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第三章 祝祭は狂宴の前に《3》




 将門の姿を認め、涼しげな目許が柔らかなものへと変わる。桔梗は乳呑み児を両腕に抱いたまま、様子を見に来た彼の前で口をひらく。


「随分、騒がしくなりましたね」

「いつものことだろ」


 苦笑を浮かべながら、桔梗の腕の中で眠る娘、茉莉を見下ろす将門。

 宴が来てから、将門の館が賑やかになったのは紛れもない事実だ。彼女がひとり加わるだけで、あれほど華やかになるとは思いもしなかった。

 気さくな戦巫女さま。巫女といえばすまし顔で近寄りがたい存在だと思っていた彼らにとって、宴の登場は衝撃的なものだったに違いない。

 誰とも仲良く会話をし、自ら働くことを提案し、厨番を手伝うようになった彼女。

 誰も彼女が神であるとは思っていないだろう。館で彼女の正体を知っているのは将門だけだ。桔梗も、ちょっと風変わりな巫女さんねと笑っている。

 宴が手伝いたいと提案したことに対して、将門は宴らしいとアッサリ承諾したが、頭のカタイ弟たちは神聖な巫女が厨で調理をすることに猛反対していた。客人なのだから何もしなくていいのにと言っても彼女は戦がはじまるまで手持ち無沙汰だから働くと言ってきかず、結局将門が彼らを諭したことで落着したのだ。


「でも、いつも以上に賑やか」

「叔父夫婦がいらしてるからな」


 きっと良文も宴の姿を見て苦言を漏らし嘆いたことだろう、単を着こなしていた彼女がなぜ端女同然の恰好でいるのかと。けれど宴は彼を簡単に丸め込んでいるだろう。あたしがすきでやってるんだから気にすることないでしょ、なんて言い張って……

 ふたりが繰り拡げたであろうやりとりを想像して、将門は微笑を浮かべる。


「楽しそうね。それに、私の傍にいるより、彼女の傍にいた方が将門らしいわ」

「なんだよそれ」


 桔梗は茉莉の寝顔をいとおしそうに眺めながら、淋しそうに呟く。


「……だって」


 ――すきなんでしょう?

 桔梗の消え入りそうな言葉を、将門は聞かなかったふりをする。



   * * *



 愛馬に乗って村岡へ帰っていく良文と千代織の後姿を見送り、ほっと息をつく宴。


「どうした? 柄にもなく気疲れか?」

「何よ柄にもなくって」


 良文たちは息子たちが待っているから長居はできないと三日滞在した後、あっさり帰っていった。将門は叔父夫婦が帰ったことを宴が残念がっているんだろうと思い、彼女を励ますようにあたまを撫でるが、彼女は無表情のままだ。


「また逢えるだろ」


 自分の黒髪の上で踊るように無造作に指を通す将門を払いのけることもせず、宴はまだ明るい真昼の青空を見上げている。

 やはり彼女は、良文のことを、想っているのだろうか。彼らが息災であることを、願っているのだろうか。将門は良文のことを想う宴の姿に気づき、淋しそうに呟く。


「……俺より叔父上の方がいいのか?」

「うん……うん?」


 ハッと我に却って宴はぶんぶん首を振る。


「ちょっとマサカド今なんか変なこと言ったでしょ」


 深く訊いても、きっと将門は応えてくれないだろう。いつものように笑顔で軽くあしらわれてしまうのが目に見えている。


「ううん。なんでもない」


 噛みあわない、ちぐはぐな会話。紡ぎきれない、途切れ途切れの言葉。


「言いたくなったら、言いなさいよ」

「……そうする」


 どこか、消化不良な表情で、将門は宴の髪をくしゃりと撫でる。宴は黙って、されるがままになっている。


「桔梗の君に誤解されるわよ」

「残念だが、もうされている」


 苦笑を漏らしながら、将門は囁く。


「だって宴は、戦巫女という役目を持った、俺のオンナなんだから」

「……そういえば、そうだったわね」


 すっかり忘れていた。将門が引き継いだ領地を巡り、国香と争っていた良文をつい、出来心で救ったことは覚えているのに。

 将門が、スタルシャナという神に、宴という名前をつけたことは覚えているのに。

 宴はなりゆきで彼の愛人(・・)にされていたことをすっかり忘れていたのだ。


「その場しのぎでついた嘘のことなんか、覚えていなくてもいいのに」

「嘘のままにしておくには、勿体無いだろ」


 宴がくるりと将門の正面へ顔を向ける。両頬を膨らませ、キッと睨みつけている。ああ、怒っているんだな、俺が怒らせたんだなと将門は思いながら、彼女の身体を抱き寄せる。


「やめて。そういうこと、しないでよ」


 困惑した表情の、宴の弱々しい声を、将門はあえて聞き流す。


「厭なら、厭がればいい」


 宴は神なのだから。将門の腕の中から逃げ出すことなど容易いはずだ。

 それなのに、宴は俯いたまま。


「……あたしが欲しいの?」


 将門の琴線を揺さぶる一言を、搾り出す。彼女の不意打ちによって、力をこめていたはずの両腕は、だらりと崩れる。戒めが呆気なく解かれた宴はつんのめるように前へ飛び出し、将門の途方に暮れた表情を見上げる。


「マサカド?」

「莫迦。そんなんじゃない」


 苦しそうに口にする将門を、じっと見据える宴。その榛色の、澄み切ったおおきな瞳が。


「俺、何やってんだろうな」


 正気に戻させる。


「強姦未遂」

「そこまで派手なことはしていないだろ!」

「そうかなあ?」


 宴はさっきまでの出来事を忘れたかのように振舞っている。将門のいっときの迷いを、最初から知っていたかのように。


「そういうこと言うと襲うぞ」

「できないくせに」


 顔を見合わせて、くすくす笑う。漂っていた気まずい空気は霧散していた。

 宴が原因であろう将門の迷いと惑いは、宴によって消えるのだ。

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