異界からの漂着《後編》
コンコンコン───
(音が聞こえる…、扉を叩く音か?)
十朗は長脇差を抱えたまま、素早く身を起こす。
窓から空が見えるが、星空が広がっていて、まだ朝でないのは分かる。
「どちら様でござんすか?」
扉へ向けて声を発すると、返事が聞こえた。
「ジューロさん、こんな夜中にすまない…」
声からバジールだと分かったが、普段よりも声を抑えているようだ。
夜だから声を抑えるという人ではない、だからこそ何か胸騒ぎがした。
「バジールさん、開いておりやすよ。いかがされやした?」
十朗の返事を受けて、バジールが扉を開き入ってくる。
月明かりが少し射し込んでくるが、光の加減から灯りも持たずに来たのが分かる。
「失礼、どうしても話さなければならないことが出来てしまって」
そう言うとバジールは入ってきた扉の方にチラリと視線を向ける。
良く見ると、もう一人…誰かが付いてきているようだ。
「ほら、ちゃんと入って話そう。恩人を裏切るような真似はしたくないだろう?」
「うぅ…、そうですね…」
外から声が聞こえ、おずおずと一人の男が入ってくる。
月明かりのおかげで顔は認識できた。
その男は、墓場近くで村長と話をしていた村人の一人だった。
男は十朗と目があった瞬間、膝を付き頭を下げる。
「申し訳ありません、ジューロ様!」
それに倣うようにバジールも同じように膝を付き、こちらに頭を下げてくる。
いきなり頭を下げられても何と返せばいいのか…、その理由が一切何も見えてこない。
「む?…一体なんでござんすか!?」
「リンカさんを…引き渡すことなりまして…」
「んん?…は!?」
───引き渡す?
あの墓場で何かを画策していた事の話だと、理解できた。
しかし、その件は取り止めにしてくれるという話で決着したのではなかったのか?
「すみません!すみません!すみません!」
「すまない!ジューロさん!」
「いや、怒ってはおりやせんから。どういうことか説明しておくんなさい…」
刃物を持っている人間の怒りを買うかもしれない危険があるにも関わらず、彼らは正直に話に来てくれたのだ。
その心持ちを無下にしたくないし、なぜそうなったのか理由はしっかり聞いておきたい。
まぁ…怒ってないと言えば嘘になるが、危害を加えるつもりはない。
敵意は無いことを示すため、長脇差を隅に置くと、二人を部屋に招き入れ男が落ち着くのを待つ。
少しの間を置いた後、落ち着きを取り戻した男が事情を話し始めてくれた───
「見ての通り村はボロボロで逼迫していまして…早い話がお金が必要なんです…」
「うむ、確かそういう話をしておりやしたね。しかしその件は納めてくれると…」
「えぇ、ですが、もう一つ問題がありまして。彼女が魔女…もしくは魔族だったことなんです、どうにもそれを放っておくワケにはいかないとの判断で…」
彼らが言う魔女だの魔族だのの話は、未だにピンと来ない。
異国では当たり前の話で基礎的な知識なのかもしれないが、十朗にはさっぱりなのだ。
「うーむ、あっしはその話よく分からないのでござんすが…」
「魔族は厄災を呼び寄せる、そういう伝承があるんです」
「うぅむ?しかし彼女を見る限り、そうは考えられねぇが…何か証拠でもあるので?」
「…はい、実は村長に言われて準備した料理にある豆を入れたんです」
「豆?」
男が懐から袋を取り出すと、その中身を見せる。
袋の中には乾燥させた大豆のようなものが入っていた。
それの豆に十朗は見覚えがある。
あの場で料理の一つとして並んでいたもので、十朗もそれを口にしているからだ。
「これは光豆というもので…人間には害はなく、魔女や魔族が口にすると泥酔すると言われています」
