第十八話【追放の目撃】
言い争いをしている女性の一人は、その見た目からすると、年齢は二十代前半くらいだろうか?
肩から背中にかけて大きく露出した服に、左右非対称の裾の長さをしたジーンズとロングブーツを身に付けていて、どことなく妖艶さを感じさせる美人であった。
健康的に焼けた小麦色の肌に、深緑色をした髪を後ろで一つに束ねていて、目元の下にある、短い隈取のような青色の化粧が目立つ。
その化粧も相まって、一見すると厳しい顔付きに見える。
「もう一度言うわ。チーネ!アンタはもう…、ここには置いておけないの!」
彼女の声色は、怒っているように聞こえるが、どことなく悲しげであるようにも感じた。
「なんでよ姐さん!?私、悪いことなんてしてないよ!」
それに反論しているのは、獣人の女性である。
チーネと呼ばれていたし、おそらくそれが彼女の名前なのだろう。
猫のような顔立ちから、ラサダ村で出会ったソラという少女と似ていて、ラト族と呼ばれる獣人に思えた。
獣人の女性…チーネは、腹部が開けた服を身に付けており。それを革製のベルトで身を固め、短パンと長靴下にブーツという出で立ちをしている。
切れ長の瞳をしていて…左目の下にある、大きな切り傷が目立つが、表情は豊かで、ハツラツとした声も相まり、活発な印象を受ける。
───そんな女性二人が、建物の扉…その真ん前に陣取り、言い争いをしていた。
この言い争いを無視して建物の中へ入りたかったが、これだけの人だかりでは入るに入れない。
それはリンカやグリンも同じようで、この事態が収まるまで、ひとまず事の成り行きを見守ることにした。
「…そうね。アンタは悪いことはしてないし、むしろ正しいことをしたと思うわよ」
姐さんと呼ばれた女性がそう言うと、大きなリュックをチーネの前にドカッと置く。
「じゃあ何で!」
「正しいことと、その行動が正解であることは違うの。…アンタが今日ぶん殴った人。誰だか知ってるわよね?」
「…知ってる」
「なら、もう分かってるでしょう?女神様の使いであるイコナ様を殴るなんて…どうかしてるわ」
「…でも!あれは」
「でもじゃない!…いい?チーネ。お上がやることに口出しなんてするもんじゃないわ、ましてや手出しするなんて…もっての他よ。アンタが人を助けようとしたのは知ってる。けどね?余計な事には関わらない、見て見ぬふりをすることも覚えるべきだったのよ」
言い争いの原因はどうやら、チーネという娘が、お上に逆らったことが発端のようである。
「そ、それだけで…何で私が追い出されるの?おかしいよ」
「それだけ?あのね、ギルドの看板を背負って仕事してる最中にやらかした以上、アンタだけの問題じゃ済まない。組織ってそういうものなのよ…。だから、アンタはもう、ここには置いておけない!あの後、仕事仲間に迷惑が掛かったのも知ってるわよね?」
「うぅ…それは…。姐さん、ごめん。迷惑かけたなら、私みんなにもちゃんと謝るから!イコナ様にも…」
「…ダメね。少なくともアンタを置いておくと、色々と都合が悪いの。…荷物はここに全部まとめといたから、今すぐ出ていきなさい」
「姐さん!…嘘だよね?だって、姐さんが急にそんなこと言うなんて、変だもん!」
チーネは涙を目に一杯溜めている、その表情から察するに、今起こっている事態が信じられないという感じだった。
「嘘?…私は嘘なんてついちゃいないわ。チーネ…、アンタは嘘を見破るのが得意だったわよね?」
「そ、そうだけど…それがなに!?」
姐さんと呼ばれている女性が深く深呼吸し、一瞬の間をおいた後、チーネに向かって言葉を紡ぎ出していく。
「だからハッキリ言ってあげるわ、アンタには一刻も早くここから…。いいえ、むしろ王都から出ていって欲しいって思ってる」
「───ッ!?」
目線を合わせて真っ直ぐに見詰め、そう彼女が言い切った。
それに対して、チーネに凄まじい動揺が走ったことが見てとれる。
「今、こうやってアンタと話をしていると、本当に気分が悪いし…私が嫌になってくるわ」
「そ、そんな言い方ッ…」
チーネの瞳に溜まっていた涙が、その一言を皮切りにボロボロと流れ始めた。
様子を伺っていた周囲の野次馬は、ざわめく者がほとんどであったが。
