第四十二話
ジューロ達が怪盗スパータの件を話し合っている頃。
噂の怪盗スパータ───いや…チーネは、騎士団の追跡を振り切る事に成功していた。
だが、チーネの気分は最悪だった。
正気を失ったあげく、冒険者として一緒に働いた事のある人達を手にかけてしまったからだ。
「うぇ…っ…」
…情けない。
涙が零れそうになるのを必死で堪える。
操られながらも、意識はうっすらと残っていた。
冒険者の二人を斬りつけた嫌な感触も覚えている。
不幸中の幸いか、ジューロから受けた腹部への一撃で自我を取り戻せたが。あのまま操られていたら、冒険者達だけでなくグリン達にまで手をかけていたのは間違いない。
後悔と羞恥に屈辱…。様々な感情が押し寄せ、心が潰されるような感覚に襲われる。
…チーネは涙を拭い、歯を食い縛った。
「アイツを…、イコナを倒さないと…!」
自分に言い聞かせるように、自分の正気を確かめるように呟く。
チーネが正気を失い操られていたのは、女神の使い…イコナという女の仕業だった。
イコナの特殊能力は【神薬】という。
怪我や病気を完治させる万能薬を造り出す…という触れ込みだが、実際は少し違っていた。
神薬…それは薬としての役割だけでなく、様々な使い方をすることが出来る物質だった。
力の増幅、痛みを遮断する事も出来れば、逆に人を溶かし殺す劇薬にも、記憶を消したり人を操る薬にも出来る…。
まさに世界の理を外れた能力だ。
チーネは迂闊にも、イコナの撒いた情報に踊らされたあげく、まんまと罠にかかって捕まり、神薬を飲まされて…操られてしまった。
そもそも怪盗として行動していたのだ、こちらの事を意識していないと限らなかったし、慎重に事を運ぶべきだったと猛省する。
こうやって操られた事も、全ては先走った自分の責任だ。
後悔も反省もあるが、今はやるべき事に集中しなければならない。
まずは仲間に…、吟遊詩人のシャーリーに、この現状を伝えなければ。
ふらつきながらも周囲を警戒し、少しずつ歩みを進めた───
チーネが怪盗スパータとして行動し始めた理由。それは女神の使い───オウノ・イコナを探る為だ。
それは怪盗になる前のこと、チーネは王宮内に忍び込んだ事があった。
産業ギルドの仕事関係で、地下水路に行く事が多く。王都中に根をはる水路から王宮に繋がる道もいくつか見つけていた事もあって、ほんの好奇心から王宮に足を踏み入れたのだ。
王宮内で、平民と違った暮らしをしている人たちを見るのは楽しく。暇を見つけてはコッソリ忍び込み王宮内を探検した。
チーネにとって、少しのドキドキ感も普段とは違った良い刺激になっていた。
しかし…ある時。王宮の中で、イコナの暴挙を目撃してしまった事がある。
…普段とは違った嫌なドキドキと動揺もあってか、身の潜め方が甘くなってしまい。
王宮内に勤めている吟遊詩人のシャーリーに発見され、捕まってしまったのだ。
何かしら処罰が下される事を覚悟していたチーネだったが、吟遊詩人のシャーリーから一つの提案を持ち掛けられた。
『王宮に忍び込んだ事は黙認する。だけど代わりに、女神の使い…イコナの事を探って欲しいんだ』
最初は、王宮の吟遊詩人が何故そんな事を頼むのか理解出来なかったが、処罰されるよりマシだと思い、二つ返事で引き受ける事にした。
───それがチーネにとって、怪盗として活動を始める切っ掛けだった。
協力関係を結んだ後、吟遊詩人のシャーリーから王宮の現状。イコナに王宮が牛耳られている事や、彼女がやっている様々な悪事を教えられることになる。
シャーリー自身、切羽詰まっていたようで、猫の手も借りたい状況だったのだろう。
半ば脅される形で協力関係を結んだようなものだが、シャーリーはイコナを失脚させるべく、色々と探っている事をチーネに打ち明けてくれた…。彼はいわゆる反逆者である。
その情報をチーネと共有したことで一蓮托生となり、チーネも引き返せなくなってしまった。
しかし、あまり乗り気じゃなかったチーネも、彼から色んな話を聞き、それに嘘が無く。シャーリーも命懸けでこの国の人たちの為に動いてると分かってからは、進んで協力する事に決めた。
それからチーネは、イコナや王宮で彼女の息が掛かった者達の注意を引いたり、時には妨害工作をする為、シャーリーに鍛えられ怪盗となったのだ。
今回捕まったのは、チーネが先走ってしまった事が原因だった。…焦りがあったことも、判断力を鈍らせたのかもしれない。
怪盗として、イコナの息が掛かった組織に侵入した時。とある情報を入手した。
特殊能力を持った冒険者たち、生け捕りにしていた彼らを何者かに引き渡す計画を───だ。
もし、行方不明になっていた冒険者を救い出せたなら。彼らが証言者になってくれるかもしれない。
仮にイコナが直接手を下してなくても、真相に辿り着く一手になるのは間違いない。
証拠を集め、イコナの悪事を白日の下に晒す事が出来れば、状況を一変させる事が出来るかもしれない!
