第二十六話
「経験人数…?で、ござんすか」
ジューロは首をかしげる。
その言葉の意味は良く分からないが、話の流れから察するに、これまでの話題の延長線だろう。
大人の世界、荒事も大いに関わってきて、なおかつ命のやり取りになることもある…とか言っていたし。
それから導き出される答えは。
『殺しの経験人数』のことだと、ジューロは察しをつけた───
そういう意味では、大人の世界とやら…それは渡世人であるジューロも良く知っているつもりだが…。
リンカとグリンは、その質問に困惑しているようだ。
「けっ、経験人数…ですか?」
「えぇ~…チーネ、ちょっとそれは話題としてどうなの?」
リンカは顔を赤くしているし、グリンは引きつった顔で苦笑いを浮かべている。
無理もないだろう、堅気である彼女らに、人殺しの経験なんかあるはずもない。…怒って当然だ。
「さすがに失礼でござんすよ、この二人にそういう経験があるハズねぇでしょう?パッと見でも分かりやす」
ジューロが断言すると、グリンとリンカが少しショックを受けたような…、なんとも言えない微妙で複雑な表情に変わると、チーネがどこか嬉しそうに言う。
「ふっふぅ~ん!やっぱりないんだぁ?やっぱりお子様じゃない!…わ、私は経験あるけどね~」
そんな経験など、なんの自慢にもならないというのに…。
「そ、そりゃ僕は確かに無いけどさ…。ジューロ、もうちょっと言い方というか…」
「うぅ…、私もありませんけど…。キッパリ断言されるとあの…」
二人が自信無さげに言うのを見て、そこは胸を張っていいのに…と思った。
「そういう経験なんて、なんの自慢にもなりやせんし。気にすることはありやせんよ?」
ジューロが二人にそう説くが、横からチーネが話を挟んでくる。
「えー、そっかなぁ…?そういう数って、男の人ほど自慢してたりしない?」
「うぅーむ、そう言われると確かに…?いやしかし、そういう男にロクなヤツはいねぇと思いやすし…。あっしからすりゃ、自慢するのは頭がおかしいとしか思えやせんけど…」
「それって、モテない男のひがみじゃない?っていうか、分かってないわね~?女の子って、ワルに惹かれるものなの!」
なんか良く分からないが、悪党の方がモテるのか…。
ジューロは自分の記憶を振り返ってみた。
言われてみれば、悪党ほど妖艶な女性をはべらせていることがよくあったし、その方がモテるってのは、あながち間違ってないのかも知れないが…。
「でも、そういうのに惚れる女性ってのは、大概ヤバいんじゃござんせんかね…?」
「そ、そんなことあるわけないじゃない!…ねぇねぇ?リンカもワルの方が好みでしょ?」
「私は別に…、そういう人は好きじゃないですけど…」
チーネは同意を求めたが、リンカはハッキリと否定してみせた。
「ほら、やっぱりそれって…。おめぇさんの好みってだけなんじゃ…」
「え~…?」
リンカに否定されたのが効いたのか、チーネは少しだけ自信なさげにひるみ、チラリとグリンを横目で見る。
「そりゃあ、別に…。私も、そういう男は好みじゃないけどさ…?」
じゃあなんなんだろうか、この話。
「…っていうか!ずいぶん余裕あるっぽく言うけど、ジューロ…!だったっけ?」
チーネはジューロの顔に向けてズビシッ!と指をさしてくる。
「左様ですが、…人に指をさすのは失礼になりやすよ?」
「あっ、ごめん…。じゃない!あんたの経験人数って何人よ?」
失礼を指摘したことに対して素直に謝るあたり、性根は良い子のような気がしてきた。
そんなチーネも、経験があるとか言っていたが、彼女が人を殺せるようには思えない。…おそらく、変な見栄をはっただけなのだろう。
「…あ!言っておくけど。私って、ウソをついても見抜ける特技があるからね~?」
