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異界からの漂着《中編》

 リカブト村長から貰った地図を見ると、イゼンサ村が森に囲まれるように存在しているのが分かる。


 村から南に進めば、十朗の流れ着いた海があり、北側に行くほど森が広がっている。


 先日、カモミルと一緒にトロールの死骸を運んだ場所は村の北西側…。

 そこに向かう途中では目立った痕跡もなく、それなりに開けた場所でもあったので、恐らくは安全だと思われる。


 十朗はトロールが二匹、村から北東側に向かって逃げたのを目撃している。

 奴らが潜んでいるなら北から東方向の森だろう。


 連中が逃げた足跡は森から入ってしばらくすると途切れており、痕跡が残っていなかったので、まずは足跡から北に向かって重点的に調べてみたが、特に目立った痕跡を見付けることはなく、探索初日は終わってしまった。


 日が沈む前に村に戻ると、カモミルが喜んで迎えてくれた。

「ジューロさん、おかえり!」


 カモミルの父親のバジールや村人達も、村の修復と怪我人の看護で忙しいそうだ。

 カモミルも看護を手伝って駆け回っていたらしく、疲労が顔に出ていた。

 ちゃんと約束を守り、村の為に頑張っていたようだ。


 自分に出来ることを精一杯やる。

 例え、それの代わりになれる者がいたとしても…その行動は尊いものだと思う。


「カモミル殿は(あっしなんかより遥かに)立派な人でござんすよ」


 そう言うとカモミルは照れたように笑ってくれた。



 森の探索二日目───


 前日より、やや東に向かうことを意識して森の中を進む

 出来る限り早く不安の種は取り除いておきたい。

 トロールの痕跡を見付けて待ち伏せし、奇襲を仕掛けることが出来ればそれが理想だが…そう都合よく行かないものだ、期待はしないでおく。


 そんなことを考えながら十朗が森を進む。

 村から一里ほど(約4km)は離れた場所だろうか?

 ふと、せせらぎが聞こえた…。

 近くに水場があるのだろう、ひょっとしたら何か痕跡があるかもしれない。


 周囲を警戒しながら、せせらぎの聞こえる方へとゆっくりと進んで行くと、小高い丘が見えてきた。

 開けた丘の上には一本の大きな樹木がそびえ立っている。



 不思議な光景であった。


 その大きな樹木の天辺から、小さな滝のように水が溢れ出ていて、小さな虹を作っており。樹木の根元に作られた滝壺も川も非常に澄んでいて、森の緑を映している。


 小鳥の鳴き声や木々のさざめきが心地よい。

 余裕があるなら、ここで水浴びか昼寝の一つでもしたい所だが…今は探索に集中する。


(どんな生き物でも水は飲むハズだ、ここから作られてる川を下って行けば何かあるかもしれねぇ…しかし…)


 だが、十朗は少し気になった。

 ここは目印になりそうな場所なのに、地図に記されていた覚えがない。

 もう一度、地図を広げて確認してみる。


(ございやせんね…)


 来た道のりを戻れば帰る事は容易いだろうが、今いるこの場所くらいは正確に把握しておきたかった。

 闇雲に歩き回っても、時間だけが掛かるからだ。

 小さな滝を作っている大樹を見て、少し思い付いた十朗は、手をポンと叩く。


「登ってみやすか!」

 高い位置から森を見渡せば、何か痕跡の一つでも見付かるかもしれないし、現在地をさらに正確に測ることができるだろうという考えだ。


 そう思って大樹に近付いていくと、大樹が自分の想像よりもはるかに大きいことに気付いた。

 所謂(いわゆる)ご神木と呼ばれる大樹をいくつか見たことがあるが、それより遥かに大きく高い。


 小さな一軒家くらいの幹の太さがあるだろうか?

 滝になっている側から登るのは滑り落ちる危険もあるだろう。

 何処か登り易そうな場所はないかと、ぐるりと大樹の周りを回る。


 大樹が作っている滝の裏手に差し掛かる所で、小さな石碑を見付けた。

 その石碑の側に、小さな花束が供えられている。


「誰かの…お墓でござんすかね?」

 花束は(しお)れているが、長い間放置されているような感じではない。

 お墓なら無縁仏(むえんぼとけ)ではないのだろう。


 その事はとりあえず置いておき。十朗は大樹を一周し確認してみたが、登り易そうな場所は裏側の石碑近くしかなかった。

 墓と思わしき場所の上を登るのは気が引けるが、周囲を一望出来る場所もそうはないと考える。


「誰かの墓やも存じやせんが…、失礼いたしやす」


 罰当たりかもしれないが…こちら側から大樹に登る決心を固めると、十朗は石碑に向かって手を合わせ黙祷する。


 ───ガサッ!


 その時、背後から音が聞こえた。

 大きな気配ではなかったが、油断はできない。

 何時(いつ)でも刃を抜けるように長脇差に手を添えつつ振り向き、音のする方へ視線をやる…。



 そこには少女が立っていた───



 澄んだ紫色の瞳。


 髪は肩ほどの長さで整え、青空のような髪色をしている。

 顔立ちは整っていて美人…いや、どことなく幼い印象があるから、可愛らしいと言うべきだろうか?


 十朗からしたら、見慣れない着物を纏っている。

 パセリさんが着ていたものと同様か、質素な作りであったが、右手首に()めている金色の輪っかだけは、値打ちものに見えた。


 この場所の雰囲気も相まって、透き通っているような、夢幻(ゆめまぼろし)のようにも感じられる。


 そんな不思議な雰囲気をしている少女がきょとんとしながら十朗を見つめていた。


「ひょっとして、この墓の…幽霊さんでござんすかい?」

 つい思ったことをそのまま口に出してしまう。物怪が当たり前のように居たのだ、幽霊くらいも珍しくないと思った。


「えっ?」

 少女が呆気(あっけ)にとられている。


 その様子を見て、しまったと思った。

 相手が幽霊(だれ)でも自分から名乗るのが礼儀というものだろう。


「こいつは失礼しやした。幽霊さんに…名乗るほどの名ではございやせんが、あっしは十郎と申しやす」


「えっ?ゆ、幽霊…?って、もしかして私のこと…ですか?」

 少女が困惑したように、自分を指さして聞き返す。


 そう言われ、改めて彼女をよく見た。

 ちゃんと足もついてるし、手には小さな花束を持っている。

 つまり、墓参りに来た人なのだろう…。と、ようやく理解が追い付いた。


「ああ!重ねて申し訳ねぇ…、あっしの勘違いってやつで…」

 十朗は深く頭を下げ、謝意を示す。


「ふふっ、大丈夫です!気にしてませんよ?幽霊に間違われたのは初めてだったので、少し驚いちゃっただけですから」

 少女がころころと、鈴を転がすように笑うのを見て、十朗は苦笑いで返すのが精一杯だった。


「あっ、私の自己紹介がまだでしたね、私はリンカって言います」


「リンカさん、でござんすか」

 日ノ本でも耳にするような名前に聞こえた。

 思えば、ここに流れ着いてから、出会った人達の名前には馴染みがなく、憶え難かった…。


「(憶え易くて)良い名前でござんすね」


「ふぇ?あ、ありがとう…ございます?」


 そういえば…と、十朗はカモミルや村長の話を思い出していた。


 村長が言っていた魔女とやらは、この少女の事なのだろうか?

