第二十九話
ジューロは女性の悲鳴に即座に反応し、悲鳴が聞こえた場所へ向かって、階段を駆け上がりはじめた───
間違いなく、その悲鳴はリンカの声だ。
ジューロに続き、グリンも同様に駆け出す。
悲鳴が上がった場所は、リンカの部屋からだろうと推測し、二人で真っ直ぐそこへと向かう。
途中、その悲鳴で何事かと、寮にある他の部屋から数人が顔を出していたが。悲鳴よりもジューロとグリンの二人が駆け抜けて行ったことに面食らっていたようだ。
リンカの部屋に到着し、扉を開けると。窓が開け放たれていたようで、フワリと風が吹き抜けてきた。
部屋は暗く、見通しが悪いが。その中であっても二人の人影は視認できる。
一人は尻餅をついて、へたり込んでいる───
体格、髪の長さはうっすらと確認できたこともあり、そちらがリンカだろうと推測できた。
そして、もう一つの人影は、へたり込むリンカに対して、手を伸ばそうとしている所のようだった。
その人影は、ジューロが扉を開けた瞬間。ビクリ!と体を硬直させ固まったまま、顔をこちらに向ける。
暗がりの中で顔は見えなかったが、その瞳だけは、まるで猫のように光っていて、驚いたように大きく見開かれたのが分かった。
「リンカさんッ!!」
見開かれた瞳と視線が合った瞬間、ジューロは人影を捕まえるべく、勢いよく飛び掛かかる。
人影は、リンカに手を伸ばしたまま、驚き固まっていたが。
ジューロが飛び掛かった瞬間、身体をバネにしたように跳ね、超反応で躱してみせた。
ジューロは飛び掛かった勢いのまま転がり、壁に背中を打ち付ける。
「ぬぁうっ!」
瞳だけでなく、身体まで猫のようなヤツだ──と、ジューロは床に転がったまま思った。
「ジ、ジューロさんっ?!」
床に転がったジューロを心配するように、リンカが声をかけた頃。グリンが少し遅れて部屋に入ってくる。
「リンカさん、ジューロ!?大丈夫かい?!」
その人影は、グリンが入ってきたことで、少し戸惑うような仕草を見せた。
おそらく、ジューロとグリンの二人が入ってきたことで、人数的にも分が悪いと判断したのだろう。
この騒ぎもあり、他の部屋からも人が集まって来たようだ。
集まってきた人の中にはラティもいて、部屋を覗き込んで声を掛けてくる。
「リンカ!何があったの!?…あっ───」
ラティが続けて何か言おうとした時、人影は開け放たれたままの窓へ飛び付くと、そのまま外へと飛び出し、闇の中へ消えていった。
ジューロは、人影が消えていった窓から目を離すと、リンカの無事を確認する。
腰を抜かしているようではあるが、見たところ外傷はないように思える。暗くて分からないだけかも知れないが…。
「リンカさん、大丈夫でござんすか?お怪我は?」
「あっ、うん!大丈夫ですっ!」
「…立てやすかい?」
リンカに手を差し伸べ、引き起こすと。丁度そのタイミングで部屋に明かりが灯った。
火の灯りとは違う不思議な光源が、部屋を明るく照らす。
明るくなったお陰で、リンカの無事な姿を確認できた。とりあえず一安心ではあったが、先ほどの人影…あの不届き者は捕まえておきたいと思った。
「グリン、頼みが!あやつの匂い、追えやすかい!?」
ジューロより少し遅れて部屋に到着したとはいえ、グリンもあの人影は見えたハズだ。
彼の嗅覚なら、たとえ姿を見失ったとしても追跡することが出来るのではと考え、頼んでみるが…。
「うぐっ!?ごめん、ジューロ…えふっ!ふしゅんっ!」
グリンの様子がどうもおかしい、鼻をおさえてクシャミをしている。
「グ、グリン?大丈夫でござんすかい?!」
「ぼ、僕は大丈…えふっ!それより、追わないと───」
グリンに言われ、ジューロは人影が逃げた窓から身をのりだし、慌てて外を見たものの。───カコン!という金属音が聞こえただけで、既に人影はどこにもなかった。
完全に見失ってしまったが、それよりも今は、リンカとグリンの方が心配だ。
視線を部屋に戻すと、リンカとラティの二人が、グリンの様子を診てくれている所であった。
「リンカさん、グリン、二人とも本当に大丈夫でござんすか?」
「私は大丈夫ですっ!グリンさんは、鼻が少し麻痺してますけど…」
ジューロが三人に近付くと、グリンが申し訳なさそうに呟いた。
「ごめんジューロ…アイツ、嗅覚を麻痺させる香水をつけてたみたいで。匂いじゃ、追えそうにないかも」
