撮影本番2
「アクション!」
麻里恵の特訓を目撃した日から、自主トレのために、僕もこの公園に通い始めた。
元々の予定では、部活終わりの体育館で秘密の特訓をする場面である。
屋外の公園では、時間がずらせないので、毎週の土日の昼間ということにした。
冷静になれば、やはりどこか無理がある設定だか、この時の僕らにはもう止まることなどできなかった。
バスケなんて体育でしかやったことない僕には、勿論麻里恵がやっていた練習は出来ない。
代わりに、ひたすら走った。
ただただ走った。
僕の息が完全にあがるほど走った。
加えて、腕たてや腹筋、背筋といった地道な筋トレメニューも繰り返した。
結果、その撮影は過酷を極めた。
しかし僕は決して撮影に文句を言わない。
半強制的に行われている謎の特訓メニューがキツくない訳ではない。
むしろ、今にも投げ出したいくらいだ。
それでも、体を徹底的に痛めつけてもなお、僕はこのpv撮影が悪くないものに思えた。
「今がチャンスよ! みんな急いでね! はい、アクション!」
急遽、沙苗さんの思い付きで、公園の遊具を使っての特殊練習の撮影が行われることになった。
演者の僕とカメラマンの良太さんが走り出す。
子供たちが遊具を使ってない隙を見つけて、僕は遊具を正規の使い方ではない方法で使用する。
関係者全員、駆け足で撮影している今の状況が、これまでで1番恥ずかしい。
「はい、進さん。タオルとスポーツドリンクです」
力尽きて芝生で寝転がりながら空を眺めている僕に、マネージャー役の音羽ちゃんが駆け寄ってくる。
自主練の部員のために、わざわざ公園に駆けつけてくれる殊勝なマネージャーだ。
「カット! 音羽ちゃん素敵よ。うーん、私も音羽ちゃんに応援されたい!」
音羽ちゃん贔屓の沙苗さんらしい感想。
「アクション!」
物語もいよいよ中盤の終わりから終盤に向かっている。
僕が演じる補欠の少年は、バスケのセンスがなく、練習しても全然成果が出ない。
現在のシーンは、そんな少年がいつもの公園でうなだれた後に、手に持っていたバスケボールを投げ捨て、初めて感情を露わにするシーンである。
「くっ、くそ」
演じる上での少年の気持ちの指示は、沙苗さんから受けたものの、自分の中にいまいち落とし込めない。
探り探りの演技であった。
ボールが転がっていく。
本来はそのボールを麻里恵が拾い、僕に届けるシーンである。
だが麻里恵はボールを拾わなかった。
そんなものは眼中にないといった様子で、僕に詰め寄ってくる。
「進。あなた、演じている少年の気持ちわかっているの!」
麻里恵が役ではなく、麻里恵として僕に訴えかけてくる。
僕がいつも圭吾の横で見ていたあの迫力が目の前にある。
「今あなたは、自分から変わろうと必死に努力しても、結果が出ず、自分に、バスケに怒っているのよ。いや、怒っているって言い方は正確ではないのかもしれないけど。とにかく、もっと感情を爆発させるの!」
麻里恵の熱い思いが僕を揺さぶった。
「いきなり感情を爆発させろなんて言われても、そんな方法分からないよ」
綾波レイか?ってくらいの説明口調なので少し違和感がある
麻里恵に反論するような言葉が僕の口から飛び出す。
僕が麻里恵の感情に、その焦がれるほど真っ直ぐな想いに、真正面から向き合った初めての瞬間だった。
「知らないって何よ。分からないって何よ。考えることなんてないわ。もっと自分の感情に素直になるの! あなたの体をその役の少年に貸すのよ! そして感じるの! その少年の想いを、その悔しさを、または怒りを! その全てがあなたの全てよ」
麻里恵の後ろから音楽が聞こえる。
熱く心に響くロック。
弦さんがpvの曲を歌っていた。
その瞬間、僕は確かにpvの中にいた。
麻里恵の想いを受け取った僕は、何かを言いかける。
だが、心の内から溢れだす感情を言葉に変換できなかった。
「カット! 2人とも最高よ!」
沙苗さんが今日1番の大きな声を出す。
その表情は、良い映像が撮れた手応えに染まっていた。
その後は、僕ら2人の言い合いを遠目で心配そうに見つめる音羽ちゃんのシーンを取った。
そしてエンディングとして、変わらず補欠の僕と、押しも押されもせぬ大エースの麻里恵が一緒に練習し、音羽ちゃんがそれを支えるシーンを取った。
今回のpvは、俺たちの戦いはこれからだ、エンドだ。
全ての撮影が終わる。
気付けば、家族連れで賑わっていた公園も、僕らを含めて数組しかいない。
演技とバスケの練習という、慣れないことを2つもこなした僕は、すっかりクタクタだった。
公園が茜色に染まる中、18時を知らせる鐘が鳴り響いた。
僕の脳裏に、記憶が蘇る。
忘れかけていた、いや忘れたがっていた記憶。
公園での子供たちの時間の終わりを告げる音を聞きながら、僕は父の手を握っている。
もう握れないその手を、小さな僕の手が握っている。
突如として、思い出の中に囚われるような感覚に襲われたのだ。
その胸に込み上げてくるものに、戸惑い、立ち尽くす僕。
その時、頭の中に流れたのは、たった1曲のロックンロール。
あの日に連れていかれそうな衝動を、その曲が必死に抑えつけていた。
帰りの車の中、僕は漠然と外の景色ばかり眺めていた。
身体だけが取り残されているみたいだ。
僕の心は、まだpvの中にいるようだった。
あの時の麻里恵の言葉と、弦さんのハードロックな歌声だけが、僕の中でリピート再生されていた。