この計画を知って、シャーリー達に相談すべきとは思ったが。引き渡しの決行日は直前に迫っており、時間が足りなかった。
引き渡しの現場…その状況は読めないが、助けるべき相手は何だかんだで冒険者だ。
解放さえしてしまえば、彼らも逃げ延びるくらい出来るハズだと、チーネは安易に考えて準備に取り掛かった。
それが怪盗スパータ──チーネを捕まえる罠だとは知らずに…。
冒険者の引き渡し場所は、船着き場の近くにある貨物置場に指定されていた。
早い段階で現場に到着したチーネは、身を潜める前に地形の確認、逃走経路を頭に叩き込み、身を潜める場所を見繕った。
それから時間になるまで身を潜め、イコナや行方不明になっていた冒険者達、取り引き相手の到着を待つ。
計画の時間が迫ると、イコナ直属の騎士団が先ず到着するのが見え、配置され始めた。
チーネは時間ギリギリまで周囲の状況を確認した。
逃走経路となる場所は幾つか塞がれてたが、全てはカバー出来なかったようだ。
後ろ暗い事をしているのだ、大々的に人員を連れて来るわけにもいかなかったのだろう。
逃走に問題はないと考え、チーネは再び取り引き現場に赴くと身を潜めた。
しばらくし、時間が迫ると直属の騎士団長を従えたイコナが姿を現した。
王宮に忍び込んだ時に、何度も見ているから間違いない。
イコナは十年前から王宮にいるとの事だが、その姿は未だ若く、十代の娘のまま、まるで歳を取っていないようにみえる。
顔立ちは整い見た目は美しく、上等な衣裳に身を包んでいるものの、人となりは人相に表れるのだろう。つり上がった目付きと表情に、性根の悪さが滲み出ているようだ。
そんなイコナはキョロキョロと辺りを見回している。
取り引き相手を探しているのだろうと、チーネは最初そう思った。
しかし一向に取り引き相手とやらが来る気配が無い。
それを不審に思いつつ、イコナの様子を伺い続けていたが、どうにも動きがおかしい。
それに気付いた時、イコナに動きがあった。
「ねぇ、怪盗スパータ。来ているんでしょお?出てきなさいよー」
その言葉を聞いたチーネは、ここで始めてこれがイコナの仕掛けた罠だと気付いた。
背筋が凍るような感覚に襲われる。
ここで飛び出して逃げる事も出来るが、それはそれでリスクもある。
見たところ、イコナはこちらの潜んでいる場所までは気付いていないようだし、隠れたままやり過ごす事も考えた。
「ふーん、出てこないんだ?別にいいけど」
イコナがそう言うと、何かの容器を取り出し、液体をボトボトと垂らし始めた。
すると、イコナの足元に垂れた液体の中央を起点に、液体がネチャリと動きだし、蜘蛛の巣状の形となって広がっていく…。
徐々に広がる液体が、身を潜めている場所まで到達する寸前、チーネはたまらず飛び出した。
コレに触れたらマズいと本能的に感じたのだ。
「みーつけたぁ」
飛び出した人影を見て、イコナは嬉しそうに顔を歪ませた。
罠だと気付いた以上、相手をする必要はない。
チーネはイコナに目もくれず退散する。
「追え!逃がすな!」
騎士団長の声が響き渡り、配置されていた騎士団達が集まってきた。
おそらく騎士団全員が肉体強化の為に神薬を飲んでいるのだろう。
驚異のスピードで追ってくるが、逃走経路も地形もキッチリ把握していたチーネは、彼女らを置き去りにする。
「あ、危なかった。…罠だったなんて」
事前に周囲の状況を確認していたが、物理的な罠も、魔法による探知も仕掛けられてなかったから、罠だとは思い至らず、完全に油断してしまっていたのだ。
視線を少し後ろに向け、騎士団が追ってきていないか確認しようとした時、前方から子供がフラフラと出てきた。
