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異界からの漂着《前編》

 

「最善を尽くす」


 これは楽な選択の為にある言葉ではない。

 最善への道が困難であっても、そう言葉にしたなら(スジ)を通さねばならない。


 ましてや己のせいで他人に危害が及ぶのであれば、それを避ける為に最善を尽くすのが道理だろう。


 かつて親分に教わったことが頭の中で渦を巻いている。


 己の情けなさと不甲斐なさ、憤りや焦燥、後悔等のあらゆる感情が複雑に混ざりあい、背中から押し潰されそうな感覚に襲われる。



 二つある奇妙な月明かり───

 深い森の中、黙々と歩き続ける男がいた。


 三度笠(さんどがさ)を目深に被り、手甲脚絆(てっこうきゃはん)薄墨色(うすずみいろ)の道中合羽を身に纏い、腰には長脇差を携えている。

 表情は暗く、険しい顔を見せており、垂れ目がちな顔つきのせいで二十代中頃に見えるが、髭は生えていないので、見た目よりも年若いようだ。


 一目見れば旅姿だと分かるが、それには似つかわしくないことが一つ。

 その男は少女を背負っていた。


 青空のような美しい髪色に整った顔立ち、エプロンドレスのような衣装を身に纏った少女が男の背中で気持ち良さそうに寝息を立てている。

挿絵(By みてみん)

 奇妙な組み合わせの二人だった。

 この状況を見たなら人攫いだと思うかもしれない。


 旅姿の男は黙々と森の奥へと歩みを進めながら、このような事態に陥ったことを思い出していた。



 それは遡ること五日前(いつかまえ)──


 時は江戸後期、天保(てんぽう)



 春、暖かくなってくる季節だが、海上では身に染みるような寒さが残っていた。

 冷たい風が吹く弁才船(べんざいせん)(※いわゆる商船のこと)の甲板で、鶴の描かれた羽織りを着ている男が遠くを見つめている。


稲作(いさく)親分!」

 船内から甲板に上がってきた男が羽織りを着ている男に声を掛けた。

 その稲作親分と呼ばれた男は微動だにせず、遠くを見つめたまま燻銀(いぶしぎん)のような声で返事をする。


「おう、十朗(じゅうろう)か。どうした?」


「この寒さです、お体に障ると思いやして」

 十朗と呼ばれた男が心配そうな声で話し掛ける───


 思えば十朗が親分と出会ったのも、このように冷えた朝だったろうか…。


 稲作親分、その人は───

 天保の大飢饉(だいききん)にて食糧難を解決する為、堅気衆の尽力もあって、各地の農村や漁村と交渉し、(あわ)(ひえ)等を分けてもらうことで村を救った親分…と、されている。


 しかし、この話になると稲作親分は『村を救ったのはワシじゃない、手を貸して下さった堅気の皆様のおかげよ…。ワシは結局、何も出来なかった。そう、何も出来なかったんだよ』と、良い顔はされないが…。


 村を救う為に尽力した事は間違いなく、親分は稲作一家の誇りであった。

 十朗自身も四年前…、それは十三歳の頃。

 飢饉を切っ掛けに一家離散し、それを稲作親分に助けられた経緯があり、格別の恩義を感じていた。


「まだ到着まで二刻(ふたとき)(※約四時間)以上はあるんでしょう?」


 早朝から船旅の準備に明け暮れていたのもあるが兄弟分はみな船内で仮眠をとっている。

 到着後も一働き出来る体力を温存しているのだ、それは親分も例外ではないハズであり、それが心配で声を掛けた。

「これから婚儀ですし、風邪にでもなられちゃ美乃梨(みのり)さんも心配なさいやす」


 この船旅は親分の娘さん──美乃梨さんの婚儀に向かう為のものである。

 美乃梨さんは既に住居を移しており、船の進む先の港で落ち合った後、婚儀が開かれる手筈となっていた。


「なぁに、無理はしてねぇさ、ただ浮わついたこの気持ちを風で冷やしたい気分でな?」

 親分の声に寂しさが滲み出ている。


 無理もない…親分にとって大切な一人娘であり、一家にとっても姉のような存在であった美乃梨さんが嫁ぐのだから…。


「親分、寂しくなりやすね…美乃梨(みのり)さんは本当にいつも元気で気立ての良い、一家の華でござんした」


「うむ、そうだなぁ、寂しくなるなぁ。ありゃ女房に似て、少しおてんばが過ぎるきらいがあるが、博徒の娘としちゃあ健全すぎた」

 染々と親分が言葉を続ける───


「だからワシは安堵しておるよ、娘はこれから堅気として真っ当な人生を歩める…御天道様の元で堂々と生きて行けるんだ…」


 そう言いながら視線をこちらに向けた稲作親分は、驚いたように、そして少し呆れたように目を白黒させる。

「しかしだ!十朗おめぇ、その格好」


 親分の向けた視線の先に、船旅の最中とは思えない旅衣装をバッチリと身に(まと)った十朗が立っていた


 船旅は長く、到着まで先がある…のも分かってるし、普通は楽な格好で休んでいるものだ。

 親分に呆れられるのも仕方のない事だった。


「いやその、どうにも落ち着かねぇんで…」

 十朗は照れたように指で頬を掻いた。


 その様子を見た親分が笑って言う。

「しょうがねぇなぁ?到着まで二刻はあるんだろ?まぁしかし、おめぇのような真面目なお調子者がいた方が、堅気さん方も変に気を張らなくて済むってもんかな」


 笑う親分を見ながら思う。

 本来なら自分のような若輩者(じゃくはいもの)は参列どころか護衛にすらならなかっただろう。


 娘さんの結婚相手が堅気の漁師さんという事もあり、腕っぷしではなく、堅気さんを萎縮させないような人選で随伴(ずいはん)させることとなったのだ。

 船内で休んでいる兄弟分もそうだが、刺青(いれずみ)を彫ってる者はいない。


「婚儀に参列するなんて初めての事なもんで…しかも美乃梨さんの婚儀でしょう?作法も詳しくありやせんし」

 婚儀の場でやらかすと、美乃梨さんの顔にに泥を塗ることになるのではないかと考えると、どうしても体が強張る───


 親分にそう伝えると「ははは!しかしワシより緊張してどうする?」と、再び親分が笑った。


「なんというか、面目ねぇというか…」

「なぁに、祝福する気持ちさえありゃいいのさ。深く考えすぎるから良くねぇのかもな?ははは!」


 しんみりとした雰囲気が和らぎ、雲一つない晴天が広がる船旅日和…。

 このまま順調に船が進んで行く、ハズだった──


(ゴゴォォン…バリバリバリッ…!)


 青天の霹靂(へきれき)とでも言うのか。

 突如として轟音が鳴り響く。


 ぎょっとして二人が空を仰ぎ見ると、そこには青い空を裂いたような黒い稲妻があった…。

(あれは本当に稲妻だったのだろうか?)


 そう思った一瞬の間…。

 稲妻を中心に暗雲がぐんぐんと広がってゆき、風も段々と強くなる。

「こいつぁ、一体…なんなんだ?」


 親分も初めて見るといった顔で空を仰いでいると、異変を感じ取ったのか、船頭さんが顔を出して怒号にも似た声を響かせた。


「親分さん方、何かあっといかん!船内に避難してくんねぇ!」

 船頭さんはそれだけ言うと船乗り達に指示を出し始める。


「あぁ、そうだな!十朗、おめぇも早く──」

 船内に向かおうとした瞬間、船がガクンと大きく揺さぶられ、親分の体が宙に浮くのが見えた。

 このままでは船の外へ放り出されてしまう!


