第五十八話
───グリンの言う歪な臭いの事は分からないが、鳴子の音が聞こえた方向から異様な気配を感じるのは確かだ。
しかし、それを確認しに行くのは危険な気がする。
仮に鳴子に引っ掛かったのがモンスターや害獣の場合、ジューロは人を背負っているので対処することが難しい。
「グリン、戻りやしょう」
「…そうだね。最後尾は僕が受け持つから、もと来た道を辿って帰ろう」
ジューロが帰る提案をすると、グリンも危険性を把握していたようでアッサリと了承した。
「リンカさんも、それでいいね?」
グリンが確認すると、リンカもちゃんと聞いていたようでコクリと頷いてみせた。
「じゃあ帰りは私が先導します、ついてきて下さいっ」
「承知しやした、頼りにさせてもらいやす」
「はいっ!」
リンカは杖を構えて進みだす。
彼女に極力危険な事を避けて欲しいのは山々だが、今は先導を任せるしかない。
後方の警戒をグリンがしつつ、もと来た道を辿って行く。
ジューロは何が出て来るかと内心ヒヤヒヤしていたが、終わってみれば何事もなく森をぬけ出す事が出来た。
「…グリン、例の歪な臭いとやらはどうなりやした?」
「大丈夫、追ってきた感じはなかった。こっちに気付かれる前に離れられたんじゃないかな」
「ふぅ…それはよござんした。しかし何だったのでござんすかね」
ジューロは張り詰めていた気を少し抜き、一息つく。
「僕も分からないけど、今度また様子だけでも見に行きたいな…臭いは覚えたし」
「ふむ、確かに調査は終わったとは言えやせんからね」
相変わらずグリンは真面目だなぁとジューロは思った。
農地を荒らされた人たちの為に頑張りたい気持ちもあるのだろう。
「もうっ、二人とも!今はその人を運ばなきゃでしょ?」
ボンヤリと考えているジューロにリンカが声を掛ける。
「そうでござんすね、参りやしょう」
「ごめんごめん、行こうか」
ジューロが背負った男───ケンタは相変わらず気絶したままのようだ。
このケンタと名乗った男は日ノ本の事をおそらく知っている…。
それを含めて色々と聞きたい事もあるが、その為にも無事でいてもらわないといけない。
「二人とも、こっちですっ」
リンカに案内され、診療所へとやってきた。
医者こそ居ないが診療所は綺麗に整理整頓されており、怪我人や病人が出た緊急時に備えて何時でも使えるようにされている。
これも総合産業ギルドが投資して定期的に管理しているからだそうだ。
今日も診療所を掃除している初老のギルドメンバーがいて、慌てて駆けてくるジューロ達の様子を見るや、何事かと話し掛けてきた。
「どうした三人とも!?…その男は?」
「どうやら森にずっと居たみてぇで…」
「森に?!どうしてまた?」
「僕らも話を聞こうとしたんですが、気絶して倒れたんで詳しくは」
「そうなんですっ、名前だけは名乗ってくれましたけど…そのまま」
「そ、そうか。怪我でもして動けなかったとかか…?とりあえずベッドに寝かせよう」
「助かりやす」
案内され診療所のベッドに運ぶと、リンカがケンタの状態を改めて確認する。
幸いなことに怪我はしていないようで、倒れたのは当初の見立て通り空腹と疲労が原因のようだ。
それを受けてリンカは料理の支度を始めると、グリンは森での件を報告するため農地へと向かって行った。
ジューロも何か出来ることはないかとリンカの指示に従い、近隣の農家から飲み水と野菜をわけてもらってくると、リンカの手伝いに入る。
そしてスープが完成し、それが少し冷めた頃。
ようやくケンタが目を覚ました───
「ここは…っ…」
ケンタがボンヤリと天井を眺めながら呟く。
「お、目が覚めやしたか。ここは診療所でござんすよ」
「し…診療所…?」
様子をよくみると、言葉の途切れ途切れにハッハッ───と軽い息切れを起こしているのが分かる。
それを見たジューロが落ち着かせる為、飲み水を差し出すとケンタはそれを一気に飲み干した。
「はっ…ふっ…。あ、ありがとう…ございます」
ケンタは軽く息切れを起こしているものの、意識はしっかりあるようでジューロ達に向かって礼を述べた。
「少しは落ち着きやしたかね?ちと、おめぇさんに聞きたい事があるのでござんすが───」
「ちょっ、ジューロさんっ!」
リンカが注意すると同時にジューロの耳をつまみ、そのまま口元へ引き寄せる。
「ぬあ!?」
「もー!まだ病み上がりの人なんですからっ、それは後にしてくださいっ」
「うっ…確かに、申し訳ねぇ。どうも気がはやりやして」
リンカの言う通りだ。
今は仕事中でもあるんだし、個人的な事は後回しにすべきだろう。
ジューロがそんな事を考えていると、ぐぅぅ~という音が聞こえてきた。
腹の虫が鳴く音…それに気付いたリンカは用意していた食事をケンタに差し出す。
「あっ、お腹すいてますよね?これ、スープですっ!良ければどうぞ」
「あ、あっ…ありがとう…」
