第五十三話【入院中の雑談】
女神の使いオウノ・イコナが、別世界から来た転移者の存在に気付き、動き始めた事など露しらず。
肝心の当事者である男は、病院でゆっくりと療養していた。
男の名は十朗。
この国へ漂着し、名前を勘違いされて以来、ジューロと呼ばれている。
ある獣人の女性を助ける際、大怪我を負い、この緊急病院へと運び込まれた。
その時に獣人の血を輸血され、頭髪の一部が赤く染まり、ニワトリを彷彿とさせる髪型と髪色になっている。
垂れ目がちな瞳のせいで柔和な印象を受けるが、これでも渡世人…いわゆる無法者だ。
そんなジューロは入院服に身を包み、ベッドに座りながら漫画を読んでいた。
「グリン、ありがとうござんす。動けなくて、気が滅入りそうだったんで、助かりやす」
漫画から視線を上げ、ジューロは隣に座っている男に礼を言った。
「いや~、御礼ならリンカさんに言ってあげてよ」
御礼を言われた男は、名前をグリンという。
犬に似た顔立ちと鋭い嗅覚を持つ【ウル族】と呼ばれる獣人である。
彼とは王都に向かう道中で出会い、ある事件を共に戦うことになり、それから友人となった。
グリン自身も『王都で兵士になりたい』という目標があり。
王都に行くなら一緒にと、同行してくれた事が切っ掛けで、今もこうして一緒にいる。
ジューロが瀕死の時、輸血する血を分けてくれたのが彼であり、命の恩人でもあった。
グリンは頬を指で掻き、視線をある女性に向けて言葉を続ける。
「リンカさんが出してくれたアイディアだからさ、ジューロが退屈しないようにって」
「おぉ、そうだったので?リンカさん、ありがとうござんす!これ、気に入りやしたよ」
ジューロたちが視線を向けた先、一人の女性がいた。
彼女の名はリンカ。
青い髪を肩まで伸ばしていて、薄紫の瞳が美しく、顔立ちは整っていて可愛らしい。
質素な作りのエプロンドレスを身に纏っていて素朴な印象を受けるが、右腕に身に付けた金色の腕輪───少しヒビが入っているものの、それだけは値打ちものに見えた。
「えへへ、喜んで貰えたなら良かったです」
「うむ!…しかし、リンカさんも漫画とか読むのでござんすね?」
ジューロは王都ビアンドに来て、産業ギルドで働きながら生活していることもあり、少しずつだがここの文化にも馴染んできている。
この国には魔法だけでなく、蒸気機関と呼ばれるカラクリなども、人々の生活に根付いていることを知った。
娯楽においても様々で、スポーツや音楽、文芸と多岐にわたる。
「ええと、実は漫画には詳しくなくて…あまり読んだことはないんですけど」
「そうなのでござんすか?」
「はい、この前ジューロさんとグリンさんが一緒に漫画を読んでたのを思い出して。それなら安静にしてても楽しめるモノなのかなって」
「おぉ~、なるほどぉ」
ジューロとグリンは同室のフレッドに漫画を借りて読んでいることがしばしばあった。
今回お見舞いの品として思い付いたのは、それを見掛けたからだという。
「それで司書さんにオススメを聞いて、見繕ってきたんですっ」
「ほほぉ!…え?そこまでしやす?」
「はいっ!」
「あ、ありがとうござんす。大切に読ませて頂きやすね」
そこまで手間を掛けずとも良いと思ったが、それはそれとして厚意はありがたいものだ。とても。
「じゃあ…リンカさんは先に、この漫画を見たのでござんすかね?」
「えーと、あらすじを教えて貰っただけで読んではいないですけど…」
「んでは、リンカさんも見やしょうか!漫画」
「えっ?一緒にですか?」
ジューロの言葉に、リンカは意外そうな顔を見せて聞き返した。
「うむ!せっかくでござんすから」
ジューロは強く頷く。
あまり読んだことがないなら、この機会に見て欲しいと思った。
個人的には面白いが、彼女が合わないと感じるなら仕方ないと諦めるが。
「読み聞かせですね!?」
「うむ!…うん?……いや、そうじゃなくて」
ジューロがツッコミを入れた瞬間、対面にあるベッドから───ぶふぉっ!と、笑いを噴き出す声が聞こえた。
視線を声の方に向けると、猫のような顔をした女性が「にゃひひひひ…」と笑っている。
彼女の名はチーネ。
【ラト族】と呼ばれる獣人で、夜目が効く種族だ。
先の事件で操られていた当人であり、リンカやグリンを始めとした色々な人の協力があって何とか正気に戻ることができて、今に至る訳だ。
