第五十話
ジューロが二度寝して、再び目が覚めたのは夕刻の事だった。
輸血の為に繋がれていた管は外されていて、隣のベッドを見ると、そこにグリンの姿は無かったが話し声は聞こえる。
身体を起こし、声が聞こえる方へ視線を向けると、そこには誰かと話しているグリンの姿があった。
「あっ、ジューロ!おはよう…って夕方に言うのも変か」
「おはようござんす。ところで、そちらの方は…?」
グリンと話している人物が目に入る。
背丈は低く、白衣を纏っているがガッシリとした体つき。
おそらくドワーフ族と呼ばれる人だろうが、その種族の特長であるヒゲは剃られていた。
「おぉ!?本当に起きて喋っておる。とんでもないな」
その声に聞き覚えがある、病舎に運ばれた時に聞いた声だ。
「おっと、自己紹介がまだじゃったな。ワシの名前は、ガイモンじゃ。医者をやっておる」
「ガイモンジャさん…でござんすか」
「じゃは口癖じゃ、ガイモンという名前じゃよ」
「も、申し訳ねぇ…失礼致しやした。あっしはジューロと申しやす。此度は助けていただき、ありがとうござんした」
名前を間違った申し訳なさと、感謝の気持ち。
二つの意味でジューロは頭を下げた。
「フフ、どういたしまして。しかし、意識もハッキリしているようじゃな?良いことじゃ。ワシの見立てじゃ二、三日は目が覚めないと思っておったんじゃが…」
ガイモンがニカッと笑う。
「大したもんじゃ、ワシらドワーフ並のタフさじゃな。それはそれとして!傷が開いてもいけないから、しばらくは安静にしてもらうがの?」
「承知しやした。…やはり回復までには時間がかかりやすかね?」
「普通なら動く事も出来ない怪我じゃぞ?これ以上は贅沢な悩みだの。休養が一番の近道じゃ、急がば回れとも言うし、ともかく慌てない事じゃなぁ」
「うぅむ、左様でござんすか…」
医者に治療してもらった以上、お金はかかるだろう。
故郷に帰る為の資金を集めたいのに、仕事を休みつつ出費だけがかさむのは痛手だ。
ジューロが悩む姿を見て、グリンが一つの提案をしてくる。
「あのさ、ジューロ。一瞬で病気も傷も完治するっていう例の…神薬だっけ?それを使うってのも───」
「だっ、だめっ!」
話を聞いていたチーネが悲鳴にも似た叫び声をあげ、その声にジューロとグリンが面食らった。
「な、なんでござんす!?」
「…チーネ?急にどうしたの?」
一斉に視線が集まり、チーネは一瞬だけ硬直したが、何とか言葉を捻り出す。
「え、えーと…ほら!アレって高級なモノだし、普通の人が買える値段じゃないから、つい。にゃははは…」
作り笑顔をはりつけて、チーネが取り繕うように笑って誤魔化した。
「さようで?…うーむ、ならば要らぬかなぁ」
ジューロの答えに、チーネは胸を撫で下ろす。
「神薬か…、あれは謎が多いからのう。医者のワシが言うのもなんじゃが、何でも治せるからといってオススメはしないな。よほど切羽詰まった状況なら、頼るのも手じゃろうが───」
ガイモンも思うところがあるのか、その薬について良く思っていないようだ。
「まぁ、現状そんなモノに頼る必要もないじゃろうし。それに、そこのお嬢さんの魔力が回復すれば、魔法で傷を癒してくれるじゃろ」
(───そこのお嬢さん?)
ジューロがガイモンの視線を目で追うと、隣のベッドに腰掛けているリンカの姿に気付いた。
「えぇ?リンカさん!?…あっし、ちゃんと寝るように言いやしたよね?」
「はいっ!ちゃんと寝てました!」
ジューロの問い掛けにリンカは笑顔で返す。
「うむ、良い返事でござんすね。いや、そうじゃなくてね…」
確かに先ほど見た時と比べると顔色も良いし、赤かった目もおさまっている。
これは…どういうことか?と問い掛けるように、ジューロは視線をグリンに移す。
「えーと、リンカさんも病舎で寝たんだよ。ちゃんとガイモン先生には許可をとってるから…」
「さ、さよか…」
(───普通は帰って寝るものでは?)