「にゃっ!?」
持ち前の反射神経で躱したが、走っていたチーネに驚いた子供は転んでしまう。
…ぶつかってしまった可能性も否めない。
追手は気になるが、子供のことも放っておけず、チーネは手を差し伸べてしまう。
「だ、大丈夫?…ごめんね、怪我はない?」
「う、うん!」
その手を取った瞬間、子供は小瓶に入った液体をチーネに向けて降り掛けた。
「…ッ!?な、なにを」
流石のチーネもこれを回避することは出来なかった。
掛けられた液体がジワリと染み込むと同時に、身体が麻痺してくるのが分かる。
(こ、これも罠────!?)
気付いた時には遅かった。
この場から離れようとしたが、足がもつれて倒れてしまう。
「うぁ…っ」
言葉も上手く発せず、悶える。
それでも少しでも遠くへ逃げようと這いずっていると、やがて声が聞こえてきた。
「アーハハハハッ!ザマァないわね」
…イコナの声だ。
気付けば騎士団も周囲を取り囲んでいる。
そしてついにチーネは追い付かれ、捕らえられてしまったのだ。
「…で、アンタが怪盗ってヤツぅ?」
縛られ、地べたに横たわるチーネを見下し、勝ち誇ったように質問をしてくる。
だが、チーネは身体が麻痺していることもあり上手く言葉も出せない…。
睨み返すのが精一杯の抵抗だった。
「アッハハ!そっか忘れてた、麻痺してるんだもんね今、答えられないか。んー?でもコイツの顔、どこかで見たわね」
イコナはチーネからマスクを剥ぎ取ると、その顔をまじまじと覗き込んだ。
「プッ、アッハハハ!!こいつ、貴族を庇って殴りかかってきたヤツじゃない。そっかー、怪盗があんなつまらないギルドに潜んでたなんてねぇ?少し盲点だったかも」
嘲り笑うイコナに、団長が跪きながら訊ねる。
「イコナ様、コイツの処遇はいかがいたしましょう?」
「そうねぇ、冒険者の誘拐を擦り付けるのは予定通りする…んだけどー?」
イコナはチーネの顔面に蹴りを入れた。
「みぎゃっ…!?」
麻痺して痛みは軽減されていたが、口の中に血の味が広がる。
「チョロチョロと目障りだったし、楽には殺したくないなぁー」
余裕からか、はたまた人をバカにしているのか…。いや、両方なのだろう。
チーネが聞いている目の前で堂々と、イコナと団長はこれからの計画を話しだしたのだから。
「あっ、いい活用法を思い付いちゃった!」
「活用法ですか?」
「そう、怪盗に一暴れしてもらおっかなってね?怪盗スパータって、平民の間で結構人気あるみたいでさ」
イコナは歪んだ笑みを浮かべ、チーネを一瞥しながら言葉を続ける。
「このまま処刑しても、私たちを疑うヤツが出てこないとも限らない。だからコイツに冒険者を襲ってもらって、そのピンチに騎士団が颯爽と助けに訪れる!そうなれば、王都を守る騎士団の宣伝も兼ねて、怪盗が悪投だと知らしめる事も出来るでしょ?」
「流石イコナ様…!」
「アハハハ!まさに一石二鳥ってとこね」
勝手な事を口走りながら談笑するイコナ達に、チーネは力を振り絞り、反論した。
「そん…な事、するわけ…ないでしょ…っ!」
「あら、まだ口がきけたのね?でも心配しなくていいわよ」
そう言うとイコナは、液体の入った小瓶を取り出し、チーネの顔にボトボトとかけ始めた。
「アンタの意思なんて必要ないから」
「に…、にゃふっ!」
これはイコナの能力、神薬だろうと分かる。
一滴でも口にしては、ロクなことにならないだろう。
チーネはせめてもの抵抗として口をつぐみ、液体が入らないように息を止める。
「アッハハ、そんな事しても無駄なのに」