中には、苦い顔をしながら状況を見守る者、何か声を掛けようとして止めようとする者と、様々な反応をしている。
「…嘘は言ってないって分かるでしょう?」
さらに念押しとばかりにその女性が続けると、チーネも腹をくくったように涙を拭い、置かれたリュックを掴むと乱暴に背負ってみせた。
「うぅぅ…!姐さんのバカぁ!チキン!!」
「…フン!なんとでも言えば──」
「デカパイ!!!」
そう付け加えてチーネが言い捨てると、その場から逃げるように走り去っていく。
「───ッ!チーネェ!!」
女性は去っていくチーネの背中に向かって叫んだ。
最初の言葉はともかく、最後の一言だけには本当に怒気が込められていたように思う。
そしてチーネの姿が見えなくなると、気持ちのやり場が無い様子で「っ…はあぁ~っ!もうっ…」と、言葉を溢しながらこめかみを指でおさえた。
───どうやら、この言い争いは一応の終わりを見せたようである。
騒ぎが終るのと同時に、グリンがチーネという女性を目で追っていたことに気付く。
グリンが顎に手をあてて、何か考え事をしている様子だった。
それに対し、十朗も少し思うことがあったので、グリンに話し掛ける。
「グリン、訊かなくて良かったのでござんすかい?」
「ん?」
「あの逃げて行った子。おそらくソラさんと同じ種族でしょう?なにか手掛かりを知ってるかもと思ったのでござんすが…」
一緒に旅をしているグリンには、王都で兵士になりたいという目的の他にも、やりたいことがあった───
それはラサダ村にいるソラという少女、その子の親を探してあげたい…というものである。
「ああ、そのことか。…いやぁ、流石にあの状況で声は掛けにくいよ?」と、グリンも思わず苦笑いで返した。
「む、言われてみたらそうでござんすな。考えなしでござんした、申し訳ねぇ」
「いやぁ、いいよ。こっちのことも気にしてくれてたんだね」
「ううむ、そりゃまぁ…」
「ま!そこは慌てなくてもじっくりやるさ。それに同じ種族でも、必ずしも知ってるワケじゃないだろうし…。それよりも、どうする?」
グリンに促され、周囲を見渡してみた。
騒ぎが一旦おさまったとは言え、集まっている野次馬の人たちは未だにザワついているし、どうにも目的の建物へは近付きにくい状況のままである。
「そうでござんすなぁ、リンカさん。…いったん出直しやしょうか?」
リンカに声を掛けたと同時、姐さんと呼ばれていた女性の声が辺りに響いた。
「ほら!アンタらも!休憩時間終わるよ!?散った散った!」
野次馬たちは彼女の一声で、数名は時計台が付いている建物に入り、他もそれぞれがゾロゾロとバラけて去っていく。
先ほどまでの野次馬がウソのように消え、十朗たち三人は、意図せずポツンとその場に残される形になっていた。
「…ん?見ない顔だね?」
姐さんと呼ばれていた女性が十朗たちを一瞥する。
とり残された事もあり、三人が目についたようだ。
「あ、あの…。私たち、ギルドに用があって来たんですけど」
リンカが女性に対し、話を切り出したのだが───
「あ~、はいはい!よく勘違いされるけどね。ここは冒険者ギルドじゃないわよ?」
と、半ば呆れたような口調で、リンカの話が終わる前に答えられてしまった。
「え、えーっと…。そうじゃなくて、ですね…」
「ひょっとして冒険者ギルドの場所を聞きたいの?…なら、王宮周辺を探せば適当なのが見付かるから。…んん~?アンタどこかで──」
女性はそこまで言うと、リンカの顔を覗き込んできた。
先ほどまで言い争いしていた当事者を相手しているからか、リンカは女性の空気に少し呑まれているように感じた。
「リンカさん、大丈夫でござんすか?」
落ち着きのないリンカの様子が心配になり、声を掛けた時。
十朗が発したリンカという名前に、女性が食いぎみに反応を示した。
「…えっ?リンカ?!」
「は、はいっ?…そ、そうですけど?」
いきなりグイと女性に詰められたせいか、余計あたふたしつつ、ワケも分からぬままリンカが答える。
「私よ!覚えてない?」
「えっ?…えっ?」
女性が自身に指を差し、リンカに訊ねるが、リンカは混乱しているようで目を白黒させていた。
