第8話 日高誠と追跡者
志本紗英は鬼の形相で睨んでいる。
窓際の離れた場所からでも察知出来る程の禍々しいオーラだ。
「怖っ!? 何であんな顔しているんだ?」
恐怖で凍り付いた俺とは対象的に、吉田は笑顔で席を立つ。
「俺に用かな? ちょっと行って来るわ」
「待て吉田! 大丈夫なのか? あの様子……。
どう見ても何かあるだろ」
「ああ、あれな。気にするな。志本は男に対しては大体あんな感じだ」
「大体……ってお前……」
吉田は落ち着けと言わんばかりに俺の肩をポンと叩く。
そして教室の扉の前で立つ志本紗英の元へと行ってしまった。
あんな感じ……って嘘だろ?
そう言えば三組の教室の前で対峙した時もあんな雰囲気だった。
あれが平常モードだって言うのかよ……。
二人の様子を遠くから見ていると、フラリと吉田が戻って来た。
「どうした? 随分と早いな」
「日高。志本が呼んでるぞ。お前に用事だと」
「俺に!?」
まさかテニスラケットの件か?
何でだよ……。今更呼び出されるってどう言う事だよ。
……行くしか無い、無視出来る状況じゃ無い。
立ち上がり、重い足取りで戦地へと向かう。
俺が廊下に出ると、志本は仁王立ちで俺の事を待ち構えていた。
志本紗英。
この地元である東谷中学出身。
我が校が誇るアイドル。
その噂は二駅離れた俺の中学校にも届いていた程だ。
確かにそれだけの素質を持っていると思う。
容姿だけの話じゃない。
こうしているだけでも一般人には無いオーラを感じる。
いかんいかん。呑まれたらダメだ。
戦う前から白旗振ってどうする。怯まずに堂々としていればいい。
「俺に用か?」
そう言うと、志本は何も返さずに眉間のシワを深く刻ませた。
あれ? 言い方悪かった?
「僕に何かご用でしょうか?」が正解だったのかな?
「付いて来て。話があるから」
それだけ言って歩き出してしまった。
怖ェェ……。
何処へ行くんだ? なんて訊ける雰囲気じゃないぞ。
志本は一組の教室を離れ、中央階段へと向かっている。
これはもう覚悟を決めるしか無さそうだ。
周囲からの視線を振り払い、志本紗英を追いかける。
前を歩く志本とは距離を開けながら階段を降りて行く。
移動は僅かな時間のはずだが、何十分も歩いている感覚に陥った。
この階段はいつまで続くんだ?
もしかして本格的に病んでいるのか俺は。
ようやく階段に終わりが見えた所で、志本が足を止めた。
クルリと振り返り、不審者を見る様な目で俺に尋ねる。
「何でそんなに離れるの?」
確かに今の俺は必要以上の距離を開けている状態だ。
でもそれは他人が苦手な俺のいつもの癖であり、深い意味は無い。
「俺はいつもこうなんだよ。気にしないでくれ」
そう宥める様に答えるが、志本は警戒を解いてくれそうに無い。
志本紗英は階段の下から俺を睨み続ける。
俺は見下ろす格好になったまま時が経過した。
「……ごめんなさい」
そう言って志本は俯き、視線を前髪で遮った。
ごめんなさいって……。
何で彼女が俺に謝っているんだ?
突然の言葉に訳が分からず動揺していると、志本が言葉を続けた。
「ごめんなさい。あなたとはお付き合い出来ません」
「はい?」
ちょっと待て。どう言う事?
今、「お付き合いできません」て言ったのか?
志本紗英は頭を上げ、俺を真正面から睨み付けた。
「だから、私に続けているストーカー行為を止めて」
「ストーカー!?」
いきなりストーカー犯扱いかよ!
もしかして、ラケットの一件から話が拗れてるのか?
あれから一週間以上経っている。
何で今のタイミングで言って来た!?