そんなチーネは、リンカに読み聞かせされるジューロの姿を想像したのがツボに入ったらしく、涙を浮かべて笑い転げていた。
「にゃひ!ひーっ、ひーっ!」
ジューロは枕を投げつけ、笑うチーネの顔面にボスム!と、直撃させた。
ぶつかった勢いのまま、チーネは仰向けに倒れたが、枕を顔面にくっ付けたまま、まだ笑っている。
チーネの事はとりあえず無視し、ジューロは話を続けた。
「なんというか、同じ話題で盛り上がれたら嬉しいなぁ…って思っただけでござんす」
リンカと話すことはよくあるが、それはだいたいジューロからの質問だったり、仕事の話とかが多い。
それも悪くはないのだが、他愛ない話もしたいのだ。
少しわがままな願いかもしれないが。
「無理にとは言いやせんけど」
ジューロの提案に、リンカの表情はさらにパッと明るくなった。
「もちろん良いですっ!」
「えー?じゃあ僕はお邪魔な感じかなぁ?」
グリンがニヤリとしながら訊いてくる。
「うむ?なにゆえ?グリンも同じ話はできやすでしょう」
「そうですよ!グリンさんも漫画読んでたりするじゃないですか」
「えぇ…?」
グリンとはギルドで同室だし、一緒に遊ぶ事が多い。
当然だが漫画の話をする事もあるし、邪魔どころか一緒に居ればますます盛り上がると思う。
しかし二人の言葉に対し、グリンは目を点にした後、呆れたよう頭を抱えた。
その様子にジューロとリンカは頭に?マークを浮かべる。
「うん、いやゴメン。僕が悪かった、今のは忘れて」
「うむ?分かりやした」
「はいっ!」
苦笑いを返すグリンをよそに、リンカが何かを思い出したように声をあげる。
「それよりグリンさん。ミルフィーさんから預かった手紙、ちーちゃんに渡さないと」
ミルフィーとは、チーネがギルドを追い出されてから、お世話になっていた人であり。普段は司書をしている方だ。
行方知れずになっていたチーネを心配していた一人でもある。
「あっ、そうだったね!チーネ、返事の手紙を預かってきてるよ」
グリンが懐に入れていた封筒を差し出す。
彼女が無事であったことを伝える為、チーネ自身に手紙を書かせ。
グリンがミルフィーに渡していたのだが、それに対する返事を預かっていたようだ。
「そうにゃの?…あ、ありがと」
笑い転げていたチーネだが、差し出された封筒を素直に受け取り、さっそく中身を改め始める。
封筒の中には二つの手紙が入っていた。
手紙の内容までは分からないが、手紙を読み進めていくチーネの姿はいつになく真剣に感じられ、少しの緊張感があり、ジューロたちも思わず注目してしまう。
しばしの沈黙が続き、一通り目を通し終わった時には、チーネに安堵の色が浮かんでいた。
「…ん?どしたの三人とも!?」
視線を一身に受けている事に気付いて、チーネが少し驚き、狼狽する。
「えっと…、ずいぶんと真剣に読んでるなぁって」
「だね、何かあったのかな?って思ってさ」
「べ、別に何でもないから!手紙を見てたくらいで大げさだって!」
「そっか、なら良いけど…。ところでチーネ、これからどうするつもりなの?」
「どうするも何も、勝手に動かないようにって、姐さんにも釘を刺されたし…」
姐さん───ギルドマスター代理、ラティの事をそう呼んでいる。
操られていたチーネを正気に戻す為に協力してくれた一人で、今回の事件に関しても彼女の預かりとして任せている所だ。
「ま!そうだけどさ。裏を返せば、勝手じゃなければ動けるって事だろ?」
「そ、そうなのかにゃぁ?」
「話してみるくらい良いんじゃない?」
「えっと、そういうことなら。私、グリンたちに借りを返しておきたい…かも」
「借り?」
「そ!助けてもらったからね、貸し作っておくのも良くないし、返しておきたいの。私に出来る事があれば何でも言って」
グリンとリンカは顔を見合わせた後、眉をひそめ、困ったようにジューロへと視線を移した。
ジューロ自身も人間関係を貸借関係で捉え気味だった事はあるから、チーネの気持ちが分からなくもない。
しかし、リンカもグリンも貸借関係で動いた訳ではなく、助けたいから助けたのだ。
貸し借りどうこう言われても、そりゃ困るだろう。
ジューロもそれについてはどうしたらいいのか分からないし、お手上げとばかりに両手のひらを上へ向けて、二人に対し首を振る。