なるほど。
そういえばあの時リンカは完全に酔っ払っていたのに酒の臭いはまるでしなかった。
その状況から考えると、これを食べた結果、酔っ払ったと考えて間違いないのだろう。
「ふむ…。それは魔女や魔族とやらの証明なだけであって、厄災を呼び寄せる証拠とは言えねぇと思いやすが」
「えぇ…私もそう思います。ですが私達は非力な人間です、情けないことですが、彼女を怖いと思う人もいるのです…」
「左様か…」
伝承や逸話、その土地の風習というのは厄介なものだ。
余所者には理解しがたいことが、その土地では当然のこととして扱われることもよくある。
しかし十朗はこちらに流れ着いてから、トロール等という妖怪の類いとしか思えないモノをこの目で見ている。そういうのを怖がるのは当然と言えるだろう。
それに余所者である十朗が、村の伝承などに口を挟むのは余計なお世話というものだ。
「…で、おめぇさん方はどうしたいのでござんすか?リンカさんを差し出すことを、ただ伝えに来た…ってワケじゃねぇんでしょう」
その言葉を受けて、男とバジールは互いに顔を見合わせた後、頷きあい、再び十郎に向き直る。
「はい、ジューロ様にリンカさんを匿って欲しいのです」
「匿う…、でござんすか?」
もう一度村長を説得してくれと言われるのかと思ったが、少し事情が違うようだ。
「なら、バジールさん達の誰かが…あぁ、そういうワケにもいかねぇか…」
そんな余裕なんかどこにも、誰にもないだろう。それは村の状況を見れば明らかだ。
となると、匿う場所となれば…。
バジールやパセリが言っていたが、リンカの家の場所は知られていないと聞いたし、そこに戻れば匿うにも丁度良いかも知れない。
「あっしに頼みに来た理由がなんとなく分かりやした…」
村の誰かでは匿ったことを知られた場合、何かしら責任を問われる危険性がある。
しかし余所者かつ、明日には居なくなる十郎なら都合が良いというワケだ。
───正直に言えばいい気分はしない。だが、世話になった恩義を返すなら良い機会でもあるか。
「ジューロさん、すまん。ジューロさんに頼もうと言い出したのは私なんだ」
バジールが深々と頭を下げるのを見て、彼もまた苦肉の策として考え付き、迷ったあげくそういう判断をするしかなかったのだと思えた。
「…あっしも世話になりやしたし、お引き受けいたしやしょう。それにリンカさんが村に来てしまった原因はあっしにござんすからね」
十朗にとってもリンカは恩人だ。
彼女の魔法がなければ十郎も大怪我のまま、最悪は死んでいたことだろう。
彼女に被害が及ばないよう、この状況を丸く治める方法があるならそれに越したことはない。
「前にバジールさん達が言っておりやしたが、リンカさんの家は場所が割れてねぇって話。匿うというより、そこへ帰すという段取りで…ようござんすかい?」
「ああ、少なくとも村の者はみな知らないのは確かだ。知らない場所なら見付かるリスクも少ないと思う」
「リンカさんにはこの話、通しやしたかい?」
「いや、眠りが深いみたいでな…。まだ事情は話せてないんだ」
「うぅむ、…帰した後にはなりやすが、そこは上手く伝えておきやしょう」
とは言ったものの、どう伝えればいいのか…。
先のことを考えると頭を抱えたくなるが、今はどうするか話し合うのが先決だ。
「しかし、その後はどうしやす?ほとぼりがさめるまで待ってもらえば良いんで?」
「はい、村長が言うには明日、村の救援に騎士団が到着するとの事で、その方々に引き渡すことになっているのですが。到着してもリンカさんが居なければ諦めてくれるかと思いまして」
───本当にそれで大丈夫なのだろうか?