いや、そんな疑問は後回しだ。ここは何とか誤魔化さねば。
「志本。俺はそんな事した覚えは無……」
「嘘。昨日だって家の近くまで付いて来たくせに。
あなたの顔はハッキリと見てるから。見間違いじゃないから」
「昨日……!? 俺を見た!?」
何かの勘違いだろう。
絶対にあり得ない。昨日はまっすぐ家に帰った。
「志本。ちょっと話を……」
「あなたがそんな事をする人だと思わなかった」
「どういう意味だ?」
志本紗英は視線を一度逸らし、小声になる。
「失くしたテニスラケット……」
「え?」
「届けてくれたと思っていたのに、私の思い違いだったみたいね」
「は……!?」
あの状況から、どう解釈したらそうなるんだよ。
お人好し過ぎるだろ志本紗英。
「その話もよく分からねーよ。何の話だ?」
ここは知らないフリをさせて貰う。
俺の魔法が暴走して枕元に飛んで来ていたんだ。
……なんて言える訳が無い。
かと言って「そうなんですよ」とは言えない。
その後の展開が想像付かないからな。
志本は腰に両手を添え、
「それならそれでいいけど。
次またストーカー行為をしたら即警察に通報するから!」
いや、無い無い。
何で志本にストーキング行為をしなくちゃならんのだ。
「ハッキリ言っておく。
俺は志本に全く興味も無いし家の住所も知らない。
また何かあったら、すぐに通報でも何でもしてくれ」
「…………!」
俺の言葉に志本紗英は動揺を隠せない様子だ。
視線を逸らして俯いてしまった。
だが、すぐに持ち直し、鋭い視線で俺の事を睨み付ける。
そして大きく口を開いた。
「わかりました。そうします!」
その場を立ち去る志本紗英。
取り残された俺は、ただ呆然と立ち尽くす事しか出来ない。
…………一体何が起きているんだ?
どこをどうやったらそんな事になるんだよ。
異常事態が増殖中だ。
存在が消されたと思ったら次はコレか。
どんだけ世界は俺に恨みがあるんだ。
この事を水鞠コトリに報告しておきたい。
昼休みのこの時間なら四組か、それとも科学室……。
いや待て。
放課後まで普段通りの行動をする様に言われていたんだった。
ここは大人しく一組の教室に戻る事にしよう。
吉田も気にしている事だろう。
「志本、何だって?」
教室の自分の席に座り一息吐くと、吉田が心配そうに訊いて来た。
吉田に隠しても意味は無い。
起きた事を正直に言うべきだろう。
「いきなり志本紗英にフラれた。
ついでに俺はストーカー犯だったらしい」
「何だ日高、志本に告ったのか!?」
「そんな訳ねーだろ。確かに美人だとは思うけどな。
何かと勘違いしてるだけだろ」
「そうか……」
吉田はホッとした様な表情になり、弁当に箸を伸ばす。
「ストーカーか。日高がそんな事するはずが無いのにな」
「信じてくれるのか?」
「そんな面倒臭い事、お前は絶対にしないだろ」
そう言って吉田は自分の玉子焼きを俺の弁当箱に入れる。
「それはどうも」
雑に応えた後、海老シューマイの最後の一つを吉田に渡した。
* * *
放課後。
俺はすぐに教室を飛び出し、科学室へと急ぐ。
水鞠コトリは科学室に居るのか?
昼休みの出来事が「普段通りの行動」とやらに入っている
頼むから居てくれ!