 不思議な力──魔法…魔術?とやらを使えるらしい…

 カモミルや夫妻の話を聞く限りは良い子であるという印象を受けたし、彼らの言う人がこの子なら納得する。


 しかし十朗は、どうにも森に逃げたトロールの事ばかりに気を取られていて、魔女の事をあまり気にしなかった為に、その子の名前すら確認するのを完全に失念していた…。


 だからと言って、この子に直接「魔女でござんすかい?」といきなり聞くのは、無作法になるかもしれない。


「あの、ジューロウさん…?」

 ボンヤリと考えていた十郎だったが、リンカの声で現実に引き戻される。

「ん?なんでござんしょう」


「ここで何をしてたんですか?」


「あぁ、実は…」

 全て正直に話すべきだろうか?

 雰囲気からして悪党には見えないが、万が一にも彼女が裏で糸を引いてる可能性があるのならば…。


 いやいや、カモミルと約束したではないか。


 森にトロールとかいう危険な化け物が潜んでいる事を、その子に伝えなければならない。

 仮にどのような人であっても、この森が危険な事になっていることは警告しておくべきだ。


「イゼンサ村が化け物に襲われやして…何とか追い払ったものの、何時(いつ)また襲ってくるか分かりやせんので、先手を打って化け物が逃げ込んだこの森を探している次第でござんす」


 リンカの顔から、血の気が引いていくのが見えた。

 無理もない…、今いる森にそんな化け物が潜んでいると聞いたのだ。


「なので、リンカさんには出来るだけこの場から離れて──」

「あの!村の人達は無事なんですか!?」


 ぐいっ!とリンカが十朗に詰め寄ってきた。

 思わぬ反応に後ずさってしまう。

「いや、あまり無事とは言えねぇか…怪我人も──」


「怪我人!?」

 驚いた声をあげるが、彼女はすぐに真剣な面持ちになり

 少しだけ間が空く…。

 何か考えている様子である。


「リンカさん?」

 それはそれとして、とにかく彼女には森から出て安全な場所に移動してもらいたい…そう声を掛けようとしたが。


「あの、すぐにお薬を持って行きますから!」

 リンカがそう言ったかと思えば、既に走り出していた。


「ちょっ!?いや、森は危ねぇんで!!」

 一人にするのは危険だと思い、リンカの後を追う。


 無理に止めてはずみで彼女に怪我を負わせたら元も子もない、仕方なくそのまま後を追って、リンカに着いていく事にした。


 森の更に奥へと進んでしばらく行くと、そこに一軒家があった──


 不思議な造りで、樹の根元と家が一体化したようになっており、周囲は柵に覆われ、その小さな庭の中には畑がある。


 リンカがその家に駆け込んだ後、しばらくして家の中からカチャカチャと、陶器を重ねるような音が聞こえてきた。

 …彼女が言っていた薬でも準備しているのだろうか?

 何をしているか気になったが、不用意に家に上がり込むのも良くない…ので、周囲を警戒しつつ彼女が出てくるのを待つ。


 家から音が聞こえなくなって、しばらくすると、木箱を背負ったリンカが出てきた。


「リンカさん、そいつは一体?」


「あっ、ジューロウさん!待ってたんですか?…これ!お薬が入ってるんです、急ぎましょう!」


「ん?あぁ…!」

 どのみち村へ向かうつもりなら、安全の為にも丁度良いか。

 もし彼女に家族がいるなら、ここで説明して一緒に来てもらえば手間も省けるだろう。


 そんなことを考えていたら話し掛ける間もなく、リンカは村の方向へと走り出してしまった。


「あっ!?ちょっとリンカさん!?」

 再び十朗は彼女の後を追うことになった。


 イゼンサ村まで向かうのは良いが、距離はまだ一里ほどある。

 彼女は森に慣れているのかもしれないが、荷物を背負って走り続けるのは困難だと思う。

 せめて荷物だけでも、自分が引き受けた方が効率が良い(はず)だ。


「リンカさん!荷物はあっしが運びやす、だから一度止まっ───」


 そう声を掛けるのとほぼ同時だった。

 前方から木々がメリメリと折れるような音を立て、十朗の声を掻き消す。

 リンカもその音に気付き、視線を音のする方向へ向けた。


 木々を掻き分け薙ぎ倒しながら、トロールが二匹…真っ直ぐにリンカの方へと迫っているのが見える。


 流石にあれを見たら足を止めるだろう、と思ったのだが…リンカは止まろうとはしなかった。

 背負っていた荷物を外すと…それを腕に抱きつつ、走り抜けようとする。


(いやいや!無茶でしょう、そいつは…ッ)


 十朗は強く地面を蹴り、思い切り加速してリンカとの距離を詰める。


 トロールの一匹が待ち構えていたかのように、リンカに向かって棍棒を振り下ろした


「御免ッ──!」

 十朗はリンカの体を抱えると、横っ飛びで攻撃を避ける──

 避けた勢いがつきすぎて、ふっ飛ばされたように地面を転げる。

 彼女に怪我がないように、道中合羽でくるむようにして抱えたが、大丈夫だっただろうか?


「手荒にすまねぇ、大丈夫でござんすかい!?」


 彼女が怪我をしてないか確認しながら、十郎がリンカを抱えていた腕を離す。

 リンカが抱えていた荷物を確認すると、ほっとしたように言った。

「…はっ、はい!お薬は無事ですっ!」


「いや、おめぇさんの…」

 心配したのは薬の事ではないのだが…。


 それを言葉に出しかけたが止めた。


 彼女を見ると、荷物を抱える腕には力が入っているものの、体は震えていて怯えているように思える。

 …ここは彼女の心意気を汲んだ方が良い気がした。

「うむ、よくぞ守りなされた」


 十朗はトロールに向き直り、三度笠を脱ぎ捨て、長脇差に手を添える。


挿絵(By みてみん)


