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第11回 ギフテッドがらみの追加情報

 IQ130以上のギフテッドについての最新情報──日本とフランスのレポートに触れたので、いろいろ語っておこうと思う。

 内容は、

  ・世界的な社会エリートの低IQ化

  ・高IQ者の行動が積極登校から不登校へ変化

  ・地頭が高すぎるための落とし穴

  ・日本のギフテッド教育を(はば)むGHQの影

 の4つである。



 まず社会エリートの低IQ化だ。これが今、世界的に起きていることが、世の中に大きな(ひずみ)を作っている。

 どうして社会エリートが低IQ化するのか。これに関してはフランスのレポートが詳細に伝えている。

 すべては世界的な学校教育の()(きゅう)が、社会エリートを低IQ化する原因を作っていた。ただし学校教育という考え方が悪いわけではない。それによって「優秀で勤勉(きんべん)」な国民を育てようとしてるのが、思わぬ結果を(まね)く原因であった。

 多くの人たちにとっての常識に反するが、実は「優秀で勤勉」は比較的低知能な人ほど、そういう人材に育ちやすいという現実があった。ただし、このこと自体は問題ではない。それほど地の知能は高くなくても、世の中にとっては多くの場所で「優秀で勤勉」な人材は必要である。

 これが社会にとっての大きな(わな)になるのは、学力は高いけど低知能な人たちが、政治家や経営幹部などの社会エリートになった時だ。

 学力が高いのならば、地の知能が低いことの何が問題なのだろうか。理由は簡単だ。学力とは誰かから学んだものである。その中だけで完結するなら、学力は高いに越したことがない。だが、自分の頭で考えるとなると話は別である。

 プロの世界には「才能のある人は漠然(ばくぜん)と正しいことをする。才能のない人は考えに考え抜いた結果、確実に間違える」という経験則がある。これには多くの人が何かしら心当たりはないだろうか。

 低知能エリートは勤勉である。だから問題に取り組む時には徹底的に資料を集めて、誰よりもたくさん考えて(いど)んでいる。この姿勢は、むしろ見習うべきところである。だが、地の知能が低いために物事を深く考えられず、どうしても目先の損得や一時的な結果にばかり目が行ってしまう。その結果、確実に間違った結論を出してしまうわけだ。これが低知能エリートの弊害(へいがい)である。

 ところがIQが低い人ほど自己評価が高くなり、傲慢(ごうまん)になる傾向がある。それに本人としては「自分は誰よりもたくさんの資料を読み込んで、問題に取り組んできた」という自負(じふ)もある。そのために自分の間違いを認めず、自分以外のところに原因があると決めつけるようになる。誰が間違いを指摘しても、それには耳を貸さないどころか「バカの世迷言」と見下してくる。その結果として、意地になっていつまでも同じ間違いを繰り返す悪夢を招いてしまう。

 この現象を語る上で、わかりやすい例に料理がある。もちろん勉強熱心な人の中には、わざわざ料理教室に通う人もいるだろう。だが、世の中には社会人になってから、独学で料理を始める人たちが多い。そして世の中には、それでもそれなりの料理を作れる人はたくさんいる。

 ところが学力の高い人の中に、どういうわけか独学ではまったく料理が上達できない人がいる。そういう人たちは勉強熱心だから、しっかりとレシピを読み込んで調理に(いど)んでいる。だが、独学では読解力がないのか、その通りに調理してない例が多いそうだ。

 典型的な例に『弱火』がある。料理をしたことのある人ならわかるだろう。料理には弱火で時間をかけて熱を通すものがたくさんある。ところが独学で料理を覚えようとして失敗してる人の中には、ここに共通の落とし穴がある。勉強ができるあまり「火を強くすれば、その分だけ早く料理できる」という目先の利益で考えてしまう間違った行動を取りやすい。その結果、()がした、中まで火が通ってない、などという失敗を(まね)くわけであるが、どういうわけか失敗してる人たちは「自分はレシピ通りに作っている」、つまり「間違ってるのは自分ではなくレシピだ」と言い張る例が後を絶たないそうだ。

