第五十四話
新聞を読んだチーネはショックを受けたのか、体を強張らせていた。
手は震え、動揺からか視線も定まらない。
「…あのさチーネ、なにが書いてあったの?」
グリンが心配して声を掛けてみるが、チーネに声は届いていないようだ。
心ここにあらず…といった様子を見たラティが、チーネの肩を軽く叩く。
「チーネ、悪いけどソレ返してもらうわね。グリンくん達にも見ておいて欲しいから」
そう言ってラティが新聞を取り上げると、ようやくチーネは我に返った。
取り上げられた新聞に反射的に手を伸ばしかけるが、どうしていいのか自分でも分からないという様子で、ぎこちなく手を引っ込めて押し黙る。
「ほら、グリンくん達も目を通しておいて」
グリンは新聞を受けとると、ジューロとリンカに見えるように紙面を広げた。
三人で記事を食い入るように見ると、このような見出しが目に入る。
◆女神の使い直属の騎士団、怪盗スパータを撃破───!
冒険者の行方不明事件、その犯人である怪盗スパータが騎士団により討伐されました。
怪盗スパータとは昨今、王都を騒がせていた怪盗です。
義賊と持て囃す人がいる一方、冒険者の失踪に関わる容疑者として、女神の使いイコナ様と王宮が調査していました。
今回、巡回中の騎士団が血を流して倒れている冒険者2名を発見し、駆けつけた所。怪盗スパータと遭遇。
怪盗スパータが冒険者を襲撃している現場に居合わせた事により、そのまま戦闘へと発展。
その後、無事に怪盗は討伐されました。
冒険者2名は重傷を負いましたが、騎士団の助けにより命に別状は無いとの事です。
───大まかにだが、このような内容の記事であった。
「えっ?でもこれ…」
グリンが首をかしげる。
それも当然だろう、記事で出てきた怪盗スパータとは、チーネの事だからだ。
しかし新聞の内容とは違い、チーネはこうして生きているし、大きな食い違いがある。
「…なんか、おかしいでござんすね」
「そうですっ!デタラメじゃないですか!」
そこに書かれている内容も気になる点が多く、三人とも違和感を感じていた。
ジューロ達が記事に一通り目を通したことを確認すると、ラティが口を開く。
「ねぇ、チーネ。一つ聞いておきたいんだけど、アンタ以外に怪盗っているの?例えば…アンタの仲間が怪盗スパータを名乗ってるとか」
「えっ、それは…」
ラティの問いに答えるべきか、チーネは未だ迷っているようだ。
「…あのねチーネ、よく聞いて?」
ためらいが見えるチーネに、ラティはゆっくりと話し掛ける。
「警戒する気持ちは分かるけど、私はアンタを売る気は無いし、敵じゃないわ。味方できるかは正直分からないけど、ここで聞いた事は誰にも漏らさないって約束する。だから、質問だけでも答えてくれないかしら」
チーネは言葉の嘘を見抜ける特技を持っている。
それをラティも知っているからだろう、彼女に分かりやすいよう言葉にしてみせた。
チーネを安心させる為でもあったのかもしれない。
「怪盗スパータは、私だけ」
チーネがポツリと呟くように答えた。
「そうなのね…。念のために訊くけど、この冒険者が失踪してる事件、アンタがやったことなの?」
「ち、違う!」
チーネはブンブンと首を振り、全力で否定する。
「まぁそうよね、とすると───」
ラティは思考を巡らせ、少し沈黙した後、溜め息をついて言葉を続けた。
「はぁ~っ、ひょっとして冒険者の失踪にも、オウノ・イコナが関わってる?」
ラティの問いにチーネは頷いて答える。
「そっか、最悪ね…」
ラティは何かを知っているようで、頭を抱えつつもすんなりとチーネの情報を受け入れた。
「まさか…というより、やっぱりねという感想しか出てこないのが本当に最悪」
ラティは椅子に腰掛け頭を掻くと、天井を仰ぎ見るようにのけ反った。
「姐さん、話が全く見えてきやせんが…」
チーネとのやり取りを聞いてはいたが、内容までは理解しがたい。
「あっ、ごめんごめん!そうね、ジューロくん達にも分かるように説明しとかないと」
天井を仰いでいたラティが姿勢を正すと、ジューロ達は耳を傾けた。
「女神の使いイコナ…名前くらいは聞いたことあるわよね?」
「うむ!」
ジューロの返事と同調するように、リンカとグリンも頷き返す。
「そいつが冒険者の失踪に関わってる…って所までは分かる?」
「へい、さっきの話を聞いて、何となくではありやすが理解できやす」
「そこまで分かってるなら十分ね。簡潔に言うと、怪盗スパータに濡れ衣を着せる為にこんなデマを新聞に載せたんじゃないかって話。あくまで私の憶測にすぎないけど」
「ふぅむ、なるほど…」
今回、チーネが操られた一件。
チーネから明確な回答こそないが、これもイコナによるものだとラティは睨んでいた。
