第一話 夢
第四章は、飯田光国が主人公になります。光国の母の暴力的なシーンがありますので、ご注意ください。
あまり広くない部屋。そこは、電気が点いていないみたいに暗い。小さいオレは、一人でそこにいる。何か、おもちゃを持って、遊んでいる。
鍵を開けるガチャガチャいう音が聞こえたが、構わず遊んでいる。夢中になっていると、ふいに肩を叩かれて、振り向くと、そこには母がいた。まるで、彼女にスポットライトが当たっているみたいに、その表情ははっきりと見える。
彼女は、口の端を上げるとオレの頭を撫でる。そうされてオレの顔は、自然に強張って行く。
(怖い)
彼女から離れようと思った瞬間、撫でていた手が、オレの頭を強く叩いた。涙が出そうなのを、小さいなりに必死でこらえた。そうしないと、彼女は余計に腹を立てる。
彼女は、オレを何度も叩きながら、
「あんたのせいで、あの人、出て行っちゃったじゃない。あんたのせいなんだから」
あの人、とは、先日までこの家にいた、何番目かの夫のことだ。その人が出て行ったのは、オレが原因らしい。本当かどうかは、小さいオレにはわからない。ただ、母親の言うことは絶対だから、母が間違っているなんて、この子供は、少しも思っていない。
謝れば済むのかもしれない。が、体が震えて、声が出て来ない。
「あんたなんか、いなければ良かった。全部、あんたのせいなんだからね」
言うだけ言うと、気が済んだのか、彼女はオレから離れた。そして、それまでのことが何かの間違いだったのではないか、と思うほどの笑顔を見せる。そんな時の彼女は、年齢よりもずっと若く見えて、まるで十代の少女のようだった。
「光国。ご飯にしよう。何食べたい?」
彼女の顔を見て、何と答えればいいのか考える。
今日は、いつもより多く叩かれた。彼女は疲れている。ワゴンに、レトルトのカレーがあるのを、夕方見て知っていた。レトルトなら、すぐに出来るだろう。
「カレーがいい」
彼女は、微笑んだまま、
「光国は、カレーが好きなんだね。いいよ。作ってあげる」
そう言って、さっきオレが見つけたレトルトカレーに手を伸ばした。正解を言い当てたことに、ほっとする。
ここで、空気を読まなかったらどうなるか。それは、よくわかっていた。さっきと同じか、もっとひどいことをされる。
彼女が作ってくれたカレーライス。怒らせないように、慎重に食べる。味がわからない。
緊張して手の動きが不自然になり、つい、スプーンを落としてしまった。ハッとして彼女を見ると、もう顔つきが変わっていた。
「光国。あんた」
叩かれる。そう思って、両手で頭をかばった。
そこで、目が覚めた。夢の中と同じに、短い呼吸を繰り返していた。息苦しい。
ベッドから体を起こすと、両手で頭を抱えた。
(やめてくれよ。何で、今日この夢なんだよ)
夢で見た光景が、脳内で再生されている。いい年をして、いまだに母親が恐ろしい。鬼には会ったことはないが、きっとああいうのを、鬼の形相というんだろうと思う。
次第に呼吸は落ち着き、オレはベッドから出て、台所で水を飲んだ。まだ鼓動は速い。
(やっぱり、あの女に会いに行くなんて、オレには無理なのかな)
ざわつく心を、どうにも出来なかった。