 これと似たような感じで世の中を間違った方向に動かしてるのであるから、世界がどんどんと乱れていくのも道理である。



 次に近年の日本では、高IQ者の不登校が急増してるという話題だ。

 同じギフテッドの行動でも、著者(ちょしゃ)の世代とミレニアル以降の世代の間には大きな意識の変化が起きていた。

 ギフテッドは高知能であるがゆえに、低知能の人たちから異質な存在としてイジメられることがある。それでもミレニアル世代よりも前に生まれた人たちは、学校が知的好奇心を満たしてくれる数少ない場所だった。だからイジメを受けていても、どうしても学校へ足が向いてしまうものだった。それゆえに古い世代のギフテッドの子供には、不登校は考えづらいものだった。

 ところがミレニアル世代以降の子供たちには、学校は知的好奇心を満たしてくれる場所ではなくなった。インターネットが普及したことで、学校へ行く必要がなくなったのだ。それどころか学校は低次元なことしか教えてくれない退屈(たいくつ)な場所に変わってしまった。イジメがなくても、行く価値のない場所に成り果てている。

 そのせいもあるのだろう。2014年頃から急速に引きこもる子供が増え、少子化が進んでいるにもかかわらず10年間で倍になってしまった。おそらく(たい)()などから引きこもる人の割合は、昔から変わってないのだろう。そこに学校に(あい)()を尽かしたギフテッドの子供たちが、新たな中高生の不登校として増えたようだ。

 この変化については正直、著者(ちょしゃ)はまったく予想どころか認識すらしていなかった。



 3つめは高IQ者の地頭が高すぎるための落とし穴だ。これは第3回で扱った内容を補足するものである。

 高IQ者は地頭が高いために、ろくに勉強しなくても良い成績を出してしまう。そのせいで基礎学力ができてない問題を見過ごすという落とし穴があるそうだ。

 たとえば小学校の算数では連立方程式を加減法だけで解いている。扱うのが整数だけなら、それでも十分に解くことができる。ところが中学校に入って数学になると、連立方程式は代入法で解くという形に変わる。それでも中学校時代の未知数は2つだけで済むため、その後も加減法だけで数学の問題を解き続けるケースがあるそうだ。当然、それでは高校数学で未知数が3つ以上に増えたり、平方根などが出てきたりした途端、そこで行き詰まるわけである。

 一番怖いのは10歳の頃に起こる、それまで使わなかった才能やセンスが失われる現象だ。それによって神様からもらったギフトが失われる可能性も考えられる。


 ちなみに基礎学力とは違うが、著者(ちょしゃ)にもそれに類することがあった。

 親は著者が中学2年生の頃まで、営林署(現森林管理局)の担当区主任──いわゆる(ちゅう)在員(ざいいん)であった。そのため国有林の中に建てられた官舎(かんしゃ)を2〜3年ごとに転勤(てんきん)する暮らしを続けていた。山の中であるから、近くにある集落は小さく、分校通いこそ経験してないが学校は小さい。そのため近くには学習塾もなければ、本屋すらない環境だった。

 それに加えて親が教育熱心ではなかった影響もあるだろう。学校の成績こそ良かったが、そのせいで学習参考書や単語帳などの存在を知らないまま過ごしてしまった。その結果、発展問題という形で教科書だけでは絶対に学べない内容を出してくる試験問題には、まったく対応できなかった。

 まあ、親世代には発展問題はまず有り得ない時代だったので、その部分の点が取れないのは才能の問題という物言いだった。学習塾や予備校も親世代にとっては「学校の授業に追いつけない子が行くところ」という認識だった。そこに疑問を感じつつも、教科書には載ってない知識の勉強方法を知らないまま大学受験に(いど)むことになったわけだ。

