第十二話 涙
その週の金曜日。クラブを終えて、久しぶりに喫茶店アリスに寄った。ミッコさんが、笑顔で私を手招くと、カウンター席を指差した。いつもの通りに、そこへ座った。
「忙しかったの?」
注文もしない内から、ケーキ皿を手にしている。どうせ注文するつもりだったので、そのまま準備してもらう。
「そうですね。進路をどうするか考えていましたし、クラブも忙しくて。この前、大会があったので」
大会の話をして、黒羽さんを思い出した。が、もう電話してから数日経っているので、あまり動揺しなかった。やはり、私の選択は間違っていなかったのだろうと思った。
「そっか。それで、進路はだいたい決まったの?」
「はい、一応。大学の文学部に入ろうと思っています」
「文学部か。ミコ、本読むの、好きだもんね」
「はい」
お父さんに、劇団には行かず、文学部を受験したい、と伝えると、「わかった」と言って、深く頷いた。
「ミコがそうしたいなら、それでいいよ」
「ありがとう」
その後、私は紅茶を入れて、お父さんと一緒に飲んだ。お互い、何も言わなかったけれど、温かい空気で満たされているように感じた。
「そう言えば、最近、光国と話した?」
「ツヨシさんが、舞台から落ちた時に電話して、それ以来です。ミッコさんは?」
イチゴのタルトを一口食べた。今日も、やっぱりおいしい。ミッコさんの優しさが伝わってくる、そんな味だ。
「私は、ツヨシから連絡があった。『私のせいで、大切な物が壊れてしまうんです』って、暗いトーンで話してた。私に言わせたら、ただ時期が来たってことじゃないかと思うけど。あの人たちは、中学に入学して間もない頃にバンドを始めて、今まで来た。子供だった彼らが、大人になって、一緒に見て来た夢が見られなくなることだってあると思う。わかってることは、ツヨシは今苦しんでるってこと、かな。だから、解散すること、私は賛成」
彼らをずっと見て来たであろうミッコさんの言葉は、重みがあった。
「解散してほしい訳じゃない。でも、仕方ないと思う」
重ねて、ミッコさんが言った。ふと彼女の顔を見ると、涙が頬を伝っていた。彼女は、エプロンのポケットからハンカチを出して目元を拭うと、
「ごめん。ちょっと、奥に行ってくる」
歩き出した彼女の背を、父親であるマスターが見送っている。マスターは、大きな溜息を吐くと、
「ミッコ、ちょっと落ち込んでてな。何しろ、ずっとあいつらをそばで見てきたから。プロになる前は、ライヴハウスに電話したり、チケットを売ったり、そういうことも手伝ってた。一緒にやってきたって思いが強いんだろう。奴らが東京に出る時も、祝福しながらも寂しそうだったけど。今回は、それよりもっと、へこんでるな」
私は、小さく頷いて、紅茶を飲んだ。
(光国は、どうしてるのかな)
今すぐ電話したいような気持ちに駆られた。