騎士団…というものはよく分からないが、村の救援に駆け付けてくる団体と考えると、同心(※江戸時代の警察)のようなものと推察される。
「諦めてくれなかった場合のことは考えておいでで?」
彼女を危険であると判断し、森の中へも捜索の手を伸ばして捕縛する可能性はあると思う。
「その時は、私が逃がしたとでも言うさ!もう探しても無駄なんだってな」
「バジールさん、駄目ですよそれ…下手すると村そのものの責任にされかねない」
「うっ、駄目か?」
「それで誤魔化しがきくなら、私がやりますよ。バジールさんは村のこと以前に奥さんと息子さんの事も考えて下さいよ」
「でもな、他に方法があるか?」
「そりゃあ…まだ、思いつきませんが…」
男二人があーでもない、こーでもないと話し合い始めた…。
どうやら先のことまでは考えてなかったようだ。
「…致し方ねぇ、じゃあこうしやしょう」
思い切り溜め息をつきたい衝動をこらえ、二人の会話に割り込むと、二人の視線が十朗に集まった。
「あっしがリンカさんを拐った、ということに致しやしょうか」
バジールと男が少し狼狽する。
「しかし、それじゃジューロさんがだな…」
「流石にそこまでは…」
「あっしはどのみち村から出ていきやす。もちろんリンカさんは家に帰しやすが、拐ったとの話になれば…あっしに向けての捜索となると思いやす。あっしを追うことになれば、森に手を回す余裕はねぇでしょう」
これもまた確実ではないだろうが、彼女に害が及ぶ可能性はかなり低くなるはずだ。
「リンカさんの安全を考えるなら、これが一番ってもんで。なぁに、ひょっとすればリンカさんが居ねぇってことで、素直に諦める可能性だってあるんでしょう?」
「でも、追っ手を出される可能性が…」
「その時は仕方ねぇさ。まぁ、あっしの行き先だけは何とか誤魔化しておくんなさい…とは言え、故郷に帰る為に何処へ向かえばいいのか。あっし自身どうすればいいか、皆目見当もつかないのが問題でござんすがね」
ここまで言って思い出したが、故郷に戻る手掛かりはまるでなく、それを村長に相談しようと考えていたのだが、それ所ではなくなっている。
「それならジューロさん、王都ビアンドに向かうといい。あそこなら他国との交流があるし、きっとジューロさんの故郷の手掛かりも見付かるんじゃないかな」
「王都ビアンド?で、ござんすか。やはり聞き覚えがねぇが…。ちと失礼」
振分荷物から村長に借りたままの地図を取り出すと、バジール達の目の前で広げてみせた。
「場所はどちらか、この地図で分かりやすかい?」
バジール達が地図を改めるが、すぐに首を横に振る。
「…すまない、これじゃ王都までの方角を示すくらいしか出来ない、地図に描かれているよりも外側に位置しているんだ」
「他に地図はねぇんでしょうか?」
「いや、私は持たないな…お前は?」
「すみません、私も持ってないです」
かなり参ったが、手掛かりが全く無い状況よりは進展したと考えよう。
「ならば、方角だけでも教えて頂けりゃ充分でござんすよ。後はまぁ…あっし次第」
概ねやることは決まった、うまく行くかは別としてだが…。
十朗はスッと立ち上がり、旅支度を整える。道中合羽に三度笠、手甲脚絆という出で立ちだ。
「さて、早速ではござんすが。リンカさんを拐いに行くと致しやしょうか。案内、お願い致しやす」
バジール達が外に出ると先導し、夜道を進み始めると、十朗もそれに続き、空き家を静かに後にするのだった。
三人は歩みを進め、バジールの家にたどり着く──
真っ暗な周囲の家とは違い、うっすらと灯りが見え、扉の前ではパセリが待っていた。
脚が悪いのにも関わらず、外で待っているとは…余程切羽詰まっているらしい。
「ジューロさん、あの…」
「事情はお聞きしやした、パセリさんにも話しておきてぇことがあるんで」
「…パセリ、とりあえず中に入ろう」
「わかりました、ではこちらに来てください」
バジールとパセリに招かれ家の中に入ると、部屋の奥まで案内された。
そこではソファーの上でカモミルが眠っているのが目に入ったが、この様子だと起きる気配はない。
カモミルと別れの挨拶をすることを約束していたのだが、その約束は破ることになりそうだ。
(こんな簡単な約束さえ守れねぇんなら、あっしが村長の事をとやかく言う筋合いは、ねぇのかも知れねぇな…)
カモミルの寝顔から目を背けると、パセリに対して、これからやることを簡単に説明した。