「親分!」

 十朗は叫びながら全力で親分の元へと駆け出した。


 強い風が背中を押し、船ばたギリギリの所で親分の襟首を掴むことに成功する…だが。

 大きく揺れる船では踏ん張りが効かない。

 このままでは二人とも放り出されるのがオチ…ならば!と覚悟を決めた。

「御免!」


 親分との位置を入れ換えるようにグルリと体をひねり、船の中心側──船頭さんがいる場所に向かって親分を投げた。


「十朗!!?」

 親分の叫び声が聞こえた。


「船頭さん!親分をお頼みしやす!」

 海に落ちながらも波の音でかき消されないよう大声で叫ぶ。

 ザブンと海に落ちたがそれでも声が届いたか分からないので不安で叫び続けた。

「あっしは大丈夫だ、死なねぇ!だから親分を頼み──」


 着物が濡れ、波に揉まれ、うまく泳げない。


 身に付けていた振分荷物(ふりわけにもつ)(※小型鞄のようなもの)を浮き代わりにしがみつく。


 死ねねぇ、一家の目出度(めでた)い日に死ぬなんて出来ねぇ!

 せめて生きて帰らねぇと。


 先刻まで快晴だったのが嘘のように海が荒れ、高波までも立っている。

 かろうじて船影が無事なのを確認したことが最後の光景であった。


 ザブリと波に呑まれ暗闇に包まれ、暗い海の中、きりもみにされながら、十朗はその意識を手放していた───



 一体どれくらい流されただろうか?



 どの程度の時間が経ったのか、皆目見当もつかない。気付いた時には砂浜に打ち上げられていた。


 生きている───


 なによりのことだった。

 少なくとも目出度い日に死ぬような事にならず、十朗は安堵した。


 身体に痛みが無いことを確認し、寝そべっていた体を起こす。

 頭がクラクラしたし途轍もない疲労感があったが、体は不思議なほど軽く感じられた。


 ふぅっ!と一呼吸してから辺りを見回す。


 砂浜が広がり雑木林も見える、人の姿は無いようだ。

 空を見ると夕暮れ時になっている。

 日はまだ沈んでいないし、恐らくそう遠くない場所に流れ着いたのだろう。

 幸運なことに、濡れたことを除けば全ての荷物は全て身に付けたままであった。


(まずは人を探さねぇと、ここがどこだか知らねえ事には、帰り道も分からねぇ)

 砂にまみれた体をはたきながら、そんなことを考える。


 一家を乗せた船が無事に到着できたのか心配であった。

 この事を戻り次第、留守を任されている兄弟分に報告しなければならない。


 とにかく、道さえ見つければ人がいる場所へはたどり着けるだろう。

 人が踏み入れた形跡がないか雑木林を注視しながら海を沿うように歩けばなんとかなるはず…そう考えを巡らせていた時だった。


 雑木林の方から朽ち木が折れるようなメキメキという音

 それに加えて悲鳴が聞こえてきたのだ。


 人がいる───


 悲鳴は一人二人のものではないだろう。

 音から察するに倒木に巻き込まれた可能性もあるのだろうか?


 砂浜を蹴り出し、悲鳴のする雑木林へと駆け出す。

 木々を掻き分け、道なき道を突っ切るように走る。


 しばらく進むと、開けた場所に出た。

 踏み固められた地面、けもの道…と言うには幅がある。

 おそらく人の往来がある林道だろうと視線を落とすと、どうにも巨大な足跡が目についた。


(熊か?いや、それにしちゃあ人の足跡にあまりにも(ちけ)ぇ)

 考えるのも束の間、再び大きな悲鳴が聞こえてくる。


 道のさらに先、この巨大な足跡が続いている方向からだ。


 足跡を追って駆け出すと、悲鳴がする場所まであっという間に到着した。

 体がやけに軽いと思ったのは気のせいではなかったようで、林道を凄まじい速度で走る事が出来た。


 普通ならば、走っている途中で木々が薙ぎ倒されたように折れていること。倒木に巻き込まれたにしては断続的に悲鳴が聞こえること…。

 そして、いつもより脚が軽やかで速くなっていることに疑問の一つも浮かんでいたかも知れない。


 しかし、十朗が参じた場所で目にしたモノは、そんな疑問を吹き飛ばすほどの衝撃があった。


 遠目からでも良く分かる、十尺(※約3メートル)はあるであろう巨躯(きょく)


 姿形は人のようであるが、肌は苔むしたような緑色で毛深く、ボロボロの雑巾のような毛皮を体に巻いており、棍棒を振り回し暴れている。

 それはまるで寝物語(ねものがたり)で聞いた【鬼】と呼ばれる存在に見える。


 悲鳴と叫び声、逃げ惑う人々。


 鬼に対して農具を持って応戦している男達も見えるが、その周囲には血を流し倒れる人や、怪我をして動けないのか(うずくま)る人もいた。


 危機は一目瞭然であった───


 鬼はまだこちらの存在に気付いていないようで、応戦している男達に向かって棍棒を振るっている。


 十朗は馳せ参じた足取りのまま、長脇差(ながどす)をするりと抜き、全速力で距離を詰めた。

 鬼の足首に狙いを定め、背後から勢いよく刃を振り下ろす。


 ヒュンッ──!


 風を切るような音と同時に、鬼の足首が切断される。

「グァ…ギャァァー!?」


 突然の一撃に、鬼がたまらず絶叫を上げ、片膝をついた。

 その切断した足から緑色の血が流れている。


「堅気衆は下がってておくんなさい!」

 応戦していた男達に向かい、一言だけ発する。


 その声に気付いて鬼はようやく足首を切り落とした男の存在を認識したようで、視線を十朗に向けると、苦悶の表情から憤怒へ、その形相を塗り変えた。


 目が三つ…口は裂けたように大きく、その口からは発達した牙が覗いている。

 頭部に毛がないものの口髭は伸びており、巨躯も相まって迫力を感じた。


「グォ…オオオォッ!!」


 怒りの雄叫びを上げ棍棒を振り回し始めるが、鬼は足首を切断され自由に動けない時点で、既に勝負は決していた。

 十朗は常に背後に回り込むよう翻弄し続ける。

 そうして血を流し続けた鬼の動きが鈍くなったのを見逃さず、首筋めがけて刃を振るうと、鬼の首が飛んだ───


 泣き別れになった首、その鬼の目は驚愕に見開かれた後、地面に転がると命が途切れるように光を失う。


 寝物語だと、首だけになっても襲ってくる妖怪の話を聞いたこともあるので警戒を解くことができず。十朗は鬼の首から目を逸らせなかった。


 転がった首をじっと改めていると、背後から声を掛けられる。


「あの、助けてくれてありがとう!…ございます!」

 振り向くと男と少年が立っていた。


 十朗はこれにも驚いた。二人とも頭髪の色が黒とは違うし、瞳の色も各々違う。


 男の方は髪と瞳が赤茶けた色をしており、少年の方は金髪に青い瞳をしている。

 (マゲ)を結ってないのもそうだが、着物も自分の知るものとは違っていた。


 話には聞いたことがあるが、いわゆる南蛮人…という者だろうか?

 どう見ても異国の人間が流暢(りゅうちょう)日本語(ひのもとことば)で話し掛けてきたのも驚きだった。


「いや、礼には及びやせん、それより怪我人を看てやっておくんなさい」

 少しばかり驚いたが、平静を保ったフリをして、返事をする。


 その言葉を聞いた二人は、各々(それぞれ)倒れている者や怪我人に駆け寄ると安否を確認し始めた。


 周囲をチラリと見やれば、彼らだけでなく他の人々も様々な髪色と、見知らぬ着物をしているのが分かる。


 しかし辺りは酷い有り様であり、とても道を()けるような状況ではなかった。

 かといって怪我人を看てやれるような知識も持ち合わせていない。

 どうしたものかと掛ける言葉を探していたら、先ほど声を掛けてきた内の一人、金髪の少年が駆け寄ってくると、十朗に話掛けてきた。


「剣士さん、お願い!どうか僕らの村を助けてくれませんか!?」

 どうやら助太刀の申し入れらしい。


「村を襲って来たのは今の【トロール】だけじゃないんだ!」

 少年に経緯(いきさつ)を聞けば、村を襲撃されたが、動ける若い女子供を率先して逃がし、他所の町まで助けを呼びに向かわせ。

 一方で動けない者は村に隠れつつ、残った男達で時間を稼いだり囮になったりしているとの事だった。


「だから村には人がまだ残ってて…」

 少年が頭を下げる。

「どうか、どうかお願いします!助けてください!」


(…十朗、堅気さんがワシらのような者に助けを求めてきたなら…手を差しのべてやるのが(おとこ)ってもんだ。ワシらのような人間に(すが)るしかなくなった瀬戸際の人なんだ…分かるか?)

