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第四章 不毛な戦に七星の惑い《6》




 良兼の軍と一戦交えた将門たちが鎌輪館へ戻ってきたのは翌朝のこと。


「桔梗?」


 邸の空気が、ひんやりとしているのは気のせいだろうか。

 戦で疲れた将門は帰ってきた途端、床の上で身体を大の字にして倒れこんでいる。兵たちも同じように、各々緊張を解き、休息をとっている。

 いつもならこの場所で桔梗がお疲れ様と労ってくれるのに。桔梗が姿を表さないのを不審に思った宴は将門たちが休む室から離れ、彼女を探そうと歩き出す。


「あ、宴」


 か細い声が、宴の内耳に届く。桔梗の声がする方向へ、宴は小走りで進んでいく。


「桔梗ってば、迎えに出てくれなかったんだもの、どうしたのかと思ったわ」


 立ち尽くしていた桔梗は、宴が無事に戻ってきたことに安堵したのか、柔らかく微笑む。


「帰ってきたの、宴」

「うん、帰ってきた」


 宴が将門と共に戻ってきたことを知った桔梗は、唇を噛み締めるように、事の顛末をきく。


「……じゃあ、父は将門に殺されたの?」

「ヨシマサの首はもらったけど、ヨシカネなら逃げたわ」

「……そう。じゃあ、どちらかが斃れるまで続くのね? この、不毛な戦いは」


 昨日、隣にいた千代織が何度も口にしていた「不毛」という言葉が、桔梗の脳裡から離れずにいる。意識を失って、気づいたときには千代織の姿はなくなっていて、もしかしたら夢でも見ていたのかと思ったけれど、千代織は桔梗を女房に任せて申し訳ないと口にしながら帰っていったときいたから、確かに桔梗の前で「不毛」と何度も口にしていたのだろう。


「不毛、ね」


 桔梗の思いがけない言葉に、宴は困ったように、呟く。

 将門を訪ねにきたであろう千代織は、結局彼に会うことなく、帰ってしまったことになる。彼女の来訪の意図がわからない。夫の良文に関することなのか、それとも……

 けれど千代織は何も言わずに去ってしまった。桔梗に意地悪な質問を残して。


「……どうなってしまうのかしら」

「桔梗?」

「私も、宴みたいに能力(ちから)があればよかったのに」


 そうすれば、自分が蒔いた禍の種を、将門に刈り取らせることは、させなかったのに。

 矛盾した思考。無力だから助けを求めた現実。そして掬いあげてくれた将門。

 愛とは違う、けれど、彼の傍にいようと誓った。だから家出同然に将門の元へ飛び込んだ。京都に正妻がいるのは知っているけれど、それでも桔梗は将門の傍にいたくて、妾になることに、甘んじた。その結果、見返りに子どもを産むことしかできなかった。けれど、それでも優しくしてくれる将門がいて、彼が大切にする巫女の宴がいて、それでもいいかと思った矢先。 

 将門と良兼がぶつかった。

 桔梗はどちらが死んでも厭だと、そう思ってはいるけれど、言霊にすることはけしてできない。将門の傍にいる人間が、敵を気遣うなんて愚かでしかない。

 父の良兼は娘である自分を政治の駒にしかしない。けれど初恋の想い出を共にした公元(きみもと)をはじめ、異母兄たちは桔梗を大切にしてくれる。彼らは桔梗の気持ちをわかってくれた。それだから将門の元に転がり込んだ桔梗なのに……どちらも壊れるのを恐れているなんて。


「桔梗」


 ぴしゃりと、混乱する思考を打ち切らせるように、宴が桔梗の名を呼ぶ。


「桔梗が迷うのはわかる。何もできずに戦の末を想うことしかできない無力感もあると思う」


 しゃらん、浄化するような鈴の音が、桔梗の周囲で奏でられていく。悩んでいたことを宴に当てられ、桔梗は頷き項垂れる。それを見て、元気を出させるように、宴は茶化す。


「あたしは将門の戦巫女ってことになっている、けれど」


 ほんとうは、将門のオンナなのかもしれないのよ?


「知ってるわ。あのひとが宴をいとおしそうに見ているのも、手に入れたいと欲しているのも」


 諦めたような桔梗の表情を垣間見た宴は、慌てて彼女の言葉を遮る。


「何を言ってるの? 冗談よ?」

「そうだったかしら」


 わからなくなってきちゃった、と桔梗は冷めた笑いを、投げかけ、呟く。


「ところで、いつまでヒトのフリを続けているの?」



   * * *



「あのひとが死ぬまで、かな」


 神の呟きは、一枚の紙を通じて運ばれてくる。千代織は黙ってそれを受け取る。

 宴と桔梗の不毛なやりとりを、紙にしたためるように、千代織は折っていく。やがて、一羽の鶴が完成する。てのひらに乗せられた鶴は、無風の中、青い空へ吸い込まれていく。


 ……あのひとが死ぬまで? それは、誰を指しているのだろう。


 宴は、そのひとを自分で殺めようとはしないのだろうか。それくらい、容易いことだろうに。


「どう思うかえ?」

「あたくしには、理解できない」


 北斗七星とも、北辰とも呼ばれる星の化身は、個人的興味で良文と将門の前へ姿を現した。そしてそのまま将門の元へ居座り、戦巫女として将門の躍進を手助けしている。神なのに、神らしくない宴。対象が死んでしまったら、ヒトのフリをやめる。そう、言霊にした宴のことが、千代織には理解できない。


「紙姫よ。――やらぬのか」


 この神は、どうにかして千代織に宴を退かせようとしている。宴を厭う理由はわからないけれど、千代織は素直に神の言葉に頷けない。だから、黙り込む。

 疑問に感じるようになったのは、あの夜から。

 良文を巻き込んでまで、千代織を従わせようとする神が、信じられなくなった。

 だから、必要以上の接触は避けていた。良文が神の餌食にならないように。

 宴が千代織を従わす神と相容れぬ存在であるのはわかっているけれど、だからといってすぐに彼女を攻撃することもできない。情報収集することで、この不毛な事態をどうにかしようと考えていた。生まれつき紙を操る能力だけが、千代織の武器だったから。

 けれどそれも、限界なのかもしれない。このまま様子を見つづけるままならば、近いうちにこの神は、紙姫である千代織を見限るだろう。

 その方がいいのかもしれない。千代織が宴を傷つけず、良文を傷つけないためには。

 けれど、そうしたら、いままで形成してきた坂東八カ国の基盤はボロボロに崩れ落ちることになる。戦を好むこの神を、千代織が手放してしまったら。


「未だ……満ちるまで、もうしばし」


 時間を引き延ばすことしかできない千代織は、かの女神のようにこの神の寿命を縮められればいいのにと、絶望にも似た気持ちで、嘲笑を浮かべる。


「そう言って、いつまで待たせるつもりかのう?」


 意地悪そうに、神は千代織へ鶴を返す。空から降ってきた小さな鶴は、千代織のてのひらに、すっぽりとおさまる。

 千代織は両手でその鶴の首を、きゅっと締める。紙でつくられた鶴の首は、皺くちゃになって、やがて、ぽとりと地面に落下する。


「あのひとが死ぬまで、か」


 目を背けることしかできない自分を恨めしく思いながら、千代織は他人事のように嘯いた。

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