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第一章 女神は天竺より舞い降りて《2》




 妻は、嫉妬深い。


「……見事に誤解されましたね」


 呆れた顔の将門を横に、今にも泣きそうな表情で年下の妻に事情を説明している良文。

 その横で自分の家のように寛ぐ女。自分が話の発端であることすら気にせず、館の中を興味深そうに見回している。

 将門は女の横顔を改めて見つめる。黒髪に榛色の瞳という姿に擬態した彼女は、顔つきがどことなく初恋の女性に似ている。


 ……だけど、彼女ではない。真の姿である藍に近い黒髪をもっているわけでもないし、ましてや澄み切った湖水のような瞳の色などもっていない。当然だ、彼女は神ではないのだから。


 女と将門の視線が絡む。将門は自分の考えていたことが露見したのかと慌てるが、彼女は全く異なる発言をする。


「あ? まだ乳繰り合ってるんだ?」


 良文と千代織にしてみれば修羅場かもしれないが、確かに、傍から見るとただ単にじゃれあっているだけにも見える。将門からすればいい迷惑でしかないが、馴れとは恐ろしいものだ、今では雑音のようにしか思えない。


「もうしばらく放っておいていいぜ」

「仲がいいのね」

「こっちが妬けるくらいにな」


 苦笑を浮かべる将門を見て、女は問う。


「でも、そんなふたりがすきなんでしょう」

「まあな」


 ぶっきらぼうに言い放ち、将門は女に向き直る。


「ところで、お前さん、名前は? 人間じゃないってのはわかるが、呼び名くらいあるだろう?」


 両手両足を伸ばしながら、女は自分の呼び名を囁く。


「だから、スタルシャナだってば」

「……それがわかんねえんだよ」


 聞きなれない単語に、将門の表情が固まる。良文はなぜ理解できたのだろう。謎だ。

 女は将門に、その意味を告げる。


「天竺の言葉。国土を守り、災いを消し、敵を退け福寿を増進する仏教の女神のことなの」


 要するに菩薩のことらしい。将門が「言いづらいなぁ」と苦笑すると、女が続ける。


「この国じゃ、ヨシフミが口にしてたけど、妙見神とか妙見菩薩(みょうけんぼさつ)とか呼ばれるわけ。なんだけどそれはあたしの名前じゃないからなぁ……」


 なんて呼んでもらうのがいいんだろう、と女は困った顔を向ける。


「じゃあ、俺がつけてもいいか?」

「マサカドがつけてくれるの?」

「……俺じゃ不満か?」

「ううん、そんなこと言う人間初めて見たから」


 ――うれしくて。そう耳元で囁かれ、将門は顔を真っ赤にする。

 それを目ざとく見つけたのが、千代織。


「あ、なんだ、将門の女なのねっ」

「……いや、そういうわけではないのだが」


 小声の良文は、冷や汗を流している。どうやら誤解で誤解を解決させようとしているようだ。

 そのことを察したのか、哀れな叔父を救うために、将門は。


「そうだよ、俺のオンナ」


 神さまを自分の女扱いする羽目になる。



   * * *



 妻は、思い込みが激しい。


「なんだそういうことならそうとおっしゃればいいじゃないの、へぇ、やるじゃない!」


 千代織の癇癪がおさまったのを見て、良文が申しわけなさそうに将門を拝む……というより将門の愛人にされてしまった神さまに向けて拝んでいるのだろう。


「ヨシフミの奥方さまって面白いヒトね」

「面目ない」


 尚も申しわけなさそうに良文が跪く。


「別に怒ってないよ? ね、マサカド」


 話をふられ、将門はつられたように素早く頷く。


「だが、神さまを愛人だと詐称すると天罰がくだるのでは……」


 真面目な良文を見て、心配しないでと女は将門に目配せする。そして微笑ましそうに将門と女を見つめる千代織に向け、ぺこりと頭をさげる。


「しばらく、お世話になりますね、奥方さま」

「そういうことなら喜んで歓迎いたしますわ、ね、良文さま」


 満面の笑みを浮かべている千代織の姿を見て、良文はついに誤解をとくのを諦める。


「――で、お名前はなんておっしゃるのかしら?」


 千代織の一言に、三人が硬直する。女が縋るような視線を、将門に投げかけ、彼は呟く。


「宴」

「うたげ?」

「そう、宴。いい名前だろ?」



   * * *



 こうして女は、宴という名を持つ。


「ところで」


 千代織が息子たちの様子を見に行ったので、良文は将門に名づけられた妙見神、宴に問う。


「なぜここへいらした」


 丁寧ながらも、どこか突き放した口調なのは、目の前にいる彼女がなぜ顕現しているのか理解できないからだ。

 良文の家には小さいながらも美しい木製の妙見菩薩像がある。母親が妙見菩薩を信仰していたため、彼も幼い頃より妙見信仰に親しみを持っている。醍醐天皇より受けた勅命を遂行した際に母親より譲り受けた菩薩像は、館の奥に飾られている。その像の足元が、なぜか黒い。


「……これは、あなたであろう?」


 妙見菩薩像の足元は、泥がついていた。まるでどこかをほっつき歩いてきたような様子を見て、将門は感心する。


「ほんとうだ」

「よくわかったね! 奥方さまは全然気づいてなかったのに」


 宴はうれしそうに頷く。だが、彼女が顕現した理由にはなっていない。険しい表情の良文を見て、宴は真面目な顔に戻る。


「……って逸らしても無駄か。いくつか理由はあるんだけど。ひとつは、日頃の感謝かな」


 大陸から伝わってきた妙見神を深く信仰している良文に、恩返しをしたかった。彼が戦で傷ついていると知り、いてもたってもいられなくなり、飛び出してしまった。

 ……けれど、そこには先客がいた。

 自害しようとした良文を留まらせた白い蝶。宴はその紙でつくられたモノに興味を持った。それを見ていなければ、名乗ることもせずにふたりの怪我を癒し、その場を去っていただろう。

 自分ではない何か(・・)が彼らを守護している。


 ――面白い。


 スタルシャナである宴だけが、彼らに興味を持っているわけではない。だとすれば何がふたりに味方しているのか。それを見極めてみたい。


「もうひとつは、個人的興味」


 やさしい風貌で美男の勇将として知られる村岡五郎平良文と、その甥で鬼神のごとき戦いぶりを見せる相馬(そうま)小次郎平将門。叔父と甥という関係だが、歳の離れた兄弟のように仲の良いふたり。ふたりの武士が、近い将来、何をしでかすのかという興味。

 そして、彼らを守護する自分ではないモノの存在に対する興味。


「個人的興味ですか」


 良文は渋々納得してくれたようだ。将門はそもそも最初から宴がそこにいる理由について深く考えてはいないらしく、彼女がここにいたいならいればいいじゃないかと能天気なことを口にしている。


「そ、だからお気になさらず」


 宴はなりゆきで将門の女のふりをすることにする。それとも、戦女神にでもなった方がよかっただろうか?

 そう、宴が考えていたのを読み取ったかのように、将門が口にする。


「戦巫女みたいだな」

「なった方がいい?」


 咄嗟に返すが、ふたりは無言だ。

 両頬を膨らませて、宴は呟く。


「……ま、気が向いたらやってあげるわ」


 そう言うと、将門に微笑まれる。


「そんときは頼むぜ」


 どうしても負けられない戦があるとき。勝たねばならない戦をするとき。

 いつが将門の言う「そんとき」なのか、宴にはまだ理解できないけれど……

 私闘で荒れ果てている東国を彼らが平定するのではないかと宴は考えている。

 だから、軽く、首肯する。

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