傾いた世界で平然と生きて行く秘訣とは?
傾いた世界に生まれ、傾いた世界で育ちました。
僕は、高校を卒業するまで、オンボロの連棟住宅で生活をしていました。連棟住宅、俗に言う長屋。今風に表現するとテラスハウスっつ~の? 同じ屋根の下で三つの家庭が壁を隔てて生活をしていたのです。
僕の住む家は、物理的に傾いていました。南東の床と壁の幅木の間に25ミリほどの隙間があった。西端に住んでいるマー君の家に遊びに行った時に確かめてみると、マー君の家の中は傾いていない。南東の地盤がゆるいのでしょう、傾いているのは、東端の我が家だけでした。
こんな今にも倒れそうな家は嫌だ! 早くどこかへ引っ越したい! と幼い僕が母に訴えると、母は――
「お母さんには、この家が傾いているようには見えません。傾いているのは、この世界のほうだと思います」
――と、神妙な顔つきで訳の分からないことを言っては、引っ越しなんてとても出来ない、家庭の貧しさを誤魔化すのでした。
我が家に友達が遊びに来ると、「キューちゃんの家は、長く居ると気分が悪くなる」「目が回る」「吐き気がする」などと、みんなこぞって不調を訴えました。だって、室内が水平じゃないからね。そんな時僕は決まって、このような傾いた世界で平然と生きて行くある秘訣を友達に教えてあげました。その秘訣とは何だったのか? それは――
――おっとそうだ、その前に。実は最近とても奇妙な体験をしたので、先ずはその話をさせて下さい。秘訣の話は、その後で。
――――
僕の務める会社は、地域のお客様の水廻りの修理・リフォームから、新築戸建て住宅の給排水設備工事、店舗・工場・学校などの機械設備工事、道路の本管工事に至るまで、上下水に関わることなら、何でも請け負う総合設備会社だ。
妻との結婚を決めてすぐに、今の会社に就職をした。五年間の職人経験を経て、たまたま工事監督の一人が退職したのでその穴埋め、という会社からの粗雑な異動命令で、急遽管理職に就き、現在に至る。
げげっ。この日、会社のパソコンに届いた先方からの電子メールを見て、僕は、思わず声を上げた。
それは、全国展開するドラックストアを新築する工事の、上下水の埋設管状況を調べて欲しいという調査依頼のメールであった。このたぐいの調査依頼は、日常茶飯事であるが、問題はその建築地である。そこが、かつて僕が十八歳まで住んでいた家のすぐ近所だったのだ。
会社から、高速道路を利用して一時間も走れば、その街に着いた。先ずは、市役所の上下水道課で情報収集をして、その後、着工前の建築地で現地調査を行う。敷地内には、水道メーターも下水の取り付け管もない。地元の指定工事店に公道工事の依頼をする必要がある。前面道路の形状や既設の舗装復旧面積の寸法を、メモ帳に控える。なんやかやと忙しくしているうちに、気が付くと正午を過ぎていた。
さあ、腹ペコだ。妻のつくった弁当を食べよう。乗って来た社用車の車内で昼食を取り、速やかに会社に戻って、この現場の調査報告書をまとめよう。そうしよう、そうしよう。
……え? なになに自分? せっかく近所まで来たのだから、昔住んでいた家が、現在どうなっているのか、一応確認をしておきたい?