 ふと、親分の言葉が脳裏に浮かんだ。


(分かってる、人生の瀬戸際…そこにいる人をあっしらのようにしちゃ、いけねぇんでしょう?)

 十朗は心の中で親分に言葉を返すと、少年に声を掛けた。


「一刻の時間も惜しいでしょう、その村までの道案内。お願いできやすかい?」




 ───十郎達は林道から外れ、雑木林を進んでいく。


 少年が言うには村までの最短距離らしい。

 逃げ出す時にも同じように近道としてここ通ってきたらしいが、運悪く先程の鬼──いや、トロールとか言うらしいが。

 それに見つかり追われていたのだそうだ。


 その名残なのか、木々が打ち倒されていて獣道が出来上がっており、そこを少年と共に走り抜けている。

 少年は村でも脚の速さには自信があるらしく道案内を買って出てくれた。

 かなり脚が速く、大人顔負けの飛脚(ひきゃく)のようだった。


 先ほど助けた人達は、救援を求めにそのまま町へ向かうらしいが、恐らくそれでは村に残された者たちは手遅れになるだろう。



 走り続けて四半刻(※15分)いや、それよりも速く到着しただろうか?


 木造の塀で囲まれている村───

 もっとも、今はそれらは破られているようで、内側から激しい音が聞こえ、土煙が巻き起こっていた。


「ここまでで十分だ、おめぇさんは戻りなせぇ…」

 案内してくれた金髪の少年に声を掛けた。

 全速力で案内してくれたので少年は息を切らしているが、ここが危険な場所と化してるならば、早めに離れてもらった方がいいという考えだった。


「はぁっ…はぁっ……で、でも…!」

「不安なのは分かりやすがね、人には役割ってもんがあるんで」

 それだけ言うと少年をその場に残し、十朗は塀の内側へ入っていく。


 まず村に足を踏み入れると目についたのは瓦礫の山だった。

 農具や槍を持った男達がそこかしこに倒れており、強い血の臭いが辺りに充満している。


 最期まで抗ったのだろう…。

 手を合わせて(とむら)ってやりたいのは山々だったが、今はそれどころではない。


 周囲を警戒しつつ、何かを壊すような音のする方へと向かっていくと、先程のトロールという化け物を視認できた。


 一匹は瓦礫の山を棍棒で殴り続けており、残りの二匹は瓦礫から何かしらを(あさ)って食べている。


 見えているだけで三匹───


 他にもいるかも知れないが、一匹は瓦礫を殴ることに集中しており、残りの二匹は武器を置いたまま食事に夢中ときてる。


 十郎は意を決し、長脇差に手を添え走り出す。


 まずは棍棒を瓦礫に振るっている方へと距離を詰め、背後からその首目掛けて長脇差を振るった。


 ザシュッ──!!


 気が急いたからか、踏み込みが足らず一撃では仕留められなかった。

「ガアァァアアーッ!?」


 相手に絶叫を許してしまう。

 残り二匹の、トロールたちの三ツ目が驚愕に見開かれ、こちらに視線を向けたのが見える。


(流石に、気付かれるか!)


 十朗は軽く舌打ちをすると、絶叫を上げたトロールの首に向かって、再び刃を()いだ

 トロールの首と胴体が泣き別れになり、絶叫がピタリと止まる。


 十郎は、飛んだ首には目もくれず、間髪入れずに残りの二匹に飛び掛かった。


 それを見たトロール達は、一匹は武器を取りに向かい、もう一匹はこちらに素手で殴りかかってくる──

 十朗は体を屈めて拳を避け、体をひねりながら刃を振り上げた。

 自分でも驚くほど簡単に、トロールの腕が斬り落とされた。


「ギャガッ!?」

 振り上げた刃をそのままトロールの顔面に振り下ろし、脳天をカチ割る。


「ガ…」

 今度は絶叫を上げる間もなく、トロールは絶命した。


 残された最後の一匹に目をやると、そのトロールは既に棍棒を手にとっていたが、狼狽の表情を浮かべている。


「ウボッ!グボッ…グオオッ!」

 トロールが声を上げ、(きびす)を返したように退散していく。


 追撃しようかとも思ったが、退散していく大きな足音が他にも一つ聞こえた。

 恐らく、もう一匹トロールが潜んでいたのだろう。うかつに深追いするのは危険と判断し、止めておいた。


「ひとまず、終わりやしたかね?」


 はぁ~っ!と深く息をつくと、十朗は再び辺りを見回した。

 潰されている者、腕や足があらぬ方向に曲がり血を流している者、その誰もがピクリとも反応を示さなかった…。


「誰かいねぇかい!?」

 大声で叫んでみる。


 残された人がいると聞いていたが、皆殺しにされてしまったのだろうか?


「おぅい!生きてる人はいねぇのかい!?」

 いくらか無事な家は残っていたものの、そのどれにも人の気配はない。



「剣士さん…」


 不意に背後から声を掛けられ、十朗はビクリ!と体を跳ねさせ驚いた。

「ぬあっ!?……驚かせねぇでくださいよ…」


 振り向くと、そこには案内してくれた少年が立っていたが、顔は青ざめ、今にも泣きそうな顔をしている。


 無理もないだろう。

 そこかしこに(むくろ)となった人達が倒れているのだ。


「あまり聞きたくはねぇが、倒れてる人が残りの村人全員なので?」


「……いえ、怪我や病気で動けない人とか…お年寄りとかも…残ってたハズですけど…」

 少年は首を横に振ると絞り出すような震える声で答えた。


 十朗は少年の傍に近付くと、背を屈めて目線を合わせる。

「左様で…。しかしまだ生きてる人もいるかも知れやせん、手分けして探してみやしょう」


 こくりと少年が(うなず)くのを見て、十朗も頷き返した。

「そういや名前を聞いておりやせんでしたね、あっしは十朗と申しやす」


 十朗に名前を訊かれた少年はおずおずと答える。

「ボクは、カモミル…って言います」

「カモミル殿、諦めちゃいけねぇ。きっと無事な人もおりやすよ」

 十朗なりに励ますと、二人で手分けして捜索することになった。


 人が瓦礫の下敷きになっている可能性もあったので、大声で呼び掛けた後しばらく静かに耳を澄ます。

 瓦礫に向かって、これを何度も繰り返す。


 地道な作業ではあるが一軒ずつしらみ潰しにやるしかなかった。


「ジューロさん!ジューロさん!」


 慌てたカモミルの声が聞こえ、こちらに走ってくるのが見えた。

 名前が微妙に間違われて覚えられているが、この際それはどうでも良いだろう。


「誰かおりやしたかい?」

「いたよ!手伝って欲しいんだ!」

 ついてきて!とカモミルが走り出したので、その後を付いていく。


 案内されたその場所は、トロールとやらが一心不乱に殴りつけていた瓦礫であった。

 今にして思えば、アレが執拗に殴っていたのは人が隠れていたからなのかも知れない。


「ここ!ジューロさん!地下に避難してたみたいなんだけど…」

 呼ばれてカモミルのいる場所に近付くと、確かに声が聞こえた。


「カモミル!逃げなさいって言ったでしょう!お母さん達は大丈夫だから…」

 瓦礫が邪魔をして聞こえ難かったが、話から察するに、どうやらカモミルの母親が閉じ込められているらしい。

「大丈夫だよ、母さん!今助けるから待ってて!」

 声のする方に向かって、大きな声でカモミルが返していた。


 よく見ると、既に少し瓦礫がいくつか退()けられている…。

 カモミルの手が黒く汚れてるのを見ると、慌てて自分だけで掘ろうとしたのだろう。


「ジューロさん、お願い!これ、二人ならなんとか退()かせないかな?」

 カモミルが指差した場所に、大きな土壁のような瓦礫が倒れている。

「わからねぇが、まずは試してみやしょう」


 二人でその瓦礫をつかむと「せーの!」という掛け声と共に全身に力を入れる。


 ゴバァッ──!!


 結構な大きさの瓦礫だったが容易(たやす)く持ち上げるができた。

 この少年──カモミルは相当な怪力の持ち主なのでは?

