第六十七話【蛇頭の正体】
「おぉ、目が覚めたようでござんす」
ジューロは回復魔法を掛けられている男を覗き込む。
男はまだ虚ろな目をしているが、傷は完全に塞がっているし、呼吸も安定しているように見えた。
顔色は悪いままだが…。
「…あんた達は?」
男が声を捻り出すようにして訊ねてきたが、リンカが慌ててそれを注意する。
「あの!ま、まだ喋らないで下さいっ!回復が終わってないんですから!」
よく見るとリンカは未だ回復させる為の魔力放出を続けていた。
その状況から察するに、危機的な状態は続いているのかもしれない。
しかし、そんな事はお構い無しといった感じで男は言葉を続ける。
「そうか、助けてくれたのか…。なんて礼を言えばいいのか…」
「ですから、体力を温存してくださいっ!本当に危ないんです!」
必死で訴えるリンカの額には汗が滲んでいた。
必死で回復魔法を使っているのにも関わらず、男の顔からは徐々に生気がなくなっていく。
「ありがとう、見知らぬ方…。でも、いいんだ。なんでだろうな、助からないのは自分が一番よく分かるから。だから、喋れるうちに…聞きたい事があるんだ」
「聞きたい事でござんすか?」
リンカは諦めずに回復を続けているが、もし今際の際なら話を聞いておくべきだとジューロは思った。
「ちょっ、ジューロさんっ!?」
リンカがジューロを怒ろうとした時、チーネがリンカの肩に手を置いて、静かに首を振って制止した。
チーネは【言葉の嘘を見抜く特技】を持っている。
そんな彼女が何も言わずに制止したという事は、男は嘘をついておらず…本当に助からないのかもしれない。
グリンもそれを察し、ジューロに代わってもう一度声を掛ける。
「聞きたい事って何です?僕らで分かることで良ければ」
「すまない…、重ねて恩に着る」
男はゆっくりと呼吸をすると、恐る恐る尋ねた。
「…ディリンク国がどうなったか、何か知っている事はないだろうか?」
「ディリンク国…。確か、三年前に戦争をしたっていう」
「ああ、その国だ…。敗けた事は知ってる。ずっと捕虜になってたから嫌でも耳にしたよ」
「捕虜?じゃあ、やっぱり貴方はディリンクの兵士…」
「なんだ、俺が兵士だって事には気付いていたのか…」
「ええまぁ…子供の頃、ディリンクとの共同演習を何度か見たことがありますから。その制服を見れば、なんとなく」
グリンが最初この男を見た時、心当たりがありそうな素振りをしていたが、そういうことだったらしい。
グリンの父親がビアンドで兵士をしていた頃、子供ながらに見ていたから分かったのかもしれない。
「そうか…」
「…ディリンク国の事でしたよね、ええと───」
グリンは言葉を詰まらせた。
結論だけ言えば、ディリンク国は存続している…はずだ。
以前、グリン達と図書館で調べものをした時のこと。ディリンク国と戦争があったこと知り、その国の顛末だけは書物を見て知っている。
ディリンク王が崩御し、軍は解体され、それでも何故か国としての形だけは残されていると記されていた。
国が存続できているというだけで、肝心の内情や戦争後にどうなったかの情報は不自然なほど希薄なものしかなかったが…。
それをどう伝えればいいのか。悩むグリンに代わり、フレッドが言葉を続けた。
「ディリンク国は無事だ、そこに住む人たちにも手出しはしてないとも聞いた…。普通に暮らせているさ、だから安心してくれ」
「ほ、本当か…?」
「ああ、俺達は産業ギルドの人間だからな。ディリンク国と交易を再開するとかで、そういう話を聞く機会も多い」
フレッドの言葉を聞いたチーネが何かを口走りそうになるが、それを察したグリンが彼女の口を慌てて塞いだ。
そのチーネの表情で解った。
フレッドは今、おそらく嘘をついている。これ以上の不安を与えない為に───
「そうか…!良かった…本当に…」
フレッドの返答を聞いて、兵士は安堵の声を漏らす。
だが、それとは裏腹に兵士の顔色は土気色に変わっていき、指先も砂のように崩れ始めていく。
兵士自身も身体に違和感を感じたのか、自分の手元を見やると、少しだけ驚いたように瞳を揺らした。
…しかし兵士はどこか諦めたような、それでいて納得しているような表情も見せていた。
「…俺からも聞きたいことがあるんだが、いいか?」
フレッドが兵士に訊ねる。
その声色は優しく、無理強いはしたくない気持ちが表れていた。
「ああ、もちろんさ…。助けてくれた恩人なんだ、答えれる事なら…」
兵士はゆっくりと、しっかりと聞こえるように返事をしてくれる。
「助かる。…アンタは、捕虜になってたんだよな?それなのに何でこんなところにいる」
「それが俺も、よく分からないんだ」
「よく分からない?逃げた…とかでもないのか?」
「うろ覚えだが、逃げちゃいない…と思う、たぶん。正直なところ記憶も曖昧で、ここが何処かも分からないけど、脱走とかじゃない。そういう心の確信はある」
