第五十五話
「簡潔に言ってしまえば、イコナとは相容れない関係じゃな。これだけはハッキリしておる」
そう断じたガイモンの言葉に、ジューロは疑問を覚えた。
「相容れない...で、ござんすか?」
女神の使いオウノ・イコナの話は、王都に来てからジューロも耳にした事がある。
どんな怪我や病気でも【神薬】というモノを精製し、たちどころに治す特殊能力を持った人物───
貧しい者達にその能力を使い、支持を集め、女神ルモネラを信仰する教団も立ち上げたという。
そういう話を聞く限り、病気を治しているのは事実らしいし、医療に携わる人達との関係は問題ないように思うが…。
「あのっ、怪我や病気を治す人なら、志はお医者さんと一緒なんじゃ…」
リンカも同様の疑問を持ったようで、ガイモンに訊ねる。
「普通に考えればそうじゃよな。ワシらではお手上げな不治の病や怪我を治療するだけであれば多くの人が助かるし、それだけなら歓迎するんじゃが」
「相容れないのは、それ以外で…って事でござんすか?」
ジューロの答えに頷くと、ガイモンはイコナと相容れない理由を話はじめた。
「イコナが王都の行政権を握っているという話は知っておるかね?」
「へい、姐さんから以前そのような話を聞いておりやす」
うろ覚えだが、確か…イコナが政に関わるようになってからギルドの予算が縮小されたとか何とか言っていた気がする。
「それなら話は早いのう、彼女が行政権を握って以降、医療に関する事は全て神薬で解決できると言われてな?衛生ギルド───要するに、病院に対する資金援助が完全に打ち切られたのじゃ」
その言葉だけでリンカとグリンは事の大事さを理解出来たのか、深刻な顔を浮かべたのが見えた。
だが、ジューロにはピンと来ない。
「うぅぬ、話の腰を折ってすまぬが。あっしは頭が悪いんで…えぇとつまり、どういう事でござんす?」
「ジューロさん、あのですね?資金の打ち切りは…病院が維持出来なくなるような、死活問題なんですっ」
「だね。ま!簡単に仕組みを説明すると、王都の援助があると、病院の治療費も安く済むから誰でも診療できるようになってるんだ」
リンカとグリンが分かりやすく説明してくれたお陰で、ジューロもなんとなく理解が出来た。
「えっ!?じゃあ、今それが無いとなると…あっしの治療費とか酷いことになりやせん!?」
青ざめるジューロを見て、ガイモンは思わず笑いを噴き出す。
「どわははははっ!…いやぁ、治療費の心配はせんでもいい」
「ジューロ君、大丈夫よ。キミの治療費はギルド持ちにしておいたから」
ガイモンの言葉を補足するように、ラティも続けた。
「いや、そりゃあ…。あっしは助かりやすが、良いのでござんすか?聞いた話、高くつきそうでござんすが」
「ん?その様子だと知らないようじゃな。今の病院───というか、衛生ギルドが辛うじて機能しているのは総合産業ギルド【インターセッション】が出資者になってくれてるからじゃよ」
「もちろん出資者はウチのギルドだけじゃなけいどね?だからジューロ君は治療費の心配はしなくていいわ」
「そ、そうなのでござんすか?なんか…かたじけねぇ。しかし、ウチのギルドも厳しい状況だとか言っておりやしたけど」
「それはそうなんだけどね、でも病院は無理をしてでも維持しないと…。一人の人間に、国の医療が握られるような状況は、何としても避けたいのよ」
ラティの言葉でジューロはようやく事の重大さを理解できた。
病院や医者が居なくなった後、イコナの気が変わって神薬を提供しなくなったり、例えば姿を消したりした場合。この国は容易く崩壊するだろう。
「…なるほど、ようやく状況が呑み込めやしたよ。だからギルド同士が協力して、遣り繰りしてるのでござんすね?」
「まぁ、今の所なんとかな。病院の維持は出来てはいるが、やはり状況は良くはない。機材は古くなるばかりじゃし、流行り病が出ても薬の開発も出来ん…。誤魔化しながらやっておるが、そう長くは持たんじゃろうな」
「ならイコナとやらが造り出す神薬、それをお医者さんが作ったりすることは出来ねぇんで?」
何でも治す薬───神薬を作れるようになれば、イコナに頼らずとも良くなるだろうとジューロは考え、訊ねてみた。
しかしガイモンは首を横に振り、溜め息を漏らす。