「いやいや、それよりグリンは大丈夫なので?!」
「大丈夫さ!毒ってワケじゃないから、少し休めば回復するよ」
「さ、左様か…。あっしこそ、うかつに頼んで申し訳ねぇ」
「ハハハ!僕自身、匂いで追跡しようとしただろうから、気にしないでよ」
グリンはそう言って、ジューロの肩をポンと軽く叩く。
「それより、麻痺する直前にさ、あの人影から少しだけ匂いを感じたんだけど…、それが───」
グリンは一瞬、言いよどみながらも、言葉を続ける。
「チーネの匂いだった…、気がしたんだ」
「むぅ…?」
ジューロは、人影の事を思い返してみた。
言われてみれば、暗闇で光る猫のような瞳。これは過去にも見覚えがある。
ラサダ村にいたラト族の少女…ソラが、暗闇の中を案内してくれたとき、あんな感じだったからだ。
あの人影が、同じ種族であるチーネであっても不思議ではない。
それに、身体能力はともかくとして、暗がりでも僅かに見えた体格は、チーネに近かったように思えたが…。
ジューロが色々と考えを巡らせていると、グリンの話を聞いていたラティが、何かに気付いたようで、話に入ってきた。
「グリン君、それはきっと部屋のせいだと思うわ」
「部屋のせい?」
「ここは元々チーネが使ってた部屋だから、彼女の匂いが残ってただけじゃないかしら?」
「あっ!なるほど、そんなこと言ってましたね…。そうか、チーネの匂いがしたのはそのせいか。アハハ…」
グリンはチーネが不審者じゃなかったであろうことに、ほっと胸を撫で下ろし、納得しているようだったが、根本的な問題はまだ残っている。
「しかし、あの不審者はどうしたものか…。あっしとしては、とっちめておきてぇが」
わざわざ窓から逃げたのだ、ここの人間が部屋を間違えたとは考えにくい。
「あの、ジューロさん。私は大丈夫ですから!」
「む?しかし…」
「確かに驚きましたけど。あの時、腰を抜かした私に『ごめん、驚かせるつもりはなかった』って、助け起こそうとしてくれましたし」
「ふぅむ…?そういえば、どういう状況だったのか聞いておりやせんでしたね。何があったので?」
「え、えっとですね───」
リンカの話によると、ジューロたちと別れた後、ラティとは寮内で別れて、そのまま部屋に戻ったそうだ。
部屋に戻ると、窓が開いていることに気付き、開けた憶えがないのを不思議に思ったリンカが、窓を閉めようと近付いたところ。
部屋のすみっこで、誰かが何かを探しているように、ゴソゴソと部屋をあさっていたという。
明かりをつけずに入ってしまったこともあり、その人影もリンカが入って来たことに遅れて気付くと、驚いた声を『みぎゃっ!?』と上げ、リンカもつられるように悲鳴を上げて尻餅をついてしまったらしい。
最初はリンカの上げた悲鳴に、人影もオロオロしていたそうだ。
しかし、へたりこんでしまったリンカに気付いて、手を差し伸べて起こそうとした所。
そのタイミングでジューロたちがやってきた───というのが、この一連の出来事だそうだ。
なるほど。あの時、人影がリンカに手を伸ばしていた理由は分かった。
だが、リンカはあまりにも人が良いというか…。
状況的にも、勝手に部屋に入り込んで、物色していたのはほぼ間違いない。それを助け起こそうとしただけの理由で、信用するのは危ういだろう。
「うーむ、せめて奉行所に届け出た方が良いのでは?」
「ぶ、奉行所…?って何です?」
リンカが不思議な顔をしてジューロに聞き返した。
グリンやラティも同じような反応をしている、どうやら異国に奉行所はないらしく。ジューロの伝え方が悪かったようだ。
「えぇと、罪人を取り締まったりする組織でござんすね。グリンのいた所で言うと、レンジャー隊みたいなもんで。そういった人たちは、この国にはいないので?」
「あぁ!ここだと、王宮に属してる兵士たちが担ってるね。昼間見たような騎士団とか…」
ジューロの質問に、グリンが答えた。
「ジューロさんっ、そこまでおおごとにしなくて良いと思いますけど…」
「いやぁ、リンカさん。危機感が足りやせんよ…ちゃんと手を打たねぇと」
昼間見た騎士団の印象はあまり良くないが、こういった事はしっかりと届け出るべきだと思う。
「まぁまぁ、ジューロ君。リンカもこう言ってることだし、この件はひとまず保留にしておきましょ?」