人を食ったような態度に戻ったチーネだったが、彼女が言う『ウソが見抜ける特技』とやらが気になったので、ジューロは試しに嘘を言ってみる。
「あっしの経験ってのは…、一人でござんすね」
「…ぷっ、にゃはは~!それはウソだ~。見栄はってもバレバレだよ?どうせ経験なんて無いんでしょ?」
チーネが勝ち誇ったように、ジューロの嘘を見破ってみせた。
それに対してリンカとグリンも、心なしかホッとしたような顔を見せる。
たぶん人を殺したことがないと、安堵してくれたのだろう。
二人の安堵する気持ちを裏切ることになるが、…ここは正直に答えることにした。
「ウソを見抜けるってのは、本当のようでござんすね。…本当は、三人でござんす」
改めて答えた瞬間、その場が凍り付いた。
リンカとグリンは目を点にして動かないし、チーネは目を丸くして…なんか瞳孔まで開いている。
「…え?…マジじゃん。えぇ?少なく言ってたの…!?」
チーネが少し引いているようだ…、そっちから訊いといて、そりゃないだろう。
「えっ!?ジューロ…。いやあの、ジューロさん?マジですか…そうかぁ、そっかぁ…」
グリンも急に敬称を付けて呼んでくる。
気持ちは分かるが、友達と思っている相手に距離を置かれる感じは傷つく。つらい。
「…グリン、敬称をつけるのはやめておくんなさい」
「ご、ごめんごめん!ちょっと意外というか、驚いただけだからさ…。それより、あの…。リンカさん?大丈夫!?」
グリンでこの調子なのだ。
リンカには、さぞや軽蔑されてるだろうと思い、ジューロは恐る恐るリンカの方に視線を向ける。
その肝心のリンカも、ショックを受けたように固まっていたが。ジューロの視線に気付いて、ようやく反応し、答えになってるようでなってない返事をした。
「へぁ?…あっ、はいっ!そっか、でしゅよね…。えっと、はい!です…よね」
少し混乱させてしまったのだろう、少し目が泳いでいる。
その反応に、申し訳ない気持ちになるし、リンカに嫌われたかと思うと…。
ジューロ自身、いたたまれない気分になってきた…。とてもつらい。
しかし、そんな気持ちを知るよしもないチーネは、さらに詳しく質問を重ねてくる。
「じゃ、じゃあさ!?どんな女をヤってきたの!?」
人聞きが悪すぎる…。
「いや、相手は全員男でござんすが…」
「にゃっ!?」
「ふぇ!?」
「ジューロ!?」
チーネどころか、リンカやグリンにも驚かれた。
…女子供を好んで殺すような外道に見えるのだろうか?
チーネにはどう思われても何とも思わないが、リンカとグリンにそう思われるのは…かなり堪える。
ジューロが頭を抱える暇もなく、チーネはさらに食い付いてきた。
「そういう趣味なの!?」
「趣味!?…趣味でそんなことはしやせんよ、するわけねぇでしょう!…襲われて仕方なくでござんすが」
「襲われたらヤっちゃうの!?」
「襲われたらやりやすよ!?仕方ねぇでしょう、あっしは加減がきくほど強くはありやせんし」
その時ガタッ!と、司書さんが席から立ち上がる音が聞こえた。
しまった、騒ぎすぎたか───
チーネは司書さんに『図書館ではお静かに』と注意されたばかりであるし、ジューロたちもそれは既に聞いている。
騒いでしまったことを後悔しつつ、ジューロは怒られるのを覚悟して、視線を司書さんの方へ向けたのだが…。
司書さんは「大丈夫です、続けて下さい」と真顔で一言だけ言うと、椅子に座り直した。
メガネの奥から覗く彼女の視線が、熱を帯びていたような気がしたが…、たぶん気のせいだろう。
「そ、そうなのか…。なんか大変だったね…」
グリンは複雑な顔をしている。
色々な感情が織り交ざっている顔だが、不快感からくるというより、心配されている感情が多分に含まれているように思える。
「渡世人には、よくあることでござんすから…」
「よくあるんだ…」