「あっしが連中を引き付けやすんで、リンカさんは逃げておくんなさい」


「で、でも…!」


「時間を稼ぐだけで、無理は致しやせんので…」

 十朗はそれだけ言うと、トロールに向かって駆け出す。


 出来るなら真っ向勝負をしたくはない…。


 十朗は腕が立つ人間ではない、それを自身も自覚している。

 不意討ちや搦め手、それらが出来ないなら倒す事は考えない。

 とにかく相手を撹乱して彼女が逃げれる時間を稼げればそれで良い…のだが、一つだけ懸念があった。

 トロールが明確に彼女を狙っていたように感じたのだ。


 その不安は的中していたようで、揺さぶりをかけるような動きを見せても、こちらに警戒こそするものの、肝心のトロール二匹がリンカに意識を向けていることが分かる。


 理由は定かではないが、狙いが彼女であるなら──


 彼女の方へ行かせない為にも、真っ向から相手取るしかないのだろう。

 一匹に狙いを定め、距離を詰めていく。


「グガアアアァァー!!」

 トロールが雄叫びをあげる。

 明確な殺意が向くのを感じると同時に、トロールが棍棒を凪ぎ払ってくるが。

 十朗はそれを見極めつつ、相手の攻撃に合わせて踏み込み跳躍すると、トロールの喉に刃を突き立てた。


「ガッ!ガガ…」

 絶叫をあげる事も出来ず(もが)くトロールに構わず、突き刺した刃を(ひね)りながら思い切り引き抜く…。


 その刹那、壁に強く当たったかのような鈍い衝撃が身体中に走った。

 もう一匹いたトロールの棍棒が、十郎を捉えたのである。


 ミシミシと、身体が悲鳴を上げるのが聞こえたかと思うと、今度はしこたま地面に身体を打ち付け、毬のように弾むと木々に背中を打ち付けた。


 内臓が圧迫され息が詰まる。

 口内に鉄の味が広がるのを感じ、ぐらりと一瞬だけ意識が遠くなるが…。


「きゃあぁっ!!」

 リンカの悲鳴が十朗の意識を繋ぎ止めた。

 暗転しそうになった視界が、かろうじて元に戻るとトロールが一匹こちらに向かって叫びながら走って来るのが見えた。


「グオオオォォォー!!」


 相手を見据えながら、長脇差の(つか)を両手で握りしめ、立ち上がる…。

 腕には青アザが出来ていたが、しっかりと手に力は入る、幸いなことに骨に異常はないようだ。


「ぜぇあああぁぁぁーっ!!」


 十朗がトロール相手に叫び返しながら、長脇差を上段に構える──

 何時でも懐に飛び込めるよう、間合いと隙を見計らい渾身の殺意を相手に返す。


 仮に隙が出来なくとも、渾身の一撃だけは振り抜くつもりだったが…、相手の隙が突然訪れた──


 ゴウッ!と音を立て、トロールの顔面が火の玉に包まれたのだ。

「グギャアア!?」


 突然出てきた火の玉に、トロールがもんどり打って倒れこむ。


 突然の事に驚いたが、相手を(ほふ)る千載一遇を逃す手はない。

 十朗が容赦のない一撃を、その火の玉に包まれた頭に叩き込み、脳天をカチ割る。


 トロールがビクン!と体を震わせると、そのまま倒れて動かなくなり、同時に謎の火の玉も消えてなくなった…。


「はぁっ…はっ…はぁ、げはっ…」

 十朗は息を整えると、最初に喉元を(えぐ)り斬ったトロールに視線を向ける。

 緑色をした血溜まりに突っ伏して倒れているが、そちらも絶命しているようだ。


 刃に付いた緑色の血を手甲で拭い、鞘に納めると、倒れた二匹のトロールに視線を向けたまま、その場に座り込む。


 あの火の玉は一体何だったのだろう?

 トロールから焦げた肉の臭いが気持ち悪く漂っており、あれが幻でなかったと証明している。


 色々な疑問は尽きなかったが、異国とはそういうものなのかもしれない…と、ひとまずの納得しておく。

 そもそも今は身体中が痛くて頭もクラクラしているし、それどころではない。


 あの一撃を受けて肉塊になってないだけ奇跡みたいなものだが…。


「ジューロウさん!」

 リンカがぱたぱたと駆け寄って来る。


「リンカさん、早いとこ逃げてもよござんしたのに…」


「ジューロウさん、いま怪我を治しますから…少しじっとしておいて下さいね」


「おめぇさん、本当に人の話を聞きやせんね…」

 十朗は視線をリンカに向け、半ば呆れたような声で言う。


 リンカは目を瞑ると、青アザができている十朗の腕に手を添えた。

 痛みで発熱しているせいだろうが、リンカの手のひらを少し冷たく感じ、少し心地がよい。


(診察でもしてくれてるんでしょうかね…?)


 そんなことを考えながらリンカを見ていると、十郎の身体が淡く白い光に包まれる。


「ぬあっ!?」

 これに十郎は驚き、思わず退く。

「な、何でござんすかこれ!?」


「あのっ、じっとしてて…!」

 リンカが十朗にグイッと寄る。


「いやいや!なにをされてるのか説明を…」

「お怪我を治すんですけど!?」

 治療とは、普通に考えて薬を使ったりするのではないのだろうか?


 薬の入った荷物に手をつける気配さえないのは気になったが、しかしリンカの眼差しは真剣そのもので、冗談を言っている感じではない。


「いや、まぁ…うーむ、じゃあ…お任せしやす」

 十朗は観念し、腹をくくった。


 仮に彼女が悪党か妖怪の(たぐ)いで、危害が自分に及んだとしても、それは自分の見る目がなかったというだけである。


 それに、トロールは無事に倒せたし、あれらに生き残りがいたとしても、おいそれとこちらや村に手は出し辛くなったはずだ。


 …と、信じたい。

 そんな考えを巡らせている十朗とは対照的に、リンカは目を瞑り集中していた。

 再び十朗の身体が光に包まれ始める。


 奇妙な現象ではあるが、今度は大人しく…じっと待ってみると、不思議と身体中の痛みが(やわ)らいでいくのが分かった。

 リンカが手を添えていた自分の腕に目を向けると、青アザが無くなっている。


「…ジューロウさん、痛みは残ってませんか?」

 包まれていた光が消えると、リンカがそう聞いてくるので、試しに…と立ち上がり適当に身体を動かしてみた。


「おぉ…お?痛みがすっかり取れやした、ありがとうございやす」

 十朗が腕をグルグル回しながら言う。

「なんか、…凄いでござんすな?」


 そういえば村長が言っていた…不思議な力を使うとはこの事なのだろうか?

 だとすると、リンカという少女が村長の言っていた魔女ということになるが…やはりカモミル達が言うように悪人には見えなかった。


「なんて無茶をするんですか…」

 安堵したような、そして心配するような声でリンカが話掛けてきた。


「えぇ…?おめぇさんがそれを言うので…?」


「えっ…!?うぅ…」

 つい本音が言葉に出てしまい、それを聞いたリンカも言葉を詰まらせて(うつむ)いてしまう。


 余計な事を口走ったな…と思う一方。

 トロールに構わず、無理矢理に走り抜けようとした人に言われたくなかったのも事実だから仕方ない。


 …それとも、リンカは十朗よりも強いからこそ、ああいう行動が出来たのだろうか?


 考えてみれば、あんな不思議な力を使えるのであれば、トロールの頭を焼いたあの火の玉にも納得がいく。

 やはり、あれもリンカがやった事なのだろうか?


 そう少し考えてから声をかける。

「いや、まぁ…リンカさんはあっしより強いのかも知れやせんね…。出過ぎた真似をしたのかもしれやせん」

 そう言って深々と頭を下げると、リンカが慌てて否定する。


「ふぇっ!?いえっ、そんなことないですっ」


「トロールを焼いた火の玉、リンカさんがやった事なのでござんしょう?」

 リンカがそれをやったという証拠はないが、しれっと聞いてみる。


「えっ、えぇ…ちょっとした魔法が使えるだけで、戦う為に魔法を使ったのも初めて…だし…」


 自覚が考えていた通り、あの火の玉はリンカがやったものだったようだ…。

 しかし、初めて戦ったという言葉に嘘はないように思える。


「あのっ、もぅっ!顔を上げて下さい!ちょっとイジワルです」


「いや、申し訳ねぇ。そういうつもりじゃねぇんですが…」

 十朗は、こめかみを掻きながら顔を上げる。


「ともかく、あの火の玉のおかげで助かりやした…ありがとうございやす」


「あっ…、いえ!助けられたのは私の方です、ありがとうございます、きっと私だけじゃ何も…」

 お礼を言われた後に何かを続けて言っていたが、リンカの声が徐々に小さくなったので最後まで聞き取れなかった。


 そういえば、半ば乱暴にトロールの攻撃からリンカを引き離したのを思い出す。

 声が小さくなったのは何か体に痛みでも走ったからかもしれないと思い付いた。


「リンカさん、どこか怪我でもされやしたか?…ちと乱暴に飛び付いてしまいやしたから、身体に痛みでもござんすかい?」


「えっ?私は」

 リンカが体を軽く動かし、体の調子を確認すると元気よく答えた。


「んっ…大丈夫です!」

 その様子からすると本当に怪我は無いようだ、まずは一安心といった所か。


「うむ、それならなによりでござんす。じゃあ改めて村に参りやしょうか…荷物はあっしがお運びしやしょう」


「…ご迷惑じゃ」


「いやなぁに、あっしが早く村に戻りてぇだけのこと…手前(てめえ)の為でござんすから」

 リンカが身軽になれば、移動の効率が良くなって村に早くつく事が出来るだろう、という算段であるから嘘はない。


「じゃあ…お願いします、ジューロウさん!」

 少し遠慮がちにリンカが荷物を渡してくる。


「うむ、参りやしょう」

 十朗は荷物を受け取ると、リンカと一緒に村の方向へと再び走り出した──



 リンカは脚が速いワケではなかったが、森には慣れているようで脚運びは良く、淀みなくスルスルと森を駆け抜けていき、十朗もそれに続いてリンカに合わせ後方から付いていく。


