第四十六話
チーネがラティに矛先を変え、襲い掛かってくる───が、それはラティにとって想定内だった。
ギルド前で襲われた経験。
翼を広げ魔力を放出したことにチーネが反応したことを覚えている。
放出される魔力に対し、優先して襲うように操られてるのでは?…という推測を立てていたが、それは当たっていたようだ。
チーネの動きや攻撃方法も何となく予測は立てやすい。
ジューロ達が攻撃を受けているのを観察出来た事はとても大きかった。
「ふぅーっ…」
ラティは深呼吸をし、魔力を整えた。
緊張からか、心臓が早鐘を打つようにバクバク言っているが、迎え撃つ準備は万全だ。
チーネは鉤爪を構え、低姿勢を維持したまま加速し距離を詰めてくる。
ラティはタイミングを見計らい、弧を描くように杖を掬い上げ、チーネの初撃を打ち弾いた。
ゴギィン!という鈍い音が響き、ビリビリとした衝撃が杖を通して両手に伝わってくる───
(───ッ!!?こんなに重かったの!?)
魔力で身体保護と強化をしているし、荒事にも心得があからこそ、今の一撃だけでチーネが尋常ではない強さだと分かる。
しかし、今は驚いている場合ではない。
チーネは初撃を打ち上げられた反動を利用し、身体を仰け反らせ、続けざまに縦回転するように蹴りを繰り出してくる。
しかし、ラティはチーネの動きや攻撃を読んでいた。
蹴りを繰り出す脚に向かってからめ捕るように杖を振るい、相手のバランスを崩す。
ラティが螺旋のような動きで側面に回り込むと、チーネが体勢を整える前に足を踏みつけた。
魔力を足元に込め地面に固定すると、杖を脇から首元に当てて、袈裟がけになるように組み付く。
「これで…!」
チーネの右半身…その動きを封じたが、それだけではとても取り押さえたとは言い難い。
このままだと反撃される可能性が高いし、それでなくても現在のチーネが発揮しているパワーをラティでは抑えきれないだろう。
…だが、それは一人だけの場合だ。
少しの時間を稼いだことで、ジューロとグリンが追い付き、加勢に入ることが出来た。
「姐さん、お見事でござんす!」
「チーネ!悪いけど、じっとしててもらうよ」
チーネが拘束から逃れようと力を込めているが、三人がかりの拘束からは抜け出すことはできないようだ。
「リンカ、今の内よ!!」
「はいっ!!ちーちゃん、いま助けるからね!」
ラティの合図と同時に、リンカがチーネの腹部に両手を当てる。
するとどうだろう、リンカの両手が触れた箇所が輝き始めたのだ。
「───ニャギャッ!?」
チーネの体内に魔力を流し込んで起こった現象なのだろう。
チーネがビクンと身体を反応させ、リンカの流し込む魔力から逃れようと、更にもがき始める。
三人がかりで抑えているから何とかなっているが、先ほどよりも強い力で抵抗されており、一瞬でも気を抜けば振りほどかれそうだ。
「リ、リンカさんっ!あと、どれくらい掛かりやすかね!?」
おそらく長くは拘束できない。
ジューロは思わず弱気になり、訊ねた。
「んっ、くっ…!私の魔力が押し返されて…。操っている魔力を…上手く、追い出せ…なくてっ───」
リンカのひたいに脂汗が滲んでいるのが目に映った。
この手段が成功するかは分からないし、きっとリンカ自身も不安で一杯だろう。
よく見れば彼女の手も…声だって震えていた。
それでも逃げるそぶりさえ見せず、最善を尽くそうとしている。
いや、リンカだけではない。
ここにいるグリンも、ラティも、最善を尽くそうと抗っているではないか。
彼女らに触発されて、ジューロは気合いを入れ直す。
何を弱気になっているのだと。
「───ぬぅおァあぁッ!!」
もがき暴れ続けるチーネを、ジューロが限界を超えた力を発揮し、制圧する。
それに合わせてグリンもジューロをフォローするように動き、チーネが抜け出す隙を与えない。
「……!二人とも、私抜きで持ちこたえれる?!魔力をリンカに渡したいの」
ラティがジューロ達に向かって叫んだ。
何か打つ手があるのなら、それに乗らない手はない。
「ぬぅ?!…お、お安い御用ってやつで!なぁ、グリン」
「…もちろん!こっちは任せてよ」
二人の返事を聞き届けると、ラティはコクリと頷く。
そして組み付きから離脱すると、素早くリンカの背中に手を添えた。
「リンカ!私の魔力、受け取って!」
「はっ、はいっ!!」
組み付きから一人が抜けた事で、チーネが一気に押し返そうとしてくる。
「ギニャアァーッ!!」
「───ォンどるぁああーッ!!」
相手にとって抜け出す好機だろうが、そんなことは百も承知の上で任されたのだ。
ここが踏ん張りどころ、絶対に放すわけにはいかない!