「その神薬が問題でな、アレは特殊能力で生み出されたものであって技術ではないのじゃ」
「違うのでござんすかい?」
「ウム、まず医療とはな…人から人へ連綿と受け継がれ、進歩させてきた技術じゃ。才能の差異はあれど勉強すれば誰でも身に付く、ワシのようにな?」
ガイモンは親指で自分自身を指をさしてみせた。
「…じゃが、特殊能力は違う。個の持つ才能のみに依存し、紡ぐ事が出来ないシロモノじゃ。実際、神薬を手に入れて分析に回してみたが…見たこともない物質でな?神薬の再現は不可能じゃったよ」
「難しくてよく分かりやせんが、それは魔法とは違うのでござんすかね」
不思議な力、それは魔法も同じように思う。
「ウーム。魔力の才を持つ者は少数じゃが、それでも魔力がある者同士であれば同じことが出来るし再現性もある。ワシに魔法の才能は無いが、あれも技術の範疇と言ってもいいじゃろう」
そう言って項垂れるガイモンに、今度はリンカが訊ねた。
「あのっ、医療が失くなると大変だって説明すれば…ひょっとしたら分かってくれるかも」
「フ、説明や説得ならとっくにしたわい。じゃがイコナは聞く耳を持っておらんかった」
「えっと…じゃあ、王様に直接訴えるとか」
「それも勿論やったが、未だ何の返答も無いんじゃ。イコナが既に王様の相談役の座についているという噂もあるし、期待も持てんな」
「そ、そうなんですか…」
「ウムッ、そういう訳もあってイコナとは相容れる事はないじゃろうて」
乾いた笑みを浮かべ、ガイモンは続ける。
「敵対関係というと語弊があるが、衛生ギルドの立場として出資者側に頼まれれば、そっちに肩入れしたくなると言うものじゃよ」
ガイモンとラティは示し合わせように、互いに頷き合った。
「そういう訳じゃから安心しなさい。怪盗スパータの件、ワシらは見て見ぬフリをすると約束しよう」
ガイモンの話を聞いたチーネは、安心したように胸を撫で下ろし「あ、ありがとう…ご、ございます」と頭を下げた。
一通りの話が終わるのを待っていたようで、ラティが再び口を開く。
「ねえチーネ。怪盗スパータの評判とかね、好き放題言われるツラさは分かるけど。衛生ギルドもリスクを持って黙っててくれるの、だから怪盗からは足を洗いなさい」
「……うん、約束する」
チーネが小さく頷き約束した。
「とりあえず信じるわ。もし…万が一同じことをして、今度またアンタが操られる事があれば───」
「そんときゃ、あっしが刺し違えても殺しやすよ」
ラティの話に割り込み、ジューロが先に口を出す。
「ちょっ、ジューロさんっ」
「ジューロ…」
「約束を反故にしたならでござんすよ」
ジューロが確認するようにチーネに視線を向けると、彼女もまた真っ直ぐと見返し、今度は力強く頷く。
「二人ともありがと、でも大丈夫!怪盗スパータの評判なんかより大切なものくらい分かってるつもりにゃ」
「…む!よござんす」
「ふふっ、そうね」
チーネの返答に、ジューロとラティは微笑んだ。
まだ全てを話してはいないだろうが、この約束については信頼してもいいと感じる。
「話がまとまったようで何よりじゃな。さてとジューロくん、本当はお前さんと話しに来てたんじゃがな」
場の雰囲気が少し弛んだ頃、ガイモンがジューロに話し掛けた。
「あっしに?」
「そうじゃ、明日には退院できると伝えにな」
その言葉でジューロの顔がパッと明るくなった。
「おぉ!そいつぁ有難てぇ」
入院してから約一週間、リンカとグリンが毎日のようにお見舞いに来てくれて嬉しい反面。
それを申し訳ないと感じていたのもあって、早めに退院出来るのは有難いと思った。
しかしリンカとグリンは驚いた顔をすると、ガイモンに詰め寄る。
「あのっ?!退院って…大丈夫なんですか??」
「ジューロあんな大怪我だったのに、本当にいいんです?!まだ一週間も経ってませんよ?」
ガイモンは少し二人に気圧されるが、ゆっくりと諭すように答えた。
「心配なのは分かるが、ちゃんと診察した上の判断じゃから安心しなさい。既に傷も塞がっておるし、ワシ自身も彼の驚異的な回復力には驚いとるくらいじゃ」
「二人とも心配しすぎでござんすよ」
ジューロも自身の状態くらいは分かる、個人的には今すぐに帰ってもいいくらいだ。