ジューロはそう思ったが…。
考えてみればハッキリそう言わなかった自分に落ち度があるように思えるし、リンカが病舎に残ったのも彼女なりに考えた上の事なのだろう…たぶん。
というか、良い笑顔をしているリンカに突っ込みを入れるのも野暮かもしれない。
「いやまぁ…うむ!ちゃんと寝れたなら何よりでござんす」
ジューロはあきらめ、考えるのをやめた。
「はいっ!私の魔力が回復したら、任せてくださいね!」
「あ、ありがとうござんす。頼りにさせてもらいやすね」
ちゃんと寝たからということもあるのだろうが、リンカが元気を取り戻していることは良いことだ。
「若いっていいもんじゃの~!フフ…さてと、ワシはここらでおいとまするよ」
「重ねて、ありがとうござんした」
立ち去ろうとするガイモンに、ジューロは頭を下げる。
「看護婦はいつでも控えておるから、何かあれば頼りなさい。大丈夫とは思うが、万が一の時はワシもすぐに動けるようにしておるからの」
ガイモンはそう言い残すと、病室を後にした。
「んじゃあ、あっしも…ちとトイレに」
「…ジューロ!?」
「ジューロさんっ!安静にって言われたばかりですよね!?」
リンカとグリンが起き上がろうとするジューロを慌てて止める。
「そ、そうでござんすけど…。尿意は仕方ねぇでしょう?」
「尿瓶がありますから、ソレを使って下さいっ」
「しびん…?って何でござんす?」
リンカから聞いたことのない言葉が出てきて、ジューロは首を捻った。
「あー、すっかり忘れてたけど。ジューロって外国の人だったね…知らないのかな。そこ、ベッドの横に容器があるでしょ?」
グリンに言われ、自分のベッドの横を見ると、そこには小さい机があり、妙な形をした花瓶のようなモノが置いてあった。
「ほほー、なるほど!」
形状からして、何となく使い方は分かる。
「しょうがないですね、まったくもう…」
関心しているジューロをよそに、リンカが尿瓶を手に取った。
渡してくれるのかと思いきや、彼女は妙なことを口走る。
「じゃ、出して下さい」
「んん???何を!??」
「そっか、動いちゃダメですよね!じゃあ私がやってあげますっ!」
「だから何が!??ちょま、待っておくんなせぇよ!!」
布団を剥ごうとしてくるリンカにジューロは抵抗した。
「ちょっとジューロさんっ!おとなしくしてて下さい!傷に障りますよ!?」
「なに考えてんの、この子!?献身的を通り越して怖いのでござんすけどぉ?!」
「人に頼る事も大切!って、ジューロさんが言ってたじゃないですか」
「ソレとこれとは話が別でござんす!これくらいは自分で…いやぁ!助けてぇ、グリン!!」
助けを求めて視線をやると、グリンはいつの間にか隣のベッドに戻っていて、布団を被って眠っていた。
───いや違う、これは寝たふりだ。
良く見ると布団が小刻みに震えていて、笑いを堪えている気配がある。
「てんめぇ、グリン!おめぇさん覚えとけよ!?…あぁっ!やめっ…いやぁ!!」
これまでか───と思った瞬間、ガチャリと病室の扉が開いた。
「…なにやってるの、アンタ達」
呆れたような声が扉の方から聞こえてくる。
ラティの声だ。
「な?姐さん言った通りだろ、あいつなら平気だって」
フレッドも一緒だったようで、扉から顔を覗かせた。
「よう!元気そうで何よりだジューロ。ところで、マジで何してんの?」
ラティとフレッドの疑問も当然だろうが、何にせよ助かったと思った。
「尿意があるってジューロさんが言ってたので、お手伝いを…」
リンカが持っている尿瓶を目にし、ラティとフレッドが何かを察すると、ゴミを見るような目でジューロを見る。
「ジューロお前…?流石にそれは…引くわ~」
「ジューロくん、見損なったわよ。怪我を理由に、そんな事させようなんて…」
「えっ?いやいやいや、勘違いでござんすって!グリン、笑ってねぇで説明を───あぁもう!」
完全にツボに入ったらしく、グリンは笑い悶えていて頼りになりそうにない。
ならば最後の砦だと、すがる思いでチーネの方に視線を向けるが、彼女も同じように笑いを堪え、肩を震わせていた。
頭を抱えるジューロと周囲の様子を見て、流石に不思議に思ったラティは、笑いを堪えているチーネに話を訊いた。
