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第一章 女神は天竺より舞い降りて《3》




「おひとよし、って言われるでしょう?」

「しょっちゅう」


 千代織の計らいで、どういうわけか宴と一緒の(へや)に入れられてしまった将門は、なりゆきを楽しむように、微笑を見せる。


「でも、手出しはしないのね」


 こんなに近くにいるのに。宴は将門の目の前で無造作に横たわる。


「俺にも妻がいるんでね」


 叔父、良文のような恐妻家ではないが、四捨五入して三十路に届く将門も、京都に正妻がいる。それだけでなく。


「あと、妾もでしょ?」


 宴は将門が避けようとしていた話題をあっさり持ち出す。神さま相手に隠し事はできねぇなあと将門は苦笑を浮かべて軽く頷く。


「あれは……」


 あれは妾というよりも妹みたいなものだ。だがそう言っても宴は納得しないだろう。


「あたしがマサカドの屋敷に身を寄せたら、彼女は困るかしら?」

「どうだろうな」


 千代織ほどではないだろうが、きっと困惑するだろう。だが、将門の性格を昔から知っている彼女は、しょうがないわねと笑いながら受け入れてくれるだろうと、宴は考えている。

 だって彼はおひとよしだから。


「……そのお妾さんだって、あなたがすきですきでしょうがなくて奪ったわけじゃないんだし」

「俺は彼女に助けを求められたから助けたまでだ。それが一番落ち着く方法だったから」

「偏屈」


 それで彼は一族からつまはじきにされているというのに。あの、染谷川での戦も、もとをただせばそこへ帰結するのだから。

 宴は精悍な顔つきの将門をじっと見つめる。がっしりとした体躯。浅黒い肌。おおきな手と長い足。優しい顔立ちの良文と比べ、猛禽のような鋭い榛色を抱く瞳。

 宴は彼の瞳の色を真似ることにした。だから今は黒髪に榛色の瞳でいる。どこにでもいるような女の姿になってはいるが、それでも将門は落ち着けないみたいだ。


「黙らないで何か言いなさいよ」


 偏屈、と言われた将門はさっきから考え込むような難しい表情をしたままだ。


「宴」


 やがて、観念したように将門が呟く。自らがつけた女神の新しき名を。


「なあに?」

「……何か言えと言ったから、呼んでみただけだ」


 ふいと顔を背け、将門はもう一度、口をひらく。


「宴」

「なあに?」


 急かすことはせず、沈黙を噛み締めるように、宴は将門の言葉のつづきを待つ。


桔梗(ききょう)は、俺のこと、どう思ってるんだろうな」

「知らないわよそんなこと」


 桔梗。

 花の名を持つ彼女は、将門の従妹にあたる。将門の父、良将(よしもち)の兄である良兼(よしかね)の娘だ。十六歳の彼女はそもそも、父親の外戚である源護(みなもとのまもる)の息子、(たすく)を筆頭とした三兄弟のうちの誰かと結婚することになっていた。


「でも。すきだから転がり込んできたんじゃないの?」

「なのかねぇ」

「確証はもてないけど」


 だが、桔梗は源家に嫁ぐことを拒んだ。しかもそれだけでなく、従兄の将門に助けを求め、彼の屋敷に家出同然で押しかけてきたのだ。


「……けっこう、情熱的な方なのかな、と思って」


 だから、将門の館にはいま、桔梗がいる。自分が争いの火種になったことを申しわけなさそうに思いながらも、将門が戦に勝つことを信じて、ひとり、彼が帰ってくるのを待っている。

 けれど、桔梗の件が片付かないうちに、新しい女だと宴を連れて帰ったら……?


「やっぱりあたし、ヨシフミのとこにいた方がいいかもね」


 うんうんと首を振りながら宴は呟く。


「じゃあそうしてくれ」


 将門はそう言って、宴の隣に横になる。彼は一日身体を休めてから、桔梗の待つ館へ戻り、新たな戦の準備をすすめることになっている。

 桔梗をめぐる争いはまだ続くことだろう。


 ……それまであたしの出番はないと見ていいみたいね。


 胸の裡で考えながら、宴も将門の隣でそっと、瞳を閉じる。



   * * *



 そもそも、平一族が私闘を繰り返すようになったのは、将門の父、良将が死んだことでできた領地の相続が発端だった。

 当然、長子である将門が父親の領地をすべて引き継ぐことになると思われていたが、それを伯父たちが快く思わなかったのだ。しかも彼らは勝手に将門の土地を奪おうとし、それが彼を怒らせた。