「いや、しかし…」
「大丈夫!あれってきっと、ウワサの義賊<怪盗スパータ>よ。…おおかた、盗んだお金でも配ろうとして、間違ってリンカの部屋に入ってきた──って所じゃないかしら?」
「うぅ~む…?」
「そ、そうですよ!ジューロさんっ。心配しすぎだと思います」
理由はどうあれ、女性の部屋に侵入していたのだ。このままにするのは物騒だと思う。
リンカもリンカだ。不審者など、かばわなくていいだろうに───
そんな彼女を見て、チーネが言っていた『──女の子って、ワルに惹かれるものなの!』という言葉を、ふいに思い出してしまうが、ジューロは頭から振り払った。
納得はいかないが。当人がこう言ってる以上、ジューロがとやかく言うことではないだろう。
「まぁ、それで良いなら…。しかし、あっしとしては、リンカさんをここで一人にしておくのは心配でござんすよ?」
「あっ、それもそうよね…。うーん、じゃあリンカは私の部屋に泊めるから、それでいい?」
ラティがそう提案してくると、リンカもそれに乗るように、素直に「は、はいっ!ラティ姉さん」と返事をした。
「安心していいんじゃない?ジューロ」
ポンと肩に手を置いて、グリンもそう言ってくる。
少なくとも、一人でいるよりはずっといい。
「で、ござんすな」
とりあえず話がまとまった所で、ラティが腰に両手を当てながら。
「さてと!じゃあ二人とも、ここ女子寮なんだけど…分かる?」と、話題を切り替えた。
「うむ??」
ジューロは分からず疑問符を浮かべる中、グリンだけは「えっ、あっ──」と狼狽する。
二人の各々の様子に、ラティは少し呆れたように溜め息を漏らしながら。
「昼の時間とか、私が案内した時くらいなら良いけど…。基本的に男性が入る場所じゃないのよね」と、説明をまじえた後、視線を部屋の入口に向ける。
ジューロとグリンも反応し、そこへ視線を移すと、入口には、騒ぎを聞き付けた人達が集まっていて、こちらを覗き込んでいるのが見えた。
どうやら全員女性のようで、好奇の視線をジューロとグリンに向けていて、ちょっとした野次馬になっている。
「あっ、これまずい感じでござんすか…?」
ジューロが訊くと、グリンは黙ってコクリとうなずく。
それを見たジューロは、ようやく置かれた状況を察することが出来た。このままでは、ジューロとグリンが不審者扱いされかねないだろう。
「あのっ、私が説明してきますから!」
リンカが意気込み、扉に向かおうとしたのだが、ラティが肩を掴んで制止した。
「リンカ、逆効果になりかねないから待ってなさい」
「で、でも…」
「任せなさいって」
ラティはそう言うと、手を叩きながら部屋を出て「はいはい!みんな散った散った!明日早い人もいるでしょ?」と、集まってきていた人たちに、部屋に戻るよう説得をし始めた。
ラティが出た廊下から話し声が聞こえたが、ジューロとグリンが居ることについても訊かれているようだ。
「あ~…あまり気にしないでちょうだい?今日入ったばかりの子たちだから、分かってないだけよ。そうね、仕事の説明をする時に改めて教えておくから───」
そんな風に、ラティが話している。
余計な苦労を掛けてしまったようで、申し訳ないと思った。
しばらくして人払いも終わり、ラティが部屋に戻ってくる。
「姐さん、申し訳ござんせん…」
「僕もです。すいません、厄介なことしてしまって…」
ジューロとグリンが頭を下げた。
「あのっ、ラティ姉さん!二人とも心配して駆け付けてくれただけで…その…」
「分かってるって、別に気にしてないわよ。説明もしてなかったしね?…そういえば、どこまで話したっけ?」
ラティは少し考えこんだ後、思い出したように指を鳴らす。
「…そうだったわ。でも、今日はもういいわね。明日また改めて、仕事内容とか色々説明するから。話はその時にしましょ…、ここでずっと話すのもね?」
「ですね、分かりました。また明日、よろしくお願いします」
「あっしも承知しやした。姐さん、リンカさんをお願いしやす」
「それは任せなさい!じゃあ、二人とも。今度こそ、おやすみなさい」
「ふふっ!ですね?今度こそ、おやすみです。ジューロさん!グリンさん!」
改めて互いに挨拶を交わし、リンカとラティの二人に見送られながら。
ジューロとグリンはそそくさと女子寮を後にするのであった───