「くっ…チーネ!操ってるヤツなんかに負けちゃダメだッ!!」
グリンの呼び掛けに、チーネが反応する。
ほんの少しだが、暴れる力が弱まったように感じた。
彼女もまた、必死で抗おうとしているのかもしれない───
ジューロ達が組み付いて抑えている間、リンカはチーネの中に魔力を放出し続けていた。
ラティの魔力も加わったお陰で、チーネの体内にある謎の魔力にも押し勝てるようになっている。
「あとっ…もう少し…!ラティ姉さんっ」
「分かってる!ここで一気に」
ラティが全ての魔力をリンカに渡し終えた瞬間だった。
チーネを中心に衝撃波が巻き起こり、ラティが吹き飛ばされる。
「───きゃあぁっ!?」
「ラティ姉さん!」
吹き飛ばされた彼女は地面に転がった。
しかし、すぐに顔を上げ、声を響かせる。
「心配ないわ、私は大丈夫だから集中して!」
「───はいっ!」
怪我は無さそうだが、魔力も体力も使いきったのか、その場からは動けなさそうだ。
リンカはというと、ラティの魔力を全て受け取ったことにより、その体は優しい光に包まれている。
衝撃波の影響を受けなかったのも、そのお陰もあるのだろう。
リンカが気を取り直してチーネに向き合い、再び魔力を放出する。
それに呼応するように、リンカが身に付けている金色の腕輪もまた、輝きを放っていた。
「ミッ…ギャアァーッ!!!?」
最後の抵抗だろう。
チーネから発せられる黒いモヤが薄れていき、彼女の内部から感じる嫌な気配…それがチーネから分離していく感覚がある。
「チーネ頑張れ!僕たちがついてる!!」
グリンも何かを感じ取ったのだろう、チーネに声をかけ続けた。
「てぇやあーぁぁっ!!」
リンカが気合いの声を発すると、触れていた両手の輝きが増し、チーネの身体にも光が灯る。
徐々にチーネの抵抗する力が弱くなり、灯った光が体内に吸い込まれるように小さくなっていく。
…しばらくして光が完全に消滅すると、チーネもそれと同調するように抵抗が無くなり、沈黙した。
組み付きを解くつもりはないが、どういう状況になっているのか把握しておきたい。
「リンカさん、どうなったので!?」
「えぇと、私たちの魔力を全部ちーちゃんに入れたので…後はそれが操ってる魔力を追い出すのを待つだけ、です…けど」
ぶっつけ本番で、準備万全という状況からは程遠かったから不安があるのか、言葉の歯切れが悪い。
しかし、やるだけの事はやったのだ。
コレでダメなら、再びチーネが襲い掛かってくる可能性がある。
その時は、刺し違えてでもチーネを殺さねばならないと思った。
仮にそうなっても…、チーネ自身は納得してくれるだろう。
リンカやグリン…ラティには恨まれるだろうが、それは仕方ない。
そんな考えを巡らせていると、ドクン…!という鼓動がチーネの体内から伝わってくると、少しの間をおき───ピキッ!という音が鳴った。
「あっ!」
というリンカの声に、思わずジューロはビクリと反応する。
「す、すいません。腕輪にヒビが入ったみたいで…つい」
どうやら音の正体は、リンカの身に付けている金色の腕輪から発せられたモノだったようだ。
「「ふぅ~…っ」」
張りつめていた空気が弛緩し、わずかに気が逸れた時、チーネの絶叫が響いた。
「ヴギャァアァアアァ!!!」
再び衝撃波が発せられ、三人は吹き飛ばされてしまう。
「ぬぁ!しまっ…」
「きゃっ!?」
「うわ…ッ!チーネ!!」
飛ばされたものの、ジューロとグリンは何とか受け身を取り、素早く身を起こす。
──ダメだったのか?
──失敗してしまったのか?
