第五話 お父さん
「一人の時は、電話に出ちゃだめって言われてます。お父さんなら留守電にメッセージを入れるので、それから出ることになってます」
説明を受けていると、ピーっと音がした。そして、メッセージが聞こえる。
「お父さんだ。ミコ。電話に出てくれるか」
ミコは、オレから離れて電話のそばへ行くと、すぐに受話器を取った。
「お父さん。ミコです。あの……お母さんが八時頃出て行っちゃって。大きなカバンを持って行ったから、もう帰って来ないかもしれません」
それからしばらく父親と何か話してから、電話を切った。ミコがオレの方を向いた。オレは、首を傾げてから、
「何だって?」
「あと、十分くらいで帰宅するそうです」
「そうか」
溜息が出てしまった。どうしたらいいのかわからない。
「オレがここにいたら、お父さん、混乱するよな。やっぱり帰るよ」
ほんのさっき、「おまえが落ち着くまでずっとそばにいるから」と言ったばかりなのに。矛盾していると思いながらもそう言うしかなかった。
「じゃあ……」
玄関の方へと歩き出したが、「待ってください」と緊迫した声で言った後、ミコが背中に抱きついてきた。驚いて、そのまま動きを止めてしまった。
「ミコ」
「まだ行かないでください」
また、泣き出しそうな声。こんな声を聞いたら、ここから出て行けるわけがない。
「わかったよ。だけど、オレがおまえのお父さんに詰られたら、責任取れよ」
冗談めかして言ってみたが、ミコは真に受けたのか、「わかりました」と小さな声で言った。冗談なんて言わなければよかった、と反省した。
「ごめん。本気で言ったんじゃないんだ。おまえが責任とる必要なんて全然ない。ちょっとからかっただけだ。気にしないでくれ」
「私は今、飯田さんと一緒にいたいんです。一人になりたくないんです。引き止めたのは私だから、責任とります」
そんなやりとりをしていると、ドアの鍵を開ける音がした。オレとミコは顔を見合わせ頷き合うと、玄関へ向かった。
「お父さん、お帰りなさい」
ミコが声を掛けると、靴を脱ごうとしていた父親が目を上げたが、オレの存在が視界に入り、驚いたように目を見開いた。それはそうだろう。知らない男がそこにいれば、誰だって驚く。当然の反応だ。
「えっと、どちらさまでしょうか」
それでも、丁寧に訊いてくれた。オレは深々と頭を下げて、
「初めまして。飯田光国と言います」
挨拶をすると、その後をミコが引き継いだ。
「飯田さんは、私がお母さんを追っている時に転んだのを助けてくれたんです。怪我の手当てをして、ここまで送ってくれました。お礼にお茶を飲んでもらおうと思って、私がこの家に飯田さんを入れました。飯田さんは悪くないです」
ミコの言葉に、戸惑ったような表情をしているお父さんを、オレは黙って見ていた。この説明に納得してくれるだろうか。真実とはいえ、なかなか信じられないかもしれない。
が、お父さんは、さっきオレがしたように深々と頭を下げて、
「お世話になりました」
「あ、いえ、その」
言葉が出て来ない。とにかくもう、ここから出て行こうと思った。
「長々とお邪魔しました。それではこれで失礼します」
お辞儀をして、靴を置いた側に移動した。お父さんは、気持ち横にずれてくれた。オレは靴をはいた後、もう一度頭を下げてから、ドアノブに手を掛けて、
「さようなら」
ドアを開けて廊下に出た。
と、その時、
「飯田さん」
ミコがドアから顔を覗かせた。
「本当にありがとうございました。また遊びに来てください」
それだけ言うと、ドアを閉めた。廊下に一人にされ、しばしぼんやりと立ち尽くしてしまった。今言われた言葉を反芻してみる。
(また遊びに来てください……?)
来ちゃだめだろう、と心の中で突っ込んだ。次にここに来たとしたら、ちょっと冷静でいられないかもしれない。もう、これは犯罪だな、と自虐的に思ったが、この感情をごまかすのは難しそうだ。
(嘘だろう。ちょっと、やめてくれよ、オレ)
エレベーターに向かいながら、何度も何度も自分に言い聞かせていた。