村の問題だからとパセリはこれに反対したのだが、これから先の事を考えてのことと…そして何より、この案を提示したのは十郎自身であることを説明し、なんとか納得してもらった。
「じゃあ、手筈通り…あっしはリンカさんを連れて戻るとしやしょう」
「あっ!少しだけ待って、ジューロさんに渡したいものがあるの」
パセリはそう言うと部屋の隅から何かを持ち出してきて、戻ってくる。
その手には、紙に包んだ何かと、巾着袋っぽいものが握られていた。
「こっちは非常食で、こっちはお金。どっちも少ないけど、せめてこれくらいはね」
「食料はありがてぇが、流石に金を頂くワケには…」
「これは正当な報酬よ、私達が助かったのはジューロさんが来てくれたお陰なの。村から出ることはカモミルから聞いてたから…本当は見送る前に渡すつもりだったのだけど」
十朗に、ぐいっと非常食とお金を押し付ける。
「こういうことはちゃんとしなきゃね?」
祝いの席で、パセリが同じようなことをリンカに言ってたことを思い出す。
これを突き返すのも失礼だし、申し出そのものは非常にありがたいものだ。
十朗が持つ通貨は、異国ではまず使えないだろうし。
「それなら、ありがたく頂戴致しやす。そして差し出がましいんですが、一つお願いしてぇことがありやして」
「ジューロさんのお願いか、もちろん私らに出来ることなら何でも言ってくれ」
バジールが前のめりで聞いてくる。
「出来れば、塩を分けてくれやせんか?」
「塩かい?」
「へえ、手持ちが少なくなっておりやして」
「それくらいお安いご用さ!塩なら大量にあるから、好きなだけ持っていってくれ」
そこまで大量には必要ないのだが、助かる。
「あと、あっしからはこれをお渡し致しやす」
十朗は振分荷物に忍ばせていた小判を取り出し、バジール夫妻に渡した。
「えっ?これは…?」
「あっしの故郷の通貨でござんす、こちらで価値があるかは分からねぇが。世話になった気持ちでござんす」
決して汚い金ではない───
十朗が婚儀の場で贈るつもりだった祝儀なのだ。
別に故郷へ帰ることを諦めた訳でもなければ、婚儀がどうでも良いという訳でもない。
頭の悪い十朗には、感謝の表し方がこれ以外に浮かばなかったのだ。
祝儀を別のことに出すのは罰当たりかも知れない。しかし、こういう使い方なら親分や娘さんも許してくれるだろう。
「いや、流石に受け取れないよジューロさん」
「ふむ?あっしが世話になったのは事実、食事だって分けて頂きやした。それにこういうのは、ちゃんとするべき…なのでござんしょう?」
先ほどパセリに渡されたお金を見せて言う。
「だからどうか、受け取っておくんなさい」
「…わかりました、ありがとうジューロさん」
一通り話が纏まった所で、頂いた物を振分荷物に入れ、リンカが寝ている部屋へと移動した。
リンカはベッドの上で気持ち良さそうに寝息を立てている。
出来れば彼女にも事情を説明しておきたい、バジール達が居る今の方が、安心して話に耳を傾けられるだろう。
その考えを伝え、なんとか起こせないか頼んでみる。
しかし、パセリがリンカを揺さぶったり、声を掛けたりしてくれたが、どうにも起きる気配はない。
「ダメね、ジューロさんが来る前にも起そうとしてみたのだけど。しばらくは起きそうにないわ」
ここで起きてくれたなら説明の手間が省けるとおもったのだが…。
「仕方ねぇ、いつ起きるか分からねぇし。このまま家に返しやしょう。彼女への説明は、目が覚めてからでござんすな…」
パセリ達に協力してもらい、リンカを背負う。
ほとんど重さを感じなかったが、背中には確かに、彼女の体温が伝わってくるのを感じた。
「じゃあ、お別れでござんす。皆さんには世話になりやした」
「それはこちらのセリフだよ。最後まで迷惑をかけた、すまないジューロさん」
「ジューロさん、リンカちゃんをお願いね」
「ああ、任せておくんなさい。リンカさんの事については、最善を尽くすことを…お約束致しやすよ」
そうだ、最善を尽くさねば。
これは十朗以外の人間にも関わってくることなのだ。
今の状況は、十朗が何気なく起こしてきた行動の帰結であり、その責任もあるだろう。
特にリンカに関しては完全に巻き込んでしまった形だ。
「こっちも何とかしてリンカちゃんが戻って来ても大丈夫なようにするから」
バジール夫妻の表情もすぐれない。