「記憶が無いのか?」
「無いわけじゃないんだ…まだ頭がハッキリとしないだけさ、少しだけ頭にモヤがかかってるような感覚…。いやでも、ほんの少しずつだけど思い出してきたよ。そうだ、俺達は逃げたんじゃなく解放されたんだっけ───」
兵士は木漏れ日から見える光を眺め、自分の記憶を辿りながら語り始めた。
『解放されることになったのは確か、数週間…いや、たぶん一月くらい前だろうか…。
何を考えてるのか知らないが、突然"恩赦"が決まったと、あのオウノ・イコナが言い出したらしい。
俺を含めた捕虜数人が、収容所から連れ出されることになったんだ…。
数回に分けて捕虜を返すという話で、俺は最初の返還組として選ばれた。
はじめの頃は、俺も皆も純粋に喜んでいたんだよ。ようやく故郷に帰れる…幽閉生活も終わるってな。
そして、解放するからと告げられてから数日後、騎士団に連れ出される事になった…。
だけど、向かった場所は王都の外じゃなく王宮の地下。纏わりつくような嫌な空気のする場所に、俺たちは連れて行かれたんだ。
最初は地下牢にでも移されるのかと警戒していたが、そういう訳でもないらしい。
何も無い空間が広がっていて、牢獄らしいものも見当たらなかったからだ。
気持ちのいい場所とは言えないが、ひょっとしたらここで捕虜の引き渡しをするんじゃないか?
ディリンク国の誰かが俺たちを引き受けに来るのかもしれない…と、この時はまだ希望を持っていた。
しかし、その空間に現れたのはオウノ・イコナと、黒い肌をした見たことのない男の二人だけ。
騎士団に包囲されたまま、俺たち捕虜は中央に集められて跪かされた。
それを満足そうに一瞥して、オウノ・イコナは話をはじめたよ。
この時に嫌な予感はしていたが、俺たちは黙って耳を傾けることにした。
まだ解放されるという淡い期待が、わずかにあったからだ。
「もう二度と"私たちに逆らうことのないようにしてから"ディリンク国に返してあげる。ああ、なんて私は優しく、お人好しなのかしら」
自分に酔ったようにイコナが宣言すると、横に控えていた黒い肌の男が前に出てくる。
「ンーフゥ?女兵士は居ないんデスカ?」
男が愚痴るように言った声が聞こえた。
この黒い肌をした男が誰なのか、これから何をしようというのか?…何を言っているのかも理解出来なかった。
狼狽して身を引く俺たちに、イコナは更に説明を続ける。
「こいつも女神の使いの一人、特殊能力を授かった選ばれし者なの。これからアナタ達に女神の祝福を与えるわ?それが終わってから国に返してあげる」と…。
イコナの言葉が終わると同時に、その男は腰に取り付けたケースから、数枚のカードを取り出した。
カードに目を凝らせば、それらは動物やモンスターの描かれたカードと何も描かれていない白紙のカードということが分かる。
理解出来たのはそれだけだ…。そのカードに何の意味があるのか分からなかったし、女神の祝福だのなんだの一方的に喋られて…俺たちはただただ困惑する一方だ。
しかし、俺たちの事など意に介さないように、黒い肌の男は白紙のカードを一枚取り出すと、捕虜の一人にかざし始めた。
するとカードは光りを灯し、捕虜の一人がカードの中へと吸い込まれていく。
何が起こったのか分からない、だが白紙だったカードには捕虜になっていた兵士の顔が浮かんでいたんだ…。
皆が絶句する最中、男は気にも留める素振りもなく、コウモリの描かれたカードと…さっき新たに描かれた兵士のカードを重ね合わせた。
すると再びカードは光り、兵士だったカードの絵柄が変質した…。
それには、コウモリと人間を混ぜたようなバケモノの絵が浮かび上がっていたんだ。
ああ…そうだった。
これは、おぞましい記憶…。
仲間がモンスターに変えられたんだ。
カードを黒い肌の男が掲げると、今度はカードの中からかつての仲間だった者が呼び出された。
新たに浮かび上がった絵と同じ、コウモリと混ぜられたかのような姿…。
仲間だったモノは、もはや面影すらも残っていなかったんだ。
そんな化物に変貌した姿を見て、あの野郎は…くそっ!』
男はギリリと歯ぎしりをすると、悔しそうに再び言葉を紡ぎ始める。
『───何が「前の姿よりカッコよくなった」だ!「チカラを試す絶好の機会」だとも言ったか。
だが、そんなのは序の口だ。
更なる悪夢の始まりでしかなかった。
化物に変えられてしまった仲間…、それに男は指示を出し、俺と残った仲間たちを襲わせ始めたんだ。
武器もなく、手足も鎖に繋がれたままの俺たちには何も成す術がない。
生きたまま手足をもがれ、一方的に蹂躙されるだけ。
それでも俺は…なんとか皆を逃がそうと、少しでも逃れるチャンスを作ろうと、化物に変えられた仲間に組み付いた。
けど俺もヤツのカードに取り込まれて───
そうだ、俺もカードで混ぜられたんだ。微かにだが覚えてる…俺は蛇の化物に…。
それで、そのまま俺も、仲間たちを…!