 村に到着するまで時間はさほど感じなかったが、リンカは流石に息を切らしていた。


「リンカさん、大丈夫で…は無さそうでござんすね?ちと休みなせぇ」


「だっ、大丈夫です!それよりも怪我人の所に…っ、案内して…くれませんか?」


「ふぅむ…」

 十朗は考える素振りを見せる。


 確かに村の状況を見れば、家屋は未だ倒れていたりと不安になる光景であるし、焦る気持ちも分かる。

 怪我人が療養している場所は知っている、しかしリンカには一息入れておいて欲しかった。


「ジューロさん!…リン姉ちゃん!?」

 そんな折、遠くから声が聞こえた…カモミルの声だ。


「おお?カモミル殿!お出迎えでござんすね?」


「うん!ちょうど見張りしてて、二人の姿が見えたから」

「カモミルくん!良かった…無事で…」

 リンカが息を切らしつつも、ほっと胸を撫で下ろす。


「それはこっちのセリフだよ!って…リン姉ちゃん大丈夫!?」

 息を切らすリンカを見たカモミルが駆け寄ってくる。

「えぇ…大丈夫!それより怪我人がいるって聞いたんだけど、少しは力になれるかもしれないから案内してくれる?」


「えっ!?う、うん…分かった」

 カモミルもリンカの状態を心配していたが、押しきられてしまった。


「カモミル殿、怪我人の容体(ようだい)はいかがでござんすかい?」

 十朗が口を挟む。


「熱はあるけど、少しは回復したと思う…意識は前よりハッキリしてるから」


「ふむ、左様で…あとは向かいながら色々と聞きやしょう。カモミル殿、リンカさん、行きやしょうか」

 そう言って歩き出すとカモミルも何となく察してくれたのか、十朗に続いて一緒に歩き出した。


「心配せずとも、すぐに到着致しやすよ」

 そわそわしているリンカを尻目に一言だけ添える。


「は、はいっ」

 放っておくとすぐに飛び出しそうな気がしたので気休めの一言であった。



 怪我人はみな、村長の家で療養していた──


 村長がかつて旅籠屋(はたごや)(※宿屋のこと)のような事をしていたらしく、ベッドなる寝場所もいくつかあるようで怪我人を受け持ってくれており、村長宅は村の中央にあることもあり、他の村人たちも代わる代わる看病に来ているようだ。


 村長の家に到着すると、十朗は戸を叩く───


「開いてますー!」という声が返ってきた、村長の声ではなくパセリの声だ。


「失礼致しやす」

 ガチャリと戸を開けると丁度、バジール夫妻が看病している所だったようだ。


「ジューロさん!お帰りなさ…あら?カモミルも一緒なのね?」

 パセリがカモミルの方へ視線を向けると、もう一つの人影に気付き、少し驚いたような表情を浮かべる。

「リンカちゃん!?」


「パセリさん、こんにちは」


 その声に気付いたのかバジールもこちらに顔を出す。

「おぉ?リンカちゃんかい!?こんにちは!ジューロさんもおかえり!」

「無事だったのね!トロールが森に逃げたって聞いてたから…襲われたりしてないか心配してたのよ…」


「はい!大丈夫です!…ジューロさんに色々と助けてもらったので」


(───!?)


 リンカに名前を間違われたことに若干困惑していると、耳元にリンカが手を添えてきて。(ジューロさん、ごめんなさい…私ったら名前を間違ってたみたいで…)

 と、小声で呟いた。


 どうやらカモミル達から呼ばれてる名前の方が正しいと勘違いされたようだ。


 訂正するのも面倒だし…まぁ良いか!と思い、話を変える。

「まぁ、そんなことより薬はいかがいたしやしょうか?」


「あっ、お薬を持ってきたんでした!怪我人はどちらですか?」


「お薬持ってきてくれたの!?ありがとうリンカちゃん、助かるわ…奥の部屋にいるから付いてきて」


 パセリが奥に案内してくれると、ベッドなるものが並べてある部屋につく。

 怪我人はみなそれに横になっていて…意識こそあるが、みな一様に辛そうであった。


「リンカちゃん、解熱のお薬があるなら頼めるかしら?私はお湯を持ってくるわね」

「はい、任せて下さい!ジューロさんも、荷物ありがとうございました」


 リンカに荷物を返すと早速、薬を取り出して調合を始めた。


「あっしに手伝えることは?」

 二人に聞いてみたが。


「いえ、大丈夫です!」

 と、リンカにはキッパリ断られるものの、お湯を取りに行こうとしてたパセリに。

「じゃあジューロさん、カモミルと一緒に水を汲んできてもらってもいいかしら?」

 と、頼まれた。


「む!お安いご用で」

「疲れてるのに…ごめんなさいね?水汲み用のバケツはカモミルが知ってるから」


 そんな話をしていると、カモミルが部屋に入ってきた。

 その腕に(かご)を担いでおり、中には清潔そうな白い布が入っている。

「うん?ボクのこと呼んでた?」


「カモミルちょうど良かったわ、ジューロさんと水を汲みに行って欲しいの」

「わかった、じゃあガーゼはテーブルに置いとくね!ジューロさん行こ!リン姉ちゃんもまたね!」

 カモミルが手を振り、リンカも手を振って返す。


「うん、二人とも気を付けてね!」


「うむ、では行ってきやす」

 十朗は軽く会釈をすると、カモミルに続いて部屋を後にした───



 リンカが怪我人の治療を終えたのは夕刻を過ぎ、日も沈んだ頃だった。


 その間、十朗とカモミルは水汲みを終わらせ、(まき)を集めてお湯を沸かせたり、他の村人たちも部屋を掃除したりと、各々の出来ることをやっていた。


 医療などの難しいことは分からなかったが、魔法とやらで即時解決!

 ──というワケにはいかないらしく。

 消毒や薬を併用しながら魔法で治療するとのことだ。


(魔法…でござんすか)


 万能ではないようだが、それでも使えるなら便利であるように思えた。

 今回、雑用をしている時に村人の一人が湯を沸かす際、火打石などの道具を使わずに火を起こしたのを見ていたが、それも魔法というヤツなのだろうか?


 村人曰く、そんなのは魔法の内にも入らないそうだが、それでも数人に一人くらいしか出来ないことらしく。

 リンカのように大きな炎を起こせたり、怪我の治癒まで出来るのは大変珍しいことと聞いた。


 そういうことが出来るのは、素直に羨ましいと思う。



 怪我人の治療は全て終わり、一段落したものの、万が一のことを考えて、リンカはこのまま経過を見る為に残ると言うことだ。

 家へと戻ってきたリカブト村長にも許可をとり、泊まり込むことを決めていた。


 彼女の献身的な姿を見れば、リカブト村長も今回のトロールが襲撃した件が彼女とは無関係と分かってくれるだろう。


 空き家に帰って、寝そべりながら天井をぼんやり眺めつつ、十朗はそんな事を考えていた───



 問題が全て解決したわけじゃないが…自分の行動で救えた人がいる。

 そしてこれが切っ掛けで彼女の誤解も解けるのなら、良いことが出来たと胸を張れるかもしれない。

 そう思うと親分に近付けたような気がして少しだけ心が浮わついた。


 そして明日は、自分に出来ることがないのであれば、村から出ようと思っていた。


 流石に海を泳いで…というワケにはいかないが、どこかで海を渡れるような船がある場所…まず日ノ本に向かえる船を見付けなければならない。

 それはまた村人や村長にでも聞いてみるしかないだろう。


 …ここへ流れ着いてから落ち着いて物事を考えるような余裕は無かった。

 振り返ってみれば、異国は不思議で満ち溢れていたなと思う。


 いや、十朗が知らないだけで日ノ本にも不思議なことに溢れていたのかもしれないが…。


 この経験で少しは自分に箔が付いたような気がしたし、親分たちへの土産話として申し分無いだろう。

 これからの事、そして一家へ想いを馳せながら、十朗は眠りについたのだった──



「……ロさん…!…ジューロさん!」

 眠りに落ちてどれくらい経ったか、微睡(まどろ)む意識の中、突如として声が聞こえた。

 長脇差を抱え、慌ててガバリと体を起こすと、傍にはカモミルの姿があった。


 十朗が急に起きたことに驚いたのか、カモミルは呆気にとられている様子だ。

「カモミル殿か…すまねぇ、驚かせてしまって…」


「こっちこそゴメン…ノックはしたんだけど、あまりにも起きてこないから心配になって…」


 自分でも気付かない内に疲れが溜まっていたのだろうか?