リンカはあまり納得していない様子だったが、ガイモンの言葉もあって退院に対してはこれ以上の口出しをしなかった。
「でもジューロさんっ、退院するにしても何かあったらすぐに言って下さいね?まだ私の魔力は万全じゃないですけど、少しくらいなら…」
「ありがとうござんす!そいつは本当に心強い」
チーネを救う為に、リンカとラティは限界ギリギリの魔力を使った事で、未だに魔法を使うのは難しい状態にある。
魔法は心───精神力とのバランスが安定していないと使う事が出来ないらしく、今回のケースでは精神力も削られていて、魔力の回復には時間を要しているらしい。
リンカは仕事で魔法を使うのだが、それが出来ない今はラティの事務や雑用のフォローに回っているそうだ。
「戻ったら、さっそく仕事を頑張らねぇと」
「ふえっ!?」
「ジューロ、稼いでおきたい気持ちは分かるけどォ…」
リンカとグリンがジューロの言葉に呆れると、それを聞いていたラティも口を挟む。
「復帰するにしても最初から無理をさせるつもりはないわよ?…少なくともリンカの魔力が回復するまではね」
「左様で?あっしは大丈夫でござんすが…」
「まぁまぁ、そう言わないの。…あっ!でも一つだけ頼みたい事があったんだったわ…」
「頼み事?」
「ある農地に動物か何かが夜な夜な降りてきて田畑を荒らしてるみたいでね?その調査をグリン君と一緒にお願いしたかったんだけど…」
「ちょっ、ラティ姉さんっ!」
「ジューロに無理をさせないって今言ったばかりですよね??」
リンカとグリンがラティをたしなめた。
彼女は仕事に熱を入れる人であるから、頭の切り替えが仕事に傾くとこうなる事が多い。
「あっ、ごめんごめん!つい…ね?今のは忘れて」
ラティは舌をペロッと出すと、はにかんだ笑顔をみせた。
「うむ!でも夜な夜な出るのであれば、日の高い内に調べる分には問題ねぇんじゃ?」
「ジューロもさぁ…」
「いやぁ、グリンが居てくれりゃあ動物か何かとも鉢合わせずに行けるやもと」
「そりゃ臭いで察知は出来るけどさー?」
「はい!私が悪かったわ、この話はとりあえずここまで!ともかくジューロ君が万全になってからにしましょ?」
話を打ち切ると、ラティは椅子から立ち上がって少し伸びをする。
「んーっ、さてと…!そろそろ私は帰るわ。ひとまず用件は済んだし、ギルドを空けておくのも心配だし!」
「じゃあ僕も帰ろうかな?明日退院するならジューロの服も持ってこないと…っていうか、服はリンカさんが預かってるんだっけ?」
「リンカさんが?」
入院してから今日まで、身に付けていた着物を見掛けてないなぁと思っていたが、とりあえず捨てられたりした訳ではないようで一安心だ。
「はいっ!服に穴が開いてましたし繕って───えっと…迷惑でした?」
「まさか、ありがたいでござんす。そうだ、何か今度お礼をさせておくんなさい」
「えっ?!そんな…いいですよ気にしなくても」
「ここに来てから世話になりっぱなしでござんすし、気持ちだけでもって事で…。今は何も思い付きやせんけど」
腕組みをして頭を捻るジューロを見て、リンカは微笑んだ。
悩む姿が面白かったのかもしれない。
「ん…ふふっ、分かりました。じゃあ少しだけ楽しみにしておきますね」
「うむ!…えーと、リンカさんからリクエストなどは───」
お礼をどうするか思い付きそうにないと早々に諦め、リンカに尋ねようとした時。
枕がジューロの顔面に直撃した。
「ぐふぁ…!?」
「そこは言い出しっぺが考えるもんじゃないかにゃ?!」
話を聞いていたチーネが投げられた枕を投げ返してきたのだ。
「いや、だって思い付きそうにありやせんし…」
「諦めが早いにゃ!」
「ま!今回のはチーネの言う通りかもね?」
グリンがチーネに同調すると、それを見たリンカもイタズラっぽく口元を抑えながら笑った。
「ふふっ、ジューロさんの宿題ですね。頑張って下さいっ!」
「えっ、うむ?えぇ…っと、頑張って考えてみやす…」
自分が言い出したのは間違いないが、いざお礼を考えるとなると、どうすればいいのか分からなくなってくる。
こんなことなら勢いに任せず言うもんじゃなかったと少し後悔し始めた。
その後、リンカとグリンはラティと共にギルドへ帰ったのだが。
ジューロはそれからも頭を悩ませ続けるのであった。