 視線を瓦礫からカモミルに移すと驚いた表情をしていた。


「ジューロさん、ボク必要だったかなぁ…?」

 尻餅をついて手を離してしまっていたらしく、どうやら瓦礫は十朗一人の力で持ち上げていたようだ。


 退かした大きな瓦礫を見るが、一人で持ち上げた実感は湧かなかった。


「いや、おめぇさんが(いく)つか退かしてくれてたお陰でしょう」

 ともかく今は、そんなことを考えている暇はない。


 砂のついた手をはたきながら次の瓦礫に手を延ばし、次々と退かしていく。

 カモミルもそれに続いて邪魔になりそうな瓦礫を取り除いてくれた。


 そうして二人で作業を続けていると、地面に寝そべるような板戸が見えてきた。


「母さん!もう大丈夫だよ!今開けるから」

 カモミルが板戸に駆け寄ると、取っ手を持って懸命に引っ張る…。

 しかし板戸が曲がっているからか、びくともしない


 その様子が地下からでも分かったのか、内側から心配する声が再び聞こえた。

「カモミル、お願いだから無理はしないで…私達が押し上げてみるから…」


「わ、分かった…」

 カモミルが板戸から離れると内側からガン!ガン!と音がする。

 数人で体当たりしているようだが一向に開く気配がない…。

 (らち)が明かない気がしたので十郎はたまらず、ある判断を決めて、板戸の内側に向けて声を掛けた。

「みなさん方、あっしが開けれるか試してみやす」


 体当たりしているような音が止むと、今度は板戸の内側から男の声が聞こえた。

「あ…、あなたは?」

「夕暮れまで時間もねぇんで、紹介は終わってからにしやしょう、下がってておくんなさい」


「…分かりました、お願いします」

 そう言うと男は、内側にいる人と一言二言交わすと奥へと引いて行った。


 人の気配が無くなるのを確認した十朗が、取っ手に手を掛け勢いよく───


 …ポキン!


「あ」

「うっ?!」

 カモミルと目が合う───


「今の音は?」


 内側から先ほどの男の声が聞こえた。


「あっ、いや。気にしないでおくんなさい」

 カモミルから視線を逸らし、するりと鞘から長脇差を抜いて構える。


 長脇差を使って板戸を斬ることで、取っ手代わりの穴の一つでも出来ればいいとの算段だ(本来こういう使い方は、武器を痛めるのでしたくはなかった)。


 気を取り直して、十朗が刃を振り下ろすと、スパッと…まるで豆腐を切ったように板戸が裂けた。

 十郎自身もその切れ味に驚いたが、すぐに頭を切り替え、板戸の裂けた隙間に手を掛ける。


 板戸を引き剥がしていくと、地下に延びる階段が目に入り、カモミルと共に中の様子を伺う。

 夕焼けで日が入りにくくなっていて見え難かったが、奥には多くの人が身を潜めているのが分かった。


「母さん!みんな!大丈夫!?」

 カモミルが地下に降りていく。

 そこから再会を喜ぶ話声や泣き声が聞こえてきた。


 十朗は地下に入らず、周囲の警戒を続けていた。


 しばらくすると階段を上る足音が聞こえてきて、人が出てくる姿が見えた。


 二十人ほどは居ただろうか?

 そのほとんどが年配で、他には怪我をしている者が数人。

 カモミルが肩を貸して出てきた女性も同様か、足を引きずりながら出てくるのが見える。


 そうして出てきた人々の中から、髭を生やした中年の男が十郎の前に一人出てくると、深々と頭を下げた。


「剣士様、ありがとうございました。私は村長のリカブト、村を代表して御礼を申し上げます」

 声から先ほど扉で会話した男だと分かった。


「いや、礼には及びやせん。あっしは十朗と申しやす」

 三度笠を外して頭を下げる。


「村を助けていただいた御礼を…したいのは山々なのですが……」

「いや、そいつは別に構わねぇこって。それより他にも生き残りがいるか、探さねぇとならねぇでしょう?」


 目の届く範囲に倒れている者達が息絶えているのは既に確認している。

 しかし、見落としがあるかも知れないし、他にも瓦礫の下敷きになっている者もいるかも知れない。


 出来れば日が沈む前には一通り調べておきたい。そう村長に伝えると、今いる村人全員で捜索にあたることになった。


 人手が増えるのは有効で、日が沈む頃には村をくまなく探し終えることが出来た。

 他にも瓦礫に埋まっていた者もおり、怪我こそひどかったが三人の生き残りを見つけ出すことも出来た。



(長い一日でござんした…)

 と、そう思う───


 村の女衆が怪我人を観ている間。十郎と村の男衆は、散り散りに倒れていた亡骸を一ヶ所に集め、日が沈む頃には全てムシロに包んでやることが出来た。

 埋葬は明日になるらしい。


 家を壊され失った村人と共に、今は空き家となっていた場所を借りて休んでいる。


 最初は村長やカモミル達の家に招かれたのだが断った。

 寝床が無事なら怪我人を優先させるべきだろう。


 共に泊まることになった村人たちから代わる代わる御礼を言われた。

 なんというか、こそばゆい感じではあったが悪い気分ではなかった。

 こんな状況下で不謹慎とは思いつつも、親分に近付けたような感じがして少し嬉しかった。


 村人さん方に、逃げた他の村人たちの安否などを色々と聞かれたり、トロールとどうやって戦ったのか等を聞かれたりした。


 そのトロールで思い出したことがある。

 十朗が、実は二匹ほど取り逃がしたことを伝えると、村人たちの顔が少し青くなるのが見えた。


 少しだけの沈黙があったが、十朗には別に聞きたい事がある。

 彼らに申し訳ないとは思うが、聞いておくべきだろうと口を開いた。

「あの、村人さん方にお尋ねしてぇことがありやして、よろしいでござんすか?」


「…あっ、はい!私らに聞けることなら何でも!」

 村人たちがハッと我に返る。


「日ノ本という国をご存知ですかい?」

「ヒノモト…?」

 十朗の言葉を聞いた村人たちが互いに顔を見合せあう


「…聞いたことある?」

「知らないわねぇ…近所じゃないわよねぇ」

「村長なら…どうだろ?知ってるかな?」

「あんたは知ってるかい?」

「いやー知ってる地名なんて、王都と近くの村ぐらいだよ」


 …どうやらここにいる人達は誰も知らない様子である。

 十朗は少し質問を変えることにした。

「すいやせん、では。この村の名前を聞いても?」


「あぁ!それなら【イゼンサ村】って名前ですよ」


「いぜんさ村?でござんすか…」

 今度は十朗が首を(かし)げた。


 自分がこの村の名前に聞き覚えがないのは当然として、もし、ここが日ノ本だったなら、最初に日ノ本の場所を尋ねた時点で笑われててもおかしくはない。


(やはりここは異国の、いずこかなのだろうか?)