 普段であれば、人が近付けば気配で起き上がるものだが…声を掛けられるまでまるで気付かなかった。


 窓を見ると日はかなり高くなっている。


「ぬぅ…面目ねぇ、ずいぶんと寝ておりやした」


「あっ!じゃあ、朝ご飯もまだだよね?持ってきてて良かった」

 カモミルが御盆に乗せた料理を差し出してくる。


「いや、あっしの事はあまり気にせずとも…」

「…ジューロさんこそ、ボクたちに気を遣ってるよね?朝ご飯くらいは食べて欲しいよ、昨日も一昨日も…朝ご飯の前に行っちゃうし!そっちの方が気になるよ」


 御盆に並べられた料理は質素だが、とても良い匂いがする。

 芋と豆を煮たものと、パンが添えられていた。

 ぐぅ…と腹の虫が鳴る。


「ぬぅ…すまねぇ、…ありがたく頂戴致しやす」

 色々と思うところはあれど、好意に甘える事にする。村から出るなら、これが最後の食事になる可能性が高いのだ。


「頂きます」と両手を合わせた後、食事に手を伸ばすが、カモミルがこちらをじっと見ていたので微妙に落ち着かない。


「ひょっとしてカモミル殿、腹を減らしておるのでは?」

 カモミルの分を無理に持ってきた可能性もあるので聞いてみたが、カモミルは首を横に振る。


「ううん、…味はどうかな?って」

「うむ、うまい!」


 その返事を聞いて、カモミルはにっこりと微笑む。

「そっか!良かった~」


「…そういえばカモミル殿、怪我人の様子はいかがで?」

「うん、みんな元気になってたよ!朝にはもう村のこと色々やってるみたい」


「ふぅむ…凄いでござんすね、病み上がりだというのに…」

「うん!リン姉ちゃんの薬と魔法が効いたんだと思う、すごいよね」


「うむ、たいしたもので…あっしも助けてもらいやしたし」

 十朗もリンカに治癒してもらったが、何事もなかったかのように身体の調子が戻るのは凄い!としか言いようがなかった。


「ジューロさん…助けてもらったって、何かあったの?」

「む?…あぁ、そういえば話しておりやせんでしたっけ?」


 リンカと村に戻ってきてからトロールの件について、すっかり忘れていた。

 話す機会はあったのだが、怪我人の事に集中してたこととで…解決した気分でいたからだろうか?

 少なくとも村長には報告しておいた方が良いだろう。


 カモミルに森で起こった事のあらましを説明すると、目を輝かせて聞き入ったり色々と聞かれたりもした。


「へぇ…リン姉ちゃんって、凄く強いんだ!?」


「うむ、あっしも驚かされやした。あの胆力は見習いたいものでござんすね…いや、やはりそこは見習いたくはねぇかな…勇敢すぎやす」

「あはは!ジューロさんがそこまで言うって、どれだけ勇敢なの?」


「んーむ?あっしの国でも中々お目にかかれねぇくらいには…でも、あっしからすりゃあカモミル殿達も同様に勇敢でござんすからね?」

「えっ?ボクも?」


「うむ、おめぇさんも」

「えー?」


 そんな他愛ない話をしながら食事を終えると、食器を御盆に戻して手を合わせる。

「ご馳走になりやした、実に美味しかったでござんす」

「えへへ!良かった、じゃあボクはいったん帰るね!また後でね!」


「あぁ、そうだカモミル殿」


「えっ?なになに?」

「あっしはそろそろ村を出ようと思っておりやすんで…カモミル殿にもずいぶんと世話になりやした」


 思えば数日の関わりだったが、カモミルは色々なことを教えてくれたし、今回もこのように食事を提供してくれたり、バジール家に泊めようとしてくれたこともあった(流石にそれは遠慮したが)。


