第九話 大人
少し遅れてリビングに行くと、光国は誰かと電話で話していた。話の内容から、タクシーを呼んでいるらしいのがわかった。デートは、もう終わりらしい。
電話を切った光国が振り向き、私がいることに気が付くと、驚いたように目を見開いたが、すぐに里菜さんの方に向き、
「あと、十分くらいで来るって」
「そう。ごめんね、送ってあげられなくて。仕事中は、さすがに無理だわ。ツヨシは運転しないしね。ま、出来たとしても今日は運転させられないか。ツヨシ。オールナイトだったんだから、眠いでしょ。部屋で休んできなよ」
里菜さんの言葉に頷くと、中田さんは光国に声を掛けて、部屋に向かった。
中田さんを見送った後、私は光国に視線を向けた。
「光国。帰っちゃうの?」
「うん」
「ゆっくり休んでくださいね」
出来るだけ、大人みたいな口調で、冷静に。そう自分に言い聞かせたのに、声が少し震えていた。また、しばらく会えないんだろうと思うと、涙が出そうになった。
光国は私に一歩近付いて、手を伸ばそうとして、そのまま下ろしてしまった。光国は、私をじっと見ると、
「さっきの……答え。オレたちは、付き合ってるし、恋人だ。オレは、そう思ってる」
「私も、そう思いたいです」
自信なさげに言うと、光国はもう一歩私に近づき、私の髪を撫でてきた。私は、頭を振って、
「私は、もう小学生じゃないわ。小さい子にするみたいに、そうするのはやめて」
本当は、そうされるのが好きなのに、気が付いたら、涙を流しながらそんなことを言ってしまっていた。光国が、私から少し距離を取った。
「ごめん。別に子供扱いしたつもりじゃなかったんだけど」
部屋がしんとしてしまった。私は、自分の感情が抑えられず、そんな自分を子供っぽいな、と呆れていた。光国は、何も言わずに私を見ている。私も、泣きながら、彼を見ている。
と、里菜さんが私の肩を叩いた。
「ミコ。ちょっとお店の方に来てよ。ミコをイメージして作った服があるから、それ、着てみて」
「あ、はい」
里菜さんは、二着服を持ってきてくれた。試着室で、渡された服の一つに着替えた。デザインもサイズも良かった。試着室のカーテンを開けると、「どうでしょう」と里菜さんに訊いた。里菜さんは手を叩いて、
「やっぱりいいね。もう一着の方も着てみてよ」
着替えて見せると喜んでくれたが、反応を示さない光国に顔をしかめると、
「ちょっと、光国。ちゃんと見てあげなよ。彼女がファッションショーやってるんだから」
里菜さんの言葉に、光国が何か言おうと口を開いた時、外でクラクションが聞こえた。タクシーが来てしまったようだ。鼓動が速くなった。また、泣いてしまいそうだ。が、私は、必死でそれを我慢すると、笑顔を作り、
「光国。さようなら。またね」
「ああ。また。今日は会えて嬉しかったよ」
自然な笑顔で言う。私は泣きそうなのに、この人は笑顔。やっぱり大人だ。
背中を向けて外に出て行った。車の走り出す音が聞こえた。途端に涙が流れ出した。里菜さんが、背中を撫でてくれる。
「ミコは、本当に光国を好きなんだね」
里菜さんが、そう言って小さく笑った。私は、しゃくり上げながらも、深く頷いた。里菜さんは、私を上から下まで見た後、
「ミコ。その服、本当に似合ってる。写真撮ってもいい? 光国に送っておくよ」
私が返事するより先に、里菜さんは写真を撮ってしまった。着替えて、もう一枚の服を着たのも撮った。自分で言うのもなんだけれど、この服は本当に私に似合っていると思った。
「こんな可愛い彼女がいたら、落ち着かなくなっちゃうよね」
里菜さんが笑った。私もつられて笑った。ようやく笑えた自分に安堵した。
「この服、頂きます。いくらですか」
「あげるって言いたいんだけどね、ごめん。えっとね」
告げられた金額を払った。今来ている服はそのまま着て帰ることにし、もう一着は袋に入れてもらった。
昼食を一緒に取ってから、タクシーを呼んだ。タクシーに乗る前、里菜さんが私を抱きしめてくれた。
「またおいで。いつでもいいから」
「ありがとうございました」
手を振り合って別れた。