第5話 ただいまと言うと開くドア
「徒歩5分って、400mのことなんですよ。実際に歩いて時間を測ってるんじゃなくて、時間と距離が決まってるんです」
「ってことは、1分で80mか……結構、早歩きだな」
職業柄なのか、車を運転しながら、不動さんはそんな雑学を話してきた。
助手席の俺は、軽く相槌を返す。
フルネームは知らないが、快活に笑顔で語る不動さんは、女子アナを思わせる二十代半ばの女性。
これまでの流れで見当がつくと思うが、不動さんは『不動不動産』という不動産屋の職員である。
一行のうちに四回も不動って出てきちゃったぞ。
三流私大のボンクラな大学生の俺は、住んでいたアパートでボヤ騒ぎがあり、新しい住居を早急に探す必要に迫られていた。
不動さんの案内で、物件を見に行く途中なのだった。
ちなみに、優柔不断であちこち見て回っている、俺の名前は木芽兼照という。
ハンドルを握っていた不動さんが、ちょっと渋い顔をしながら「あと5分くらいで着きますけど……ホントに行きます?」とこちらを見てくる。
「あと5分のところまで来て、引き返す選択肢はないでしょ。行きましょうよ」
「さっき少し説明しましたけど、これから紹介する部屋は、様々な工夫を凝らした新システムの試作段階で、オーナーはいろんな人に住んでもらって、モニターとして感想が欲しいそうですよ……はあ」
「だから俺も泊まる気でいるんですけど……どうしたんです? ため息なんかついて。何かイヤな理由でも?」
「オーナーというか、部屋のシステムを作った開発者……私の……知り合いなんですよ」
◆
住宅地の中に突然出現した、真っ黒な家。
ルービックキューブを全面「黒」にしたみたいな外観の建物だ。
「マンションでも、アパートでもなく、一軒家なんですね。モデルハウスっていうか」
「中身はワンルームマンションみたいなものです。これ、つけてください。この部屋では必須のウェアラブルデバイスです」
不動さんは、玄関の前で、俺に腕時計みたいなバンドを渡してきた。
言われるがままに、俺はそのデバイスを左手の手首につける。
重厚感はなく、プラスチックっぽくつるんとしていて、オモチャみたいに軽い。
「そのデバイスに自己紹介してみてください」
「え、腕時計に喋るんですか? あ、えーと、木芽兼照です、ハタチです」
「きめ・かねてる、さん。音声入力の登録を確認しました。これからは、あなたがオーナーです。どうぞよろしく」
デバイスから合成音声が聞こえてきた。
「すげえ!」
「この家は、デバイスに音声入力することで、システムが機能する仕組みになっています。他の人の声では反応しません。オーナー登録をした人の声で動くんです。玄関でも、鍵代わりになってますので、喋ってみて下さい」
「え、なんて? 開けゴマ!とか?」
「玄関を開けるキーワードは、ただいま、です。ただいまと言えば開きます」
「なるほど、家に帰ってきた感じ、というわけか」
俺は少し照れながら、デバイスをつけた手首を口元に近づけ、「た、ただいま……」と呟く。
「声が小さく、音声の本人確認ができません。もっと大きな声で、はっきりと発音して下さい」
デバイスに怒られてしまった。
よし、今度はもうちょっと大きな声で。
「ただいま!」
「声が小さく、音声の本人確認ができません。もっと大きな声で、はっきりと発音して下さい……」
「え、もっと?」
俺は大きく深呼吸すると、怒鳴るような声で「ただいまっ!!」と叫んだ。
「おかえりなさい、木芽さま。近所迷惑なので、少し小さな声でお願いします」
またデバイスに怒られてしまった。
「理不尽だ!」
「まあまあ木芽さん。ほら、玄関が開きましたよ」
自動ドアみたいな横スライドで、黒い扉がゆっくり開く。