 父、良将の弟で、将門の叔父にあたる良文だけが、彼の味方だ。


「ほんと、人間の欲深さにはほとほと呆れるわ」


 宴のどこか悟ったような言葉を、良文はもっともだと頭を垂れながら聞いている。

 その横で千代織は文机に向かっている。夫と将門の女が仲睦まじく世間話をしているのを気にすることなく、己の作業に集中している。宴は常に彼女が良文にべったりしているものと思ったから、この淡白な反応には正直驚いた。


 ……まぁ、ヨシフミとあたしが話すことなんか決まりきったことだもんなぁ。


「でも、まさか将門が桔梗姫を庇うとは思いもしませんでしたよ」


 一族郎党を養う豪族へ嫁ぐことになっていた良文の兄、良兼の娘、桔梗。彼女が将門を頼ったのは、彼しか頼れる人間がいなかったからだと将門は言っていたが、良文はそうは考えていないらしい。


「つまり、桔梗の君はマサカドに惚れていると?」

「宴姫にとってみると、面白くない話かもしれませんが」


 馴れ馴れしく神の名を呼ぶわけにもいかないため、良文は彼女を宴姫と呼んでいる。


「あなたの言い方の方が面白くないわよ」


 一蹴して、宴は続ける。


「でも、桔梗の君を庇ったことで、マサカドが更に窮地に立たされているってのはわかったわ」

「窮地、ですか」

「ん。ヨシフミにとってみればたいしたことないように見えるだろうけど、怨恨って実はかなり尾を引くのよ」


 実際問題、桔梗をめぐる争いに良文は荷担していない。領地に関することでは将門と共同戦線を築いているようだが、それ以外のことでは干渉しあっていない。

 それ以前に、将門が伯父の国香と手を組んだ源護とその三兄弟との戦に良文を巻き込みたくないと思っているのだろう。

 現に、高望王の五人兄弟の末っ子である良文は兄たちからほとほと相手にされていない気楽な立場にある。私営田として与えられた武蔵国(むさしのくに)の村岡という領地も猫の額ほどだが、彼は不服を唱えることもなく、そこで暮らす民のため、精一杯働いている。領地を奪い合おうと奮起する兄たちと比べ、堅実ではある。

 とはいえ、宴はそれを素直に評価できない。なぜなら。


「ヨシフミは逃げているだけよ」

「私が逃げていると?」

「そ。堅実に領地を治めています! って宣伝してるくせに、それ以上できることをしていない。それは逃げていることと同じ。だって」


 言い返そうとする良文の前で、宴は言霊を紡ぐ。


「余計な血は流したくないのが本音なんでしょ? 勿体無い」

「……もったいない?」


 カタン。文机が音を立てる。千代織が、吸い込むような瞳を宴に見せる。将門の女だと判明してからは必要以上に話しかけられることのなかった宴は、思わぬところから届いた反撃の狼煙と対峙する。


「良文さまのこと、何も知らないくせによくもまぁそんなこと言えるわね」

「千代織」


 窘める夫の声を余所に、千代織は宴ににじり寄る。負けじと宴も言い返す。


「でも、奥方さまも思いません? 領地を拡げようとか、いっそのこと坂東八カ国を統治しようとか、そういうことを」


 良文は、東国を統一させることのできる、類稀な人間。だけど、ちいさな領地で満足して、そこで埋もれていようとする。それが、宴にとってみるととても勿体無く感じてしまう。


「そんな、男のひとが考えることをあたくしが考えるわけがないでしょう? あなたこそ突然現れたくせに……良文さまを惑わせることなど言わないでくださいます?」

「千代織、宴姫。頼むから落ち着いてくれ」

「惑わしてなんかいなくてよ? むしろそのように考えるのが今の時代自然なの、だからあたしは勿体無いなぁって」

「他人にとやかく言われる筋合いはありません」

「他人ですって? 何調子こいちゃってるのかしらこの子は」


 美人が怒ると怖い。

 それがふたりもいると尚更、怖い。


「……いい加減にしろ。無駄な争いは好かん」


 けれど、宴は知らなかった。怒った良文が誰よりも怖いということに。

 空気が急激に重たく感じられる。良文の低い美声は、怒ったときが一番響き渡るのかと、宴は場違いなことを思う。

 静かに怒りを見せた夫を見て、千代織も我に却る。宴の手を取り今更のように「あたくしたち仲が良くてよ?」と笑顔を振り撒くが、その笑顔が凍りついていることもきっと露見しているだろう。けれど宴も千代織に便乗して微笑を浮かべ、初めて彼女の名を口にするのだ。


「ね、チヨリ」

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