第四章 不毛な戦に七星の惑い《5》
将門は歩兵を集め、戦いに馴れた兵士たちを前進させる。
馬上で宴は敵軍をつぶさに観察していく。千騎以上もある連合軍の弱点を探して。
「マサカド、急襲させて」
敵軍に聞こえぬよう、宴は目配せしながら小声で告げる。指揮をとる将門は宴の顔を一瞬だけうかがって、軽く首を振ってから、指示を出す。
「行けーっ!」
将門の歩兵はてきぱきと敵兵をくだしていく。驚いたのは多勢の良兼たちだ。
「な、何うろたえておる、反撃せい、反撃するのだ!」
とはいえ、すでに恐れをなして逃げ惑う兵たちは、良兼の命令に従わない。その混乱をものともせずに将門の兵たちはひとり、またひとりと成果をあげていく。
「俺が、平将門だぁっ!」
手綱を取り、鞭打ちながら、将門は自らの名を叫ぶ。兵たちは将門の名乗りを誇らしげに聞き、士気をあげ、追討を続ける。飛び交う矢の音、剣戟音、馬の嘶き落馬した兵の悲鳴そして呻き声、鼓膜を劈くような様々な音が戦場に響き渡る。
その中で、異様な音がひとつ。
しゃらん。
武器同士がぶつかり合う音にしては儚く、清らかな鈴の調べ。
その音にハッとして顔をあげた貞盛は、信じられないという表情を浮かべる。
「なぜ、女子が……?」
馬上には、流血よりも鮮やかな緋色の裳を風にそよがせた巫女装束の女性がいた。鈴を奏でる彼女はこの騒乱を恐れることなく、将門を称え、兵たちに士気を与えている。
戦巫女。そう呼ばれる存在があることは知っていた。だが、血と汗に塗れた戦場を駆ける馬を平然と乗りこなす女性を、貞盛は知らなかった。今日まで。
……遠い天竺には、殺戮と犠牲を司る神がいるという。黒き血を欲し、戦場に舞い降りては攪乱するという、恐ろしき女神が。
その女神は、将門に与したのか?
「ふぅん、あなたがサダモリか」
名を呼ばれ、愕然とする。宴はしゃらん、しゃらんと両手につけていた鈴を鳴らしながら不服そうに口を開く。貞盛が考えていたことは、彼女にとってあまりにも失礼だったから。
「貴女は……」
「勝手に破壊神の妃と勘違いしないでくれる? あたしはそこまで残酷な神さまじゃないの」
宴は貞盛の前に立つ。討とうと思えばすぐにでも討てる距離にいるというのに、貞盛は動けない。まるで金縛りにあってしまったかのように。
「何奴」
時間が止まってしまったかのように、周囲の喧騒が消えていく。しゃら、しゃららんと鈴の奏でられる音だけが、貞盛を現実に留まらせる。
「スタルシャナ」
つまらなそうに、宴は呟く。
「あたしを見て、天竺の神さまを想起できたのは、褒めてあげる。けれど、あなたの寿命をすこしだけ、削らせてもらうわ」
妙見菩薩は、人間の行いを見て、そのひとの寿命を左右させることができる。だから宴は気まぐれに、ヒトの生きる時間を操っては退屈をしのいでいく。
「ひ、ひぃ」
嬉しくなさそうに、貞盛は悲鳴をあげる。
「……そのかわり、あなたの輝かしい未来は、残してあげる」
その間も、将門の軍は良兼たちの兵を追討しつづける。討ち取った数は八十。その中には良正の首もある。散り散りになった良兼たちの軍は下野国庁へ逃げ込んでいく。
宴と貞盛が対峙しているのも知らず、将門は想いにふける。
良兼にとどめをさすべきか、否か。
……本当に『常夜の敵』であったとしても、ここにいるのは紛れもなく血の繋がった「平」の姓をうけるもの。『夫婦は瓦のように丈夫であるが、親戚は葦の家の様にもろいもの』という言葉があるようにここで良兼を殺害したのであれば、自分は世の中の非難を受けるに違いない。
そしてこの「仕掛けられた戦い」は将門が仕掛けたと思われてしまう。
「――西の門を開かせなさい」
いつの間にか、将門の隣に、宴が戻っていた。彼女は彼の宿敵である貞盛との邂逅を報告することもなく、馬上から下野国庁へ逃げ込んだ良兼たちを見送る。
「宴?」
「どうせ、殺せないんでしょう?」
言い当てられた将門は渋々頷き、国庁の西の門を開かせる。
門が開いたことで、良兼が、戦意喪失した数千の兵が、最後に貞盛が。
まるで鷹の前にいた雉が、命を免れ籠の外へと出されたように。喜びながら逃げ出していく。
「……ほんと、ツメが甘いわ」
逃げていく敵兵をのほほんと見送りながら、宴は呟く。その横で、門を開いた男は将門に向き直り、問う。
「けれど、良兼殿が「無道の合戦」を行ったことは事実ですかね」
「ああ、申し訳ない。朝廷に差し出す証拠にしたいんで、下野国庁の日記に記録して欲しい」
「かしこまりました」
国庁の職員である田原藤太藤原秀郷は、将門の言葉に頷く。将門の横でおとなしくしている宴を、秀郷は興味深そうに見つめている。
「何か?」
「いえ。雷神公には、戦姫の加護もおありなのだなあと」
秀郷は、楽しそうに将門と宴を見送る。つかみどころのない秀郷の、悪意のない笑顔は正直どこか不気味だ。
「それはどうもありがとうね」
けれど宴はたいしたことじゃないと言い聞かせ、将門と共に、桔梗の待つ鎌輪館へ向かう。
将門たちの姿が消えたのを見て、秀郷は首を傾げる。門前には、紙で作られた小さな鳥がちょこん、と置かれている。戦巫女が祈祷の際に使ったのだろうか。国府で使われる紙よりも上質なのが触り心地から理解できる。
「……随分まあ上質な紙でできた小鳥だ。戦姫が忘れてったのかねぇ?」