ジューロは今まで、火付け盗賊などと殺し合いになったことがある。
生き延びる為とはいえ、人を殺したことには違いない…。
そんな中にも、好き好んで無法者になったワケじゃない者もいるだろう。
彼らを斬った数など、誇れるものではない。
「そ、そっか…私こそゴメンね。まさかそんな男同士で無理やりなんて…」
ジューロの表情が暗くなっていたのだろう。
チーネも流石に悪いことを訊いたと思ったのか、申し訳なさそうに謝った。
「いや、気にしてはおりやせんよ。…それにしたって、チーネさんこそ経験があるってのは、嘘でござんしょう?」
「うっ、うぅ…嘘じゃないしぃ~」
「こう言っちゃなんだが、おめぇさんじゃ…とても人なんて殺せそうにありやせんよ」
「…ふぇ??」
「ジューロ…?」
ジューロの一言で、リンカとグリンが再び固まった。
「ん?どうしやした?」
「悪い、ちょっと待って…。ジューロ、何の話?」
グリンが眉間に指を当て、悩むように頭を支えながら訊いてくる。
「なんの話って、グリン。人を殺したことがあるかどうかって話でござんしょう?」
「えぇ…?…あのさ、チーネ。僕が勘違いしてただけかもしれないけどさ。ひょっとしてそういう話だった?」
「いやっ、待ってよ!?違っ…!違う、違う!殺しの経験なんかあるわけ無いし!」
チーネは慌てて否定する。
今度はずいぶん素直に経験がないことを白状するが、これはどういうことだろうか?
「…うん、だよね。…分かった、よく分かった。…あのね、ジューロ。ちょっと勘違いがあるみたいだけど、聞いてくれるかい?」
「うむ?勘違いでござんすか?」
「チーネが言ってた経験人数ってのは、あの…え~と…、異性との交際経験の事かな…」
グリンは少し言葉を選んで、ジューロに伝えた。
「ふむ、なるほど!…ん?」
交際経験の話…?なるほど?
グリンが言葉を選んだように思うし、つまり…そういう話題だったということなのだろう。
今までの会話と、グリンとリンカの反応を思い返せば全て納得がいく。
…納得はいくが、ちょっと待てよ?と、思った。
「ちょっと待っておくんなせぇ、何で急に交際経験の話になったのでござんすか?!」
「いや、こっちのセリフなんだけど!?雑談するから、そういう話しをしただけで、そっちこそ何で物騒な話になってるの!?」
「だっておめぇさん、冒険者だとか、荒事な話の流れからなら、そう思うでござんしょう!?」
「そう思わないでしょ!?ちょっと常識がなさすぎるにゃー!」
「常識がねぇのはチーネさんでござんしょう!?個人的なことに土足で踏み入る話ってのは、どうかと思いやすが!?」
「ねぇ、グリン!この変な格好のヤツとは付き合いやめた方がいいよ、それより私と冒険者やろ!」
「ぐぅっ、言い返せねぇが…。でも、おめぇさんだけには言われたくありやせん」
「…分かった、分かった!二人ともストップ!少し落ち着こう」
「そうですっ、ジューロさん!えっと、チーネさん。図書館ですし、静かにしましょう?」
「ぬぅ…。も、申し訳ござんせん…」
「うっ、ごめん…」
グリンとリンカに諭され、反省する。流石に騒ぎすぎた。
それに、ちゃんと理解しないまま、勘違いしたのはこちらなのだ、おそらくジューロに非があるだろう。
「あっ、でも良かったですねジューロさん!勘違いが分かって」
「あんまり良くありやせんけど…。聞いての通り、あっしは人を斬ったことがありやすし…」
「それは…、なにか事情があった事は分かりましたし…」
「ま!そうだね。少なくとも僕は、ジューロは無闇な事はしないと思ってるよ。付き合いは短いけどね」
「リンカさん、グリン…」
気を遣ってくれているのだろう、二人の言葉が身に染みた。
それと同時に、二人の人の好さに少しだけ不安を覚える…。
世の中には、人の厚意につけこむ人間もいるのだから。
