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第四章 不毛な戦に七星の惑い《2》




 鎌輪の館は、本郷にある館と比べ、城砦のようにごつごつしている。

 負傷者を肩に担いで戻ってくる兵たちを迎え、桔梗は館で待っていた女たちと共に手当てを行う。幸い、将門側に死者はでていないようだが、重傷者の数が思ったより多く、無理はできなかったのがうかがえる。

 それだけ厳しい戦いだったのだろう。


「痛ぇ」

「泣かないのマサヒラあんた男でしょう!」


 その横では巫女装束の宴が強引に治療をしている。まずは手始めにと、将門の弟たちを犠牲にしている模様だ。


「でも巫女殿痛いですって傷口にすんごくしみるんですけどその水」

「だって塩水だもの」

「ひー!」


 しみるのは当たり前でしょう? と笑いながら将平の傷口を洗い流している。香取海(かとりのうみ)の水でも掬ってきたのだろうか。それにしても海水で傷口を清められるとは思いもしなかったのだろう、ちっとやそっとでは動じない坂東武者たちも、宴の破天荒な治療に怯えている。

 けれど数刻もすれば痛みは和らぎ、流れていた血はとまり、傷口全体がおさまっていく。それだから彼らは一時的な痛みに耐え、早く怪我を治そうとやっきになっている。


「おー、やってるやってる」


 負傷者を苛めるように治療していく宴を将門が面白そうに眺めている。今回の戦で彼はたいして怪我を負わなかったため、宴の標的には選ばれなかったようだ。

 宴は将門に施したように、傷口を舐めて即行で治すことはせず、アヤシイ塩水をふりかけ、偽装をしてから術を施しているようだ。彼女のことだから本当に香取まで海水をとりに行ったのかもしれないが……

 とはいえ、「巫女殿の治療法はとんでもないが効果抜群!」であるのが明らかなため、彼女の前には負傷者の列がずらりと連なっている。


「将門」

「おう」


 手があいた桔梗は将門の隣を陣取り、宴が兵ひとりひとりを手厚く看護していくのを微笑ましく見つめている。


「宴は器用ね」

「……巫女殿だからな」


 不思議な能力をもつ戦巫女。兵たちもきっと、宴の存在をそのように解釈したに違いない。

 彼女が良正軍から矢を失敬する姿もばっちり目撃されている。ふつう、そういった大胆な行為を巫女はしないだろうが、宴だから仕方ない、宴だからと許されてしまうきらいがある。

 宴はあっという間に、将門の邸の人間に溶け込み、自分の居場所を作っていく。将門が助ける必要はどこにもない。

 むしろ将門の方が、彼女に助けられている現実。


「……厳しいなぁ」


 川曲の戦いで良正を破ったものの、どこかまだ釈然としない思いがある。

 それが何か、将門は理解できないけれど。



   * * *



「お断りします」


 良文の低い、凛とした声が、館の中に響き渡る。

 その威圧感を伴う声は、彼の兄すらたじろがせる。

 承平六年、春。

 川曲の戦により、大打撃を被った良正は、援軍を求め、武蔵国で悠々と暮らしている弟を頼りにやってきた。自分の軍だけでは彼の鬼神の如き強さに敵わぬと悟って。

 だが、彼は自分が甥の将門を葬ろうとすることを快く思っていないらしい。


「なぜ」


 にじり寄る良正を、良文は煩わしそうにかわし、彼を見下ろす。

 四捨五入して五十になろうとする兄は、すでに髪に白いものが混じりきっている。先の戦に大敗したことで、それは更に顕著になったようだ。


「兄者のように、俺には将門を恨む理由がないのですよ」

「だが、放っておけばあやつは、お前の領地すら侵しにくるかもしれない」


 十以上年齢が離れている末弟に、甥の将門を討とうじゃないかと同盟を持ちかけてきた良正は、よほど焦っているのだろう。

 過去、醍醐天皇の勅命によって俘囚(ふしゅう)を討伐したことで、良文は勇将として今も名を馳せている。彼を仲間に引き入れることで、どうにか失った戦力を元に戻したいと、良正は必死になって懇願しつづけている。

 だが、良文はやんわりと拒み、彼に言い聞かせる。


「彼はそこまで強欲ではない、それに俺は彼を殺す必要を持たない」


 良将の遺領を国香に横取りされたため、武力で取り返した将門に協力した良文は、彼が自分の父親の領地をまっとうに治めたかっただけだというのを知っている。

 それなのに兄たちは彼の武力行使に慄き、自分たちの領地を奪われるのではないかと同じように武力で対抗し、良兼と将門の関係が悪化したことを理由に、彼らは将門を一族のつまはじきにしてしまった。

 強欲なのは将門ではなく長兄の国香や良兼だというのに、四男の良正は将門が諸悪の根源だと決めつけている。

 やれやれと嘆息しながら、良文は考える。


 ……将門が常陸(ひたち)上野(こうずけ)下野(しもつけ)下総(しもうさ)上総(かずさ)、相模、安房、伊豆、俗にいう坂東八カ国を統一させようなどと画策しているとは到底思えない。


 それに、良文が本拠地にしている武蔵国自体、その中に含まれていない。だだっ広い平野しかなく、常陸の養蚕や下野の製鉄のように高級な生産物があるわけでもない、農耕と放牧しかないこの国に価値が見出されないのは仕方がないことなのだろう。

 だからもし将門が坂東統一を図ったとしても、良文が直接的被害を受けることはまずありえない。そう説明しても、良正は納得しない。

 あげくの果てに。


「やはりお前は将門の味方なのだな!」


 と怒りはじめる。


「そうは言っておりませんが」


 冷静に対処しようとする良文を見て、良正は更に憤る。


「いや、きっとわしのことを愚かだと心の奥底で嘲っているに違いない! わかったもういい将門の魔性に惹かれたお前などいらぬ!」


 どかどか床を踏み抜くような豪快な足音を立て、良正は不機嫌なまま去っていく。

 良文は無表情で兄の背中を見送る。


「……行った?」

「ああ」


 良正の気配が消えたのを確認して、良文の前へ妻が現れる。

 千代織はかたい表情の良文の隣に座り込み、さっきまでのふたりの会話を反芻させる。


「将門が魔性ねぇ……」


 たしかに、将門には宴という戦巫女とも戦女神とも呼べる存在がいる。

 言いえて妙、とはこのことかもしれない。千代織は良文の決断を誇らしそうに聞いていた。良正になんと言われようが頑として受け入れず、交渉を打ち切った彼はいつも以上に恰好良い。


「彼は、村岡を責めていらっしゃるかしら?」

「いや、俺と将門が繋がっている証拠があがっているわけでもないし、そこまで陰険なことはしないだろうよ……そんなことする暇があるなら農地開拓でもしろと言いたいんだけどなぁ」

「それもそうね」


 のほほんとした口調に戻った良文を見て、千代織は安心する。彼は自ら戦局へ身を投じることはしないだろう。いまは、まだ。

 将門が、自ら助力を請わない限り。そして朝廷からの呼び出しが届かぬ限り。

 千代織が恐れる彼の中に棲む鬼は眠っている。

 それでいいのだ。いまは、まだ。

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