 ここに流れ着き、成り行きで村を助けることになったが。

 どちらかというと何も分からないこの土地で助けられたのは、十朗の方だ。

「えっ!?村から出るの!?」


「うむ、村の人達に挨拶次第出ようと思っておりやす」

「まさか今日!?」


「左様でござんす」

「待って!?待ってよ!せめて今日は残って!みんなの快気祝いするからって…ジューロさんたちの分も用意してるんだ!お願いだからさ!」

 カモミルが十朗の手を握り、頭を下げた。


 これ以上ご厚意に甘えるのも気が引けるし、日ノ本に一刻も早く戻りたい気持ちもあった。

 しかし、以前カモミルに村に残るようお願いし、その頼みを聞いてもらった経緯もある、最後くらいちゃんとしたお別れも兼ねて、快気祝いに参加するのも良いかもしれない。


「…じゃあ、お言葉に甘えて、あと一日だけお世話になりやす!ご厄介になって申し分ねぇが」

「ホント!?勝手に出ていったら嫌だからね!?」


「うむ、ちゃんと別れ際には挨拶しやすから」

 その返事を聞いたカモミルの顔がパッと明るくなる


「ま!村に残るからには、何か力になれりゃあ手伝いやすんで、言っておくんなさい」

「えー?今日くらいゆっくり休んでよ」


「んーむ、しかし…」

 厄介になっている以上、何かしら働かないと居心地が悪い。


 それに十朗は渡世人であり余所者でしかないのだ。

 そんな人間がのんびりと構えていて良いものなのか、頭を悩ませる。


「あっ!ならさ!ボクはジューロさんの話が聞きたいな!」

「あっしの?」


「うん!…ダメかな?他の国の話とか聞いてみたいんだ」

 カモミルが興味深々といった感じで期待の眼差しを向けてくる。

 今までカモミルにはこちらから訊ねることはあっても、こちらの話をする機会はほとんどなかったように思う。


「そいつはお安いご用だが、あっしの出来る話か…」

 記憶を辿り、かつての家族や…稲作一家の仲間達に想いを馳せた──


 十朗は元々農民であり、天保の大飢饉によって一家離散した経緯があった。

 …だが、これは話すような内容ではないなと思いとどまる。


 だけど稲作親分や、その一家や出来事についてなら…多少の話は出来るかもしれない。

「なくはねぇけど、あまり期待しないでおくんなさいよ?」

「ホント!?やったー!じゃあこれ片付けてきたらまた来るから、待っててね!」

 カモミルはそれだけ言い残し、疾風のように駆けていった。


「む!?あー…まぁ良いか…」

 まずは村の人たちに別れの挨拶を済ませておきたいと、付け加えて言いたかったのだが…。あっという間に行ってしまった。


 また後ほど、改めてその件は伝えておこう。

 ぐんぐん小さくなるカモミルの背中を見送りながら、そう思う十朗であった───



 カモミルが十朗の元に戻ってくると、早速バジール家に招かれることとなった。


 彼らの家は日ノ本の家屋と造りが違っており、畳もなければ囲炉裏もなく、外観も内装もまるで違っている。

 そして異国のしきたりなのか、土足で家に入ることになるのだが、どうも未だに抵抗がある。


 カモミルに連れられ、そんな家に入るとパセリが出迎えてくれた。

「いらっしゃいジューロさん、狭い家ですけど今日はゆっくり休んでくださいね!」


「とんでもねぇ、お心遣い有り難うござんす」

 十朗は深々と頭を下げる。


「狭い家とはひどいなぁ…男の城なのに、なぁ?ジューロさん」

 部屋の奥から声が聞こえ、そこからバジールが顔を出す。その手には液体の入った透明な容器が握られていた。


「ところで一緒にどうだい?秘蔵のお酒を持ってきたんだが…」

「ちょっとぉ~あなた?ゆっくり疲れを取ってもらうんだから、あまり絡まないの」


「疲れを取る為のお酒だぞ?な!ジューロさん!」

 そう言うバジールは上機嫌であった…飲んでいるという訳ではないようだが。


「いやぁ、申し出はありがてぇんだが…あっし酒はあまり飲まねえんで…」

「そ、そうかぁ…お酒ダメなのかい?残念だなぁ…」

 ガックリとバジールが肩を落とす。

 よほど楽しみだったのだろう、少し申し訳ない気がした。


「んもぅ!あなたが飲みたいだけでしょ…これは預かっておきますからね!」

 そう言うが早いかパセリがお酒を奪うと台所へと向かって行ってしまった。


「そんなぁ~」

 お酒を奪われたバジールが情けない声を漏らし、それをカモミルも呆れたという視線で見送っている。


「…まぁいっか!ジューロさん、こっち!」

 カモミルに言われるままに別の部屋に案内されると、寝具にも見える背の低い椅子…ソファーとやらに腰を掛けた。

 カモミルもそれに続いて隣に座る。


「ごめんねジューロさん、落ち着きがなくて…」

「賑やかで良いじゃござんせんか、村がこんな状況でも明るく振る舞えるのは、中々出来ることじゃありやせん」


「それって…褒めてる?」

「うむ、もちろん」


「えへへ、そっか!ジューロさんの家族も同じ感じだったりするのかな?」

「うぅーむ、あっしは…まぁ」

 返答に困り、少し言葉に詰まってしまう。


 そんな時、パセリが部屋に入って来た。


「ジューロさん、お酒はともかく何か飲み物とか…欲しいものあるかしら?」

「いや、お気遣いなく…それにパセリさんこそ昨日の看護でお疲れでは?」


「あら、心配してくれてるの?ふふっ、大丈夫よ。じゃあカモミル、ジューロさんをお願いね?私はお昼の支度をするから」

「うん、わかった!」

 手を振りながら母親を見送るカモミルを横目に、十朗は話題が途切れたことに安堵していた。


 思わず「ふぅ」と、軽い溜め息が出る。


「…ジューロさんごめんね?本当はボクの部屋が使えたらゆっくり出来たんだろうけど…」

「ぬ?」

 先ほどの溜め息を疲れだと思われたようだ。


「いや、心遣いはすごく嬉しいのでござんすよ?しかしどうも人に歓迎されるのが慣れてねぇだけで、照れくさいというか…あっしは所謂(いわゆる)ゴロツキでござんすからね?」


「えっ?ジューロさんって山賊とかそういう人なの?」

「うーむ…いや、どうなんでござんすかね?山賊とかじゃござんせんが、堅気の人から見たら大差ねぇかも?うーん…」

 頭を抱え考える。


 十朗のいた稲作一家は知るかぎり、堅気に手を出す真似はしたことはない。

 だからといって博徒が全てそうであるとは言えないし、賊なのは否定のしようがなかった。

 そこは自覚を持っているつもりだ。


「なんか…変なこと言ってゴメン」

 頭を抱えるのを見て、悩んでると思ったのだろうか?カモミルが申し訳なさそうに声を掛けてきた。


「む?ぬはは、気にしてはおりやせんよ。ちと考えたが…やはり賊とは大差ござんせんからね」

「ジューロさんはジューロさんだから大丈夫だよ、きっとそういうのとは違うんじゃないかな?」


「う~む、そうでござんすか?」

「そうだよ!」

「ぬぅ、カモミル殿からそう言われたら、そういう気がしてきやした!」

 互いに顔を見合わせニヤリと笑い会う。


 カモミルなりに気を遣ってくれたのが分かったし、そういうのは素直に受け入れておくものだ。


 それから先はジューロがお世話になっていた稲作一家の話や兄弟分たちの話。

 後は武勇伝…みたいなものは一切ないので、主に十朗が経験してきた失敗談を交え、互いに談笑をしながら過ごした。


 わずかな時間ではあったが、その時だけは故郷に戻れるかどうか、先の不安を忘れる事が出来た。

 それは十朗にとって、少しだけ心の重石を外せた瞬間であった。


 楽しい時間はあっという間で、どうやらお昼時になっていたらしくバジールが二人を呼びに来る。

「カモミル、ジューロさん!昼飯できたぞ!」

 バジールが部屋の扉を開け、声を掛けるのと同時に、微かに食事の良い匂いも入って来る。


「もうそんな時間なんだ?!ジューロさん、行こっか!」

「ご厚意に甘えてばかりで申し訳ねぇ」


「まぁまぁ、ジューロさんは村の恩人なんだから遠慮なんてしないで、さあさぁ」

 二人に誘われるまま部屋を移動し、廊下を通り過ぎようとした時、隣の扉がガチャリと開いた。

 視線をそちらに向けるとリンカが立っている姿が目に入った。


「おや?リンカさんじゃござんせんか」

「おはよう…ございます」

 寝ぼけているのか、ボンヤリとした返事が帰ってくる。


 良く見れば寝癖というか、少し髪の毛もボサボサになっていた。

「おはようごさんす」


 二人のやり取りに気付いたバジールが声を掛けてくる

「あぁ!リンカちゃん起きたのかい?丁度良かった、今からお昼だから一緒においで」

「お昼…あれ?バジールさん、ジューロさん?」


「ボクもいるよ、おはようリン姉ちゃん!」

「あ…おはようカモミルくん…」


 そこまで言うとリンカは何かハッとした表情を浮かべると、そっと扉を閉じた。

「あの、後で行きますから…お先にどうぞ」


「うむ?」

 残された男性一同は首をかしげたが、とりあえず言われたように先に行って待ってることにした。


 部屋を移るとテーブルの上に料理が並んでいる。

 香ばしい匂いが心地よく、食欲を掻き立てるが、それと同時に食料を無理して出していないか心配にもなった。


「パセリ~、リンカちゃん起きたみたいなんだ、リンカちゃんの分も頼んでいいかい?」

 バジールが台所に向けて声を掛ける。


「もちろんいいわよ、ところで肝心のリンカちゃんはどこかしら…?」

「なんか起きてたんだけど、挨拶だけしてボクの部屋にまた戻っちゃって…後で来るって言ってたよ」


「ふぅん…?なるほどね!ちょっとお母さん呼んでくるから待ってなさい」

「うん、わかった!」

 テーブルに料理を乗せ終わると、パセリがリンカを呼びに向かう。


「じゃあ座って待っとこ」

「うむ」

 適当な席につくと、隣にカモミルもちょこんと座る。


 パセリがリンカを呼びに向かってしばらくすると、一緒に部屋に戻って来た。

 先ほど見た時とは違い、ボサボサだったリンカの髪が整えられている。パセリが櫛でも貸してあげたのだろうか?