 そんなことを考えていると玄関口から声がした。

「ごめんください、皆さん、いらっしゃいます…よね?」


 視線をそこに向けるとそこに女性が立っていた。

 金髪に青い瞳、長い髪を縄のように結ったような不思議な髪型をしている。


 よく見ると、カモミルが肩を貸して地下から上がってきた人であった。


「少ないですけど、食事を持ってきました!皆さんで召し上がってください」

 そう女性が言うと、女性の後ろから鍋を持ったカモミルが入ってくる。


「こんばんは!」

 カモミルがそう挨拶をしてから鍋を机に置くと、女性は持ってきた人数分の器に()いでいくと、注ぎ分けたものをカモミルが手際よく配りはじめる。


 鍋は質素なもので、豆をすり潰した粥のようであった

 器と一緒に渡された木製の匙を使い、ゆっくりと啜る

 豆の仄かな甘味が空腹に染み渡るようだった。


「あの…ジューロさん」


 名前を呼ばれ、粥から視線を女性に向けると、先程の女性が立っており、ペコリと頭を下げる。

「助けていただいてありがとうございます、なんと御礼を言えばいいのか…」

「いや、出来ることをしただけなんで。どうか顔を上げておくんなさい」


 その言葉で女性が顔を上げる。

「あの…息子は、ご迷惑を掛けてなかったでしょうか?」

「息子??」

 十朗はその言葉を聞いて、そんなに幼い子を見掛けただろうかと頭をひねる。


「あっ、すみません!紹介が遅れました…私はカモミルの母で、パセリと申します」

 ずいぶんと若く見えたが、あの少年の母親らしい。


「ご丁寧にどうも、パセリさん。堅気さんに名乗るほどの名前じゃござんせんが、十朗と申しやす」

 軽く会釈をして話を続ける。


「カモミル殿は立派でござんしたよ。人を助ける為に一日中、駆け回っておりやした」


 こうやって無事な人がいるのはカモミルの尽力があったからに他ならない。

 そうパセリさんに伝えると、少しだけ彼女は顔をほころばせた。


「それに、こうやって飯を分けて頂いておりやすし…あっしも世話になってる次第でござんすから」

 そう言って十朗は粥を飲み干した。


「あの、おかわりなどはいかがです?」

 気を遣ってくれたのだろうか?パセリさんがそう聞いてくる。


「いや、十分ご馳走になりやした」

「お口に合わなかったとか…」

 不安そうにパセリさんが聞いてくる。


「そういうことはありやせんよ…ただ、腹を満たし過ぎると、次に飢えた時がツラくなりやすので」

 十朗はそう言って、空になった器に向けて手を合わせるのだった──



 村人全員が食事を済ませるのを見て、カモミルが村人から器を回収している。

 全ての器を空になった鍋に入れて片付けるとカモミルがパセリに声を掛けた。

「母さん、これで全部だよ!」


「ありがとうカモミル、それじゃ皆さん…お休みなさい」

 頭を下げて挨拶をするパセリに続けて、それに(なら)うようにカモミルも頭を下げて挨拶をする。

「みんな、おやすみ」


 村人それぞれが挨拶を返すのを見届けながら、二人は帰っていった。


「じゃあ、私らも寝ましょうか」

 村人の誰かからそんな声が掛かると、各々ごろりと床に横になり始める。


「ジューロさん、寝心地が悪いなら何時でも言ってくれ…ベッドという訳にはいかないが、私らの敷物を重ねればいくらかマシになるさ」


「ベッド?良く分からねぇが…その心遣いだけありがたく頂戴しときやす」

 彼らの話からたまに聞き慣れない言葉が出てくるが、何故か不思議と理解できたりするし、会話になるのであまり気にしないでおいた…。気にする余裕がないとも言うが。


 そもそも、なぜ異国の言葉が通じるのか、なぜ理解出来るのか…それも不思議だったが。


 なにより今日は、もう疲れた。今は体を休めることに集中しよう。


 そう考え、十朗は道中合羽にくるまり長脇差を抱くように横になると静かに目を閉じた。



 ───夢を見た。


 稲作親分とその娘…美乃梨さん。

 美乃梨さんの隣にいるのは新郎の漁師さんだろうか?

 一家の皆も一緒にいる。


 晴れ姿に身をつつんだ娘を見て感極まる親分の姿、それを慰めたり、一緒に泣いたりする兄弟分たち。


(めでてぇ、良かった…無事に婚儀は出来たんですね)

 自分の事のように嬉しかった。


 祝福の言葉を一つ掛けようと、十郎は親分と新郎新婦に近付こうとしたが、一向に近付くことは叶わなかった。


 唐突に足元が波に掬われる感覚に襲われる。

 そこで十郎の目が覚めた───


 目を開くと、寝る前に見ていた天井が視界に入る。


(夢でござんすか…)

 それとも、今が夢の中なのだろうか?


 自分の(ほお)を思い切りつねると、ジンと確かな痛みを感じた。


 外からは鳥の鳴き声が聞こえ、窓から朝日が差している。

 既に部屋には誰もおらず、十朗は外に出てみることにした。


「おはようございますジューロさん、少しは眠れました?」

 玄関口で年配の女性に声を掛けられた。


 どうやら掃除をしていたらしく、箒を持っている。


「お早うござんす、お陰でしっかりと眠ることができやした」

 そう言って、軽く辺りを見回してみる。


 改めて見ると、今まで見てきた日ノ本の建物とは違った家ばかり並んでいた。

 いくつか瓦礫となっていたが、その違いは明らかだった。


「ところで他の皆さんは、どちらに行かれたので?」

「あぁ、それなら塀の修理や片付けに向かってますよ?」

 そう言うと指で方向を示してくれた。


「村長さんもそこにいると思うから、昨日の事も聞いてみると良いかもねぇ…ヒノモト?だったかい?」

 この女性は昨日の話を気に掛けてくれていたようだった。

「えぇ、ありがとうござんす…それでは」


 少しだけ話を伺ってくるつもりで村長の姿を探す。

 女性に言われた方向に進むとすぐに村長を見付けることが出来た。

 昨日倒したトロールの近くに村長を含め、数人集まって話し合っている。


「おはようござんす」


 十朗が集まってる人に挨拶をすると、皆が振り返り挨拶を返してくる。

「おはようございます、ジューロ様…で、宜しかったでしょうかな?」

 やはり名前を微妙に間違えて覚えている様子だったが、特に訂正を求めるほどの名前でもないと思うので、そのまま頷いた。


「えぇ、改めて自己紹介させて頂きやす。十朗と申しやす。それと、あっしは様を付けるほどの名前でもございやせんよ」

 軽く頭を下げて挨拶をする。


「そんな畏れ多い、ジューロ様はこの村を救ってくれた方なのですから」


「…恐れ入りやす、ところで話を変えやすが。村長さんにお聞きしたいことがござんして」

「あぁ、ヒノモトという国についてですかな?」

「ご存知で?」


「いえ…、実は他の者に先ほど聞かれまして、私もヒノモトという名前は初めて聞きましたし。お力になれず申し訳ないのですが…」

 村長が深々と頭を下げた。


「とんでもねぇ、知らねぇならそれは仕方のない事でござんす。あと、もう一つ聞きたい事がござんして」

 少し気まずそうに十朗が続ける。


「村長さんの名前は…なんと申しやしたっけ?」

 異国の人の名前は覚え(にく)かった十朗であった──

(※ちなみに村長の名前はリカブトである)



 イゼンサ村のはずれに墓地があり。十朗は、村人の亡骸を埋葬する手伝いをしていた。


「すまないねぇ、ジューロさん…手伝ってもらっちゃって」

「これくらいは大したことありやせんよ、この方で最後でござんすね…」

 各々が最期の挨拶を言い終わるのを待って、埋葬をした

 指と指を組んでから祈る村人たちの横で、十朗も同じく手を合わせ、冥福を祈った。


 村に戻るとトロールの死骸が未だに転がっている。

 その近くで村長達が話し合っていた。


 このまま放置すると、腐って流行り病の原因になるだろうとの事で、人の立ち入らないような森の奥へと捨てに行くことになった。


 しかし、あの巨躯を乗せれるような荷車などはないので、トロールの体に縄を巻き付け引き摺り出すことにしたのだ。


「ジューロさん!こっちまで、お願いします!」

 カモミルが申し訳なさそうに、遠慮がちな声で十朗を先導している


「承知しやした」

 十朗はというと、縄で固められたトロールを一人で引き()って運んでいた。


 始めは皆で引っ張っていく予定だったのだが、十朗一人の力がひたすらに強く、単独で運んだ方が早いと判断したのだ。


「ジューロさん!ここ!ここなら人が来ることはないから」

 十朗はいわれた場所にトロールを破棄すると、手拭いで汗を拭い、一息入れた。


「ジューロさん…本当に全部一人で運ぶの…?」

 心配そうにカモミルが聞く

「一匹くらいなら…村のボク達みんなで運べると思うんだけど…」


「いや、これで良うござんす」

「でも…」


「取り逃がしたトロールがまだおりやすし、運んで疲弊してる所を堅気さん方が襲われたら、たまったもんでもねぇでしょう?」

「あっ…」

 カモミルは言われて気付いたようだ。


「それに残った人には見張りをして貰っておりやす。村には見張り台の代わりになる家もいくつかありやしたし、急な襲撃があっても、こちらに知らせる事になっておりやす。まぁ、その時はまた何とかなるでしょう…たぶん」