視線をチーネに戻すと、当のチーネは絶叫を止め、自分自身を両手で肩を抱え体を屈めている。
「ハッ…ハヒュ…ッ、オエッ…」
その様子が心配なのか、リンカとラティもゆっくりと立ち上がった。
今のところ襲い掛かってくる気配はないが、警戒するに越したことはない。
ジューロは長脇差を鞘から抜いて身構える。
四人が様子を見守る中、わずかな静寂の後。
チーネは、黒いドロドロとした粘性のある液体を嘔吐し始めた。
「ゴプッ…、オアッ…!!ゴボッ…」
ベチャ…ビチャ…という音と共に、黒い水溜まりのようなモノが出来上がっていく。
胃袋の中にどう入っていたのか?という量の粘液を吐き出し、チーネはフラフラと千鳥足で後ずさると、そのまま仰向けに倒れていくのが見えた。
「…チーネ!!」
最初に動いたのはグリンだった。
倒れる寸前に、チーネの体を何とか受け止める。
「ちーちゃん!」
「チーネ!」
リンカとラティもグリンに続き、チーネのもとに駆け寄っていく。
チーネは気を失っているようで、グリンの腕の中でグッタリとして目を閉じていた。
「グリンさん、ちーちゃんは!?」
「気を失っているみたい…。あのさ、リンカが言ってたチーネを操ってる魔力ってのは追い出せたのかな?」
チーネを抱えたまま、グリンが訊ねた。
「えっと、はい!見た限り…ちーちゃんに取り憑いてた魔力は無くなりましたし、成功した…と思います」
リンカが自信なさげに言って、ラティに目配せすると、彼女は頷いて返した。
「うん、大丈夫よ!それは私も確認したから」
ジューロは魔力を感じる事は出来ないが、チーネの体から嫌な気配が無くなっているのは確かだ。
ラティも太鼓判を押しているし、リンカの魔法が上手くいったのだろう。
「はぁぁ~っ…、良かったぁ…!ありがとう皆、チーネを助けてくれて」
グリンが安堵のため息をついて、ヘタリとうなだれた。
無理もない。
緊張しっぱなしだったし、チーネが発していた怪力や衝撃波を受け続けていたのだ。疲労も蓄積しているだろう。
「なに言ってるんですかぁ、グリンさんだって頑張ったじゃないですか」
「ふふ、そうね!私こそ、三人にお礼を言わなきゃ…。チーネの事を色々と勘違いしたままでいる所だったし」
そんな話をしていると、チーネがゆっくりと目を開けて呟いた。
「……グリン?」
「あぁ、僕だよ」
グリンが優しい声で答える。
「…意識も戻ったみたいね、とりあえず一安心って所かしら」
ラティは両手を腰に当て、仁王立ちになりながらフゥと鼻を鳴らした。
「ラティ姐…それにリンカも…」
「ちーちゃん、無事で良かったですっ!あ、ジューロさんもいますよ!」
「………そっか、やっぱり夢じゃなかったんだ」
周囲の荒れた状況、リンカ達が土埃で汚れている姿を見てチーネの表情が曇っていく。
「ごめん…、こんな事になるなんて…私───」
「まったくよ、もう!ホントに!」
チーネが言い終わる前に、ラティが彼女の耳を引っ張り、話を被せた。
「…はぁ、まったく!みんなボロボロだし、魔力もスッカラカンだし、言いたい事は山ほどあるけど…今日はもういいわよ。辛気臭いのってアンタも苦手でしょ?」
引っ張っていた耳をパッと放し、チーネを解放する。
「うぅ…姐さぁん…」
耳をさすりながら涙目になるチーネに、ラティはグイと顔を近付けて、目を合わせた。
「でもね、何があったのか。後で事情は説明してもらうから!…それに、謝るならギルドメンバーにもね?ちゃんと言うのよ?」
ラティの言葉に声を返せず、チーネはコクリと頷いた───
何はともあれ、これで一件落着か。
疲労困憊ではあるが、大きな怪我を負うこともなく、みんな無事で何よりだ。
ジューロも駆け寄って無事であることを喜ぼうかと思ったが、一つだけ…気になる事があり、その場から動けなかった。
先ほどまでの嫌な気配…それはチーネからは無くなっている。
チーネからは…、だ───
チーネが吐き出した黒い粘液。今は黒い水溜まりになっているが、ソレからジューロは目を離せずにいた。
なぜなら嫌な気配は以前として、チーネが吐き出したソレから発せられたままだったからだ...。
ジューロは思い出す。リンカが言っていた「操ってる魔力を追い出す」という言葉を。
…では、追い出した魔力とやらは何処へ行った?
パッと煙のように消えてしまうモノなのか?
それならソレで良いのだが…。
黒い粘液を注視していると、それが少し動いた気がした。
ジューロに嫌な予感が走る…。
「…あのっ、ジューロさん?」
チーネの所に集まらず、ジューロだけは背中を向けたままでいた。
それを不思議に思ったリンカがジューロに声を掛けたのだ。
それでも反応がないので、リンカがジューロへ近付こうとした時だった。
「───来るなっ!!」
ジューロの怒声が響き、リンカがビクッと跳ねる。
怒声に反応したのはリンカだけではない。
グリンやラティ、チーネも驚き、ジューロの方へと顔を向けた。
四人が向けた視線の先、そこにはジューロ以外の影が生まれていた。
黒い粘液…水溜まりだったモノが不定形の体を作り出し、ウネウネと起き上がっていたのだ。