「お待たせ~、じゃあリンカちゃんも席に座ってね」

「あの、良いんですか?ご迷惑じゃ」

「昨日一番頑張ってたのはリンカちゃんじゃない、ちゃんと食事しないと倒れちゃうわよ?さぁ座って」

「…ありがとうございます、パセリさん」


 話を聞く限り、あの後もずっと付きっきりで看病していたのだという事が分かる。

 昼に起きたのも遅くまで頑張っていたからなのだろうと容易に想像が出来た。


「あの、カモミルくん、ジューロさん。昨日はありがとう」

 ふいにリンカが声を掛けてきた。

「どうしたの?」

「ん?」

 十朗もカモミルも何に対してお礼を言われたか分からずといった様子で疑問符を頭に浮かべる。


「看病の手伝いをしてくれて…」

「え?いや、お礼を言うのはボクたちの方だと思うけど」

「うむ、礼を言われるほどのことはしておりやせんし、あっしにとってもリンカさんは恩人。それくらいお安いご用で」


 十朗とカモミルの様子を見て、パセリが頷きながら同調する。

「私達も薬代を待ってもらってる立場だしね?」


「あの、昨日も言いましたけど薬代は…」

「リンカちゃんダメよ?対価はちゃんと受け取らないとね。なーんて、偉そうに言っても村に余裕が出来るまで時間が掛かりそうだけど」


「あっ、それの埋め合わせってワケじゃないけど。夜に皆の快気祝いがあるからリンカちゃんも一緒にって村長さんが言ってたわね、どうかしら?」


「あの、えーっと…」

「ジューロさんのお別れ会も兼ねることになったし、人数は多い方が賑やかで良いと思うわ」


 快気祝いの話は聞いていた十朗だったが、別れの席としても用意してくれているのは初耳だった。

 おそらくカモミルから話が伝わったのだろう。


 ご好意を無下にしたくない気持ちもあったが、そこまでしてもらう程のことはしてない。

 複雑な心境であったし、それは流石に断ろうと口を開きかける。


「そういうことなら…私もジューロさんに助けて貰いましたし、よろしくお願いします」

「じゃあ決まりね!」


「パセリさん、私も準備お手伝いしますっ!」

「手伝いはボクがやるからリン姉ちゃんも休んでてよ、頑張りすぎ」

「それを言ったらカモミルくんも、村の為に沢山働いてたって…」


 なんか断りにくい雰囲気なってしまった…。


「おぅい、みんなー?讃え合うのも良いけどな、食事が冷めちゃうよ?父さんもう腹ペコで…そろそろ食べないかい?」

「ふふっ、それもそうよね?じゃあそろそろ頂きましょう」


 話を切り上げたパセリも席につくと、皆は祈りを捧げて食事を始めた。

 それから夜まで各々の時間を過ごすことになった。


 食事を終えてパセリとリンカが片付けや、快気祝いに向けて準備し始め、バジールも村の建物の修繕に向かう。


 そんな中、やはり何もしないというのは落ち着かないし、何より気が引けるもので、十朗とカモミルも手伝いを申し出て村の修繕や廃材の片付けに参加することとなった。


 作業を進め、日が沈み始めた頃。バジールが二人に声を掛けにきた。

 どうやら快気祝いの準備が出来たらしく、祝いの席は村長の家で行うようだ。


 バジールの後に続き、カモミルと共に村長宅へ向かう。


 村長宅が見えてくると、その庭園に机と椅子が並べられており篝火(かがりび)で照らされている。

 十朗とカモミルが最後に合流したようで、他の村人達は既に全員集まっているようだ。


 その中には怪我から回復した村人もいて、リンカに頭を下げていたり、涙を浮かべながら何か喋り掛けている様子が見える。

 彼女に感謝を伝えているのであろうことが伺えた。


 そんな中、祝いの席である筈なのに浮かない表情をしている村人が数人いたことが引っ掛かったが…。


(まぁ、全員無事というワケにもいきやせんでしたからね…)

 思い当たる事はあったので、それには触れないことにした。


「おぉ、ジューロ様もいらしてくださいましたか」

 リカブト村長がこちらに気付いたようでこちらに近付いてくると、それに気付いた村人もジューロの元へ集まって来る。


「ジューロさん!いやぁ、ずっと倒れててあまりお話する機会がなかったけども、村の為に体張ってくれたって聞いてねぇ…本当にありがとうなぁ」

 話し掛けてきた村人は、トロールが襲撃していた時に倒れていた男の一人だった。


「体を張ったのは皆さん方でしょう、あっしはカモミル殿に力添えしたくらいですから」

「話には聞いたけど、殊勝な人だねぇ。今日だって村の事を手伝ってくれたんでしょう?」


「あっしこそ世話になりっぱなしで…それくらいは。それに寝所だけでなく食事まで提供してもらって、礼を言わねばならねぇのはこちらの方でござんすよ」


 実際、村は余裕がある状態ではない。

 復興に向けて動いてはいるが、被害は未だに残っているし命を落とした者もいるのだ。


「まあまあ!ジューロ様は恩人なんですから、せめて村で最後くらいは豪遊…ってほどのものはないですが、せめて祝いの席を楽しんでください」

「…かたじけない、今回もお言葉に甘えさせて頂きやす」


 村長に招かれるまま席につくと、入れ代わり立ち代わり村人達が挨拶に来てくれた。

 少し照れ臭い気持ちであったが、悪い気はしなかったし、それぞれに別れの挨拶が出来たのは良かったと思う。


 そういえばカモミル達にも別れの挨拶をしなければならぬなぁ…と思い付き、カモミルを目で探すとリンカと一緒に談笑しているのが見えた。


 十朗の視線に気付いたようでカモミルが手を振ってくる。

 リンカもその反応でこちらに気付いたようだったが、カモミルとは違って少しムスッとした表情を返してきた。


(ん?あっし何か悪いことしやしたかね?)