うんうん、その気持ちは分からんでもないぞ自分。でも、どうせとっくの昔に取り壊されて、駐車場や戸建て住宅に代わっているだけさ。時間の無駄。ガソリンの無駄。悪いことは言わない、弁当を食べて、さっさと会社に戻れ。
お、おい、本当にやめておけ自分。なんだか分からないけれど、嫌な胸騒ぎがするぞ。おい、聞いているのか自分。おいってば自分。
僕は、電撃殺虫器におびき出される哀れな蚊のように、その場所へ吸い寄せられて行った。
当時、この地区には、地元の名士といわれた市会議員が大家として所有する長屋が、いくつも建っていた。僕の住む家も、そのうちのひとつだった。その場所へと向かう道すがら、目に映る風景と自らの記憶とのあまりの違いに驚く。掃除の行き届いた、綺麗な街になったなあ。思い出のひとつも落ちていない。懐かしさの欠片も転がっていない。
前田君が住んでいた長屋も、森君が住んでいた長屋も、鬼頭君と柏木君が隣同士で住んでいた長屋も、全て建売住宅や、駐車場や、コンテナハウスに変わっていた。
砂利道は、アスファルト舗装道に。認知症気味のお婆さんが一人で切り盛りしていた駄菓子屋は、ピアノ教室に。シンナーの一斗缶の窃盗事件が多発した自動車整備工場は、マンションに。風呂や流しや洗濯機からの雑排水を垂れ流していた虫のたかるドブ川は、公共下水道の供用開始に伴い、濁りのないきれいな水路に。
かれこれ、三十年近くの時が流れているのだ。当たり前といえば、当たり前か。なるほどね。整いましたよ。なぜ今、僕が、あの場所に向かっているのか。
あの場所には、僕にとって、完全に忘れることは不可能だとしても、出来ることなら思い出したくない、そんな辛い記憶、苦い思い出が、たくさんある。その記憶の根源となる、おぞましきあの家は、この街の変わりようから推測するに、他の建物と同じように、もうとっくに取り壊され、物質としてこの地上から消え失せている。きっと、消え失せているはずだ。お願い、無くなっていてちょうだい。
僕は、それを確かめたいのだ。変わり果てた景色を見届けて、安心がしたいのだ。さあ行こう、自分の過去に決着だ。怯むな。たじろぐな。過去なんてものは、どう転んでも、結局のところ、過去でしかない。
次の角を左に曲がって、三つ目の辻を右に曲がれば、あの家が建っていた場所だ。
左折をする。和風モダンな住宅。イタリア風左官仕上げの住宅。オレンジ色の不動産屋。青いコンビニ。三階建ての狭小住宅。そんなありふれた建築物を通り過ぎる。
そこに突然、雑木林が出現する。ぞ、雑木林?
雑木林を境に、アスファルト道が、なぜか砂利道に変わる。じゃ、砂利道?
道に向かって大きく傾くブロック塀を避けながら、大地をえぐるように凹んだ轍を進む。なんだか嫌な予感がしてきた。
地面に転がったビール瓶の栓。煙草の吸殻。干からびたエロ本。ペチャンコの軍手。ザリガニの死骸。ああ、もう、嫌な予感しかしない。
尻込みする自分を、もう一人の自分が叱咤する。「おい、今さら、怖じ気づくな!」叱咤する自分を、もう一人の自分が引き止める。「おい、やめるなら、今だ!」引き止める自分を、もう一人の自分が叱咤する――そうこうしている間に、右折――
「……やっぱりな」
完全に忘れることは不可能だとしても、出来ることなら思い出したくない、そんな僕の、辛い記憶、苦い思い出の根源は――
なんと、その場所に、まだ建っていた。
「よくぞまあ、今日まで……」
これは、いわゆるタイムスリップ的な展開か、はたまた、妖怪の仕業か。僕は、呆然として車外へ出た。
廃墟であった。廃墟ではあったが、三戸の家庭が同じ屋根の下で壁を隔てて生活をする連棟住宅、その外壁の錆びた波トタン、薄汚れた瓦屋根、引き裂くように破れた網戸、共用のプロパンガス庫、汲み取り便所の臭突、紫外線劣化した二層式洗濯機、ボフッと恐ろしい音を立てて着火したガス風呂釜、紙クズや木クズや生ゴミを片っ端から放り込んで燃やしたドラム缶、そんな僕の記憶の根源が、まだそこに残っていた。
建物は朽ち果てる寸前で、敷地内は雑草が猛威を振るっていたが、昭和と平成の境目あたりの世界が、確かにそこに存在した。
「この死に損ないめ……」
憎悪と敬意の入り混じった気持ちで、三つ並んだ住居のうち、かつて自分が住んでいた東の端っこの住居の玄関扉の前に立つ。