 戦後の大学受験では、入学試験の英語に出てくる英単語、慣用句の数は約6000語。それに対して教科書に載ってるのは3000語にも届かない。それがどれほどの語彙(ごい)(りょく)不足かわかるだろう。他の教科でも、同じようなことが起きていた。

 こういう事実を知ることなく社会人になり、そして作家になって小説ネタで現代の学校教育について調べるうちに知ることになったであるから、もう何と言うか……。



 最後に日本のギフテッド教育を(はば)むGHQの影だ。

 日本では古くから、地域で優秀な子供が見つかると、その子の身分には関係なく、土地の名士たちがお金を出し合って、その子に高度な教育を受けさせるという風習があった。その子が都へ出て出世し、故郷に(にしき)(かざ)ることが出身地の(ほまれ)にもなるという古き()き時代の考え方である。

 まあ、当時の寺子屋システムを考えると、一番恩恵(おんけい)を受けるのは下級(はん)()の子供である。そのため「武士の子ばかりじゃないか」「貧農(ひんのう)から出世した例がないじゃないか」「二宮(にのみや)尊徳(そんとく)は自力で出世したパターンだぞ」と否定したい人には、いくらでも否定材料のある風習ではあるが……。

 そこにIQという物の見方が生み出され、第一次世界大戦後、それが世界に広がっていった。

 日本もその概念(がいねん)を知ると西洋の先進国に追いつくために、IQの高い子供たちを集めて徹底した理数系教科の英才教育を(おこな)うようになった。それが戦時中、軍部によって将来の兵器開発を見据(みす)えた(かたよ)った特殊教育に変えられてしまった。それが大きな間違いとなった。

 戦後は元の理数教育に戻されるが、日本へ進駐してきたGHQによって「ギフテッド教育は不公平で民主的ではない」という理由で廃止させられてしまう。おそらく一時的でも軍部が関わったのが一番の廃止原因だろう。

 以降、日本では「ギフテッドへの支援は特権意識を植えつけるだけで成果がない」「教育現場にとっては平等教育を邪魔する厄介(やっかい)者にすぎない」という姿勢を取っている。文科省がそういう態度であるから、一部の精神科医が「IQ130以上は精神異常者」と(ふい)(ちょう)する事態を招いているのだろう。

 その一方で「ギフテッド教育は不公平で民主的ではない」と否定したアメリカは、自分たちでは1958年からギフテッド教育を始めるダブルスタンダードなことを始めている。


 さて、今さらだがギフテッドについての見方には、日本と欧米で大きな違いがある。当然、その影響でギフテッド教育のやり方も変わってくる。

 日本では『知能指数』という訳語に引っ張られて、単純に知能の高さだと思ってる人が多い。そのため国がやらなくても、代わりに市民団体がギフテッドを集めて英才教育を何度も(こころ)みているが、その多くが学力だけを高めて受験エリートを育てようとするものばかりだ。ギフテッドの知力は高いが、全員が高い学力を得る保証はない。知力と学力は別物である。受験エリートを育てたいだけならIQには頼らず、学校ごとに努力家で成績の良い子を集めた方が効率的である。

 それに対して欧米では、IQは知能というよりも才能の指数だ。知能の高さは持って生まれた才能を活かすためのものである。そのため、ある程度の学力を超えると、あとは1人1人の才能に応じて学ぶべきものは変わってくる。その才能を見極めて伸ばすことこそがギフテッド教育というわけだ。そうやって育てられた中から、1人の天才しか育たないかもしれない。だが、その天才が1人で人類全体を救ったり、世の中をより良い方向へ変えたりしてくれれば大成功だ。そうやって育てられた中から、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような人物が出てきたのである。

 日本がGHQの呪縛(じゅばく)()いてギフテッド教育を復活させたとしても、この違いに気づかないままだと、また受験エリートを育てるだけのものになりそうで心配である。



 以上、新たに出てきた話題として、情報のみを伝えておく。

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