多少冷めてしまったが、穀物と野菜をすり潰したスープからは良い匂いがする。
ケンタは差し出されたスープを受け取ったかと思うと、備えられてたスプーンでかっ込むように口の中に流し込んだ。
「慌てないで下さいっ、気管に入っちゃいますよ」
「すいません、すいません、ありがとう…ありがとう…ございます」
ボロボロと涙を溢しながら食事をとるケンタを見て、ジューロは先ほどの身勝手さを反省した。
相手の状態を考えず、情報知りたさに先走っていた事をだ。
飢える事のつらさ…それを自分はよく知っているではないか。
「気にしないで下さい、おかわりもありますからゆっくりと」
とりあえず今はリンカに対応を任せるのが一番良いかもしれない。
黙って様子を見守っていると、今度はジューロの事を心配したのかリンカが話し掛けてくる。
「ひょっとして…ジューロさんもお腹すきました?」
「ぬ…?あっし?」
「はいっ、急に静かになっちゃいましたから…。お弁当持ってきてますから、先に食べます?」
「ぬはははは、いや大丈夫でござんすよ。少し考え事をしてただけで」
「考え事?」
「うむ、大した事ではありやせんけどね。とりあえず、お弁当はグリンが戻ってからにしやしょう」
「ふふっ、ですね!分かりました」
リンカが笑って答えると同時に、部屋の入り口から不意に声が聞こえてきた。
「なになに?僕の話してた?」
「ぬぉっ!?…グリン、戻ったのでござんすね」
「ただいま、ちょうど僕の名前が聞こえてきたから気になってさ」
「お弁当の話をしてたんですっ、グリンさんと一緒にって」
「そうなんだ、そういえば御昼もまだだったね。あ、ひょっとして待たせてた?」
「そんなことはござんせんよ。ところで、皆への報告は済んだので?」
「ひとまずはね、後で姐さんとフレさんも呼ぶってさ」
「ラティ姉さんたちも?」
「今後の調査について、改めて方針を決めたいんじゃないかな?」
グリンの感じた歪な臭いと森の嫌な気配。
明確な証拠ではないが、万が一の危険もありうる。
「そこで彼にも聞きたいことがあってね。えぇっと、今は大丈夫なのかな?」
ケンタの方に視線を移すと、彼はグリンを見て固まっていた。
かなり飢えていたハズだが、スープを飲んでいた手も止まっている。
「…あのー、大丈夫?どうかしたかい?」
固まっている様子を心配し、グリンが改めて声を掛けると、ケンタはハッとして我に返った。
「あっあっ…、す、すいません…」
「体調が悪いなら日を改めるけど」
「…いえ、落ち着いたんで大丈夫です」
「そうか、んじゃあ自己紹介から入ろう。僕はグリン、隣にいるのがジューロとリンカさん」
「ジューロと申しやす」
「リンカです」
「えぇと、自分はケンタって言います…。スープありがとうございました」
互いが軽く自己紹介を済ませたのを見届けると、早速グリンが話を切り出す。
「ところで、単刀直入に聞くけど、畑を荒らしたのってキミだったりする?」
グリンの一言で、ケンタに動揺が走るのが目に見えるように分かった。
「う…。すいません…それ、自分です…すいません」
そう言ってケンタが深々と頭を下げる。
潔く正直に白状した所を見るに、いたずらに荒らしたという訳ではなさそうだ。
「そうなのか、いちおう理由を聞いても?」
「どうしてもお腹が減って、何か食べれるものをと…」
頭を下げたままのケンタを見て、グリンは腕組みをして考え込む。
「なるほど、うーん…?」
「な、なんでしょう…」
「いや、お腹がすいたから食べ物を盗んでしまった…までは分かるよ?でも、お腹が膨れたなら仕事を探したりとかさ…。わざわざ森にいなくても、ギルドも色々とあるわけだし」
「ギルド…って?」
「えぇ…、ギルドを知らない?」
リンカとグリンがジューロに視線を向けた。
ギルドを知らないという事から、かつて何も知らなかったジューロを連想したのだろう。
「ま!…それは良いか。けどさ、荒らす前にダメもとで農家の人に助けを求めても良かったんじゃないかな?」
「…も、申し訳ないです。ごもっともだと…でも、怖くって…」
「怖い?」
グリンは理解できないとばかりに首を傾げ。
ケンタはと言うと、首を傾げるグリンを恐る恐る見ていた。
その様子を見たリンカは何かに気付いたようで、ケンタに一つの質問を投げ掛ける。
「あのっ、もしかしてですけど。ケンタさんって、獣人さんを見るの…初めてだったりします?」
「は、はい。すいません…」
「えっ?獣人も知らない!?」
ケンタの返事にグリンが目を丸くする。
そしてグリンもリンカと同様、一つの可能性に気付いてケンタに尋ねた。
「キミ…、一体どこから来たの?」
「じ、自分は…日本という国から…。気付いたらここに…」
───日本。
言葉の発し方こそ日ノ本と違うとはいえ、それの意味する事は同じだと理解が出来てしまう。
ケンタが言っていた日本人という言葉は、ジューロの聞き間違いではなかったのだ。