 それでも大丈夫とは言い切れないが、と付け加えた。


「…あの、ボクは何か役に立てるのかな?」

「ん?」


「今も道案内しただけだし…」

 自信なさげにカモミルが呟く。


 それを見た十朗は少しだけ考え込んだ後、口を開いた…

「これはあっしの親分の受け売りだが、役割ってもんで…」

「役割?」


「おめぇさんは親の為に……パセリさんは見たところ脚が悪いんでしょう?その脚代わりとして負担を掛けねぇよう、一生懸命に良くやっておりやす…」


「でもそれは」

「それに…」

 カモミルの言葉を少し遮るように、言葉を続ける。


「あっしも助かっておりやすよ…おめぇさんは足が速い、そんなおめぇさんが先導してくれる事で…どんな危険が迫って来ても、疾風のように知らせてくれるという安心感がありやす」


 当たり前と感じてることでも、他人(ひと)の助けになっていることがある。

 自分がやれることをやってるなら、胸を張っていいのだとカモミルに伝えた。


「さて、戻りやしょうか!道中(どうちゅう)頼りにしてやすぜ…カモミル殿」

「ッ…はい!任せて、ジューロさん!」

 沈んでいた声から少しだけ元気が戻ったようだった。



 村と森の往復は大変ではあったが、カモミルが気を利かせ、村のことや周辺の事など、色々な話を交えながら先導してくれたので、あまり時間を感じることなく作業が出来た。


「こいつで最後でござんすね」

 十朗がドカッっと、トロールの頭を置いた。


「ジューロさん、お疲れ様!帰ったら…お昼にしよう!」

 カモミルの腹がぐぅ…となるのが聞こえ、その音に思わず視線を向けると、カモミルは恥ずかしそうに顔を赤くしていた。


「そういや朝から何も口にしてやせんね…」

 日は高くなっており、もう昼は過ぎているだろう。

 十朗も、なんだかんだで腹は減っていた。


 道中、カモミルに聞いたことだが。トロールによって村の倉庫が荒らされていたらしく、食糧はほとんど残ってないとの事だ。


 昨日の豆の粥は、カモミルの母親…パセリたち家族の食糧を分けてくれたものらしい。

 改めて礼を言わなければ…と考えながら村に歩を進めていた。


 村に戻る道すがらに小川がある…。

 手と手拭いを洗い、持ってきていた竹の水筒に水を汲む。

 腹の足しにする為だ。


 魚を獲ることも考えたが、帰りが遅いとカモミルの母親にも要らぬ心配をかけると思い、その場を後にした。



 村に戻ると、パセリさんと一人の男が待っていた。


 男は茶色い髪をしており、背が高く、体の至るところにサラシのような布を巻き付けている…。

 男をよく見ると、瓦礫から助けた者の一人であることに十朗は気付いた。


「二人共おかえり!」

 体中が布だらけの見た目に似合わぬ元気な声で、男は二人を出迎えた。


「父さん!!」

 カモミルがそう言って駆けていくと、父親であろう男に抱き付いた。


「あだだだだだだ!!!カモミル、ストップ!ストーップ!」

 痛がる父親をカモミルが慌てて離した。

「あっ、ごめん!父さん」

「もう!あなたったら…、すみませんジューロさん、お見苦しいところを…。まだ動かないように言ったんですけど…」

 パセリさんが溜め息をつきながら(こぼ)した。


「そう言うな、命の恩人にお礼をどうしても言いたくてな?それに異国の人を見る機会もあんまりな──」

 そこまで言って、パセリさんが旦那さんの尻を叩いたのが見えた。


「あいっ…たぁ!!」

「もうっ!本当すみませんジューロさん、この人はバジール──」

「あー、あっ!自分で自己紹介するから!待った!」

 パセリさんを男が制止すると、一つ咳払いをした後、十朗に向かい頭を下げて自己紹介した。


 彼の名前はバジールと言うらしい。


 話によると、息子のカモミルを逃がし妻を匿った後、囮として村に残りトロールを相手取っていた男衆の一人だそうで、トロールに投げ飛ばされた後、瓦礫に埋まり気絶してしまったとの事だった。


 目が覚めた後、パセリから十朗の事を色々聞いていたらしく、カモミルや村の事をいたく感謝された。


 十朗は、昨日パセリさんから食事を分けて頂いたこと、そして今日の先導役としてカモミル殿に世話になったことの感謝を伝え、頭を下げる。


「世話になったのはあっしの方もなんで、先日はありがとうございやした」

「いやぁ、本当に嬉しいことを……痛たた」

 深々と頭を下ろそうとしたバジールが痛がる。


「あっと、無理はなさらねぇでくだせぇ」

「あなた!変に調子に乗らないで大人しくしといて下さい!」

 パセリがバジールをまた軽く叩く。

「いだだだ!ごめん!あだだーっ!」

「父さん母さん!もう…恥ずかしいからやめてよ!」


(良い家族でござんすね…)

 カモミル達のやり取りを見て十郎は思っていた。


「あっ、そういえば…!もう食事の用意ができてるはずだな」

 思い出したようにバジールが言うとパセリも続ける

「あら!いけない、忘れるところでした…ジューロさん、こっちです」


 ついてきて下さいと言われ、招かれるままにバジール夫妻に付いて行く。


 細かい瓦礫は片付けられ、村を囲む塀も少しだけだが修繕が進んでいるようだった。


 村の様子を眺めながら進んでいくと、他と比べて少しだけ大きな家の前まで来た。

 その庭先で、村の方々が机を囲んで椅子に並んでおり料理を用意してくれていた。


 一人の村人がこちらに気付いたかと思えば、こっちこっちと村の人達が手招きして呼んでいる。



「ジューロ様、重ね重ねありがとうございました。心ばかりの御礼ですが、一緒に食事でも…」

 村長さんが代表して挨拶をすると隣の席を勧められた。


「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきやす」

 軽く会釈をしてから村長さんに促されるまま席に着き、三度笠を外す。

 それを見たカモミルも十朗の隣に座った。


 机の上には各々に料理が並べられている。

 恐らく芋を蒸かして潰したものと、昨日の豆の粥に山菜が加えられたもの、見たことがない木の実…。

 そして少し茶色くて丸い形をしたものが置かれていた。


「では…皆さん」

 村長が両手の指と指を組み合わせると目を瞑る。


「大地の神、そして精霊のお恵みよ…その糧に感謝いたします…」

 他の村人達もそれに続いて同じく感謝の言葉を口にしてから食事を摂りはじめる。


 なるほど、これがこちらでの作法なのであろう。

 十朗は両手を合わせ「いただきます」と、その一言だけを発して食事を摂りはじめた。


 茶色くて丸いものはパンと言うらしく、食べ方がわからなかったが、隣に居てくれたカモミルが色々と教えてくれたお陰でつつがなく食べることができた。


「ジューロさんが化け物を片付けてくださったから、手の空いた私らが山菜を獲りにね?」

「さすがに肉とかは無理だったけどな!ははは!」

「川に罠を仕掛けといたから、明日にゃ魚が捕れてるといいんだが…」


 食事を終えて村人たちとそんな話をしていると、村長から声が掛けられた。

「実は折り入って、ジューロ様の腕を見込んで、ご相談がありまして」

「ん?なんでござんしょう?」

 一宿一飯の恩…というワケではないが、話だけでも聞いてみる。


「厚かましい願いだとは思ってますが…、森に住む【魔女】の事を探って欲しい次第でして」

「魔女…?とは一体なんでござんすかい?南蛮…いや、異国の事にはなにぶん(うと)いもんで…」

 素直に聞き返す。


「魔術を使い…厄災をもたらす悪魔の遣い、とでも言いましょうか…」

「魔術…?悪魔…?」

 再び知らない言葉が出てきて十郎が首をかしげながら聞き返す。


「すまねぇ、厄災という言葉だけは知っておりやすが…」


 村長が顎髭をさすりながら「うーん…」と考えると言葉を選んで再び話をしてくれた。


「えー…すみません、あの…トロールを不思議な力で操って、村を襲った元凶の女…ではないかと疑っておりまして、それを探ってきて欲しい…と、思っている次第ですな…はい」