一言二言の会話を交わした後で、ようやく状況を正しく理解してくれたようだ。
軽くため息をつき、ラティがリンカに声をかける。
「あのねリンカ、流石にソレはジューロくんに任せていいから…」
「えっ、でも…あまり動いちゃダメなんですっ」
「うんうん、心配しての行動よね?それは立派な事だけど。ジューロくんにも尊厳が…ね?」
ラティが優しく諭し、リンカは良く分かってない感じながらも、渋々と諦めてくれた。
「ジューロくん、ゴメンなさいね?私ったら、てっきり…」
「そういうプレイかと思ったぜ、へへへっ!」
あっけらかんと答えるフレッドの頭を、ラティがスパーン!と叩く。
「フレッド」
「悪かったって!」
「ご、誤解が解けたなら良ござんす…。そういや、ギルドで怪我してた人達はどうなりやしたかい?」
フレッドがズレた帽子を被り直すのを待った後、ラティが改めて話を切り出した。
「そうね、ギルドメンバーはみんな無事よ。大事に至らなかったのはリンカのおかげね!ありがとう…」
ラティにお礼を言われ、リンカは照れたように首をブンブンと振る。
「そんな!大したことはしてないです」
「ふふっ、改めて三人ともありがとう。ちゃんとお礼を言えてなかったから」
「いえ、僕はほとんど何も…」
「あっしの場合はむしろ、姐さんやフレさんにも礼を言わねば…。今こうして生きているのは、みんなのお陰でござんすから」
和やかな雰囲気ではあるものの、それでもちゃんと向き合わなければならない事がある。
「───ところで、チーネさんの処遇はいかがされるので?」
ジューロはラティに訊ねた。
これは避けてはいけない問題だろう。
「…それなんだけど、チーネの件。私の預かりにさせてもらえないかしら?」
「あっしとしては別に、リンカさんやグリンは?」
「私もそれでいいです。だけど、ちーちゃんを心配してる人もいて…」
「心配してる人?」
ラティが聞き返すと、グリンが代わりに答えた。
「ええ、チーネの居候先…。その同居人がチーネが戻らない事を心配してて。だから無事だった事だけは伝えておきたいと」
「そうなの…。それは、ちょっと困ったわね」
ラティは顎に指をあてて、考え込んだ。
「む?どういうことで?」
「今回の件、隠蔽するつもりだから」
「隠蔽でござんすか?やはり、チーネさんが怪盗スパータだった事と関係があるので?」
「理由はそれだけじゃないけど、大雑把に言えばその通りね」
ジューロ達が怪盗のことに当然のように触れていると、驚いたようにチーネが会話に割り込んできた。
「!?ジューロ、ちょっと待つにゃ!私の正体…姐さんにバラしちゃったの!?」
「ぬ?バラすも何も…」
「チーネ、バレバレだったわよ。ていうか、顔くらいまともに隠したら?」
「にゃっ!?ちゃ、ちゃんと隠してるし…!」
チーネが目元だけを隠すマスクを取り出し、それを付けてみせた。
チーネの顔にある傷は隠せていたが、だからといって正体を隠せているようには見えない。
「それ変装のつもりだったの?…正気!?」
ラティが頭を抱える。
「知り合いが見たら、バレるよそりゃあ…」
「というか、知り合いじゃなくても顔が分かってたら見分けつきやすって…」
「ちーちゃん!変装したら、声くらい変える努力をした方がいいですよ!」
「ていうか、その格好も何?ピッチリしたスーツにフリフリの飾りとか付けてさ」
「いやしかしグリン、ケツや胸丸出しみたいな冒険者の格好に比べたら割りと普通では?」
「ちーちゃんの格好は可愛いと思いますっ、大丈夫です!」
三人が追撃のダメ出しをすると、ぐうの音も出ないのか、チーネがショックを受けた顔をしたまま固まってしまう。
「まぁ、それは置いておきやしょうか。話を戻しやすけど、姐さんはどこまで話を聞いておりやすかね?」
「大体の話は聞いてるわ、グリンくんからね」
「冒険者二人に怪我を負わせた事も?」
「ええ、本当なら冒険者二人にも頭を下げなくちゃいけないし、処遇に関してもその二人に決めてもらうのが一番なんだけど」
ラティは固まっているチーネの肩に、ポンと手を置く。
「まずは、聞きたい事があるのよね…色々と」
ラティの眼が猛禽類の光を宿し、チーネを捉えていた。