「あっ、そっか!…これなら思い出すかも」
女性はそう言うと、背中から大きな翼をバサリと、リンカに見せ付けるように広げた。
これに十朗とグリンも、一瞬ビクリと驚く。
何も無かったハズの女性の背中、そこから急に翼が現れたからである。
「えぁ…!ローク族の翼…?もしかしてラティ姉さん!?」
その広げた翼を見て、リンカが何か思い出したように答え、リンカの顔つきがパッと明るくなったのが分かった。
「せいかーい!」
女性がリンカの答えに明るく返した。名前はラティと言うらしい。
どうやらリンカと知り合いのようで、先ほどまで見せていた険しい顔が、その瞬間だけは少しだけ柔らかい表情になっていた。
彼女がリンカが言っていた友人か…。ローク族の翼…とかリンカが呟いていたし、パッと見では普通の人間と変わらないように見えるが、彼女は空飛ぶ獣人なのだろう。
「きゃ~!リンカ久しぶり!すっかりレディ!って雰囲気になっちゃってぇ」
ラティは隈取のような、目の下にある化粧のせいで厳しい顔つきに見えていたが。今、改めてよくみると彼女は優しい目付きをしているのが分かる。
「そ、そんなことないよ?ラティ姉さんこそ…。えっと、ずいぶん…」
リンカの言葉が止まり、視線が顔から胸に向かって落ちるのを、ラティは見逃さなかった。
「リンカぁ~?どこ見てるのかなぁ~?」
ラティはイジワルっぽく言うと、リンカをギュウっと抱きしめて胸に沈める。
「わぁ~!?ごめんなさい!っぷ…くるしいってラティ姉さん!」
「あはは!ごめんごめん!でもリンカ、会うのは五年ぶりくらい?」
ラティが笑いながらリンカを解放し、リンカの肩をポンポンと軽く叩いた。
「…だね、ちょうどそれくらいかも」
「急にいなくなった時は、みんなリンカを心配してたんだよ?」
「ラティ姉さんごめん、お母さんが色々あったみたいで、急に出ていくことになっちゃって…。王都から離れる時に、お別れくらいはしたかったんだけど…」
「へぇ~…事情はわからないけど、リンカも大変だったんだ?」
「うん。でもそれを言ったらラティ姉さんも…。怒鳴るなんて珍しいし、何かあったの?」
先ほどの事が気になっていたようで、リンカがラティに質問を投げ掛ける。
「あははは…、イヤなとこ見られちゃってたか…。こっちは仕事のことだから、あまり気にしないでよ?…それよりも──」
その話題には触れられたくなかったのか、ラティが話を変えるべく、十郎とグリンに視線を向けると、逆にリンカへ質問を返した。
「あの二人って誰?冒険者でも雇ったとか」
「え、えっと。二人は冒険者じゃなくて。なんて言えばいいのかな…」
リンカが二人をどう説明したものか、困っている。
「申し訳ありやせん、紹介が遅れやした。あっしは名を十朗と発しやす」
「僕は、ラサダ村のグリンと申します。王都には今日、リンカさん達と一緒に到着したばかりです」
十朗とグリンが頭を下げて挨拶をする。
「私はラティ、産業ギルド【インターセッション】のマスター代理をやってるわ。…え~っと?リンカ、ギルドに用があるって言ってたけど、ウチのことなの?」
ラティは意外そうな顔を見せ、リンカに念押しして訊ねた。
「うん、王都に帰ってきたのはいいんだけど。他にアテになりそうな所が思いつかなくて…。急に来たのは迷惑だったかな」
「ううん、それは別に良いのよ?でもそっか、それで訪ねて来たってワケね!」
ラティはその言葉で、リンカが訪れた理由を察したようである。
彼女は少し間を置いて、右手を頬に当てると、少し考えるそぶりをしてみせた。
「…でも良いのかい?ウチは一次産業中心のギルドなんだけど。そちらのお二人さんには説明してるのかしら?」
「えっと、詳しくはまだ…」
「えぇ…?うーん、まぁいいか!こっちも雇うなら色々と聞きたいこともあるし。そうねぇ、じゃあ説明も兼ねて案内したげるわ」
そう言うと、ラティは建物の中へ入り、三人を招き入れる。
「じゃ、三人とも付いておいで」
「はいっ!」
リンカが元気よく返事をしてから扉をくぐると。
十朗とグリンもそれに倣い、それぞれが「失礼いたしやす」「お邪魔します」と、挨拶を一言添えて、ギルドに足を踏み入れた。