とんとん。
玄関扉を、ノックしてみる。
「キュ~ちゃ~ん」
子供の頃に友達を遊びに誘う時の独特の節回しで、自分自身を呼んでみる。
もし僕がタイムスリップをしているのならば、この扉の向こうから、鼻を垂らした坊主刈りの幼き僕が、元気に返事をして飛び出してくるはずだ。
「…………」
返事はない。
「……は~い」
なんとなく、自分で自分に、返事をしてみる。
いったいぜんたい、何をしとんじゃい、お前は。ああ、とんだ寄り道をしてしまった。反省、反省。深呼吸をして、長屋の前に散乱する瓶ビールのケースを二つひっくり返し、机と椅子の代わりにする。午後からも忙しい。いっそここで弁当を食べてしまおう。
弁当袋から、弁当箱と水筒を取り出す。僕は、冬場は保温機能付きの弁当箱を使用している。一番上にある汁物の容器を開ける。かかか、カレーだ。またカレー。おいおい、昨晩も今朝もカレーだったじゃないか。三食続けてカレーライスなんてありかよ。
あれ? お箸がないぞ。妻のやつ、お箸を入れ忘れている。あ、そっか、カレーだから、スプーンをつけてくれたのだろう。……マジっすか~。どこを探しても、スプーンもない。ちっ。あの女ときたら、しっかり者のようで、ちょいちょい肝心なところが抜けていやがる。
どうしよう、カレーを食べるすべがない。ほんの一瞬、車に積んである直径13ミリの水道配管用の塩化ビニールパイプを、ストロー代わりにしてカレーをジュボジュボ吸う、というアイデアが頭をよぎったが、誰も見ていないとはいえ、さすがにそれは正気の沙汰ではあるまいと、ぎりぎりで思い留まる。
さて、いつまでもここでこうしているわけにはいかないのであるが、困ったことに、カレーを食べる気も、カレーを食べない気も、起きないのである。ただ僕は、野良犬のお腹ぐらいの温度に保温された、プラスチック容器を両手で持って、宙を凝視しているのである。
突風が吹く。吹き溜まりに、砂埃が舞い上がる。右目まぶたの裏に、ゴロゴロと異物感。そっと片目を閉じる。真冬の曇天。にわかに轟音。分厚い雲を突き破り、着陸ルートに出現した旅客機が、僕の上空を通り過ぎ、この地区の、あらゆる生活音を掻き消しながら、近くの空港へと舞い降りて行く。なんの気なしに、容器に鼻を近づけて、食べ物のニオイをすんすんと嗅ぐ。昔からの悪い癖だ。僕は、そこでしばらく昔のことを思い出していた。
――――
それはまるで建物に呼びよせられた、とでも表現したらよいのでしょうか、なんとも奇妙な体験だったのです。
さて、家が傾いていて特に何が嫌だったかと言うと、家が南に傾いているため、枕を南にして寝ると頭に血が上ってしまう。でもだからといって東西に頭を向けると傾斜をゴロゴロと転がって行くような感覚が不快でとても眠れない。というわけでうちの家族は、みんな揃って北枕で寝ていました。年がら年中縁起の悪い家でした。
昭和の木造住宅の階段は、ただでさえ急で昇りにくかったのですが、僕の家の階段は手前にひどく傾いているため輪をかけて昇りにくかった。僕は頻繁に足を踏み外し階段から転がり落ちました。ただし、転がり落ち慣れていたせいか、いつも不思議と怪我はありませんでした。
そういえば、僕の家に遊びに来たマー君が階段から転がり落ちて右手を骨折したことがありました。マー君の親が僕と母を睨み据えつつ至急病院に連れて行くなどのごたごたの末、母が当時はまだ比較的高価だった魔法瓶の水筒を、お詫びの意味を込めてマー君へお見舞いの品として贈りました。それを知った僕は、翌日階段の最上段から豪快にダイビングをしました。それでも骨折することが出来ず、あいにく魔法瓶は手に入りませんでしたが。
僕が高校生の時に両親が離婚をしました。いろいろあって、高校卒業の間近に、母と僕と妹は、母子家庭や老人や外国人や低所得者が優先的に入れる県営住宅に引っ越しました。その頃、姉はとっくに自立して家にいませんでした。
これまた実に古い県営住宅でしたが、僕はすこぶる嬉しかった。何が嬉しかったって、そう簡単に傾きそうにないコンクリート造の建物に住めることが嬉しかった。
父と母が離婚したことなんて、どうでもよかった。そんなことより、汲み取り便所から水洗便所の生活になったことが嬉しかった。女の子をつれ込めそうな自分の部屋が出来たのが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