俺が、この手で───俺が…?俺は…ッ!?』
取り乱し始めた兵士に、フレッドが肩に手を添えた。
「落ち着け…、アンタは長く幽閉されてたんだ。だから嫌な夢を見てたのさ」
「夢…なのか?でも、あの生々しい感触は確かに…」
「夢の感触を覚えてるなんて良くある事だろ?そもそもアンタは今ここにいて、俺たちと会話が出来てるじゃないか。それが人間のままである何よりの証拠さ」
「人間のまま…」
兵士は少し納得がいかない様子だった。
ひょっとしたら自分の姿を確認できないからかもしれない。
「リンカさん、手鏡とか持っておりやしたよね?」
「あっ…!はいっ!」
リンカはジューロの意図を汲み、手鏡を兵士自身の顔が見えるようにかざしてあげた。
手鏡に映った姿。
それはやつれてボロボロの兵士の姿ではあったが、間違いなく人の顔をしていた。
「ハハ、本当だ…。何を言ってたんだろうな、俺は…。まったく酷い顔だが…俺じゃないか…」
「だから言ったろ?悪い夢だって」
フレッドが改めて言うと、兵士は安心したように深呼吸して一息ついた。
「そうだよな…、夢を…見たんだな」
その言葉と同時だったろうか?
兵士の腕が、足が、形を保てない砂のように完全に崩れ始めたのは…。
色々な疑問があるし、聞きたいことは山ほどある。
だが、この状態で聞くのは酷だ。
何より、もう休ませてあげたいとも思えた。
「そうさ…アンタの仲間は解放されて、故郷に戻れた。だから何も心配することはないんだ」
「あぁ、そうなんだな…。それが知れただけでも、充分だ…。本当に、ありがとう…」
最期にそれだけ言い残し、兵士の目から光が消えた。
それを皮切りにして兵士の身体と顔がザラリと砂のように崩れていく。
そして、完全に塵になって消えてしまった。
最期はもう意識すら霧散していたように思う。
兵士がここに居た理由も分からずじまいだ。
だが…それでも、一つだけ分かった事がある。
それは蛇頭の正体がこの兵士だったということだ。
女神の使い、オウノ・イコナの仲間が何かの能力を用いて、この兵士を化物に変えていた。
彼の話が本当ならば…だ。
兵士が消えて静まり返った中、最初に口を開いたのはフレッドだった。
「さぁて…妙な話だが、どう思うよ?」
頭を抱えるように、カウボーイハットを目深に被りなおして尋ねてくる。
最初に答えたのはグリンだ。
「一応、彼は敵国の兵士って立場ですし、話を鵜呑みにするのもどうかと思うけど…。あんな砂のように崩れる死に方は聞いたこともないし、異常な事が起こってるのは間違いない…と、思う」
「そうか…」
考え始めるフレッドに対し、ジューロは提案を兼ねて言葉をかけた。
「あっしもグリンと同意見で…。そういやチーネさん、おめぇさんなら最期の言葉。その真偽は分かるんじゃ?」
言葉の嘘を見抜ける特技、それがチーネにはある。
彼女も近くで兵士の話は聞いていたし、判断できるハズだ。
「うにゃ!?私!?え、えっと…本人が思い込んでるだけの場合とかね?真相が間違ってても、言葉の嘘にならないけど…」
「承知の上で、それでも聞いておきてぇんでござんすよ」
「それにゃら…。うん、全部本当の事を伝えてたよ。フレッドと違って」
最後に余計な一言があったが、フレッドは意に介していないようだった。
どうでも良いという風に、フレッドが今度はチーネに尋ねる。
「お前さ、怪盗としてイコナとかいうヤツのこと探ってたりしてたんだろ?何か知らないのか?イコナの他にも女神の使いがいるとか初耳なんだが」
「それは…私も初耳だったし…」
耳をペタリと下げて、チーネが答えた。
それを見たフレッドが、はぁ~っと大きなため息をついて天を仰ぐ。
「そうか…。しかし、どうしたもんかね?」
今度は誰に聞くでもなく、独り言のようにポツリと呟いたフレッドの声が、ジューロにだけは聞こえた。