顔に掛かった液体───神薬が、地面に流れ落ちる事は無かった。
まるで生き物のように、鼻から、目から、口から体内に侵入してくる。
麻痺しているにも関わらず、恐ろしい不快感がチーネの全身に駆け巡った。
吐き気を催すのに、吐き気が逆流してくる感覚に襲われ、気が狂いそうだ。
かろうじて、わずかな意識だけを繋ぎとめたが、身体は自分のものでないように動き出し始めた。
「じゃあ、準備にとりかかりましょうか。派手に暴れるよう調整して…。騒ぎになるくらいが好都合かしらね、目撃者もいた方が良いし」
「それではイコナ様、早速こいつを使うのですか?」
「いいえ、私たちが事件を解決するまでに、もう少し予備の冒険者をストックしておきたい所ね。犯人を捕まえてからじゃ、冒険者を捕れなくなるでしょ?」
ここからのチーネは完全に操られ、再び動き出すまでの事は、頭に霞がかかったように憶えていない。
ある程度の意識が戻り始めたのは、路地裏と思われる場所に立ち、獲物…冒険者を待ち構えている所からだった。
酔っ払った冒険者が路地裏に入って来た時、チーネ本人の意思とは関係なく、怪盗スパータとして冒険者を手にかけたのである。
────全てが本当に最悪だった。
こんな姿は誰にも見られたくないのに、よりにもよって目撃者になったのがグリン達だった。
救いは、ジューロに食らわされた一撃で完全に意識が戻り、身体の自由が戻ったことか…。
騎士団に乱入される前に、その場を離れる事が出来たのは不幸中の幸いだと言える。
でも、自分のせいで冒険者が死んでしまった…手をかけてしまった。
グリン達にも、怪盗スパータの正体が私だと気付かれたように思う。
…チーネは、半ば自暴自棄になっていた。
シャーリーに経緯を伝えたら、刺し違えてでもイコナを倒しに行くつもりだ。
そんな風に、色々と余計な事を考えながら歩みを進めていたせいだろうか?
ふと気付くと、チーネは産業ギルド【インターセッション】の前に来ていた。
無意識なのか、帰巣本能なのか、…助けを求めて来てしまったのか。
「うにゃ……」
チーネは自分が情けなくて涙が出てきた。
冷静に考えてみれば、ラティが自分を追い出したのも仕方がない。
最後に酷い言葉をかけられたのも当然、それでも自然と足を運んでしまったのだ。
日が沈み、仕事終わりで片付けをしているギルドメンバーやラティが目に入り、少し懐かしい気持ちになるが、もうあそこへは戻れない。
涙を拭い、この場から立ち去ろうと背を向けようとした。
しかし、どうした事だろう。チーネは産業ギルドから目を離せなくなっていた。
…それだけじゃなく、身体も自由がきかない。
(ま、まさか…ウソだ───)
一歩、また一歩とギルドの方へと歩みが始まった。
(い、いやだ…嫌だ!やめて!これ以上、誰も傷つけたくない───)
意識と身体の自由を取り戻せていたのは、一時的なものだったと理解する。
と同時に、これから何が起こるかにもチーネは気付いてしまう。
冒険者を手にかけた時の感触が、チーネの脳裏に甦る。
全力で抗い、何とか動く右手から鉄の爪を出すと、自分の首を掻き斬ろうと試みる…。
しかし、寸前でその手も止まり、自害すら許されなかった。
(いやだ…嫌だ…いやだ!イヤだ!!いやだいやだイヤだいやだ嫌だいやだイヤだいやだいやだイヤだいやだいやだイヤだいやだいやだイヤだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ────姐さ…みんな、ごめ…なさ…)
…もはや、声を出す事さえ叶わず。チーネは、そのまま意識を塗り潰されていくのだった────