まわりから見れば、辛かろうにと同情されるような境遇にあっても、僕は不思議と思い悩むようなことはありませんでした。むしろ自分がスピリチュアルな何かに傾倒することを極端に恐れました。とにかく精神的な事柄に異常に拒絶反応を示したのです。
中学から高校を卒業するまでの思春期に、昨今の子供たちのように「引きこもる部屋」が物質的になかった。そもそも反抗するべき父親が物質的に家にいなかった。そんな僕の関心事は、見える、触れる、味わえる、全てが物質的な事柄でした。それが若き日の僕のポリシーでもありました。今思えば、たぶんそうしなければ頭がどうにかなってしまいそうな時期だったので、脳が防衛本能を働かせていたのかもしれません。
高速道路の橋ゲタの下で、ブルーシートを敷いて、段ボールにくるまって、寒波の日に凍死している。あの頃の僕は、そんな自分の未来をありありと想像したものでした。べつに未来を悲観していたわけではなく、そうなっても何ら不思議じゃないと、ごく普通に思っていました。
時は流れた。妻と出逢った。この人と一緒に暮らそうと思った。働いた。結婚した。また働いた。子供が生まれた。馬車馬のように働いた。家を建てた。死に物狂いで働いた。出世した。何だかんだで、生まれてから7回引っ越しをしましたが、土地を買い、家を建てたからには、おそらく今の家に永住をするでしょう。
あの日、僕がノックした廃墟の扉の向こうから、もしも幼き日の僕が飛び出して来ていたら、僕は彼にこう言いたかった。
「君の未来は、君が思っているより、なかなかどうして捨てたものじゃないよ。ははは! ほら笑え! さあ笑え!」
ちなみに、この奇妙な体験には、あと少しだけ続きがあるのです。
――――
事前調査をしたドラックストアの新築工事は、滞りなく着工を迎え、僕は頻繁にその現場に出入りをしていた。
そんなある日、現場から帰社をするため、しばらく車を運転していたが、僕は、ふと会社とは違う方角へハンドルを切った。またもや虫の知らせと言うやつだ。何となく呼ばれているような気がして、僕はふたたび、かつて自分が住んでいたあの長屋へと向かったのだ。
声なき声のする場所へ、辿り着く。
すると、僕が住んだあの長屋が、解体工事の真っ最中だった。
敷地の周囲には仮囲いが施され、防音シートが建物を覆っている。ハサミのお化けのような建設機械が、梁を挟んで揺らすと、柱がいとも容易くひしゃげる。ホースで瓦礫に水を撒いている作業員に尋ねたら、ここには新たに針灸接骨院が建つ計画があるらしい。
乾いた音を立てて、材木がへし折れる、僕の住んだ家が、膝から崩れ落ちるように形を失って行く。耳を澄ますと、崩落した解体物から、すすり泣くような声がする。その泣き声が重なり合い、瓦礫の山が慟哭しているようにも聞こえる。解体された長屋の粉塵は、殺戮された動物の血しぶきのよう。穏やかに晴れた冬の空に舞い散って、キラキラと輝いている。
ありがとう。最期に僕を呼んでくれたのだね。死に目に逢えてよかった。よくぞ呼んでくれた。ありがとう。ありがとう。ごくろうさまでした。
――――
傾いた世界に生まれ、傾いた世界で育ちました。
我が家に友達が遊びに来ると、「キューちゃんの家は、長く居ると気分が悪くなる」「目が回る」「吐き気がする」などと、みんなこぞって不調を訴えました。だって、室内が水平じゃないからね。そんな時僕は決まって、このような傾いた世界で平然と生きて行くある秘訣を友達に教えてあげました。さて、お待ちかね、その秘訣とは――
「いいかい、傾いた世界で生きて行くには秘訣があるのさ」
友達から訴えがある度に、僕はみんなにこう訓示をしました。
「傾いた世界で生きて行く秘訣、それはね、まず片方は、傾きに逆らうようにグッと踏ん張る。そしてもう片方は、いっそのこと傾きに身を委ねてしまう。要はバランスさ。簡単だろう。このことをいつも心掛けるといいよ。そうすれば、どれだけ世界が傾いていようと、意外と大丈夫」
この言葉が、はたして体のバランスのことを言っていたのか、あるいは心のバランスのことを言っていたのか、我ながら、今になってもよく分からないのです。