「なるほど!」

 十朗は、ようやく理解ができた。


 しかし同時に、隣でそれを聞いていたカモミルから声が上がる。

「待ってよ村長!?あの人がそんなことするワケないじゃないか!」


 カモミルの言葉を皮切りに、村人たちも各々に話をし始める。


「確かに、あの子がそんなことをするとは思えないわねぇ…」

「だけど、あの母娘(おやこ)が来てからだろ?化け物が森から下りてくるようになったのは」


「そこは偶然かも知れないだろう、薬草とかも売りに来てくれるしウチは助かってるが」

「確かに魔法は使えるみたいだけどねぇ、でも珍しいワケでもないでしょ?」


「でも…あの母親ずいぶん前に、娘はそういうのは使えないって嘘をついてたって。隠してたのはちょっと気にはなるなあ…」

「あの森に住んでて無事ってのも、確かに不思議だけど…」


 色んな話が飛び交っている。


 今一つ内容が理解が出来なかったが、話を聞く限りは悪い人間じゃなさそうに思える。

 そこで、一つ提案してみた。


「要するにトロールとやらさえ何とか出来れば問題ねぇんでしょう?」


 その一言で村人の皆が一瞬だけ静まり、少しの沈黙の後…リカブト村長が静寂を破る。

「引き受けて下さいますか?」


「その女の人については…よく分かりやせんが、トロールだけは何とか出来たらとは思っておりやす」


 村人たちがザワめいた…。

 ざわめきの中、バジールが村長に声を掛ける。

「リカブト村長、確かにジューロさんは腕が立つみたいだけどね?あまり危険な事を頼むのは反対ですよ」


 続けてバジールの隣にいたパセリも声をあげる。

「そうですよ、もう充分すぎるくらい助けられましたし…王都からも騎士様がこちらに救援に向かってくれているんでしょう?」


 それを聞いた村長は腕を組み「うぅーむ…しかし…」と唸り、考え込んだ。


 それを見ていた十朗が口を開く。

「あっしにはお構いなく…ここでの事が済み次第、急いで出立(しゅったつ)せねばと思っておりやしたし」


 元より長居はするつもりはなかった。

 出来る事なら、早いところ故郷に戻って親分や一家がどうなっているのか、無事なのか知りたかった。


 かと言って心残りをしたくはない。村を出るなら、先に彼らの不安を取り除いてあげておきたい。そう考えいることを村人に伝える。


「ですから、その頼み。お引き受け致しやすよ」


 十朗の言葉を聞いて、村長は深々と頭を下げた。

「ジューロ様…ありがとうございます…」


 それを聞いていたカモミルは不安な表情を浮かべていた。

 十朗は、少年の耳元に顔を近付けると。「…その人を手に掛ける真似はしやせん、約束しやしょう」

 と、一言だけポツリと呟いた。


「ん?ジューロ様、どうかされましたか?」

 コソコソ話してるのを少し怪訝に思ったのか、背中から村長の声が掛かる。


「いやぁ、お恥ずかしい話。ちと(かわや)の場所を聞いておりやして、なにぶん食事が終わったばかりなんで…聞こえねぇようにと」


「カワヤ…?…あぁ!トイレですか、これはすみません。こちらこそ変に聞いてしまいまして」

 村長が申し訳なさそうに小声で返すと、カモミルに案内してあげるようにと送り出した。


「ごめん、ジューロさん…気を遣わせちゃったみたいで…」

「いや?別にそういうワケじゃござんせんよ、それに」


 十郎が頭を掻く。

(かわや)…こっちではトイレ?でござんしたっけ?行きたいのは本当の事でござんして…」


 カモミルに案内された厠は日ノ本にあるものと似ており、十郎にとっては助かったという。



 ───その夜。


 お借りした空き家、窓から十朗が空を眺めている。

 空には大きな月が一つ…小さな月が一つ、二つの月が夜の村を照らしていた。


 前日とは異なり、静かな夜だった。

 他の村人達はある程度、自家を片付ける事が出来たらしく、各々の家へと戻っていったからである。


 明日の朝、森に探索に行く。

 村長に地図を貰っていて、カモミルと共に今日遠征した地理と照らし合わせれば、なんとか理解できそうであった。


 救援が来るまで、あと五日ほどは掛かるらしい。

 探索しトロールをもし見つけられなくても、救援と入れ替わりなら心置きなく出ていけるだろう。


 親分たちの事も心配であるから早く出立したい。

 勿論それは理由の一つだが、食糧事情もよろしくないのに、更に五日もここに居座るのは村の人の負担になる。


 十朗という食い扶持(ぶち)が増えているからだ。


 それに怪我人の事もあるから尚更(なおさら)であろう。

 バジールさんは回復したものの、他の怪我人は体調がよろしくないらしい。


 彼らは村を守る為に残って戦った者達なので、なんとかしてやりたい気持ちはあるが…何が出来るのだろうか。


 流れ着いてから、たった二日間ではあったが考えることばかりであった。


 十朗は考え疲れた頭で、ぼんやりと月を眺める。


(異国の月は、二つあるのでござんすね。もし無事に帰る事が出来たら、そういう話を土産にするのもありかも知れねぇな…)


 そんな風に故郷へ想いを馳せていると、玄関から二人の声がした。

「こんばんは!ジューロさん居ますかー!?」

「こんばんは…ちょっと、あなたったら…声が大きいでしょ?寝てたら迷惑に…」

 バジール夫妻だった。


「こんばんは、まだ起きておりやすよ?何かありやしたかい?」

 月明かりがあるとは言え夜も更けている、火急の用でもあるのだろうか?

「あの…カモミルの事で少しご相談がありまして…」

 パセリがおずおずと言う。


「む?カモミル殿のこと…でござんすか?」

 何故あっしに?とも思ったが、わざわざ夜分に来たのには意味があるのだろう。


「あっしの家ではございやせんが…どうぞ」

 十朗は二人を椅子に腰掛けさせて、対面に座ると二人に話を促す。

「して、相談とは?」


 二人の話はこうだった───


 探索に行くことに決まった後、カモミルも十郎と一緒に行きたいという申し出があったらしい…。

 バジール夫妻が何とか説得して引き留めたと聞いたが、黙って後を追うのではないかと心配しているようだ。


「ふーむ、なるほど…」

 十朗には少しだけ心当たりがあった。


「おそらく、村長が言っておりやした例の魔女とかいう者の事が心配なのでしょう。トロールに襲われたりしねぇか…もしくは、あっしがその人を手に掛けてしまわないか」

 食事の席で、村長の頼みを確かに引き受けた、手に掛けないとカモミルと約束はしたが、やはり心配なのだろう…。


「あぁー、そうか!カモミルとあの()は仲良かったからなぁ…それでか…」

 十朗の言葉を聞いたバジールが膝を叩く。


「…ジューロさん、村長さんは確かにああ言ってましたけど…ウチの子が言うように、私も…あの娘は関係ないと思うんです」

 パセリもそう続けた。


「カモミル殿には伝えやしたが、あっしはトロールだけを斬るつもりでござんすよ…その人の安否は分からねぇが、お二人がその人の住居を知ってるなら…あっしが危険を伝えるぐらいは出来ると思いやすが…」


「それなんですが、不思議と誰も森であの娘と会えたことが無いんです…森に住んでるとは聞いてるんですが…」

 パセリさんは頬に手を当てて考えるような仕草をとる。


「そうだな!他の人も言ってたが、あの子は魔法が使えるらしい!自分の家にモンスター達が入れないような魔法で、身を守ってるという噂だ!」

 バジールは何か納得したような頷いていた。


「ふぅむ…?」

 十朗にはチンプンカンプンな話であったが、昼に聞いた村長の話からすると、所謂(いわゆる)陰陽術(おんみょうじゅつ)】みたいなものなのだろうか?