本当なら、朝にはカモミルと一緒に明るく送り出してくれた事だろう。
「二人とも気にすることはねぇ、カモミル殿には別れの挨拶が出来なくてすまねぇと伝え──」
言葉にして十朗は気付く。
カモミルは素直な少年だ、リンカを匿う為の嘘を知って、それを黙っていられるかどうかが分からない。
拐ったことにするなら、徹底して情報は伏せなければ…。
「いや、カモミル殿にも、あっしがリンカさんを拐ったと伝えておいておくんなさい。脅されて…仕方なく引き渡したとなれば、誰も責任には問わねぇでしょう」
「……ジューロさん、約束を破ってしまったこと。なんとお詫びすればいいか」
「いいさ、おめぇさんが伝えなけりゃ、リンカさんがどうなったか分からねぇんだ…。それに、謝るのなら彼女にしておくんなさい」
それに、カモミルとの約束を破っている自分が言えたものでもないだろう。
十朗は自嘲気味な笑みを浮かべるが、すぐに気を引き締め直す。
「では、もう会うこともねぇでしょうが。皆さん、ずいぶんとお達者で…」
軽く頭を下げ三人に背を向けると、森へと歩みを進める。
───月明かりが二つある夜道は明るい筈であったが、十朗にはいつも以上に暗い道に見えた…。
二つある奇妙な月明かり───
深い森の中。
十朗は黙々と歩みを進めている。
エプロンドレスのような衣装を纏った美しい少女を、旅装束で身を固めた男が背負い、森の奥へと向かっている。
端から見たら人攫いに見えるかもしれない…いや、人攫いで間違いないのだろう。
どうすれば正しかったのか、十朗には分からない。
後悔は頭の中で渦を巻く、過去に戻りたい…という思いさえある。
だが、そんな思考は時間の無駄だ。
これから先をどうするか、それに活かすしかないのだ。
親分にもかつて、そのように諭されたことがある。
それは頭では分かっている───
しかし人は、そう簡単に割り切ることが出来ないものだ。
十朗は無駄な思考を続けていたが、滝の音が聞こえてくると、ようやく我に帰ることが出来た。
(リンカさんと出会った場所が近いようでござんすね)
滝の音を頼りに歩みを進め、大木から滝が作られている場所へと辿り着いた時、異変に気が付いた。
妙に明るい…月明かりだけのせいではない。
その場所そのものが、うっすらと発光しているような気がする。
そして、それに呼応するように、リンカの身に付けている金色の腕輪が光っていることに気付いた。
…最早、驚きはしまい。
異国は不思議なことが溢れている。
これもよくある事なのだろうと、すぐに頭を切り替えた。
なんにせよ、ここまで来ればリンカの家まで後少しだ。
今度はリンカを追った記憶を辿り、さらに奥へと足を踏み入れる。
リンカの腕輪が光り、道を照らしていることもあって、家まで迷うことなく到着することが出来た。
「夜分遅く失礼しやす、どなたかいらっしゃらねぇか?」
誰か他にも人がいるかもしれないと思い、念の為に扉を叩き挨拶をする。
だが返事はなく、人の気配もない。
扉を確認すると、どうやら鍵は掛かっていないようで、中には入ることが出来るようだ。
女性の家に無断で入るのは抵抗があったが、未だに肝心のリンカは起きる気配がない。
心配になるくらいグッスリと眠り続けている。
「すまねぇが、入らせて頂きやす。ごめんなすって…」
リンカをこのままにするワケにもいかず、家に踏み入ることにした。
まだ腕輪はぼんやり光っていて、少しだが内装が分かった。
外観こそ樹に包まれたような奇抜な家だが、普通の民家のように壁も床も人の手で作られたようなもので、家具もバジール夫妻の家で見たような物に近かった。
「おっと、感心してる場合じゃありやせんね」
とりあえずリンカを横にしてあげたいと思い、寝室を探してみる。
家はそこまで広くなく、寝室と思われる部屋もすぐに見付けることができた。
ゆっくりとリンカをベッドに寝かせ、布団を掛けると十朗はさっさと外に出る。
改めて考えると酷い状況だと思えたからだ。
女の子が一人寝ている部屋に、大の男…しかも渡世人が居るのはどう考えても異常だろう。
…とにかく、それでも無事に彼女を帰すことはできた。
後は…彼女の目が覚めたら、これまでの経緯を説明すればいい。
不安は拭えないが、今できることはやったはずだ。
ふと空を見る、二つの月明かりと雲一つない夜空がひろがっており、どうやら雨の心配はなさそうだが、念のため軒下を借り、道中合羽にくるまると目を瞑る。
