第四話 実家
何年振りでここに来たんだろう。
門の前に立ち、家を見ながら考えていた。
バンドのメンバーだったツヨシと二人で暮らすようになったのは、高校を卒業してすぐだ。それ以来、一度もここには来なかった。それくらい、この場所は、オレにとって脅威だ。
父とは時々電話で話したが、母・汀子とは全く関わりを持ってこなかった。血のつながった人に会うのに、何故こんなに緊張しなければならないのか。何だか、自分を笑いたくなってきた。
ミコは、黙って立ち尽くしているオレを見上げると、
「光国。入ろう」
「ああ」
返事をしたものの、ためらっていると、ミコが門扉を開けてしまった。
「ちょっと待て」
慌てて声を掛けると、ミコはオレに微笑み、「行こう」と言った。その言葉が、門の中へ入っていく勇気を与えてくれた。オレは深く頷き、門の内側に足を踏み入れ、玄関まで進んだ。ミコが、オレの顔を見ながら、
「大丈夫だよ」
励ますように言った。
「ああ」
やや無理矢理に笑顔を作って、そう答えた。本当は、大丈夫とは全然思えていなかった。
呼び鈴を押すと、父の返事が聞こえ、すぐにドアが開かれた。
こうして対面するのは、十年ぶりだ。黒々としていた髪に、白い物が少し混じるようになったのか、と感慨深かった。
「父さん。ただいま」
何とかそれだけ口にした。ミコが、オレの手を強く握って来る。慰めてくれているように感じた。
ミコはオレの手を離すと、父に向かって深々とお辞儀をして、
「初めまして。藤田美子と申します」
「初めまして。光国の父で、光洋と言います。ね。名前が似てるでしょう。光国とは、親子になるべくしてなったと、ずっと思ってるんですよ」
父が笑顔を見せると、ミコも微笑みを浮べた。父は、オレのそばに立つと、肩をバンと叩き、
「さ、中に入って。汀子さんが待ってるよ」
汀子の名前を聞いた瞬間、玄関から出て行きたい気持ちになった。が、それはダメだと思い直し、靴を脱いで上がった。ミコも靴を脱ぐと、丁寧に揃えて端の方に置いた。そして、その姿勢のまま小さな声で、「大丈夫だよ」と言ってくれた。オレは、俯いたまま囁き声で、「ありがとう」と礼を言った。
父の後について廊下を歩き始めたが、このままずっとリビングに着かなければいいのに、と思っていた。
リビングへ入ると、汀子が振り返った。オレと目が合うと、薄く微笑み、
「あら。来たの。いらっしゃい」
「お邪魔してます」
オレの言葉に、汀子が鼻で笑った。汀子は、二人掛けのソファの一方を指して、
「そこ、座れば」
全く愛想のない、冷たい声で言う。
「はい」
鼓動が速くなり、息苦しささえ感じていた。やはり、逃げ出したい。そんな気持ちに駆られる。
ミコは、汀子の方を向き、お辞儀をして名乗った後、買ってきたタルトを汀子に渡した。汀子も笑顔でそれを受け取り、キッチンの方へ行ってしまった。
ミコはオレの手を引くと、汀子が座れと言ったソファに導いてくれた。二人で揃って座ったが、胸がざわつくのは抑えられなかった。
キッチンで、汀子と父が話している様子を何気なく見ると、相変わらず仲が良さそうな感じだった。オレには絶対聞かせてくれないような優しい声で、
「光洋さん。これ、そっちに持って行ってくれる?」
「ああ、いいよ」
「ありがとう」
口の端を上げて、美しく微笑む汀子。その顔は、オレに向けられたものとは全く違っていた。父の前では、いつだってこうだ。オレには、その欠片すら与えてくれない。
父は、お茶とタルトを配りソファに座ると、汀子の方に振り返って、
「汀子さん。君もこっちに来て」
「今行くわ」
一歩一歩こちらに近づいてくる汀子を見ると、オレは恐怖を感じて目を伏せてしまった。