 陰陽術に関しても噂で聞いた程度でしかないが…。


「どちらにせよ、心配の元凶。トロールさえ何とかすれば解決でござんすね…」

 十朗がそう言うとバジール夫妻は互いに顔を見合せ、少しだけ安堵した表情に変わっていた。


「ジューロさん!頼りきりですまない…!でも本当に、ありがとうございます!」

 顔を机に突っ伏してバジールが感謝すると、パセリもそれに続けて頭を下げる。

「ありがとうございます…色々と気を遣って下さってくれて、なんとお礼すれば良いのか…」


「顔を上げておくんなさい、あっしは(かしこ)まられるような人間じゃありやせんよ」


 かなり照れくさく感じ、話題を逸らすことにした。

「しかし、問題はカモミル殿でござんすな。勝手に付いて来られると危ねぇし…」

 腕を組み考える。


 バジール夫妻に関しては、大人なので無茶は避けるだろうが、子供は平気で無茶をしたりするのものだ。


「そういうことなら…邪魔にならないよう、ウチの子を縄で縛ってでも…!」

 パセリさんがそう言うと、バジールも(うなず)きながら。

「よし!寝てる今がチャンスだ!ちょっと縄持ってくる!」

 などと言い出した。


(いや、流石にやりすぎでは?)


 冗談でもなく、二人は本当にやりかねない勢いに見えた。

「ちょ、ちょっと待っておくんなせぇ!」

 慌てて玄関口に回り込んで出口を塞ぐ。


「大丈夫!ジューロさんに迷惑は掛けませんよ!」

「私たちが相談してしまったせいで…ジューロさんが気を回してしまうと、それこそご迷惑になりますから」


 二人とも善意なのだろう。

 しかし、それなら最初からカモミルを縛れば良かったのだが、それをしなかったという事は…。

「穏便に済ます為に相談しに来たのでござんしょう!?」

 という事…だと思って流石に制止する。


「そ…そうでした、私としたことがつい…」

 パセリさんは顔を赤くして(うつむ)いた。

 バジールさんはまだ微妙に納得していないのか、「うーん」と唸って考えているようだが。


「ま、まぁ…明日、あっしがカモミル殿を説得してみやすよ?それでダメならば…ということにしやせんか?」

 流石にグルグル巻きにされているカモミルを想像したら…不憫だと思った。


「すみません、余計な負担を背負わせたみたいで……」

「すまないジューロさん!もしダメなら私らでなんとかするから!」


 とりあえず、この場は収まったようだ。

 ふぅ…と一息つく。


「お二人とも、今日はもうお休みになりやしょう。バジールさんにいたっては病み上がりでござんすよね?」


「いやはや、本当に心配させてすまない!…そろそろ帰ろうか、ジューロさん!おやすみなさい!」

「そうね…本当にごめんなさいねジューロさん、今日は夜分遅くにお邪魔しちゃって…」


「いや、賑やかなのは嫌いじゃねぇんで…じゃあ、お二人共お休みなせぇ…また明日」

 休みの挨拶を交わした後、二人の背中を見送った。


 バジールが足の悪いパセリを支え、お互いに気づかい合い、ゆっくり帰る夫婦二人を見て、十郎は美乃梨(みのり)さんの婚儀に想いを馳せていた──



 朝になり、十朗は窓からの日差しで目を覚ました。

 今日は森にトロールを探しに行く手筈だ。


 道中の支度を整えたあと、昨日の食事会で半分残していた固くなったパンを齧り、水筒の水を飲んで空き家を出ると、村の出入口に向かって歩き出す。


 一日で痕跡の一つでも見つかれば良いが、地図を見た限り、全て廻って見ていくのは、十朗の脚でも数日掛かる広さだろう。

 村の出入口に差し掛かると、後方から声が聞こえてきた。


「ジューロさ~ん!」


 振り返ると勢いよく走ってくるカモミルの姿が見える、同行する気満々といった様子であった。


「はぁ…はぁ…っ、ジューロさんっ…ボクも一緒に行きます!」

「カモミル殿?親御さんに聞いたが、同行は反対されてたハズでござんすよね…?」


「うっ…」

 カモミルの狼狽した様子を見ると、やはり勝手に飛び出して来たようだ。


 出入口付近で待ち伏せされてないかと考え、見回りする予定でここまで来たが、探す手間が省けたと考えるべきか…。


「あっしもカモミル殿の同行には、反対でござんすよ」


 こちらから危険に足を踏み入れるのだ、万が一にも何かあった場合取り返しがつかない。

 少し強い口調で言ったのだが、カモミルも食い下がる。


「で、でもボクの脚なら!危険があっても逃げきれるし…囮にだって!」

 どうやら意思は固く、このまま行ってもやはり強引に付いてくるだろう…。

 カモミルがコッソリと後を付けてくる姿が、容易に想像できた。


「カモミル殿、おめぇさんの考えは分かりやす。村長が言っておった人の事が、どうしても心配なのでござんしょう?あっしが手を掛け殺してしまうんじゃねぇかと…」


 それを聞いたカモミルが驚いたように目をしばたたかせる。

「そ、そんなこと!」

「あっしはカモミル殿に約束しやしたよね?その人に手を掛ける真似はしないと…」


 十朗はカモミルと目線を合わせると続けて言う。

「それとも、あっしとの約束は信用されねぇので?」


「違う、違うんだ!ジューロさんは信用してる!でもボクは…」

「信用しているなら、任せてもらいてぇんで」

 我ながら卑怯な言い回しだと思う。


 話をしていて分かったが、カモミルは純粋に助けになりたいという気持ちもあるのだろう。


 しかし、ここは譲ってはいけない。

「それに、おめぇさんの脚は村を助けることに使ってほしいので」


「村を…?」

 少し寂しそうにカモミルがポツリと呟く。


「左様、あっしが森に行っている間はカモミル殿が頼みの綱。村を襲われた時にはその脚であっしの所まで駆けてきて欲しいのでござんす」

 そう言うと地図を広げ、カモミルに目的地を指し示して見せた。


「今日はここから森の北側を探索してきやす。もし村が襲われたなら北側に向かいあっしを探しに来ておくんなせぇ」


 指し示した地図を、カモミルがまじまじと見つめている。

「ようござんすね?」

「…分かった!村の事は任せて、それがボクの役割って事だよね?」

 そう答えるとカモミルが屈託のない笑顔を向けてくる。


「あぁ、あっしはカモミル殿との約束を守る。カモミル殿は村を守る!…(おとこ)の約束ってやつで」

 十朗もカモミルに笑顔で返した。


「うん!約束!」

 そう言うとカモミルが右手を差し出してくる──


「……?こいつは?」

 その行動意味が分からず、十朗は首をかしげながら聞いた。


「え?…握手しようって思って」

「握手…とは、なんでござんしょう?」

「えーと…ジューロさんも右手出してくれる?」

「ふむ?」


 カモミルに(なら)って、同じように右手を差し出すと、手を重ねるようにして握りしめてきた。


「これが握手!」

 まだ幼さが残る小さな手ではあったが、どことなく力強さを感じられた。


「なるほど…して、どのような意味合いを持っているので?」

「えーっと…」

 手を繋いだまま、しばしカモミルが考える…。


「挨拶の意味もあるんだけど…心が通じた時とか、今みたいに約束した時とか…感謝したいときとか色々!」


「なるほど、覚えておきやしょう!」

 そうやってカモミルと握手を交わしていると、遠くからパセリさんの声が聞こえてきた。

「カモミル!カモミルー!」


「あっ!母さん!」

 その声に気付いたカモミルがパセリの方へ駆け寄って行く。

「もう、カモミルったら!ジューロさんに付いて行こうとしたんでしょ?」

「うっ…ごめんなさい…」


「パセリさん、カモミル殿とはしっかり話はつけやしたんで安心しなせぇ、縛るような真似はしなくても大丈夫でござんすよ?」

 冗談めかして言うとパセリが少し顔を赤くしていた。


「もう、ジューロさん!」

「ははは!冗談でござんすよ」

 会話の意味が分からないであろうカモミルだけが、キョトンとしていた。


「さぁて!それじゃ、あっしはそろそろ森に参りやすが…その間はカモミル殿、よろしくお願いしやすぜ?」


「うん!ジューロさんも気を付けて!」

「どうか、無理はなさらないで下さいね…」


 二人の言葉に深々とお辞儀で返すと、十朗は三度笠を目深に被り、森の中へと進んで行くのであった───

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