このまま起きていても、頭の中がまたごちゃごちゃしてくるような気がしたので、眠ることにした。
意識を沈めて、幾ばくか──
目を閉じていても明るさを感じることができる頃、十朗に声がかかった。
「…ジューロさん、ジューロさん!」
リンカの声だと分かり、ゆっくりと目を開ける
「リンカさん、おはようござんす…」
「あっ、おはようございます!じゃなくて!あのっ、色々と聞きたいことがあるんですけど」
そりゃあ当然だろう。
まずリンカが家に帰っていることと、十朗がここにいること。
これだけでも彼女にとっては訳が分からない状態のはずだ。
「でも、その前にこれをどうぞ。温まりますから」
リンカが湯気の立っているカップを差し出してくる。
十朗はそれを受け取り中身を見た、飲み物であることは察せられたが、この落ち着くような香りは…初めてだ。
「ありがとうござんす」
口に運び、飲んでみる。独特の風味だが悪くない、お茶の一種なのだろう。
そしてリンカが言っていたように、体を暖める効果もありそうだ。
ゆっくりと飲み干し、一息入れる。
彼女に、これまでの事を話しておかねばならない。
「…リンカさんに、お話しておきたいことがありやして」
「えっ?あの…」
「恐らくはリンカさんが聞きたいこと、この状況に関わるものになりやす。よろしいでござんすか?」
十朗の態度から何かを察したのか、リンカが少し考える様子を見せた。
「ここだと冷えますから、家に上がりませんか?」
「女性だけの家に上がるってのはちょっと…話なら、ここでしやしょう」
「私が良いって言ってるんです、それとも私にも寒い思いをして欲しいんですか?」
「いや、そういう訳じゃ…」
「じゃあ入りましょ!」
そう言うが早いか、リンカが家に入っていく。
気は進まないが、話をしない事には去ることもできない。
十朗はリンカの後に続いて、再び敷居を跨ぐことになった。
部屋に通されると、リンカに促されるまま席に着く。
夜に入った時には気付かなかったが、テーブルの上に花瓶があり、大木の滝で彼女と出会った時に持っていた花束が生けてある。
「ジューロさん、お腹すいてません?朝食とか一緒に」
「いや、ご厚意はものすごく有難てぇんだが。先に話をさせて頂きてぇ」
これ以上、厄介になるのは避けるべきだ。
ただでさえ切り出し難い話をしなければならないのに、世話になってしまっては、こちらの心が潰れてしまう。
「ん、分かりました。それなら先に聞きます」
リンカが正面に座ると、こちらに耳を傾けるよう姿勢を正す。
「かたじけねぇ…」
しかし、いざ話すとなると、どこまで話せばいいのか…。
変に誤魔化しても、今度はバジール夫妻や他の村人達が苦労するだけかも知れないし、それに誤魔化しながら上手く話せる程、十朗は賢くはないことを自覚している。
だから十朗は、これまでの経緯を正直に話すことにした。
リンカが魔女、魔族と疑われていること。
決して悪意があるわけではなく、彼らは臆病なだけであるということ。
バジール夫妻を始めとして、リンカを心配し、助けようとした村人達もいること。
落ち着くまで、リンカには村に来ないようにしてもらうこと等…。
これを簡潔に彼女に伝えた───
「すまねぇ、こうなったのはあっしの責任だ。あっしが余計な事を伝えなければ、リンカさんは村に来ることもなかったかもしれねぇ。リンカさんが村に来ることがなければ、村長さんもこんなことは考えなかったかもしれねぇ。本当に、申し訳ねぇ」
十朗は深く、深く頭を下げる。
許されなくても文句は言えない、代わりに何か出来ることも思い付かない。
「あの…ジューロさん、頭を上げてください。話は分かりましたから…」
十朗は動けなかった…。
申し訳ないという気持ちも強くあるのだが、何よりリンカに顔向けできない…彼女の顔を見るのが恐ろしく感じる。
情けない話だが、手前勝手な都合で顔を上げれなかった。
「私は大丈夫ですから、お願いだから顔を上げて…?ねっ?」
その言葉で顔を上げ、リンカの顔を見る。
彼女の瞳が寂しそうに、そして哀しそうに揺れていた、彼女も動揺しているのは一目で分かった。
「それに、私が魔族なのも半分は当たってますし」
「半分?」
「ええ、私は魔族とのハーフなんです。どうやらバレバレだったみたいですけど…」
(魔族とのハーフ?)