科学室の扉を開く。
朝の時と同じ中央の机の席に水鞠コトリが座っていた。
俺が安堵した表情で入口に立っていると、首を傾げて猫の様な不思議な瞳を向けて来た。
「何かあったの?」
俺は向かいの席にドカリと座り、昼休みに起きた事を全て話した。
一気に聞き終えた魔法使いは深い溜息を吐く。
「とうとう認めたね」
「何を!?」
「やっぱりアンタは志本紗英が好きなんだ。
あー、ヤダヤダ。
ストーカー行為までやらかすなんてホント最低な男だわ」
「してねーよ! 昨日は真っ直ぐ家に帰ってるんだよ!」
「帰ってから外出は?」
「えっと、近くのコンビニに行った位だな」
すると水鞠は不機嫌そうに机に肘を着き、頬を支える。
反対の手でピストルの形を作り、俺を撃つマネをした。
「だったらその日高誠に見えたモノ。
そいつはアンタの欲望が形になった結晶体だよ」
「結晶体!? 俺の!?」
「忘れたの? 結晶体の第二段階は生み出した本人の姿になるんだよ」
「あ…………!」
もしかして志本紗英は本当に俺の姿を見たのか?
二度目の魔法暴走。
俺は、志本紗英をストーキングしたいと願ったって言うのか?
いやいや、ある訳ねーだろ!
俺は志本紗英の事なんて何とも思っていない。
「ストーカー行為をするなら水鞠コトリにだけだと思っている」
「ほ、本人を目の前にして何言ってんの!? キモいんですけど!
いや、本気でキモい!」
本気で嫌そうな顔で睨みつけられてしまった。
それはそれで可愛いから良し。
水鞠コトリは咳払いをして、表情を元に戻した。
「どちらにしても、これでアンタを消したいと願った人物が判明した」
「志本だっていうのか?」
「そうだよ。志本紗英は幼い頃から嫌がらせを受けて来ている。
ストーカー被害とか、リコーダーを盗まれたりね。
限界に達して魔法暴走が起きたんだよ」
「何でピンポイントで俺だけ消そうとするんだよ!?
他にも居たんだろ?」
「そんな事は本人に訊かないと分からないよ。
原因が分かれば対処は簡単だ。
アンタが実際にストーキングして自覚させればいい。
日高誠が消したい程憎いって」
「無茶言うな! 本当の犯罪者にするつもりかよ。
俺は絶対にやらないからな」
ここは引けない。勘違いされたままでは居られない。
『チャラリラ、チャラリラ、チャッチャー』
いきなり謎のメロディが科学室に鳴り響く。
「あ、電話だ」
水鞠コトリが鞄からスマホを取り出した。
どうやら電話の着信音だったらしい。
この珍妙な曲はどこかで聞いた事がある。
昔のアニメだった様な……思い出せないな。
「出なくていいのか?」
なかなか電話に出ようとしない水鞠を促す。
すると慌てる様子も無くスマホを耳に当てた。
「どうしたの? うん。分かった。すぐに行くよ」
どうやら魔法使いの仲間がいるらしい。
それとも家族か? まさか彼氏?
電話を切ると、水鞠は荷物を持って立ち上がった。
「ストーカー犯が生み出したと思われる結晶体が出現した。
アタシが今から討伐に向かう」
「ストーカー犯!?」
「アンタ……やったね」
「や、やってねーよ! 偶然だろ!」
「どうだか。これでハッキリするね。
アンタが志本紗英を好きだって事が」
「絶対違うからな! 行ってみれば分かるだろ」
「フン。強がっていられるのも今の内さ。
覚悟しておきなよ」
そう言って水鞠コトリは颯爽と科学室から出て行ってしまった。
いや。言い切ったはいいが、俺だったらどうしよう……。
違う。絶対に違う。……多分。
そんなやり取りから一時間以上が経過してしまった。
魔法使いは科学室に戻って来ない。
放課後に来いと言ってみたり、いきなり居なくなったり。
自分勝手過ぎないか? 酷過ぎるだろ。
両腕を上げて背筋を伸ばすと、大きな欠伸と共に視界が歪んだ。
ガラス窓から見える景色は初夏を思わせる夕暮れに変わっている。
部活動時間は完全に過ぎていた。
流石にこれ以上ここに留まるのは「普段通りの行動」と逸脱する。
「帰るか……」
俺は先に帰る、とだけメモを残し、科学室を後にした。