「では、何か濡れ衣を晴らす手立てとかはござんすかね?」
「無いわね!」
「ぬおぅ…」
ラティがアッサリと即答する。
「ちょっと待ってよ姐さん!私が怪盗として人前に出ていけば生きてる証拠になるし、情報が間違ってるって証明にならない?」
「ア・ホ!」
反論してきたチーネに、ラティが呆れたように言い返すと、デコピンをして黙らせた。
「こんな記事を出せるって事は、報道機関はイコナに掌握されてるわよ。仮にアンタが出て行った所で、情報操作の後出しジャンケンされるのがオチだわ」
「で、でも…」
「とりあえず、コレについては放っておきなさい」
「放っておくって、罪を擦り付けられたままにしとけって事!?」
「そうよ、別に良いでしょ?幸いにもアンタ自身の事は書かれてないし」
「よ、良くにゃい!!」
チーネが憤慨する気持ちはなんとなく分かる。
罪を擦り付けた上で、肝心の犯人がのうのうとしているのは理不尽だろう。
しかし、ラティもその事は承知の上で言っているように思えた。
「良いわよ、こんな記事を出したって事は、相手は今後、迂闊に冒険者に手を出せなくなるって事でしょ?」
なるほど?ラティの言う事も一理ある。
「失踪事件の解決」などと、大々的に喧伝しているからには、今後このような事件は起こらないのが普通だ。
もし、同じような事件が続いた場合、それこそ報道機関の信用問題に関わる。
そう考えると、冒険者に手を出す真似は…完全にとは言い難いが、出来なくなるハズだ。
「怪盗スパータという偶像の犠牲だけで事件を抑制できるなら、安いものでしょう?」
「うにゅ…」
チーネも頭では理解したのか言葉を飲み込んだ。
しかし、自分の事───怪盗スパータという存在を良いように利用されるのは、決して気分の良いものではないだろう。
「その代わり、と言うのも変だけど───」
チーネの気持ちを察してか、ラティが一つ提案を示す。
「アンタを監視無しで自由に行動させてあげるわ。もちろん条件付きだけどね、どう?」
ラティの言葉を聞いた瞬間、チーネの耳がピクリと動いた。
チーネは今のところ、ジューロ達に見張られている状況だ。
がんじがらめ迄とはいかないが、チーネにとっては窮屈なことだろう。
逃げ出したらコチラも全力で追跡し、全てをあばくとも釘を刺している。
それだけに、干渉されず行動出来る提案というのは、チーネにとって喉から手が出るほど飛び付きたいモノであった。
「条件…って?」
恐る恐る、チーネがたずねる。
「さっきも言った通り、怪盗を辞める事が一つ」
「うぅ…」
「そしてもう一つ、寝泊まりはこの病院でする事、日が沈む前にはここに帰るようにすることよ」
「えっ?でも、それは…」
チーネは困惑した。
現在入院しているとはいえ、チーネの怪我はそこまで酷くはないし、むしろ入院など必要ない程度のものだ。
そもそもチーネがここに居るのは、ラティが病院の人と話をつけたからだ。
逆に言えば、話をつけれる程、顔が利くという事か───?
ジューロがそんな考えを巡らせていると、病室の扉から声が聞こえてくる。
「ラティさん、話はついたじゃろか?」
声の主は、この病院で医者をやっているガイモンという男のものだった。
ドワーフ族と呼ばれる種族で、小柄だが体躯はガッシリとしていて、本来なら立派な髭をたくわえている種族だが、彼は髭を剃っていてスッキリとしている。
そんな医者の突然の訪問に、チーネだけでなく、ジューロやリンカ、グリンも驚き、体をビクリと弾ませた。
そんな四人に構わず、ラティが返事をする。
「すいませんガイモン先生、まだなんです。チーネと今それの話をしてる途中で」
「ふむ、そうじゃったか」
「ちょ、ちょっと姐さん?!どういう事にゃ!?」
チーネがラティを問い詰めた。
「どういうも何も、ガイモン先生にも話を通してあるだけよ?」
ラティは悪びれもせず答える。
「だけよ…って」
チーネはガックリと肩を落とす。
ここだけの秘密にしているものだと思っていたが、どうやら違ったようだ。
「おや、その様子だと。まだワシらの事は説明してないようじゃな」
「えぇ、まぁ...。それは後回しでも良いかなと」
ガイモンは思わず苦笑いを浮かべる。
「とりあえず、ワシから説明しとこうかの?簡潔にじゃがな…。肝心の怪盗さんも気を落としてるようじゃし、この様子だと他の三人にもまだ話してはいないのじゃろ?」
ジューロ達もポカンとしている様子を見て、そう判断したのだろう。
「最初に言っておきたいのは、ワシらの…というよりは衛生ギルド、病院側の立場じゃな」
ガイモンは分かりやすいようにゆっくりと、ジューロ達に喋り始めた───




