第五章 私を戦場へ連れてって《1》
「さすがにおかしいと思ったのよ。だって宴はなんでもできるんだもの。厨に立ったこともなかったくせに数日もすればみんなの夕餉を準備することができるようになったし、戦にでれば必ず勝利するし、傷ついた兵たちを癒すのもあっという間だし……」
将門は桔梗に問い詰められ、素直に白状する。宴が神であることを。
いつか気づかれると思った、と宴はすっきりした表情で笑っている。だからいつまでヒトのふりを続けるのと単刀直入に言われたとき、宴は正直に応えたのだ。あのひとが死ぬまで、と。ただ、桔梗に対して「あのひと」が誰であるかについてはけして教えてくれなかった。
桔梗は腑に落ちない表情をしているが、それでも納得し、このことは館の人間に言いふらさないと自ら誓った。宴の能力を悪用する人間が現れるのを避けるためだろう。
旅支度をした将門は、桔梗に向けてあとは頼むぞと肩を抱く。軽く抱きしめられた桔梗は無言で頷き、ぽん、と将門の身体をつき放す。
「何をむくれている?」
「いいえ。桔梗はむくれてなどおりませぬ」
「主の無事を祈ってはくれぬのか」
「それは私の役目ではありませぬゆえ」
下野と下総の国境で起こった戦から一ヶ月。将門は館に戻ってから、自分に対する桔梗の態度がかたいものになっていると感じるようになる。
……まあ、夫と父親の争いに板ばさみになっているんだから仕方ないか。
宴は桔梗の変化について何も言わない。人間の心境の変化など意に介さないのかもしれない。将門は桔梗の態度から逃げるように、視線を宴へ向ける。宴はにこにこしながら気をつけて、と口をひらく。
戦によって息子を失った源護は昨秋のうちに検非違使庁へ告訴状を送っていたのだ。朝廷より当時弓や馬が達者な者たちが左右近衛府の番長として東国へ派遣されたことから、将門は自分が召喚されたことを知った。そして朝廷からこの争乱について説明するよう訴えられた将門は、京まで出向くこととなる。
準備を終えた将門は、桔梗から逃げるように館を発つ。
宴はそれを、黙って見送る。
* * *
「で、どうして俺が将門と一緒に京へ行かなきゃいけないのかな?」
緑青に乗った良文は、さも迷惑だと言いたそうに将門をじとっと見つめる。
恨めしそうな視線を受けた将門は、気まずそうに叔父の前で馬を走らせていく。
「まぁ別に構わないけどさ」
悄然とした将門を苛めるのもかわいそうだと良文は矛先をおさめ、将門のあとにつづく。
「……申し訳ない」
ぼそっと呟かれた謝罪の言葉など必要ないと良文は苦笑する。
「それより、どうして京なんだ?」
「着いたら話します」
急に呼び出され、京へついてきてくれと頼まれたとき、良文は二つ返事で了承した。が、どうして自分が将門と共に京へ行くことになったのか、それ以前にどうして将門が京へ行くことになったのか仔細を知らされることなく今日まできてしまったため、実は不安で仕方がない。
妻、千代織の猛反対を受けるかとも思ったが、彼女はやけにあっさりと「行って来たら?」と言って、良文に京行きをすすめたのだ。
だから良文はこうして将門と京へ向かっている。彼が源護によって検非違使庁に訴えられ、弁明しにわざわざ朝廷まで赴くことになったとは知らないまま。
旅程は一ヶ月かかるだろうと思われたが、実際に京へ到着したのは、出立して半月ほどだった。勇将である良文と将門の名が知られていたからか物盗りなどに遭遇することもなく、すべては順調だった。
そして良文は将門が京へ来た理由を知り、唖然とする。
「なんだって……てっきり、姫君に逢いに行くのかと」
そんなたいそうな理由があるなど知らなかったぞとおたおたする良文に、だって言ったら拒まれると思ったんだものとけろりとしている将門。
それ以前に京にいる正妻に逢いに行くとは将門、ちっとも考えていない。
「叔父上こそ、場違いな……まあ、時間があれば顔を見にいくくらい、できるとは思いますが」
「そんなこと言うなよ」
「うーん」
正直、将門は正妻が苦手である。良文が千代織に対して頭が上がらないというのと似ているのかもしれない。ただ、千代織のように愛くるしいところは彼女には皆無だ。
「俺はけっこう好みだけどな……」
「千代織姫に殺されますよ」
「そいつはおいねこった」
「ま、将国の面倒を見てくれているのはありがたいし、そろそろ良い頃合かもしれませんけど」
馬の手綱を持ちながら、平安京の真ん中に位置する朱雀大路をふたりはゆっくりと歩いていく。将門にとってみれば五年ぶりの京だが、それといった変化は見られない。
対する良文は、子ども時代を京で過ごしているし、妻の千代織の実家があるため、東国で暮らしている人間にしては京に詳しいところがある。
僅か十代で醍醐天皇に謁見し、武勇を見込まれ勅命を受けた良文にとって、京は特別な場所。
朱雀大路を進みながら、良文は十数年前の記憶に想いを馳せる……