十朗は首をかしげる。
こうした専門的な話は、今一つ理解が出来なかった。
異国の事情なんて知るすべもなかったのだから、仕方ないのかもしれないが、話の流れから察するなら、あまり良いことでもないのだろう。
「村を混乱させたのなら、秘密にしてた私が悪いんです。だからジューロさんは気にしないでください…」
今いちばん傷付いているのはリンカ自身だろうに…。
そんな彼女がこちらに気を遣っている事が伝わってくる、それを十朗は恥じた。
「お心遣い、痛み入りやす。しかし、先ほど伝えたようにリンカさんの事を案じてる者もおりやす」
彼女にはバジール夫妻を始めとして味方はちゃんといるのだ。
少しでも気休めになればと思い、十朗は説明を続ける。
「リンカさんの事は、あっしが拐ったことにしておりやす」
「…えっ!?私、拐われたんですか?」
「む??いや、そうではありやせんが、そうなっておりやす。なので、リンカさんには暫くここで身を潜めて頂きたいので」
時を待ち、騎士団が村から去った後のことも説明する。
「窮屈な思いをさせてしまいやすが…機を見て、あっしから上手く逃げてきた。という事にすれば、後はバジールさん達が上手く立ち回ってくれる手筈となっておりやして…、これが今の状況でござんす」
そういう段取りでバジール夫妻と話をつけていた。
これなら、リンカの処遇も有耶無耶にすることが出来ると考えてのことだ。
とにかく、リンカに説明できることはした…後はリンカがどう判断するかだ。
十朗の処遇については、彼女次第だろう。
納得がいかず、彼女から責任を求められれば、それに応えるつもりだし
この提案に乗ってくれるのであれば、十朗もお役御免でここから消えるのみだ。
十朗はリンカの返答をじっと待つ。
数秒だったか数十秒だったか、暫くリンカが考えた後、ようやく口を開いた。
「…カモミルくんから聞いたんですけど、ジューロさんはこの後、故郷に戻るんですよね?」
「一応、そのつもりではありやすが」
もちろん、故郷には戻りたい。
しかしリンカが人手を必要とするなら、十朗も出来る限りの事はするつもりだ。
「アテはあるんですか?」
「王都に向かえば手掛かりがあるんではないかと言われやして。まずは、そこに向かおうかと」
「王都…ビアンドですか?」
「確か、そんな名前でござんしたね」
「えっ?あの…ここからかなり距離がありますけど。ちゃんと場所は分かります?」
「まぁ、方向だけなら」
「方向って…」
それを聞いたリンカが再び沈黙し、思案している。
十朗は何故そのような質問をされたのか理解できなかったし、今は彼女の言葉を待つしかなかった。
「なら、私も一緒に行きます」
「…ん?何と?」
「王都ビアンドは私の生まれ故郷なんです、お母さんとこっちに来る前、そこに住んでたんですよ?」
場所を知らない十朗にとって、それは有難い申し出なのだが、それはリンカに利がない。
恐らくは、彼女が気を回してくれた提案なのだろう。
「村にはしばらく行けないですし、それなら私も少しの間、故郷に帰ってみようかなって」
「ちょっと待っておくんなさい!ご両親がいらっしゃるのであれば、リンカさんだけで決める訳にはいかねぇでしょう。そこは相談しなければいけねぇ。リンカさんのご両親はいつ戻られやすかい?」
「お父さんは物心付く前からいないんです。お母さんなら、三年程前に亡くなりましたから…」
リンカが目を伏せ、淡々と語る。
「ッ…申し訳ねぇ!こいつはとんだ失礼を」
十朗は再び、深く頭を下げた。
「いいんです、気にしないでください。亡くなってから三年ほど経ちますし…、久し振りに故郷の皆に会ってみたいのも本当なんですよ?お母さんとの思い出を振り返るのもたまには良いかなって、道案内は…そのついでですから」
彼女はそう言うと微笑み掛ける。
「でも、私も一人旅じゃ不安ですから。ボディーガードお願いしますね、ジューロさん」
十朗は、どう言葉を発していいのか分からなくなった。
しかし…ほとぼりが冷めるまで、彼女をここから遠ざけるのは決して悪くないようにも思える。
時が来たら、彼女を再びここまで送れば良いのかもしれない。
どうにも自分の都合になっている気がするが、それでも彼女の事は最後まで責任を持とうと心に決めた。
故郷に戻るのは最後でいい。まずはリンカの一件を無事に落着させ、それを見届けてから帰るのだ。
「…承知しやした。こちらこそ、よろしくお願い致しやす」
