)に起きている現象なので、共産主義は参考にならないかもしれない。それに理系でも低知能化は起こってると思うが、それ以上に低知能化した文系エリートを肩代わりするように海外では理系出身者がエリート幹部の座を占めることも起きている。その意味で日本は異質だ。


 次回はそんな日本で起きた、弊害の実例に触れたいと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] >しかも理系コースへ進んだ人たちはほぼ全員が正しく読めているので、間違えたのは文系コースへ進んだ人たちばかりというところが問題だ。 これには理由があって、理系の人はセルロースとデンプンの形…
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