リンカとグリンは苦笑いをして、軽く溜め息をついた後、再びチーネに向き直った。
「僕は別にいいよ、そうしたいからそうしただけだし」
「はいっ、私もですっ!気にしてないですから」
「えっ、でも…。それだと気が済まないし、何かにゃい?」
今度はチーネが困惑したように目を泳がしながら、ジューロに視線を向ける。
「あっしでござんすか?うーむ、じゃあ…」
ジューロが頭を捻ると、一つの考えが浮かんできた。
「お金?」
「ニャッ!?」
答えた瞬間、リンカが頭を軽く叩く。
しぱーん!と、けっこう良い音がした。
「ジューロさんっ!もー…」
「前にも言ったけどさぁ、そういうのあんま良くないよ、ジューロ」
リンカとグリンがたしなめる。
しかしジューロにだって、今回は言い分ってものがあった。
「えー?でも、切実な問題でござんすよぉ。あっし故郷に帰る為にお金を貯めてるのに、病院代でいくら飛ぶか不安で…」
この国に漂流してやってきたジューロは、故郷───日ノ本に帰るという目標がある。
…故郷の場所こそ未だ分かっていないが、先立つものは必要になると考えて働きながら、情報と資金を集めている最中なのだ。
「あ~…言われてみれば、確かに?」
グリンが腕を組み、少し納得したような声を出す。
「ちょっ、グリンさん!納得しないで下さいよっ」
「ハハハ、ごめんごめん。ジューロの言い分にも一理あったから...つい」
「そうでござんすよリンカさん!入院してる間は仕事はできやせんし、お金が減る一方。正直きびしいのでござんす」
ジューロの反論に、リンカは頭を抱えた。
「はぁ…、もうっ!そんなに気になるなら、私が代わりに払いますからっ」
「えぇ?!それもおかしくありやせんか!?」
「おかしくありません!」
手段と目的がこんがらがって来ているのが分かり、流石にこの状況を見かねたのか、チーネもたまらず口を挟んできた。
「リ…リンカ、落ち着いて!ちゃんと私が払うニャ」
「ちーちゃんは黙ってて下さいっ!」
「ニャッ!?」
「元はと言えばチーネさんが貸し借りどうこう言い出したのが悪いでござんすからねぇ」
「ま!元凶はチーネかもしれないけどさ。ジューロだって空気読んでなかったよ?」
「ぐぬぅ…」
四人がワイワイ騒がしくしていると、部屋の扉がガチャリと開き、一人の女性が入ってきた。
健康的な小麦色をした肌に、深緑色をした髪を後ろで束ねた妖艶な美人。
産業ギルドマスター代理、ラティである。
「ちょっとアンタ達、何やってるのよ」
この騒がしい状況をジト目で見ながら、彼女は会話に割って入ってきた。
「あ!姐さん、来てたのでござんすね」
「来てたのでござんすね…じゃなくてね。アンタ達以外に入院してる人は居ないけど、ここは病院なのよ?静かになさい」
「も、申し訳ござんせん…」
「すいませんでした…」
「ごめんなさい…」
「ごめんにゃさい…」
ラティの説教で四人がしおれるようにシュンとなる。
ぐうの音も出ない正論であった。
「まったく…。今来たばかりだから分からないけど、何を騒いでたのよ?」
「ラティ姉さん、聞いてくださいっ!ジューロさんがですね」
「待っておくんなせぇ!リンカさんが言うと絶対にまた話がこじれやすって!」
「…あー、はいはい!だいたいわかったわよ、痴話喧嘩の愚痴なら後で聞いてあげるから。それより今日は、チーネに話があって来たの」
また騒がしくなると面倒だったこともあるのだろう。
リンカとジューロの話を途切り、ラティがチーネに話を切り出した。
「わ、私に?」
「そう身構えないの。アンタの事を今後どうするかは、まだ決めてないし」
ラティは手提げバッグから新聞紙を取り出すと、それを広げ始める。
「コレは伝えておかなきゃいけないかなって」
「新聞?」
「この中に気になる記事が出てたから、チーネに見せておこうと思って」
あるページを開いたまま新聞を渡すと、チーネはその記事に目を通し始めた。
「…え?…な、なんで!?」
新聞を読んだチーネが困惑し、狼狽し、体を震わせた。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか、色んな感情が混じっている複雑な表情にみえる。
内容こそ見てないが、それがチーネにとって良くない情報だろうことは、容易に想像がついた───