「それに、私も勘違いしちゃってましたから。私ってば、てっきり…。だってジューロさん、グリンさんのお尻とか、たまにジッと見てるから…。そうだったのか~…って」
「…ジューロ?!」
リンカの余計な一言で、グリンが警戒したのか、尻尾を内側に丸める。
「待っておくんなせぇ!?そいつも誤解ってもんで!…なんというか、尻尾を見てただけでござんす!」
「し、尻尾?それはそれで…なんで?」
「グリンにも道中説明したとは思いやすが、あっしの故郷じゃ獣人を見たことがねぇもんで…。だから、見てるだけで面白くてつい…」
そこまで言うと、チーネが割り込み再び余計な事を言い出した。
「グリン!気を付けて!最後のは嘘が入ってる」
「えっ?」
「…尻尾フサフサしておりやすし。尻尾を触ってみてぇとかは…、思っておりやすが」
…変に勘違いされても困るので、正直に答える。
すると今度は、リンカが目を輝かせて同意してきた。
「あっ!それ分かります!尻尾いいですよね!」
「そ、そっか…。いや、流石に二人でも、触らせたくはないかな…。敏感なところだし?やめてよ?」
二人から期待するような視線を感じたのか、グリンが一言釘を刺した後、大きく溜め息をついた。
「でもさ、チーネの嘘を見抜く特技ってのも…、あんまりアテにはならない感じかもね。むしろ誤解を生んで…ややこしい感じがするよ」
「そ、そんなことないもん、嘘はちゃんと見破れるし!…さっきのは勘違いされたのを正直に言われたから…変なことになっただけだよ!」
「本当かなぁ?」
「本当だもん!」
グリンとチーネがワイワイとやりだし、ジューロはぼんやりとその様子を眺めながら思った。
チーネは確かに『言葉の嘘』は見抜けるようだが、『言葉の真意』までは見抜けないらしい…。
ギルドの前でラティとチーネが言い争いをしていた時も、おそらく…。
いや、これはジューロが考えても仕方ないことだろう。
ジューロは椅子の背もたれに身を預けると、ぐったりとした。
…どうも疲れたが、嫌な気分ではない。
それに───
「ジューロさん、ジューロさん」
ぼんやりとしているジューロに、小声でリンカが喋りかける。
「…グリンさん、少し元気になって良かったです!」
リンカが言うように、ギルドで騎士団の一件から、少し元気がなかったグリンだったが、図書館でチーネに会ってから明るさが戻ったような気がした。
グリンが求める手掛かりが見付かったこともあるのだろうが、何より友人と会えたことが良かったのだろう。
「うむ、あっしも…良かったと、そう思いやすよ」
リンカと互いに微笑んでいると、チーネが再びジューロにからんで来た。
「じゃあ、見ててよグリン!今度こそ嘘かどうか見破れるか証明してみせるから!…ジューロ、質問するから答えてよね!」
「いきなり何でござんすか!?」
「さっきは質問を勘違いして答えてたから…変な感じになってたけど!今度は理解したから答えられるわよね?経・験・人・数」
「もう、そいつはどうでも良くないでござんすか?グリン、おめぇさんの幼なじみでござんしょう!なんとかしておくんなせぇ!」
「いやぁ…でもなぁ。僕らは答えちゃったワケだし」
「あっ、ですね!勘違いしてたとは言っても…私達のことはハッキリさせちゃったようなものですからね」
「ぬぐぐ…」
思い返してみれば、確かに二人は答えてしまっているし、あの流れはジューロが実質的に悪いと言えるかもしれない。
「さぁ~、一人だけ逃げるなんて真似はしないよね?嘘を見破れると証明する為にも…観念するにゃー」
そんなこんなでジューロが詰められた結果。調べものやらどころではなくなり、三人はチーネを交えて雑談に明け暮れる羽目になり。
そして、気付けば日はとっぷりと暮れているのであった───




