第四章 不毛な戦に七星の惑い《3》
良文に断られた良正は唯一生き残っている兄、良兼を頼って常陸国へ向かったという。だが、子春丸が拾ってきた情報は、それだけではないようだ。
「あい。良正殿はまず、良文殿に助力を求めたそうですがあっさり断られていたのです。そいで、仕方ないから良兼側に兵力不足を訴えたとのこと」
「反応は?」
「近々、戦を仕掛けるのでは?」
あどけない顔とは裏腹に、子春丸は物騒なことを平然と口にする。将門も彼が賢いのは充分理解している。将来が楽しみな少年である。
「つまり、良正伯父は良兼伯父に援軍要請した後、すぐ動くと考えている」
「おっしゃるとおりで」
「……わかった。宴」
「呼んだ?」
将門の背後からすっと登場した戦巫女を、子春丸は怪訝そうに見上げる。将門に招かれた不思議な能力を使う巫女。彼女は将門の隣に平然といる。子春丸が軍師として必死になって将門の隣につこうとしていたのに、そこに宴は何食わぬ顔で居座り、好き勝手動き回っている。
突然現れた闖入者が将門に大切にされているのを子春丸は指を咥えて見ていることしかできなかった。この一年半。単なる飯炊き女だと思っていたのに。彼女は先の戦で思いがけず活躍してしまった。
それ以来、将門は子春丸より宴に戦略を相談するようになってしまった。以前からずっと仕えていた、敵地にも侵入し危ない仕事もこなして戻ってくる子春丸よりも、単に不思議な能力を扱える巫女を選んだのだ。それが子春丸にとってみれば不服だ。
そもそも妻でもない女を重用する主が何を思っているのかわからない。
てっきり妾にしたのかと思ったのに、どうやら将門は彼女とそういう関係を持ってはいないらしい。巫女殿を汚すと不思議の能力がなくなってしまうのだろうか……?
などと子春丸が考えていることも知らず、将門は宴に告げる。
「どう考える」
「ヨシマサの軍が兵力不足ってのは理解できるけど、だからって誰でもいいから兵力くれって援軍を求める彼のやり方が気に食わないわ。まぁあたしがそんなこと言っても意味ないんでしょうけど。それにヨシフミは断ってるみたいだし。それでヨシマサがヨシフミはマサカドと同盟を組んでいるなんて勘違いしてる可能性もでてくるわよね。実際のところ同盟なんて形に残るようなもの組んでないけど。それをヨシカネに告げ口したとすると、現時点では一族の私闘を遠くから見ているヨシフミも巻き込まれるのが目に見えるわね?」
「まあ、良文叔父のことだから上手に断ったと思うが……」
彼のことはひとまず置いておけと将門は言いたいらしい。宴は素直に頷き、再び饒舌になる。
「そうね、戦火が武蔵国まで及ぶことはまずないわ。だとすると、ヨシフミに断られたヨシマサが頼る人間はヨシカネひとりだけ。頼られたヨシカネは確実にヨシマサを受け入れるわ」
「確実に?」
子春丸が首を傾げながら宴の表情をうかがう。なぜこうも自信満々なのか理解できないと半ば呆れ口調で。
「そうよ。あなたが拾ってきた情報を分析すれば明らかでしょう」
「あい。どちらも利害は一致していると」
「その通り」
要するに将門が邪魔なのだ。
理由は違えど、良兼と良正は将門を殺したいと強く憎んでいる。
「そもそも、ヨシカネとヨシマサが手を組むのは時間の問題だと思ってたわけ。だって効率悪いじゃない、兵力だって将門の方が強いわけだし。そうなったら数で対抗するしかない。そのためには味方を募り同盟を組む、笑っちゃうくらい昔から変わらない戦略よね」
楽しそうに、宴はつづける。
「そのふたりが悪巧みをする、となるとどんなことが考えられる?」
宴に問いかけられて、子春丸は即答する。
「大軍引き連れて押しかけてくるのです」
「イイ線いってるわ」
人差し指を左右に振って、宴はつづける。うたうように。
「その大軍の中に、誰かが含まれるか、よーく考えておいた方がいいんじゃない?」
「誰か」
将門が息を飲む。ひゅぅという音が、静まりかえった室に響く。
誰かが良正、良兼の軍に賛同すると宴は口にしている。良正と良兼ふたりが編成した軍が将門を責めてくるだけでも大変なことだというのに、宴は楽しそうに過激なことを示唆している。将門はそれが誰だかわからず首を傾げ、沈黙する。
「……良文叔父は断った、んだよな」
良文は将門を葬ろうと画策する兄たちに賛同することなく、傍観者であることに徹しているようにあくまで見せかけている。実際のところ、将門が救いを求めれば彼は駆けつけてくれるのだが、そこまで将門が窮地に追い詰められているわけでもないため、お互いに時期尚早だと深入りを避けている、それだけのことだ。
それに良文が将門を殺す理由が、必要性がわからない。
「ヨシフミは蚊帳の外よ。まだ」
まだ、という言葉に気づくことなく、将門は脳裡に描いていた叔父と彼の美しい幼妻の姿を思い浮かべ、軽く頷く。
「だとしたら、誰だ?」
困惑する将門の隣で、宴は無表情のまま見つめている子春丸に問いかける。
「誰だかわかった、って顔ね」
「あい。国香殿の長子であられる、貞盛殿でありまする」
子春丸は気の抜けた声で、真実を射抜く。
* * *
不服そうな顔で、千代織は良文の前に立つ。
「おかしいわ、将門と貞盛は和睦したはずよ!」
「ああ」
わかりきったように頷く良文を見て、更に苛立ちを募らせる千代織。
「じゃあどうして、貞盛は良兼の軍についているの」
「兄者に唆されたのだろ」
「契約は破棄された、ってこと?」
「たぶん……良正兄者が、良兼兄者に援軍を求めたのは互いに将門を憎んでいるからだ。理由は違えど、ふたりは将門をどうにか押さえつけたいと思っている」
「それは前からわかってるわ。あたくしが聞きたいのは、そこに……」
なぜ、一端は和睦に応じた貞盛が、良兼や良正と共に将門を討つことになったのか、それが千代織にはわからない。
「貞盛は、巻き込まれたのかもしれないな」
言い捨てるような口調。それなのにどこか淋しそうで、千代織はつい、口を滑らせる。
「前常陸大掾に?」
源三兄弟亡き今、父親の護は息子の仇を討つべく、必死である。良正が良兼と組むことで、源家との結びつきも必然的に強くなる。
貞盛の父、国香も地方豪族源家から妻を娶っている。貞盛は母方の親戚である護や父のふたりの弟に、将門を討つよう説得されたのだろう。
「……土地を統べる縁の力は偉大だ。絶対ともいうかな」
「そうね。将門によって、彼らはぐしゃぐしゃになってしまったと、そう解釈しているみたいだけど……ほんとうは、違うのよね」
千代織が何を言いたいのか、良文は理解している。だからあえて、何も言わない。
その沈黙に、心地よさそうに身を委ねる千代織。
「これだから、いつまでたっても終わらないのよ。不毛だわ」
藍色の空に煌く北辰は、身動きひとつせず千代織を監視するように天に位置している。
「不毛だわ」
同じ一族に位置してはいるけれど、傍観者としての立場に甘んじている良文。彼が巻き込まれた暁には、あの星が堕ちてくるに違いない。
千代織は黙り込んでしまった良文の柔らかい黒髪を、やさしく撫でる。
激化するであろう私闘を憂える夫を、すこしでも励ましてあげたくて。