「じゃあ、決まりですね!すぐに準備するので待っていてください!」
「分かりやした、お待ちしておりやす」
言われた通り、素直に待っていたのだが、この時リンカが言った準備というのは出発ではなく、朝食のことだったようで…。
テーブルの上に食事が並べられ始め、十朗は面食らったのだった───
朝食を終えると、リンカが旅支度を始める。
かなり距離があるとの事だったが、リンカの旅装束は簡素なものだった。
道中合羽に頭巾が一体化したようなもの(ローブと言うらしい)と、杖が一本に、背負い袋(リュックと言うらしい)だけであった。
リンカが言うには、魔法道具というもので、見た目よりも沢山持ち物を入れる事ができる優れものらしい。
そのリュックについては、十朗が請け負うこととなった。
せめて、そのくらいはさせて欲しいと願い出たからだ。
準備も整い、いよいよ王都に向かおうという矢先、リンカに一言相談される。
「出発前に、寄りたい場所があるんです。いいですか…?」
「もちろん、断る理由がございやせんよ。して、何処に寄りたいのでござんすか?」
リンカの手元に、テーブルに飾られてた花束が握られていることに気付く。
「あの大木の、滝が出来ている場所でござんすね?」
「…そうです!よく分かりましたね」
「初めて会った時、その花束を持っていることを思い出しやして…あの石碑、いや、お墓でござんすかね。そこへ行きたいのかなと」
「はい、最後にこれを供えておきたくて」
「承知しやした、参りやしょう」
リンカと共に、あの不思議な雰囲気の場所へと向かう。
思えば、あの場で出会わなければ、彼女はこんな思いをしなくて済んだのかもしれない。
そう考え、申し訳ない気持ちを抱えながらも、目的の場所まで到着した──
リンカは早速お墓の前に行き、花束を添えると。
手と手を組み合わせ目を瞑り、祈るような仕草を見せる。
十朗もリンカの後に付いていき、その様子を静かに見守っていると、彼女が小声で何か言っていることに気付いた。
「お母さん…ごめんなさい…。私…約束……」
全てを聞き取ることは出来なかったが、言葉から察するに、母親のお墓であることは間違いないようだ。
十朗もリンカに倣い、手を合わせて黙祷する。
(リンカさんの母上、すまねぇ。あっしの不手際で娘さんが被害を被るかもしれねぇ。しかしあっしはそうならねぇよう、最後まで最善を尽くすことを約束致しやす…)
滝の音こそ聞こえるものの、落ち着いた雰囲気もあり、しばらく黙祷に集中していた。
お墓に向かい誓いを立て終え、目を開く。
リンカの様子が気になり、視線を向けると、彼女は既にお参りを終えていたようで、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「リンカさん、無理をしておりやせんか?」
十朗から声を掛けた、お墓に向かって呟いてたリンカの不安そうな声が聞こえていたからだ。
「…!ふふっ、優しいんですね?ジューロさん」
「それは、答えになっておりやせんよ」
彼女はどうにも他人を気に掛けすぎるように思う。
出会ったばかりではあるが、そこがどうにも心配になった。
「心配しなくても、私は大丈夫ですから!」
(そう、きっと大丈夫なんです…)
「分かりやした。でももし、あっしで力になれる事があるなら、いつでも言っておくんなさい。微力ではござんすが、出来る限りの事はしてぇ。それに頼み事をしてくれた方が、あっしも気が楽になりやすから」
「ふふっ、頼りにしてます」
どうにも、はぐらかされている感じが拭えないが、あまり深くは詮索はしない…というか出来なかった。
「それじゃ、そろそろ行きましょうか!ジューロさん」
「もうよろしいので?」
「ええ、お墓参りは、また来ればいいんです」
「左様でござんすか、その時には改めて線香の一本でも供えやしょう」
異国に線香があるかは分からないが、もし手に入ったなら…リンカを無事に帰した後、改めてここに挨拶に来ようと思った。
「せんこう…?」
「あぁ、こっちの話でござんす。では、改めて道中よろしくお願い致しやす」
「はいっ、こちらこそ!しっかりと付いて来てくださいね!」
リンカがそう言うと、くるりと回り、背を向け先に進み始める。
その背中と歩みからは、小柄ながらも彼女の芯の強さが見えるような気がした。
十朗は最後に、お墓に振り返ると一礼だけして、リンカの背中を追うように進み始めるのであった。
故郷の手掛かりを求め、王都ビアンドに向かって───