 思い当たることは無かったし、すぐに他の村人達に話掛けられ会話の波にのまれたので、それ気を回すことは出来無かった。


 快気祝いの席は日が沈んでからも続き、村人達も楽器を奏でたり、歌ったりしている。

 酒を勧めてくる村人も多く、十朗は飲むつもりはなかったが、酒瓶を一本頂くことになった。


「すまねぇバジールさん、少しだけ席を外しやす」

 村長の姿が見えないので、代わりにバジールに伝える。


「どうしたジューロさん、トイレかい?」

「まぁ、そんなところで。村長さんもおりやせんし、一言断っておこうと」

「そうか!分かった」


 貰った酒瓶を持ち席から離れると、十郎は墓場の方へと歩きだした。

 命を尽くして村を守ろうとした人にも、別れの挨拶をしておくのがスジだと思ったからだ。


 月が二つもあるのも未だに慣れないが、月明かりで夜道が見易いのはありがたい。


 十朗が墓場に到着すると、早速酒瓶を開け、各々の墓に掛けてゆく。

 故人を(ねぎら)う…というのも妙な話だが、こういうのは心の問題なのだ。


 お墓の各々に手を合わせ終わり、戻ろうとした時だった…。

 誰かの話し声が聞こえてくる。


 普段なら気にも留めないのだが、祝いの席に参加せず、こんな人気のない場所での会話が気になり、思わず耳を傾ける。

 どうやら数人いるようだ…。


「村を救うにはこれしかないのだ、魔女の懸賞金さえあれば村を立て直す事ができる…」

「ですが村長、あの子は怪我人を看てくれたじゃないですか──」


 あの子とは、話から察するにリンカの事だろう。

 どうにも嫌な感じを受けて思わず身を潜める。

「確かに恩人ではある、だが魔族なのも分かっただろう?」

「そうですが…、しかし」

「これは村長命令だ、それにあの子が無実なら無事に解放される筈だろう?」

「…本当に大丈夫なんでしょうか」

「君たちは何も心配するな、恨まれるにしても私一人で済む話だ」


 話の内容はほとんど理解出来なかったが、何かしら良くない事であるのは理解した。


 十朗は、その場に踏み入ると声を掛ける。

「申し訳ねぇ、盗み聞きするつもりはなかったのでござんすが」


 突然声を掛けられた村長と、村人数名が体をビクリとさせた後、一斉に視線をこちらに向けてくる。

「ジューロ様!?」

「ジューロさん!?」


「へえ、あっしでござんす。話は聞かせて貰いやした…」

 十朗の姿を見た村人達は狼狽(うろた)えているのが見てとれた。

 村人達をよく見ると、祝いの席なのに浮かない顔を見せていた顔触れだった。

 今にして思えば、表情が暗かったのは後ろ暗さから来るものだったのかもしれない。


 しかし、そんな中でもリカブト村長だけは落ち着いていた。

 開き直っているという顔ではなく、目には力があり、覚悟の上で何かをやろうとしていると感じる。


「リンカさんに何かするつもりでしょうが、あっしの顔に免じて…どうか見逃しちゃくれねぇでしょうか」

 村長に頭を下げる。


 村人達がざわついているが、かまわず言葉を続けた。

「よそ者の我儘(ワガママ)とは存じた上でござんすが、聞き入れちゃくれやせんか」


 そもそも十朗が森に行き、あの場でリンカに出逢わなければ彼女は村に来ておらず、村長も何かを講じる考えには至ってなかった筈だ。


 情けない話だが、それに責任を負いたくない。

 だから自分が原因で彼女に害が及ぶようなことは何としても避けたかった。


 十朗はそれを伝え、どうにか考え直して欲しいと願い出た。


「村長…ジューロさんもこう言っていますし…」

「そうですよ!村の事ならきっと何とかなりますよ」

 村人達は少し安堵した様子で、十朗の意見に乗ってくれている者も多い。

 その様子を見た村長は腕を組んで考え込み、しばしの間があった後、口を開いた。


「…わかりました、どうか顔を上げて下さい。ジューロ様は村の救世主でもありますし、貴方が来なければもっと酷い事になっていたのも事実ですから」

「では?」


「えぇ、ジューロ様に言われたら、考え直すしかありません」

「ありがとうござんす」


 十朗は安堵した。

 口約束とはいえ、他の村人達がいる前で約束を取り付けたなら大丈夫だろうと思ったからだ。


「では戻りましょうか、あまり長く席を外していると心配されますからね」

「うむ、そうでござんすな!」


 村長に言われるまま祝いの席に戻ると、バジール達は相変わらず笑顔で迎えてくれた。

「おぉ、おかえり!」

「ただいま戻りやした」


「おかえりぃ…ジューロ…さん」

 寝ぼけた声が聞こえ、視線を移すとカモミルがずいぶんと眠そうにしている。


「カモミル殿、眠そうでござんすね?」

「うぅん…ねむくない」


「うむ、どう見ても眠いでござんすね?」

 さて、どうしたものか?家に送って休んで貰った方が良いか。

 そう考えていると、十朗はいきなり肩を組まれた。


 首に回された腕は華奢(きゃしゃ)で、女性だと分かる。


「カモミルくんはぁ、ジューロさんを待つんだぁ~!って待ってたんれすよぉ?」


「ぬぁっ!?…リンカさん?」

 肩を組んできた女性がリンカであったことに驚く。

 顔は上気しており、少し様子がおかしい。

 彼女から酒の匂いは一切しないが…酔っ払っているようにしか見えない。


「キャモミぃルくんからぁ~聞いたんれふけろ!わたふぃを(ちゅよ)いとかぁ~(たくま)しぃ~とかぁ?ひつれ~とかないんれふかぁ?」


 リンカがカモミルと談笑してた時に、ムスッとしていた理由が…なんとなく分かった気がした。


「ぬぁ?いや、あっしは正直な事しか言っ───」

勇敢(ゆぅかぁん)とぉかぁ~!命のおんじんとかぁ~?ふぃとの(ふぁなし)を聞かなぁ~とかぁ」


「リンカさんは命の恩人ではありやすし、あと人の話は聞きやせんよね…?」

「今ちゃんと聞いてるんれふけろ~!あと(ちゅよ)いとか~!わたふぃ女の子なんでしゅけどぉ~?しちゅれ~とか思わないんれふ?」


「う、うぅむ…そいつはあっしが悪かった」

「ほんとにぃ~?悪ぅいって思ってるの~?」


 リンカは十朗の首に腕を回したまま喋り続け、なんだか同じような話を繰り返し始めた。

 話を切り上げたいし、引き離そうとも考えたが、流石に危なくて振りほどく訳にもいかなかった。


 リンカをぶら下げたままバジールに(たず)ねる。

「バジールさん、リンカさん酒でも飲みやしたか?」


「いやぁ?見てた限りは飲んでないし、飲ませてもいないんだけどな…、なんでだろう?ハッハッハ!」

 バジールは上機嫌でお酒を楽しんでいるようだ。

 こっちは酒の匂いがするし、明確に酔っ払っているのが分かる。


 十朗が困り果てている様子を見かねたのか、パセリが助け船を出してくれた。

「リンカちゃん、今日はもう寝ましょう?」


 パセリの横に、睡魔に襲われて限界のカモミルも見える。

「リンカさん、それが良うござんす。今日もお疲れでしょう」


「まだぁ~、お話は終わってましぇんからぁ」

 リンカが組んでいる腕に力を入れ、離れまいとする。


「分かった、分かりやした!ちゃんと続きは明日聞きやすから」

「そうよリンカちゃん、それにカモミルも限界みたいだし。一緒に来てくれると助かるなぁ?」

 パセリがそう言うと、リンカは腕の力をゆるめたのが分かった。

「ふぁい、わかりましゅた。一緒に…帰りましょぅ」


 そっとパセリがリンカに寄り添うと肩を貸し、リンカも素直に離れてくれた。

「途中で倒れても危ねぇんで、あっしもいきやしょう」

 十朗も同じく席から離れようとするが、パセリに止められる


「ん、大丈夫よジューロさん。カモミル?一人で歩けるわよね?」


 パセリがカモミルの背中をパンパンと軽く叩くと、少しだけ意識がハッキリしたようで「大丈夫だよ」と、返事をする。

「カモミル、家に帰るまでもう少し辛抱してね」

「うん、分かった」


 相変わらず眠そうにはしているが、見る限りふらついてる事はない。

 あれなら帰るまでは大丈夫だろうと思い、十郎はそのまま席に座る。


「何かありやしたらすぐに呼んでおくんなさい、お気をつけて」

「ありがと、先に失礼するわね。お休みなさい、ジューロさん」

「ジューロさん、お休み。また明日」


「うむ、カモミル殿もお休みなせぇ。リンカさんもお休み」

 声を掛けると、リンカは微睡(まどろ)みながらも挨拶を返そうとしてくるが、どうやらカモミルよりもリンカの方が限界が近いようで「ふにゃり…」という言葉にもなってない返事が返ってきたのだった。


 そんな二人を連れてパセリは帰路につく。

 十朗は三人の背中を見送った後、再び祝いの席に戻った。

 快気祝いはゆったりとした雰囲気のまま平穏無事に終わり、夜更けにはお開きとなった。


 空き家に戻ると、道中合羽にくるまりさっさと横になる。


 明日の早朝には出立したかったが、カモミルと別れの挨拶をすると約束したこともある。


 ならば起床はゆっくりでも構わないかな?などと暢気(のんき)なことを考えながら。十朗は眠気に身を任せ、意識を沈めていった───

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