第2話 普通の住宅ではない、ということ
いくら引っ張っても、ドアは動いてくれない。
「あの……開かないんですけど? スライドするタイプだと思ってたけど、実は押したり引いたりするタイプ、だったりして?」
「いえ、スライドするタイプで合ってます。結構重いんですよ。意図的に重く設定してあるそうです。普段の暮らしの中にも……」
「運動を、がコンセプトですもんね! よっしゃ、やりますよ! ふんぬぬぬ……動いたぁっ! ぐっ、本当に重い! クソ重い! 普段からこんなに重いんですかっ! 故障じゃなくて!?」
「普段からこれです」
「こんちくしょおおお!」
「あと少し! 頑張って!」
「ぬぬぬ……あの……不動さんっ……手伝ってくれないんですか……」
「住むのは木芽さんですから、これくらい毎日軽くこなしてもらわないといけません」
「ぐぐぐ……あ、開いたぁっ!」
「早く、早く入って下さい! すぐに閉まりますよ! 挟まれたらケガしますよ! 過去にも前例があります!」
「前例あるんですか!」
「安心してください。なんと………………死者は出てません!」
「溜めてまで言うことじゃないですよ!」
◆
「ここが、ご案内させていただく部屋です」
不動さんがドアを開けたそこは、六畳の和室だった。
靴脱ぎスペース以外は、キッチンもトイレもバスもない、家具も一切ない。
壁には押し入れなどの収納もない。
大きな窓がある、ただの空間。新しい畳の匂いがするだけ。
「見事に空っぽですね……。あの、俺、すぐにでも住みたいので、条件は、キッチン・バス・トイレ付きって言いませんでしたっけ……」
『不動不動産』では、他店との差別化を計り、物件を見るだけではなく、実際に一晩「お試し」で泊まってから、決めることができるという、独自の親切なサービスを実施している。
残念ながら、無料サービスではない。
一泊の料金は、ネットカフェのナイトパックと同等の金額。
それでも、ビジネスホテルと比較したら、破格の値段だろう。
俺みたいに、すぐにでも決めたい人間としては、家具や寝具も元々備え付けと聞いて、「お試し」サービスに飛びついたのだが。
「水回りは、下になります。こちら」
「下って?」
不動さんが、部屋の隅の畳に近づき、しゃがみこむと、畳の縁をバンと叩いた。
畳が九十度、垂直に跳ね上がった。
開いた場所には、階下へ降りるハシゴが伸びている。
「もしかして、六畳六間ってのは……」
「はい。縦に、六層構造になっています。この和室を含めて、六畳の部屋が六間です」
「普通の住宅の説明で、六層構造とか初耳なんですけど」
「普通の住宅ではない、ということでしょうね」
「六階建て、ってことですか」
「地上六階というより、地上一階、地下に五階という感じですね。では、案内しますので、ついてきて下さい」
不動さんがハシゴを降りていく。
俺も続いて降りた。
「地下二階はトレーニングルームになっています」
ハシゴを降りた先には、フローリングの床の上に、スポーツジムで見かけるようなトレーニングマシンが数台置かれていた。
六畳というか、ハシゴの抜ける空間があるので実質的には五畳半ほどのスペースに、所狭しと詰め込んだ、そんな印象だ。
壁はすべて鏡張りで、自身の筋肉を客観的に確認できるようになっているのか。
「ルームランナーで走るも良し、ウエイトリフティングでバーベルを持ち上げるも良し、冷水器ではなんとポカリ飲み放題」
「完全にオーナーの趣味ですよね? まあ、階下の人を気にせずドタバタできるのはいいけど」
さらにハシゴを降りていく。
「地下三階はリビングです」
「あ、ここ、いいですねえー」
なんというか、普通に良かった。
壁かけの、薄型四十インチの液晶テレビ。
フローリングの床、おしゃれなテーブルに、ゆったりしたソファ。
この部屋ひとつあればいいんじゃないかという気もする。
トレーニングルームとか、正直言って、いらんし。
ベッドがなくても、人がひとり横になれる、幅広のソファがあれば十分だ。
俺はテンションが上がって、ソファにダイブし、ふかふか加減を堪能した。
「ケーブルテレビも既に加入済みなので、無料で見ることができます」
「至れり尽くせりだなあ」
テーブルにあったリモコンを手に取り、テレビを点けると、マッチョ男たちが笑顔で筋トレする光景が飛び込んできた。
「……ただし、見られるチャンネルは、トレーニング番組を二十四時間流し続ける『ザ・マッチョイズム』だけですね」
「そんなチャンネルあるんだ! まずその存在に驚く! そして、それしか見られないなんて新手の地獄か! 俺を洗脳する気か!」
ハシゴをもうひとつ降りていく。